『好きな人の好きな人』に捧げる恋愛手引書


 休みが明けた月曜日。
 俺の気持ちは変わることなく、備品置き場で伊波が来るのを待っていた。
 なるべくいつも通りに振る舞おうと、パイプ椅子に腰掛け、だらんと寝そべりながらスマホを弄る。こんな悪ぶったフリをしても、元は真面目だから、様になっていないことはわかっている。
 それでも俺は、これから言うこと、起こることのすべてに対して、なんの感情も沸かないのだ、というフリをしなければならなかった。
 そうしなければ、泣いてしまいそうだから。

「真」

 ガラッと扉が開いて、約束の時間ぴったりに伊波が備品置き場にやってくる。
 相変わらず整った顔は俺の目を釘付けにする。声も所作も、俺を射抜く鋭い目も好きだ。きっとそれは、この先も変わらない。

「来てくれてありがと、座って」

 伊波は俺のことを好きだと言ったときみたいにパイプ椅子を引きずると、膝頭が当たるギリギリまで近づいて椅子に腰掛けた。

「で、何を教えてくれんだ?」
「ごめんね、実はもうないんだ」

 そう言えば伊波が目を丸くする。だけど、そうか、と呟いて、納得したようだった。

「だって伊波、飲み込みが早いんだもん。もう俺から教えることはなにもないよ」
「相川センセーがそう言うならそうなんだろうな」
「うん。絶対にうまく行くから大丈夫! 自信持って」
「……わかった、ありがとな」

 伊波が言って、椅子から立ち上がる。部屋を出ていく最後に伊波は振り返ると、「何点だ?」と俺に尋ねた。

「俺の今までの頑張りは」
「千点。というか、それ以上かも」
「そっか、じゃあ俺の好きアピールはちゃんと効果あったんだな」
「もちろん。俺ですらドキッとしたもん。伊波に好かれてるんじゃないか、って勘違いするくらいには。だから、安心して相手にぶつかってきなよ」
「そーする」

 軽く手を降り、穏やかな笑顔で部屋を出ていった伊波を見送る。

 あーあ、なにしてんだろ、俺。
 惨めにもほどがある。だけど、好きな人のためにここまで出来たのだから、誇ってもいいだろう。

 俺にとってはちっとも役に立たなかった恋愛手引書に手を伸ばす。
 こんなもの、ただのゴミだ。好きな人の好きな人を幸せにするために綴ったわけではないのに。

「ぅ……、くっ」

 泣きたくもないのに、ひくっ、と喉が震えて涙が零れる。その瞬間、ガラッと再び扉が開いた。

「……は?」

 備品置き場に入ってきたのは、さっき見送ったはずの伊波だ。
 俺は慌てて涙を拭うと、椅子から立ち上がって伊波を追い出そうとした。

「ちょっと、もう何も言うことないって……」
「好きだ」
「は?」
「真が好きだ」

 涙で濡れた手を握り、真剣な眼差しで告白してきた伊波にぽかーんと口を開く。

 ……いやいやいや。

「じょ、冗談にしてはきついかな〜。ていうか、もう練習は終わってるよ……?」
「だから実践しに来たんだよ、いま」
「じっせん……?」

 言葉の意味を正しく噛み砕けず、間抜けな声を漏らしてしまう。
 伊波はニヤリと笑うと、俺の体を無理やり引き寄せた。ぽふん、と伊波の胸に鼻先がくっついて、清潔な香りに包まれる。

 これ、どういう状況……? とパニックに陥る俺を見て、伊波は笑った。

「センセーが鈍感でどうすんだよ」
「え? え!?」
「俺は最初から真が好きなんだよ。なにしても振り向いてくんねーから、本人直々に落とし方を教わりにきただけ」

 そっと体が離れて、涙でグズグズになった顔をのぞき込まれる。伊波の顔は自信に満ちあふれていて、たとえ俺がここでどんな答えを出そうとも諦めるつもりはないという強い意思を感じた。

 そして、理解する。
 好きな人の好きな人は、俺だったんだと。俺の献身さは、俺自身にも向けられていたのだと。

「で、他にはなにすりゃいい? まずは告白、次は好きってたくさん伝える、名前を呼ぶ、あとは……」
「……もう、いいよ。十分だよ」

 好きな人から、こんなに熱烈な告白をされたら、もう十分だ。

 俺は伊波の手を握り返すと、ありったけの想いを込めて伝えた。

「俺も伊波が好き、大好き!」