「どこに移動?」
「理科室」
「じゃあ二階だ」
並んで廊下を歩き、理科室に近い南階段がある廊下の突き当たりまで進む。曲がって、さらに少し歩いて、
――よく見えないけどここから階段かな。
勘で一歩目を踏み出した。
途端。
「うおっ――」
抱えていた教科書や筆箱が落ちるのも構わず、右手で手すりにつかまった。
ギリギリセーフ、まさか階段を踏み外すとは思ってなかっ、
「――わっ!」
安心したのもつかの間、時間差なく左手首を引っ張られる感覚に、え、俺落ちた? 落ちてる?
パニックで心臓がぐるんぐるんと高速で回転する。どうしよう、変な顔目撃されたら一生の恥……!
「斗真っ!」
ぐいっと腕を引き寄せられ、手すりから手が離れた。耳をなでる風。後ろにぐらっと体が倒れる。
「……ほんと、なにしてんだよ」
反射でぎゅっと目を閉じる。背中に体温、つかまれたままの手首。
ゆっくりと目を開くと、自分の体は踊り場ではなく先程まで歩いていた廊下にあった。……つまり、落ちてないってこと? 晴斗は廊下側に引き戻そうとしたってこと?
視線を上に動かす。焦りと心配をにじませた晴斗の顔。表情が分かるほどには間近に晴斗がいる。
「……ひやひやさせんな」
晴斗に体重を預ける体勢になったまま、文字通り時間が止まった気がした。
――ヒュ〜
時間停止を解除するように、下から口笛の音。
「うわ、三組の晴斗、人命救助してるんだけど」
続いて茶化される。晴斗は斗真から少し体を離した。
「……間違ってはいないけど、そういうこと言ってられる状況じゃないだろ。あっち行け」
下にいる誰かと晴斗とのやり取りを、斗真は上の空で聞いていた。
「やっべ、怒らせちゃったんだけど」「こっちは事故をそういうネタにするなって言いたいだけで」――
「そうだ! 中学の頃もこんなことなかったっけ?」
斗真は晴斗を振り返る。
「あのときも晴斗が助けてくれたんだよな。おかげで捻挫だけで済んだし」
晴斗は突然話しだした斗真に面食らっている。
「やっぱり晴斗はそういう系の救世主ってことか……」
「斗真、それはもう分かったから。しかもどうでもいいから」
晴斗は斗真の顔を覗き込む。
「……大丈夫か?」
こちらをまっすぐ見つめている晴斗の瞳がわずかに揺れている。前に斗真が見つめたときは目をそらしたのに、今は目をそらさない。
「大丈夫」
斗真は頷いた。
「でもさ……」
階段を踏み外したときじゃなくて、晴斗に引っ張られたときに落ちた!って思ったんだよな。
「……やっぱなんでもない」
そうとは言わないでおいた。晴斗の行動でこっちがひやっとしたのは事実だけど、晴斗が斗真を守ろうとして行動してくれたのも事実だ。
「そういえばさ」
今度こそ段差に気を付けながらしゃがんで、散らばった教科書類を拾う。
「さっきの誰?」
晴斗はため息をついた。本日二度目だ。晴斗にはこんなしょうもないことで幸せを逃がしてほしくないんだけど。
「声で分かるだろ」
「そう思うっしょ? 意外と声と顔が一致しないんだよなぁ」
「聞いたらあいつ悲しむよ」
回収を終えて、晴斗に見守られながら慎重に階段を下りる。この生活を始めたときは裸眼でも大丈夫だと思っていたが、一つ一つの行動が想像よりも大変だ。
「……斗真」
「ん〜?」
「メガネ外して生活するの、やめたら」
平坦で、妙に芯があるトーンに、斗真は『大丈夫だって』という返事を飲み込んだ。
「危ないし、正直心配。もとは俺がコンタクト外した理由探しのためだろ? 大した理由じゃないからさ」
「なら、教えてよ」
「やっぱり大したことあるから、教えない」
「だったら突き止めるしかないじゃん」
今までは親友だから、となんでも秘密を教えてくれていたのに。
「なおさらだって。これで斗真になんかあったら俺が原因じゃん」
「それは俺の責任だし、晴斗が原因なんてことはないって」
晴斗は納得がいかなさそうに眉をひそめる。なにをどう言ったら納得してもらえるのか。
――キーンコーンカーンコーン
「……やば」
晴斗が顔を上げて小さく呟く。
「斗真、とりあえず行くよ」
「分かってる!」
斗真は足元に気を付けて、晴斗はそれを見守りながら、二人は理科室へと走る。



