春風の声


ずっと完璧でいるために努力してきた。歯を食いしばって努力してきた。
人生イージーモードだとよく言われるが、真逆だ。
ハードモードすぎるから、それをカバーするために意識的に努力して、自己プロデュースしている。

だけど、そこまでしても、たった一言のカミングアウトで手のひらを返されるくらい、ゲイというセクシュアリティは他人にとってショッキングなことだろう。

完璧であれば、人望があれば周りから受け入れてもらえるかもしれないと思ってこれまでやってきたが、完璧になった今は逆に一気に失墜するのではないかという恐怖に取り憑かれている。

僕は一体どこに向かえばいいのか。僕は一体何者なのか。


ある日、いつものように「藤崎はずるい」と誰かのぼやきが聞こえてきた。
誰も僕の心のうちなど知らないから仕方ない。
いつものようにそう聞き流そうとした時、
「まぁでも血の滲むような努力をしてるんだろ」
やけに鮮明に聞こえた。

思わず声のする方を見ると、一度も話したことのない人だった。そんな風に言われたのは初めてで、彼のことが気になった。

その後も前方に彼がいるのを何となく見ながら帰っていると、道路の反対側にパーキンソン病特有の歩き方をするおじさんがいた。

みんなが笑う中、彼は一緒になって笑うことなく、なぜか痛みを堪えるように背中を丸くして俯いていた。
ふと見えた横顔があまりにも悲しそうでますます気になった。

「パーキンソン病じゃないかな?」
僕自身もマイノリティなので、この嫌な笑いは堪え難いものがある。前方のグループまで聞こえるように声を張って言った。

思惑通り、誰も笑わなくなり、彼の背中の緊張も解けて、ふと見えた横顔もホッとしているようだった。

彼、なんていう名前なんだろう。友達になりたいな。


次の日偶然見かけた彼の友人に声をかけた。
「ごめん、昨日の帰りに君の隣にいた子の名前教えてもらえないかな?」
「え?まって、思い出す。あ、三谷かな?小さくてサラサラ髪のやつ?」
「そう、その子だと思う。三谷っていうの?」
「うん、三谷冬夜。俺は三谷と同じクラスの羽山。よろしく藤崎くん」

そう言われてようやく、自分がかなり失礼な態度をとっていたことに気づく。

「あ、羽山くん。ごめんね。こちらから名乗りもせず、君の名前も尋ねずに、突然質問しちゃって...」
「全然いいよ!羽山って呼んでくれていいから!クラス違うけどよろしくな、藤崎!」
「うん、よろしく」
ものすごく明るい人だな、羽山は。


三谷冬夜くんっていうのか。
その日はとりあえず名前を知れて、ウキウキした気持ちで帰宅した。
しかし、クラスが違うためそれからなかなか出会う機会がなく、しばらく焦ったい思いをしていた。

だが、ある日突然、下駄箱でタイミングよく出会えた日があった。
その偶然があまりにも嬉しくて、思わず前のめりに声をかけ、半ば強引に友達になった。

なんか僕、追っかけファンみたいになってて引かれてないかな...と不安になったが、向こうも僕のことを認知してくれていたようで安心した。
新入生代表挨拶をしておいてよかったな。


それから無事に連絡先も交換し、毎日一緒に帰る仲になったが、冬夜の人柄は想像以上だった。

まず、絶対に人の悪口を言わない。誰かを笑ったりもしない。噂話をせず、誰かをジャッジすることもない。
帰り道でも駅でも、いつも誰か困った人がいれば迷わずに駆けつけ、さり気なく手助けをする。

この人はきっと人の痛みを知っている人だ。
それが僕をどうしようもなく安心させてくれた。
冬夜といると何も頑張らなくていい。
ありのままを受け入れてもらえるような気がして、とても居心地がよかった。
こんな感覚は初めてで、冬夜を知れば知るほど、人として好きになり、尊敬する気持ちが増した。


羽山と三人で一緒に帰った時には、冬夜のクラスでの様子が知れて嬉しかった。
クラスでも相変わらずさり気なく人助けをしていて、包容力があるからみんなからオカンと呼ばれていると知った時は、あまりにもピッタリのあだ名で面白かった。

