春風の声


藤崎が家に泊まりにきた。

その日はちょうど藤崎の予定がなく、翌日は土曜日という好条件だったので、学校終わりにそのまま泊まりにくることになった。

「三谷、この距離を毎日通ってるのすごいね」
「誘っておいてなんだけど、遠すぎで本当にごめん」
「全然大丈夫だよ。むしろ新鮮で楽しい」

人生で初めて友人を自宅に招くので、少しだけ緊張する。兄の存在をひた隠しにしてきた俺には一生来ないと思っていたイベントだ。

「ただいま〜」「お邪魔します」
藤崎を招くよう提案してきた家族もウキウキしていたようで、全員勢揃いでわざわざ玄関まで出迎えにくる。

「あらあら、いらっしゃい」
「いらっしゃい。よく来てくれたね」
「ゆっくりくつろいでくださいね」
「はるま?はるま?」
みんな代わる代わる声をかけ、兄ちゃんなんて大興奮でずっと話しかけている。

「皆さん、お世話になります。春陽くん、お久しぶりです。春誠です」
藤崎が丁寧に応えてくれていて、申し訳なさと嬉しさが同時にやってくる。


「なんか、うちの家族がはりきっててごめん」
部屋に荷物を置きにきて、ようやく静寂が訪れる。
「ううん、歓迎してもらえて嬉しいよ」
藤崎が優しく笑うので、またじわじわと胸が温かくなる。

「藤崎って本当に優しいよな。どう生きたらそんなに優しくなれるんだ?尊敬しかない」
藤崎がびっくりしたような顔をする。

「なに言ってるの、それは三谷でしょ」
「え?俺?俺は特別優しい覚えはないけど...」
今度は俺のほうがびっくりする。

「三谷は静かで深い優しさがあるんだよ」
「なんだそれ、初めて言われた」
「人の痛みを知っている、ものすごく深い優しさだよ。みんな三谷の優しさに包まれたくなるような不思議な魅力がある」

藤崎が真面目な顔をして言ってくるので、だんだん顔が赤くなる。
「あ...もう大丈夫です...」

まだまだ話し足りないかのように藤崎が口を開こうとした時、階段下から「冬夜〜藤崎くん〜ごはん食べましょ〜」とナイスタイミングでごはんに呼ばれた。


「はるまお泊まり?お泊まり?」
「はい、お泊まりさせてもらいます」
晩ごはん中も兄がそれはそれはしつこく話しかけるが、相変わらず藤崎はニコニコ優しく応えてくれていた。
家族は兄のマシンガントークに慣れているが、藤崎はさぞかし困っているだろうと思い、助け舟を出す。

「兄ちゃん、藤崎がごはん食べれないからもうちょっと静かにして」
「うるさい?うるさい?静かにする?」
「うん、ちょっと静かにしよう」
「三谷、俺、春陽くんと話すの楽しいから大丈夫だよ」
俺たちのやりとりを聞いていた藤崎がすかさずそう言ってくれる。

「...ありがとな」
一緒にいればいるほど不思議だ。
藤崎にこそ深い深い優しさがあるじゃないか。
俺だけじゃない、うちの家族みんなが藤崎に救われているだろう。
どう生きてこればこんな人間になれるのか。


「藤崎くんが持ってきてくれた焼き菓子、とってもおいしいわね」
「お菓子おいしい、お菓子おいしい」
「本当においしいよ。ありがとう」
藤崎が帰宅途中、手土産だと言って買ってきてくれた焼き菓子を食後のデザートにみんなでご馳走になっている。

「お口に合ってよかったです」
「気を遣わせてしまったね」
「ほんとよ。次は手ぶらで来てね」
「いえ、こちらこそおいしいごはんをご馳走になって本当にありがとうございます」

帰り道で藤崎がお店に寄った時、まさかと思い「気を遣わなくていい」と引き留めたが、両親からも手土産を持参するように言われてるからとスマートにかわされた。

「冬夜が友達を連れてくるなんて初めてでね」
「よっぽど大切で信頼できるお友達なのねってみんなで話していたの」
「そうそう。藤崎くんとお友達になった日も、今までにないくらい嬉しそうに自慢しててね」
両親と祖母が恥ずかしくなるような話で盛り上がり始める。

