そうして宣言通り、斗真はメガネを外しての生活を始めた。
チャイムが鳴って朝の学活が始まってからは、黙って話を聞いていればいい。学活が終わると一時間目の授業準備をする時間となるが、斗真は朝学校に来てすぐに準備をしているから困らない。
メガネがなくても、普段と同じ生活ができた。でもそれはここまでで、授業が始まると。
――黒板の文字が読めない。
早々に、とても大きな問題に気付いた。先生はおそらく背を向けているから文字を書いているはずで、周りの人もうつむいてなにかを書いている。斗真は読めないからノートを取ることができない。
目を細めてみる。キツネのように目を横に伸ばしてみる。逆に寄せてみる。手で小さな穴を作って片目で覗き込んでみる。
思いつく限りの対処法をためしてみたが、どれも効果はなく見えないままだった。
ヤケになって白目をむいてみたところで、『なあ』と晴斗に呼ばれた気がした。
左を向くと、同じようにこちらを向いている晴斗が見える。だいぶ目が慣れて、隣の席くらいの距離だったら大雑把には感じ取れるようになっていた。
晴斗は少し、斗真の席に椅子を寄せる。斗真も近付くと、晴斗は先生の様子をうかがいながら小声で話し出した。
「斗真さ、なに変顔してるわけ」
渾身の白目は見られていたらしい。この期に及んで恥ずかしさはないが。
「変顔じゃないって。ちょっと目力で先生の思考を読もうと」
「冗談だね」
「そうそう、実は教卓のパソコン動かそうとしてた」
「……本当は?」
「黒板の文字が、ちょっと……な?」
「だろうね」
晴斗はまた先生の方を見て動きをたしかめる。斗真はそんな晴斗の耳に口元を近付けた。
「今日さ、先生の文字ちっちゃくね?」
「別に、変わんないと思うけど」
「じゃあ黒板が遠いのか」
「そんなことないって」
ため息をついた晴斗をにらむ。どうせ自業自得だって言いたいことは分かってますよーだ。
「だから言ったじゃん」
予想していたことを晴斗は言う。
「……あとでノート見せてあげるから」
そして、予想していなかったことも言った。
「は、晴斗優しい……!」
思わず声が大きくなった斗真に、晴斗は『静かに』と注意する。
「分かったら、今は話聞いときな」
「了解! 晴斗、ありがとう!」
小さな声を心がけてお礼を言い、二人はもとの位置に戻った。
斗真は晴斗の優しさに感動しながらも思う。それとこれとは話が違うのは分かるが、だったら理由教えてくれてもいいのに、と。
理由を教えてくれないのも授業でなにをしているか分からないのも仕方がない。斗真は先生の話を聞きながら、筆箱から消しゴムを取り出して転がしはじめた。
だが、徐々に声は右から左に素通りしだし、ついには途中から授業を聞くことを放棄して寝てしまった。
――ということは晴斗に起こされて知った。
どうやら暇を持て余して眠ってしまったらしい。ずっと視界がぼんやりしていたのがよくなかったのかもしれない。幸い当てられることはなかったそうだが。
「ほら、今のうちにノート写したら」
半分寝ぼけたままの斗真の机の上に、晴斗はノートを置く。
「そうしとく……」
斗真は片手で目をこすりながら、もう片方の手で机の角のほうに転がっていたシャーペンを拾った。
ノックする前、次に使うときに入れようと決めて前回しまったことを思い出す。机の中の筆箱からケースを出して、三本のシャー芯を取った。一本、二本、三本と入れる。
「斗真、シャー芯落としてたよ。最後の一本、入ってなかった。足元に落ちてる」
借りたノートと自分のノートを端と端に広げて写しはじめようとしたとき、左隣の晴斗が呼び止めた。
「晴斗、どこ?」
「右下のほう」
「それって俺から見て? それとも晴斗から見て?」
「変わんないよ、横並びなんだから」
「そっか! ……なあ晴斗、右ってどっちだったっけ?」
「斗真さ……」
晴斗は椅子の後ろを回って、斗真の右下、思っていたよりも足元に近いところに手を伸ばす。と同時に斗真が持っていたシャーペンを取ると、拾ったシャー芯を入れて返してくれた。
「晴斗、ありがとう!」
「どういたしまして。ていうかさ、斗真ってメガネなくなったらアホになるの?」
「そうそう、ウワサに聞くメガネが本体ってやつ〜」
「……こいつ寝ぼけてんな」
「いっ! 痛たたたたっ!」
「ふ、はは」
いきなりつねることないだろ!
晴斗につねられた頬をさすりながら、斗真はノートを閉じる。
「え、写さないの?」
「写す写す。でも今はいいや。今日持って帰っていい?」
「どうぞご自由に」
「神だ、マジで。では神様、次の授業はなんでしょうか?」
「移動教室」
「それを早く言え! つーか先行け!」
「うわあ神にそんな口聞くんだ。まず放っておけないだろ、こんな危なっかしいやつ」
斗真はノートを片付ける。晴斗は後ろの棚に入れてある教科書を取りに行ったようだ。
自分も取りに行こうと立ち上がると、晴斗は足早に戻ってきた。
「いつも使ってるのこれだろ。ほかに必要なものある?」
「ない! 晴斗ありがとう! すごすぎる」
「ほら行くよ」
神様、もとい晴斗とともに教室を出る。隣に晴斗がいるだけでなんだか頼もしい。



