伊波裕也という男は、見た目もイケメンだけれど、中身もイケメンだと思う。
そりゃあ、女子には素っ気ないところがあるけれど、同性に対してはどこまでもいいヤツだった。
顔の良さで陽キャ一軍男子の座についているけれど、誰に対しても分け隔てなく接するし、常に斜に構えた態度で一歩引いていることもあるけれど、馬鹿をするときは全力で馬鹿をするから一緒にいて楽しいし。
そんな伊波とは、高二の春のクラス替えで前後の席になった。相川と伊波で、間に挟まる生徒がいなかったのだ。
伊波の周りには自然と人が集まり、後ろの席は必然的にうるさくなる。俺はそれを気にしていなかったけれど、人の波が去ったあとでトントンと肩を叩かれた。
「わり、うるさかったよな?」
「……ううん、だいじょーぶ……」
目を奪われるとはこのことを言うんだな、と振り返って理解した。一目惚れだった。
センター分けされた長めの前髪から覗く意志の強そうな瞳、こんなガリ勉メガネスタイルの俺にも声をかけてくれる彼に、俺は一瞬で初恋と書かれたガラスのハートが砕け、次の日には伊波と仲良くなりたいと思って、その足で眼科に行き、コンタクトに変えた。
「あれ、コンタクトに変えた?」
「いや……昨日はたまたまコンタクト入んなくてメガネにしてただけ」
嘘をついた。伊波はすぐにメガネからコンタクトに変えたことをツッコんでくれて、俺は散々考えた言い訳を口にした。
それから徐々に見た目を変えていき、約二週間で見た目を整えた俺は、幸運にも伊波と仲が良かった守屋に声をかけられた。
「うわっ、ここだけキラキラオーラがすげぇ〜。相川って顔キレーなのな。てか、伊波と一緒でモテそう」
運動部らしくサッパリとした短髪、そしてこんがりと焼けた肌。八重歯が印象的で、常に明るい話し方。
そんな圧倒的一軍男子の守屋から声をかけれて一瞬怯みかけたけれど、せっかく話しかけてくれたのだから……と口を開いた。
「全然、そんなことないよ」
「え〜ほんとかよ。てかさ、聞いてくれよ〜! 最近できた彼女にフラれそうでさ〜。なんとか繋ぎとめてーの! でさ、伊波に相談しても興味ねーって取り合ってくんねぇし。相川なら相談乗ってくれるよな!?」
守屋が助けて〜と俺に泣きつき、肩を抱いてくる。
彼女からフラれないための術なんて持ち合わせていないけれど、髪型を決めるために開いた美容雑誌のとある一面に書かれていた恋愛テクニックを思い出した。
「あー……それなら――」
そのとき、たまたま守屋にアドバイスした内容がうまくいったようで、その日から俺は恋愛のスペシャリストになった。
噂が噂を呼び、恋愛相談が絶えず続き、そのたびに俺は雑誌やネット、ときには心理学の本なんかを開き、手のひらサイズの小さなメモ帳に調べたことをメモした。
だから、俺のブレザーの内ポケットに入っているメモ帳は、いわば恋愛の手引書だ。これのおかげで俺は今の地位を確立していったけれど、実際の俺は陰キャのガリ勉である。
勉強しか取り柄がないし、要領が悪いから時間を費やすことで鈍くささをカバーしている。
もちろん運動もダメだし、コミュ力も高くはない――。
だから伊波の傍にいることだけで精一杯だというのに、家に帰ると、伊波はなぜか俺に個別のメッセージを送ってきた。
『明日の小テストの範囲どこ』
『39ページから45ページ』
『いま、なにしてる?』
『風呂から出たところ』
『俺もだ、タイミング合うな』
『もう寝る?』
『寝る。ていうか、今日はなに? めっちゃメッセージ送ってくるじゃん』
伊波とはもちろん個別チャットで繋がっている。守屋や、いつも伊波と一緒にいる波多野と喜多もだ。
守屋は常にグループチャットでもうるさくて、くだらないことばかり送ってくる。
見た目は運動部らしく清潔感があって黙っていればモテそうなのに、うるさいから評価が二分する。それでも彼女とはうまく付き合っているらしいから、見た目に反して硬派なやつだ。
いつもはそんな守屋から雑談が始まって、グループチャットが騒がしくなる。個別でチャットすることはほぼなくて、大体が五人のチャットで用が済んでしまうから、こんなふうに伊波から連絡が来るのは珍しかった。
『いろいろ試行錯誤してんだよ。てか明日、駅行く。迎えに行く』
「は……?」
もうそろそろ寝るかとベッドで仰向けになった俺の顔面にスマホが落ちてくる。
駅に行くってなんで? 俺を迎えに行くってこと……?