「もう!その話はいいから!藤崎食べ終わったか?そろそろ風呂に入るぞ!」
「こら、急かさないの」
「冬夜急かしたらだめ?冬夜急かしたらだめ?」
藤崎が笑いながら立ち上がる。

「では、すみません。お先にお風呂いただいてきます」
「食後すぐで大丈夫かしら?ごゆっくりしてくださいね」
家族の声を背に、急げ急げと藤崎の背中を押して、風呂に案内する。


「急かしてごめんな。これ、タオル。風呂は普通だから使い方はわかると思う。ドライヤーはここにあるから...」
「ねえ、僕も冬夜って呼んでもいい?」
藤崎が少し被せるように言ってくる。

「えっ...いいけど。なんで急に」
「ご家族が呼んでるの聞いて、いい名前だなと思って」
「なんだそれ。じゃあ、俺も春誠って呼ぶか」

冗談っぽく返したのに、藤崎が妙に真剣な顔でこちらを見てくる。

「うん、呼んで、冬夜」

ち、近い。脱衣所が狭いのも相まって、少し距離を詰められただけで近すぎてドキッとする。
藤崎は背も高いので見下ろされるというか、覆われるような形になる。

「わ、わかったわかった。とりあえず風呂、ゆっくり入って」
妙な恥ずかしさに耐え切れず、慌ててパタンと戸を閉める。なんだ俺...ドキッて。
藤崎が無駄にかっこいいから反応に困る。

春誠...春誠...試しに何度か呟いてみるが、無性に照れ臭い気持ちになるのはなぜだろうか。
これは呼び慣れるまでに時間がかかりそうだ。


「お風呂お先にいただきました。ありがとうございます」
藤崎が風呂場から出てくる。

「どういたしまして〜気を遣って疲れたでしょう。お部屋でゆっくり休んでね」
「いえ、とても楽しかったです。ありがとうございました」
「はるま寝る?はるま寝る?」
「うん。おやすみなさい、春陽くん。皆さんもおやすみなさい」

家族がおやすみなさいと口々に言うのを背に、母が用意してくれたお茶を持って2階の自室に行く。


「ここ、俺の部屋」
お盆を持っているので藤崎がドアを開けてくれる。

「布団敷いてくれたんだね。ありがとう」
「うん。俺も風呂入ってくるから、くつろいでて。テレビでも漫画でもゲームでも、もちろん寝ててもいいし」
そう言って、待たせては悪いと急いで風呂に入りにいく。

烏の行水のように風呂を終え、慌ただしく部屋に戻ってくると、藤崎はテレビを観ていた。

「冬夜、おかえり。すごい早かったね」
「あ、うん、待たせたら悪いと思って」
「ゆっくりでよかったのに」
クスッと笑いながら言う藤崎が、風呂上がりのせいかいつもより妙に色っぽくて、先ほどの距離感を思い出して気恥ずかしくなる。乙女か、俺は。

「なんか映画でも観る?」
思考を振り払うように、TVのリモコンでサブスクの画面を出しながら話しかける。

「いいね。そうしよう」
ああでもないこうでもないと選ばれたのは、以前賞を獲って話題になった映画だった。
重めの内容だったので、お互いに口も挟まず終始真剣に観ていた。

前情報を何も知らずに観たが、おそらく同性愛をテーマにしていた。おそらくというのは、作品の中でははっきりと明言されていなかったからだ。
悩みの原因は違えど、周りの視線や声が気になり、本当の自分を誤魔化しながら生きていく葛藤は俺には痛いほどわかった。

「...同性愛の映画だとは思わなかった」
いい映画を観た後の充実感に浸っていると、隣で藤崎が少し焦ったように呟いた。

「やっぱりそうだよな?ボヤッとしてたけど、同性愛かなと思った」
「どうだった...?」
「すごくいい映画だった。兄ちゃんのことで昔から周りの視線ばっかり気にしてたから、共感できる部分もあって、かなり刺さるテーマだったよ。もう一回観たいくらい」
語り出した俺とは対照的に「そっか」と藤崎が簡潔に呟く。

藤崎はどうだった?と話を続けようとして、やっぱりやめた。何か考え込むような、それとも思い悩むような、複雑な表情をしている。
どうしたんだろうか。あまりよくなかったのかな。


