おまえに恋しちゃってたら、よかったのにな

なんで俺だけ女装してんだ? 今日何度目かの疑問が頭に浮かび、すぐに黒板消しみたいにぱたぱたとはたいて消した。考えたってしょうがない。もうメイドになったんだ、俺は。

「学園祭にゼミで出店しようって、みんなで盛り上がっちゃって」、と後輩からLINEが送られてきたときには、まさか女装メイドカフェをやるとは思っていなかった。
理系学部だからご多分に漏れず、うちのゼミも男所帯だ。
それでみんなで女装するのかと思っていたら、「いや、僕らは黒服で」とか言い出す。

どういうこと? 結局俺しかメイドがいないメイドカフェって、企画として成り立ってるか?
とはいえ、ゼミの最年長なので俺がひと肌脱いだわけだが、俺、173センチあるんだぞ? 胸板、けっこう厚いぞ?
よく見つけてきたな、俺が着られるメイド服。
全身ピンクでフリフリレースがいっぱい、そしてあろうことか膝丈。しかも金髪ロングのウィッグにつけまつげ、度入りのカラコン……

小山田(おやまだ)先輩、キレイっす! 最高っす! ムダ毛まで処理してもらってすんません!」
なんて後輩たちが目に涙を浮かべる姿を見せられたら、俺も悪い気はしなかった。女装が完成した時点で俺も腹をくくった。

昼のピークタイムが過ぎ、俺は空いたテーブル席に腰を下ろして、むき出しのすねと窮屈なピンクのパンプスをぼんやり眺めていた。

こんな女装でも、午前中はそれなりに繁盛してくれたから、俺の献身も報われたと思う。
いい思い出のあまりない昔の恋愛期間に脱毛してたことが、ここで役立つとは思わなかったけど。

ポップコーンやお好み焼きなんかの匂いに混じって、ほのかにキンモクセイの香りが漂ってくることに気づいたとき、

「先輩、昼休憩いっちゃってくださーい」

と、ブースの奥から2年生の声がした。
待ってました、もう腹がぐーぐー鳴って恥ずかしいくらいだったんだ。

「わかったー。あと頼むなー」

俺はどっこいしょと立ち上がり、女装のまま女装メイドカフェを離れた。
ん? 俺不在で「女装メイドカフェ」が成り立つのか? ……まあいいや、俺の胃袋はもう限界。

この大学の学生数は約7千人。
マンモス校というほどではないけれど、学園祭ともなると、学生たちがそれぞれ家族やツレや恋人を連れてくるから、ラッシュアワーの駅みたいな混雑になる。

「あー……しょっぱいもん食いたい……」

朝からカフェの試食で、タルトやらシナモンロールやら、甘いもんばっかり食べすぎた。俺の口はいまや塩気しか求めていない。
人混みに逆行しながら歩いていると、なんとなく自分が注目を集めている気がする。女装だからしょうがない。
それに俺は今、腹が減ってそれどころじゃない。
からあげ、フライドポテト、たこ焼き、はしまき……

いろんな屋台をパトロールしているうちに、筆文字で書かれた重厚な看板が目に入った。

「……『筋肉焼きそば』…?」

『筋肉』はともかく、『焼きそば』は魅力的だ。俺は吸い寄せられるようにその看板の屋台に近づいた。

「うわ、すげぇ行列……」

屋台の前には、どう見積もっても30人は行列をなしている。
もう2時近くなのにこの状態だと、あまり回転もよくなさそうだし、これはもう別をあたるか?

甘めのソースの焦げる匂いに後ろ髪を引かれつつ、俺は屋台に背を向けた。けれど、

「待っておねーさん!」

あまりにも必死な声に呼び止められ、女装の自覚からか、俺は思わず振り向いてしまった。

そこには、ターコイズブルーのランニングにちぐはぐなエプロン姿の、肩幅の広い男子が俺の肩を掴もうと手を伸ばした状態で立っていた。

「……あっ……」

目が合って、お互いに呼吸を止めたのが分かった。

びっくりした。

広い額に汗を浮かべ、そこに前髪がぱらぱらはりついて、アーモンド形で切れ長の、きれいな眼がその下にあって、それから、まっすぐ通った鼻筋と、汗が一滴したたるシャープなアゴのラインと、どんどん赤くなっていく両耳には小さいピアス。

