保健室に先生はいなかった。
俺は使ってもいいとされているワゴンから消毒液を取り出して、天馬の傷に塗る。
「いっ……」
「悪い、しみたか?」
「別に……」
明らかに痛いという顔をしながらも、天馬の口は相変わらず不満そうに動いていた。
「ほんとごめん! 陸上部の大会近いんだろ? 怪我させちまった」
「…………こんな擦り傷で走れなくなるわけないじゃん……」
「いや、少しの油断が命取りなんだ……」
俺は真剣な顔で天馬に向き、じっと腕の傷を観察した。
血は滲んでいたが、もう止まっている。浅く皮が剥けたくらいだ。
それでも、走っている間に痛みを感じたら気が逸れるだろ。
それだけで0.01秒を争っているこいつらには命取りだ。
ワゴンの引き出しを開けて、丁寧に巻かれた包帯を取り出すと、天馬の顔がギョッとした。
「そこまでする?」
「した方がいい。怪我をしたチーターは弱りやすいだろ」
「は?」
「チーターっていうか、動物みんな。小さな怪我が命取りになる」
「俺、野生動物じゃないから」
「傷、舐めたりしないか?」
「しないよ。バカじゃないの?」
天馬は呆れたように腕を引こうとするが、俺は掴んだままの手の力を緩めることはしなかった。
俺の力に勝てないと思ったのか、天馬の腕からは次第に力が抜けていく。
こうなると本当に可愛い小動物に見えてくるから不思議だ。
力の抜けた腕にすかさず包帯を巻きつけた。
天馬は小さく口で抵抗してくる。
「バカ……でしょ……」
「バカじゃない。お前が大事なんだ」
はっきりと言った。言ってから、自分でも驚いた。
さっき自覚した気持ちが、明確に言葉になって、自分の耳にも入ってきて、鏡を見なくても顔が赤いことがわかった。
「ばか、じゃん……」
包帯を巻き終えても、天馬の腕を離すことができなかった。
天馬も嫌がらない。
俺と同じように顔を赤くして、視線があちこちへと彷徨っている。
あぁ、だめだ。
天馬のチーターの耳が垂れているように見える。
しっぽが、期待しているようにゆらゆらと揺れているように見える。
幻覚だってわかってる。
わかっているけど、たまらなく愛おしい。
掴んだままの腕を引き寄せると、天馬は驚いたような顔をしたが、大人しく抱きしめさせてくれた。
野生動物を飼い慣らした気分だ。
スルリと天馬の頬を撫で、上を向かせたら潤んだ目が誘うように見つめてくる。
俺はゴクリと唾を飲み込み、ゆっくりと顔を近づけていく。
天馬の、薄く開いた唇を目掛けて……。
ーガラリー
「おい、荷物持ってきてやったぞ。もう部室棟も閉めるって」
保健室の扉が開く音に、天馬の体が浮き上がる勢いで跳ね上がった。
幻覚で見えている尻尾は二倍くらいの大きさに膨らんでいる。
真っ赤な顔でふぅふぅ言っている天馬を可愛いと思いつつも、俺は扉を振り返った。
そこには野球部の一人が、俺と天馬の荷物を持って立ち尽くしていた。
「えっと……邪魔した?」
「…………少しな。荷物ありがとう」
「あ、あぁ……じゃ、俺帰るから……」
再び勢いよく閉められた扉の音に、天馬の肩は跳ねた。
「結構ビビリなチーターだな」
「はぁっ? あんな、とこ見られたら……誰だって……」
「あんなとこ?」
腕の中でさっきまで可愛く潤ませていた目をキッと細くして、天馬は暴れ出した。
俺の質問に、恥ずかしそうに離れて行こうとする。
「あんなとこって何? 教えてよ」
「ぅ、うるさい……んっ……」
暴れる天馬を力ずくで抑えると、キュッと小さくなって俺の胸におさまった。
もう抵抗はない。それでも感じる鼓動は早くて、愛おしい。
「ねぇ、俺、天馬のこと好き」
溢れ出る気持ちが抑えられなくて、素直に言葉に出た。
腕の中で、天馬の体が小さく震えている。
モゾモゾと動き出した天馬は、置いて行かれた自分の荷物に手を伸ばし、つけ耳を取った。
そして、俺の胸にそれを押し付けてくる。
「付けて……」
天馬は少し頭を下げて上目遣いに俺を見てくる。
え、なに?
どういう儀式?
俺の好きへの答えは?