そろそろ寝るかと電気を消して、お互い布団に入る。長い沈黙があり、このまま寝るのかなと思った時、藤崎が口を開いた。

「冬夜はさ、周りの視線が気になって自分を偽ったりしたことはある?」

「ある。というより、藤崎と出会うまではずっとそうだった。特に学校では、言い返す勇気もなくて、心とは裏腹に、周りの差別発言に同調するような態度をとってきたし」

「僕と出会うまで?」

「うん。藤崎は覚えてないかもしれないけど、下校中にみんながおじさんの歩き方を見て笑ってたことがあって。俺、その時もおじさんに聞こえませんように、おじさんが傷つきませんようにって祈るだけで、何もできなかった。でも、藤崎がパーキンソン病かもしれないって説明したら、みんな一瞬で笑うのをやめたんだ。それがあまりにも衝撃的で、かっこよくて、俺まで救われた。それに、みんながすぐに笑うのをやめたのを見て、知っていたら笑えないんだっていう当たり前のことに気づけた。知らないから怖がったり、笑ったりするんだって。そう思うと不思議と周りが怖くなくなった」

もちろん全員が全員そうとは限らない。中には、傷付ける目的でわざと差別的な言動をしてくる人もいる。だけどそんな人はほんの一握りで、ほとんどの人は知らなくて戸惑っているだけなんじゃないか。
俺だって、知らない分野ではそんなつもりはなくても誰かを傷つけてしまうかもしれない。

「あとこれは前にも言ったけど、藤崎があまりにも普通に兄ちゃんと話してくれるからすごく勇気をもらってるし、おかげで兄ちゃんの障害をようやく受け入れられたような気がするんだ」

感情がよみがえって、途中から捲し立てるように話してしまう。気を抜くと泣いてしまいそうだ。

「俺、藤崎にいつも救われてる。本当にありがとう」
暗闇ということも相まって、これでもかと日頃の感謝を伝えてしまった。


「ありがとう。僕こそいつも冬夜に救われてるよ。実は...僕も冬夜に話したいことがあって...」

「うん、なに?なんでも聞くよ」

藤崎から決心するように息を呑む声がする。
「僕、ゲイなんだ」

驚いて思わず藤崎を見るが、寝転んでいるし、暗くて表情はよく見えない。

「ごめん。急にこんなこと言われて気持ち悪いと思う。今まで誰にも話したことがないから、上手く話せないかもしれない」

正直、想像もしていなかったカミングアウトにかなり驚いている。
だけど、いつも毅然としている藤崎の声が震えている。
今どんなに勇気を振り絞って話してくれているのか、今こうして打ち明けてくれるまでに一人でどれだけ悩んできたのか、痛いほど伝わってくる。

そうか。だから藤崎はこんなにも強くて優しいんだ。


「全然、ちっとも気持ち悪くない。正直言って驚いたけど、話してくれて嬉しいよ」

「ありがとう。冬夜ならそう言ってくれるかなと思ってた」藤崎がホッと息をつく。

「冬夜と一緒にいると本当に落ち着くんだ。誰かを悪く言ったり、笑ったり、決めつけたりしないでしょ。困ってる人には自然と手を差し伸べて、そういう冬夜のさりげない優しさを見るたびに、僕は僕のままでいいって思わせてくれるんだよね」

そんなすごい人間じゃないけど、藤崎が俺と一緒にいて少しでも安心できているならよかった。

「冬夜、僕、冬夜のことが好き。難しいのはわかってる。でも、少しでもいいから恋愛対象として考えてみてくれないかな」

思わずガバッと起き上がる。豆電球のおかげでうっすらと藤崎のシルエットが見える。藤崎も起き上がってこちらを見ていた。

まさか告白されるとは思ってもいなかったので、整理のつかないまま、ただ何か言葉を返したいと思い、口が勝手に動き出す。

「お...俺、ごめん、恋愛は考えたこともなかったからまだわかんないけど、藤崎のこと人としてめっちゃかっけーって思ってるし、尊敬してるし、すごく好きだし、はっきりしないけどその...」

「ありがとう。それだけで十分嬉しい。それじゃ、これからは意識してもらえるように頑張ってもいい?」

「えっと...はい...」
もうすでに俺の心臓はドクドク波打って苦しいくらいだ。