そろそろ保安検査場に入ろう。いつまでもここにいたってしょうがない。
俺は空港の、出発ロビーのソファから立ち上がった。
今日俺が、このあとの飛行機に乗ることなんて、誰も知らない。
パスポートとスマホ、モバイルバッテリーと本。それくらいしか入ってないリュックを背負って、俺は様々な言語が飛び交う空港を歩き始めた。
広いな、と思う。空港でこれだけ広いのに、日本を出て、カナダなんてもっと広い。
向こうに着いたら、俺はさらにいろんな世界の人と出会うだろう。
広くなる俺の世界に、これからは、滝川だけがいない。
「……環さん!」
出会ってすぐぐらいから俺を名前で呼びまくって、俺よりガタイがよくて、かわいくて、まっすぐで、大型犬みたいにじゃれついてくるやつなんて——
「環さん! 待ってって!」
遠くからなんとなく聞こえていた足音がみるみる俺の背後まで走ってきて、
「つかまえたっ」
「うわっ」
俺が振り向きざま、警察犬みたいに飛びつかれた。あやうくひっくり返りそうになったところを、筋肉質な腕に抱きとめられた。
「……あぶねーだろ! 滝川!」
「すいません、だけど!」
全力疾走してきたのか、滝川は荒い呼吸の中でまくしたてた。
「もう全然なかったことにしないでくださいよ! てか、オレら始まってもないんすよ? 『黙って姿消したらかっこいいまである』とか、ないから!」
「いやおまえ、何言ってんの?」
滝川の言い分は支離滅裂に聞こえるが、俺には耳が痛いことしかない。
「ああ、飛行機出ちゃう、俺もう行くから、じゃあな」
滝川を突き飛ばすように振り払い、再び保安検査場を目指したが、リュックを掴まれてすぐに確保されてしまう。
「もう、何だよ!」
見たら泣くから絶対いやだったのに、滝川の顔を見てしまった。
汗だくで髪もぐちゃぐちゃ、パリピな服も乱れ放題で、イケメンが台無しだ。
なのに、かわいいじゃねーか、ばか。
「じゃあなじゃねーよ! 環さん、完全に終わった感じにすんのマジやめてって。オレ留学の書類見たんすよ、勝手に! すいませんでした! でも1年でしょ? オレ全然、待ってるから!」
「……え、俺、謝られてんの? 怒られてんの?」
揚げ足をとるつもりで発言した俺の声が、ひっくり返ってしまう。やばい、こんなところで涙声とか、マジだせぇ。
滝川が、俺を抱きしめる。あの夜と同じくらい、熱い手だった。
「いま令和っすよ? LINEもZoomもなんでもあるでしょ! オレ毎日あんたの顔見てやっから!」
俺は自分の気持ちに、やっと名前をつけた。
