「見て!ガイジの真似!」
教室の後ろでギャハハと一際大きく盛り上がる声が聞こえ、視線を向ける。
ガイジは聞いたことのない言葉だったが、自閉症特有の話し方や行動のモノマネをしているので、すぐに障害者の蔑称だと分かり、カッとなる。
「三谷も昨日のドラマ見た?自閉症のやつ!あいつ似すぎじゃね?」
近くにいた友人が笑いながら声をかけてくる。
何が面白いんだよ。俺は全然笑えない。
自分が笑われたわけでもないのに、どうしようもなく腹が立って、恥ずかしくて、悲しくて、いたたまれない。だが、そんな心とは裏腹に、勇気のない俺は自己保身に走る。
「...まじ、似すぎ」
無理やり絞り出したお世辞がいつまでも喉に纏わりついてきて気持ち悪い。
障害者を笑うクラスメイトたちを軽蔑する一方で、言い返す勇気がないどころか同調までしている俺は同じ穴の狢だ。
すぐに自分が情けなくなり、怒りに震えた心も急激に冷え切っていった。
俺の兄は重度知的障害者だ。自閉症の傾向もあるため、こだわりが強く、公共の場でも構わず大きな声を出したり、度々パニックを起こしたりと、幼い頃はそれはそれは大変だった。
兄に向けられる視線や心ない言葉は、年子の俺にとっては自分に向けられているのと同じ感覚で、いつも怖くて、恥ずかしくて、悲しくて仕方なかった。
保育園では、友達から毎日のように「冬夜くんのお兄ちゃんにカバンを漁られた」「冬夜くんのお兄ちゃんに叩かれた」と兄の悪行を報告され、その度に代わりになって「ごめんね」と謝罪をしていた。
小学校からは兄が特別支援学校に行ったため、そういったことはなくなったが、兄のことを知る同級生から「冬夜のお兄ちゃん、この前お店でお漏らししてたよ」とみんなの前で報告された時は、顔から火が出るほど恥ずかしかった。
みんなの兄弟みたいに、俺の兄ちゃんも普通の人だったらいいのにと何十回も何百回も妄想した。
だが、もちろん現実は変わらないし、知的障害のない兄はもはや俺の兄ではなく、別の人間になってしまう。
家族として兄を大切に思う気持ちと、他人の目が気になって兄を恥ずかしく思う気持ちの狭間でずっとゆらゆらと揺れ続けている。
誰にも言えない矛盾だらけのこの苦しい気持ちに、どう整理をつければいいのか。