痛む鼻頭を抑えてスマホを見れば、俺からの返事を待たずしておやすみと伊波からメッセージが送られてきた。
「もしかしてまだ練習のつもりなのかな」
終わってくれと願ったはずの練習はまだ伊波の中で続いているらしい。
恋愛相談は月曜日限定なんだけどな〜と、それとなく送ってみたけれど、当然のごとく既読無視。
伊波って強引なところがあるよなぁ、といまさらなことを思い、さっさと寝てしまおうと目を瞑る。
人は寝ると思考がリセットされるらしく、夜に考えたことが朝には変わっていることも往々にしてあるそうだ。
伊波のこれだって、明日の朝にはやっぱりやーめたってなるかもしれない。
というより、気付いてほしい。伊波のかっこよさなら、小細工なんて不要であるということを。
その顔でいきなり好きと言えば、ほぼ確で付き合えることを。
そう言ったところで、アドバイスが適当すぎだと伊波から言われてしまうかもしれないけれど。
「なるようにしかならないか……」
今日は無駄に心臓が動いたから疲れた……と、考えることを放棄する。
そうして朝になり最寄り駅の改札を抜けたら、本当に伊波が改札の外で立っていた。
「えっ、マジじゃん……」
「おー、相川。助けろ」
俺と目が合うなり、伊波が手招きする。
助けろというのは、取り巻きみたいにくっついているギャルっぽい見た目の女子たちから自分を逃がせということなのだろう。塩対応なところもかっこいいと果敢に攻めてくる女子は意外と多い。
俺は彼女たちの間に割って入ると、おはよう、と一番いい声と笑顔で挨拶した。
「伊波にばっかりずるーい。俺のことも構ってよ」
「相川くん……! おはよう」
塩対応な伊波とは打って変わって、こっちは手厚い対応だ。もちろん顔面では負けるけれど、作り物の優しさであれば負けない。
ついでに「今なら特別に今日の放課後、恋愛相談会を開いちゃう」と言えば、伊波の塩対応とは対照的すぎる態度に女の子たちの関心がコロッとこちらに向いた。
「え、本当に?」
「いつも枠埋まってるから、相川くんと話したかったんだよね」
「俺もこの前の続き聞きたかったんだ。ただし交換条件ね。俺、今日は日直当番でさ。職員室で日誌を取りに行ってくれた子だけ、特別に聞いちゃう」
「わかった。取りに行くわ」
「ちょ、待って、私も!」
二人のギャルが学校に向かって我先にと走っていく姿を見届けてホッと息を吐く。
すると、俺と女子たちのやり取りを見ていた伊波が、「おー、すげ」と間延びした声で形ばかりの賛辞をくれた。
「さすが相川センセー」
「茶化さないでよ。伊波のこと、助けたんだから」
これでも、女子たちと話をするのは緊張するのだ。そもそもコミュ症で、今まで女子と接点がなかったタイプの人間だ。
遅れた高校デビューというものをいままさに花開かせていて、まだ心が追いついていない。
吹けば飛ぶようなちっぽけな強がりなのだから、そっとしておいてほしい。
「ありがとな。でも、あんま無理すんなよ」
ぽんと労うように頭を撫でられてびっくりする。伊波は俺の前髪をぐしゃりと混ぜると、アホ面と言って笑った。
「も〜。せっかくセットしたのに!」
「さらに格好よくしてやったんだよ」
「嘘つき。絶対、変になった」
「なってねーよ。俺は、一番最初の相川の髪型が好きだし」
「それも嘘でしょ。絶対ダサかったもん」
出会った頃の俺は、黒髪ストレートのなんの遊びもない髪型だった。今みたいにワックスで毛並みを整えたり、流れを作ったりすることもしていない。
絶対にいまの見た目のほうがよくなっている自信はある。だけど、出会った頃のつまらない俺のほうがいいと言われて、また昨日みたいにときめいてしまった。
「てか、好きって言ったね、いま」
「さっそく、相川センセーからの有難いアドバイスを忠実に守ってるだけだわ」
あくまで、俺からのアドバイスを忠実に再現しているだけらしい。だとしても、さらっと投げ込まれた好きになにも思わないわけではない。
「言い過ぎ注意ね。でも、さりげなくてよかったかも。いまのは百点〜」