俺が面食らっていると、口を尖らせた天馬が顔を逸せて言った。
「それが答え……じゃ、だめ……?」
耳まで真っ赤な天馬の顔に、俺は全てを理解した。
ゆっくりと天馬の髪を撫で、付け耳のカチューシャをその頭に付けてやる。
「可愛い……」
「…………可愛いために付けてるんじゃない……」
「そうだな」
俺は天馬の荷物から尻尾を取り出し、これも付けてやると腰に手を伸ばした。
しかし、尻尾は取り上げられてしまう。
「これは、まだ、だめ…………」
尻尾を大事そうに抱えながら、天馬は後ろ手で自分の腰に装着する。
「まだ……?」
「……まだ……」
尻尾を付けさせて貰える日は、何が許されるのだろうか。
図鑑のチーターの写真とはだいぶ違うけれど、ツンとした天馬の顔が可愛すぎて、俺は強く強く抱きしめた。
ー完ー
俺は使ってもいいとされているワゴンから消毒液を取り出して、天馬の傷に塗る。
「いっ……」
「悪い、しみたか?」
「別に……」
明らかに痛いという顔をしながらも、天馬の口は相変わらず不満そうに動いていた。
「ほんとごめん! 陸上部の大会近いんだろ? 怪我させちまった」
「…………こんな擦り傷で走れなくなるわけないじゃん……」
「いや、少しの油断が命取りなんだ……」
俺は真剣な顔で天馬に向き、じっと腕の傷を観察した。
血は滲んでいたが、もう止まっている。浅く皮が剥けたくらいだ。
それでも、走っている間に痛みを感じたら気が逸れるだろ。
それだけで0.01秒を争っているこいつらには命取りだ。
ワゴンの引き出しを開けて、丁寧に巻かれた包帯を取り出すと、天馬の顔がギョッとした。
「そこまでする?」
「した方がいい。怪我をしたチーターは弱りやすいだろ」
「は?」
「チーターっていうか、動物みんな。小さな怪我が命取りになる」
「俺、野生動物じゃないから」
「傷、舐めたりしないか?」
「しないよ。バカじゃないの?」
天馬は呆れたように腕を引こうとするが、俺は掴んだままの手の力を緩めることはしなかった。
俺の力に勝てないと思ったのか、天馬の腕からは次第に力が抜けていく。
こうなると本当に可愛い小動物に見えてくるから不思議だ。
力の抜けた腕にすかさず包帯を巻きつけた。
天馬は小さく口で抵抗してくる。
「バカ……でしょ……」
「バカじゃない。お前が大事なんだ」
はっきりと言った。言ってから、自分でも驚いた。
さっき自覚した気持ちが、明確に言葉になって、自分の耳にも入ってきて、鏡を見なくても顔が赤いことがわかった。
「ばか、じゃん……」
包帯を巻き終えても、天馬の腕を離すことができなかった。
天馬も嫌がらない。
俺と同じように顔を赤くして、視線があちこちへと彷徨っている。
あぁ、だめだ。
天馬のチーターの耳が垂れているように見える。
しっぽが、期待しているようにゆらゆらと揺れているように見える。
幻覚だってわかってる。
わかっているけど、たまらなく愛おしい。
掴んだままの腕を引き寄せると、天馬は驚いたような顔をしたが、大人しく抱きしめさせてくれた。
野生動物を飼い慣らした気分だ。
スルリと天馬の頬を撫で、上を向かせたら潤んだ目が誘うように見つめてくる。
俺はゴクリと唾を飲み込み、ゆっくりと顔を近づけていく。
天馬の、薄く開いた唇を目掛けて……。
ーガラリー
「おい、荷物持ってきてやったぞ。もう部室棟も閉めるって」
保健室の扉が開く音に、天馬の体が浮き上がる勢いで跳ね上がった。
幻覚で見えている尻尾は二倍くらいの大きさに膨らんでいる。
真っ赤な顔でふぅふぅ言っている天馬を可愛いと思いつつも、俺は扉を振り返った。
そこには野球部の一人が、俺と天馬の荷物を持って立ち尽くしていた。
「えっと……邪魔した?」
「…………少しな。荷物ありがとう」
「あ、あぁ……じゃ、俺帰るから……」
再び勢いよく閉められた扉の音に、天馬の肩は跳ねた。
「結構ビビリなチーターだな」
「はぁっ? あんな、とこ見られたら……誰だって……」
「あんなとこ?」
腕の中でさっきまで可愛く潤ませていた目をキッと細くして、天馬は暴れ出した。
俺の質問に、恥ずかしそうに離れて行こうとする。
「あんなとこって何? 教えてよ」
「ぅ、うるさい……んっ……」
暴れる天馬を力ずくで抑えると、キュッと小さくなって俺の胸におさまった。
もう抵抗はない。それでも感じる鼓動は早くて、愛おしい。
「ねぇ、俺、天馬のこと好き」
溢れ出る気持ちが抑えられなくて、素直に言葉に出た。
腕の中で、天馬の体が小さく震えている。
モゾモゾと動き出した天馬は、置いて行かれた自分の荷物に手を伸ばし、つけ耳を取った。
そして、俺の胸にそれを押し付けてくる。
「付けて……」
天馬は少し頭を下げて上目遣いに俺を見てくる。
え、なに?
どういう儀式?
俺の好きへの答えは?
俺が面食らっていると、口を尖らせた天馬が顔を逸せて言った。
「それが答え……じゃ、だめ……?」
耳まで真っ赤な天馬の顔に、俺は全てを理解した。
ゆっくりと天馬の髪を撫で、付け耳のカチューシャをその頭に付けてやる。
「可愛い……」
「…………可愛いために付けてるんじゃない……」
「そうだな」
俺は天馬の荷物から尻尾を取り出し、これも付けてやると腰に手を伸ばした。
しかし、尻尾は取り上げられてしまう。
「これは、まだ、だめ…………」
尻尾を大事そうに抱えながら、天馬は後ろ手で自分の腰に装着する。
「まだ……?」
「……まだ……」
尻尾を付けさせて貰える日は、何が許されるのだろうか。
図鑑のチーターの写真とはだいぶ違うけれど、ツンとした天馬の顔が可愛すぎて、俺は強く強く抱きしめた。
ー完ー