かっこいいな、と純粋に思ったとき、ランニング男子の薄い唇が動いた。

「……あ、スイマセン、おにーさん……」
「あ、いや、いいから。そういう気の使われ方は逆につらい」

ていうか本当に女子だと思って呼び止めたのかと思うと、俺はやけに、このランニング男子が可愛らしく思えた。
髪色なんかシルバーで、どう見てもパリピでチャラそうなそいつは、俺より数センチくらい高そうな背を縮めるように、思い切りしゅんとなって頭を下げた。

「スイマセン……」
「マジでもういいから。……焼きそば屋さんやってる人? 焼きそば、大人気だね?」

俺が言うと、そいつはいたずらを許された犬みたいに、あからさまにホッとした顔をした。

「そーなんすよ! ……あの、ここの学生ですよね?」
「あーそう。昼食いに来たんだけど、ちょっともう無理そうだなーって思ってたとこ」

すげぇ並んでるからさ、と俺が言うと、ランニング男子は焦ったようにたたみかけてきた。

「いやあの、今ですね、追加で麺買って来なきゃなんで! 買ってきたらまた作るんで、オレ、持っていきます!」

あまりにも必死っぽい様子に、俺はちょっと笑ってしまった。

「……ふふ、出前してくれんの? 君が?」
「ハイ! オレが作って、出前します!」

そいつの、屈託のない元気の良さに、俺は今度こそ声を出して笑った。すると、そいつもニカッと笑顔を見せる。
かわいいな、こいつ。

「俺、小山田(たまき)。2号館でメイドカフェやってるから、頼んでいい?」
「もちろんっす!」

おーい1年! と、屋台から声がかかり、ランニング男子は「今いきまーす」と返事をした。
そして俺に向き直り、

「俺、滝川直也っていいます! 絶対、お届けしますんで!」
「うん、頼むね」

バタバタと去っていくランニング男子——滝川の耳が赤い。俺にもあんな頃があったかな、と去っていく背中を眺める。
そうしながら、胸の奥があったかくなってくるのが、俺にはなぜだかわからない。
俺は人混みの中を、メイドカフェに向かって歩きだした。

その頃の俺は、鮮やかに失恋したばかりだった。
思えば昔から、振り回されるばかりの恋愛しかしてこなかった。今回は好きになった相手が悪かった。
バイト先の本屋の常連さんで、気軽に話もするようになって、俺はてっきり「こっち側」の男だと思ってた。
なのに、俺が「ここでキメる」と思って誘った食事の席に限って結婚指輪をはめてくるなんて、もう嫌がらせとしか思えない。
仕事上いつもは指輪をしていないんだ、なんて、いらねぇよそんな情報。

「クソが……」

メイドカフェに戻り、ドロドロした気持ちでしばらく隅のテーブル席に座っていると、窓辺から、こちらに向かって走ってくるターコイズブルーのランニングが見えた。


俺は滝川を、中庭のテーブルに誘った。そこは何のブースも出ていない、静かな場所だった。
作りたてで、パックを持てないくらい熱々の焼きそばを汗だくで出前してくれた滝川に、俺はメイドカフェのアイスコーヒーにシナモンロールを付けて出してやった。

「うわ! やばっ、うめー! アイスコーヒー最高!」

頭キーンてする!などと大騒ぎしながら、滝川はぐいぐいアイスコーヒーを飲み、シナモンロールにかぶりついた。
滝川のハイテンションがやけにおもしろくて、俺もつられて笑ってしまいながら、念願のしょっぱい食べ物を頬張る。
天かすがのってる焼きそば、初めて食べたけど、サクサクの食感が楽しい。しかもこのソース、うまい。
甘いだけじゃなくて、なんか、懐かしい感じがする。

「焼きそばも相当うまいよ。マジで君が作ったの?」
「あ、そうっす。オレ、実家が代々食堂やってんすよ、地元で。で、オレも時々手伝ってて。このレシピ、ばーちゃんの直伝っす」
「ああ、どうりで……」

なるほどと思う気持ちをじわじわ浸食するように、俺の視界には滝川の口元しか入らなくなる。
シナモンロールの白いグレーズがたくさんついて、それを全く気にしていない滝川の口元から、俺は目が離せなかった。