冬夜は制服をかなり真面目に着こなしているし、どこか大人びて落ち着いた性格をしていて、見た目も小柄で可愛らしい。
だから、羽山みたいな体育会系の目立つグループの中にいるのは意外だったが、みんなから可愛がられていると聞いて勝手に安心する。

しかし、それと同時に自分が同じクラスではない寂しさと悔しさも感じる。
実際に、遠足の時に冬夜がたくさんのクラスメイトたちから可愛がられているところを見て、ほんの少しの嫉妬心に駆られた。


だが、その後しばらくして、なぜ彼が高校一年生でこんなにも大人びた雰囲気を纏っているのか、答え合わせをする機会があった。
家族で食事に出かけた際、帰り際に冬夜とそのご家族にたまたま出会ったのだ。

冬夜はどうしようといった感じで青ざめた顔をして固まっていたが、僕は点と点がつながったような感覚で、さらに深く冬夜のことを知れたような気がしてとても嬉しかった。

冬夜の肩を叩きながら話しかけているのはきっとご兄弟だなと思い、ご挨拶する。
「はじめまして、冬夜くんの友達の藤崎春誠です」

お兄さんと僕の名前が似ていたそうで、すぐに覚えて何度も呼んでくれたので、親しみを持ってもらえたようでとても嬉しかった。

ご両親とお祖母様ともご挨拶でき、冬夜が僕のことをご家族に話していてくれたという事実も知れた。
それがあまりにも嬉しくて、この偶然にも少し運命めいたものを感じるほど舞い上がっていた。

次の日いつものように学校で会った時も、僕がお兄さんのことを質問するとぎこちないながらも少し嬉しそうに話す冬夜がとてもいじらしかった。

本心からまたお会いしたいなと言ったら、冬夜のほうから「今度泊まりに来る?」と誘ってくれたので、思ってもみない展開に前のめりになって「絶対に行きたい」と答えた。

何か言葉にできない思いがあるのか、冬夜がその後声を詰まらせて話さなくなった時も、本当は抱きしめたくてたまらなかった。
大丈夫だよと冬夜の全てを包み込みたかった。
僕はこの時、この気持ちが恋だと悟った。


小学生の頃から薄々自分のセクシュアリティに自覚を持っていたが、警戒心の強い僕が人を好きになったのは冬夜が初めてだ。

カミングアウトすることは怖いが、冬夜ならたとえこの恋が実らずとも、引いたりバカにしたりせず向き合ってくれるだろうと自信に近いものがあった。

だから、冬夜の家に泊まりに行った時、滅多にない機会なので少しでも進展があればいいなと思っていた僕は、すかさず名前呼びをお願いした。

「ねえ、僕も冬夜って呼んでもいい?」
「えっ...いいけど。なんで急に」
「ご家族が呼んでいるのを聞いて、いい名前だなと思って」
「なんだそれ。じゃあ、俺も春誠って呼ぶか」

あどけなく笑う冬夜が可愛くて、また、物理的な距離の近さも相まって、そのまま抱きすくめてしまいたくなる衝動を必死に抑える。

「うん、呼んで、冬夜」

無意識にじりじりと距離を詰め、余裕のない顔で返事をしてしまう。
すると顔を真っ赤にして「わかったわかった」と慌てて逃げられてしまった。

さすがに余裕がなさすぎたな...と反省したが、真っ赤になって恥ずかしがる冬夜を思い出すと、もしかして少し意識してもらえたんじゃないかと嬉しくなった。


だが、そう舞い上がっていたのが一転、一緒に観た映画が同性愛の内容だったため、それによって僕の心は一気にかき乱されてしまった。

ボヤッとしていたとはいえ、男同士の恋愛が描かれている映画だ。どんな感想を持つだろうか。少しでも否定的なことを言われたら、しばらく立ち直れないかもしれない。

冬夜なら受け入れてくれるだろうと自信を持っていた自分はどこへやら、今はただただ感想を聞くのが怖くて怯えていた。


だが、やはり冬夜は冬夜だった。同性愛がテーマだと分かっていても気持ち悪い、理解できないとは言わず、むしろ自分に照らし合わせて刺さるものがあったと言った。

「いい映画だった」と満足そうにしている冬夜の隣で、この流れでカミングアウトするか、するまいか...冬夜に話してしまいたい、だけど怖い...相反する感情の中でさまよい、黙りこくっていた。

「そろそろ寝るか」と冬夜に誘われ、暗闇の中でまだ答えの出ない気持ちに振り回されながら、ポツポツと話しかけてみた。

「冬夜はさ、周りの視線が気になって自分を偽ったりしたことはある?」
僕はずっとゲイというセクシュアリティを隠して生きてきている。自分を偽って、周りを騙して、バレないように気を張って。

周りにありのままの自分を認めてもらいたくて頑張ってきたが、正直どう生きるのが正解かなんてもう分からない。自分らしくいたいとがむしゃらになる一方で、諦めに近い気持ちもまた切り離せずにいた。

だけど冬夜と出会って、冬夜の深い優しさに触れるたびに、僕は僕のままでいいんだと自然と思えるようになった。
そして、いつからかまた、ありのままの自分で生きて行きたいという気持ちが大きくなっていた。

冬夜が途中泣くのを我慢するような声で、藤崎に救われた、勇気をもらったと繰り返すので、救われているのは僕のほうだと叫びたくなった。


「ありがとう。僕こそいつも冬夜に救われてるよ。実は...僕も冬夜に話したいことがあって...」
「うん、なに?なんでも聞くよ」

大丈夫。決心して、はっきりと伝える。
「僕、ゲイなんだ」

暗くて見えないが、驚いたようにこちらを見る冬夜の動きが伝わってくる。

「ごめん。急にこんなこと言われて気持ち悪いと思う。今まで誰にも話したことがないから、上手く話せないかもしれない」

決心したつもりだったが、声も手も今までにないくらい震えている。ああ、きっと困らせているだろうな。
そう弱気になった時、冬夜の優しい声がスッと背中を撫でてくれた。

「全然、ちっとも気持ち悪くない。正直言って驚いたけど、話してくれて嬉しいよ」

そう言われ、少し落ち着きを取り戻してホッと息をつく。

「冬夜と一緒にいると本当に落ち着くんだ。誰かを悪く言ったり、笑ったり、決めつけたりしないでしょ。困ってる人には自然と手を差し伸べて、そういう冬夜のさりげない優しさを見るたびに、僕は僕のままでいいって思わせてくれるんだよね」

冬夜が分け隔てなく人と接するのを見るたびに、困っている人をさり気なく助けるたびに、こんなに優しい世界があるんだと教えられる。

今までは周りの人全員から理解されたい、否定されたくないと考えて苦しくなっていたが、どんなに頑張ってもそんなことは不可能で、今はただ近くにいるこの優しい大切な人が理解しようとしてくれたらそれで十分なんじゃないかと思える。


「冬夜、僕、冬夜のことが好き。難しいのはわかってる。でも少しでいいから、恋愛対象として考えてみてくれないかな」

冬夜が驚いて飛び起きる音がする。
告白までする予定はなかったので、自分でも自然と口をついて出た言葉に驚く。
言う前はあんなに怯えていたのに、冬夜と話していると不思議と震えも落ち着いて、今はむしろ堂々とした気持ちだ。

「お...俺、ごめん、恋愛は考えたこともなかったからまだわかんないけど、藤崎のこと人としてめっちゃかっけーって思ってるし、尊敬してるし、すごく好きだし、はっきりしないけどその...」

冬夜らしい。突然のことで混乱しているだろうに、誠実に受け止めようとしてくれている。それに、人として尊敬していてすごく好きだと言ってくれただけで、もう十分嬉しい。

「ありがとう。それだけで十分うれしい。それじゃ、これからは意識してもらえるように頑張ってもいい?」
「えっと...はい...」

冬夜と出会って、冬夜を好きになって、カミングアウトしても何も変わらず、ありのままの自分を受け止めてもらえて、長年の胸のつっかえが取れたようなすごくスッキリした気分だった。