「何点満点中?」
「千点満点中」
「先が長過ぎるだろ……。でも燃える」
こんなことで燃えないでほしい。
だけど嬉しい気持ちは隠せず、ケラケラと笑って歩き出す伊波の横にぴったりとくっついて歩いていく。
――楽しい。これが本当に伊波から口説かれている側の人間であれば。
ほんの少しの切なさを抱えて伊波と学校へ向かい、教室に入れば、さっきの女子たちが悲しそうな顔で俺の席にやってきた。
「日誌、先生がすでに相川くんの机の中に入れてきたって」
「あー……、それは残念」
本当に残念だと肩を落とす。実際、昨日のうちに先生から日誌を机の中に入れといたからなーと言われていた。
かなりズボラな先生なので、前の当番の人が書いた日誌をその場で――教室で――確認し、次の人の机に放り込むような人だ。いつもそういうわけではないけれど、今回はたまたまそういう日だった。
「じゃあ、また月曜日に。枠が空いてたら聞くから」
落ち込む彼女たちに手を振り、席に戻る後ろ姿を見届ける。視線を感じて振り返れば、伊波がニヤリと笑っていた。
「俺、お前のそういうところ好きだわ」
「その好きは毒があるやつでしょ」
「まーな。でも同じ好きは好きだから」
好きの連呼はよくないって言ったばかりじゃん、とは言えずに前を向く。
嬉しい。なんだかんだ言って。伊波に好きと言われるのは。
自然とニヤけそうになる口元を手で隠して、一時間目、二時間目……と授業を受ける。
そうして四時間目になって、移動教室の時間になった。世界史だけは文理に関わらずごちゃ混ぜで授業を受けているから、大教室での授業だ。
伊波も俺も、そして守屋や波多野、喜多も同じ世界史コース。教科書とノートを持って移動すると、伊波に首根っこを掴まれた。
「なに?」
「相川はこっち」
「え、わっ」
問答無用で守屋たちから引き剥がされ、大教室の一番後ろの席に座らせられる。
大教室では三人掛けの長机にパイプ椅子というレイアウトで、どう頑張っても五人横並びでは座れない。そのため、いつもは俺と守屋、そして伊波と波多野と喜多の分け方がお決まりのスタイルだった。
というのも、守屋は俺のことを恋愛の大先生だと一番に崇めている節があるので、隙あらば俺を捕まえて恋愛相談をしようとする。
世界史の授業中は恋愛相談にもってこいの時間で、いつも守屋からノートの空きスペースを使って恋愛相談を受けていた。だから、何気に伊波と横並びに座るのは初めてだ。というより、やけに守屋から懐かれてしまっているので、毎回二人組を作るときは守屋から声を掛けられる。
こんなふうに伊波と一緒になることは珍しい。
「みんなと離れていいの?」
「いーんだよ。いつも守屋ばっかりでズルいだろ」
「あ、あー……恋愛相談が、ってこと?」
「ちげぇ……くはないか。そうだよ、俺の恋愛相談にもちゃんと乗れ」
「昨日からいっぱい乗ってるよ」
どうやら、伊波は本気で好きな人のことを落としたいらしい。俺に頼るくらいだ。ここまで躍起になっている伊波を見ていると、マジなんだな、と思わざるを得ない。
そのたびに俺の心は完璧にへし折れるわけで。
世界中のどこに、好きな人の好きな人(敵)のために一肌脱ぐお馬鹿さんがいるだろうか。これでは、敵に塩を送っているのと同じだ。
「そこから黒板見えるか?」
「見えるよ、伊波は?」
「ちょっと見えづらい」
「ほら、だったら前の方に行こうよ」
「いや、いい」
ズッ、ズッ、とパイプ椅子を引きずってこっちに近づいてきた伊波の肩とぶつかる。
人の頭をかき分けるためなのか、こてんと首を傾げるから、伊波の髪が頬に触れてくすぐったかった。
「い、伊波、席変わる?」
「いや、いい。これなら見えるし」
いや、ずっと俺にくっつかれたままだと緊張して何も頭に入ってこないんですが。
伊波と違って、ちょっとの勉強でいい点数が取れるタイプの脳みそをしているわけではないから、授業中は俺にとってもっとも集中すべき時間だ。
だけど、伊波が頭を動かすたびに肩やら髪やらが触れるから、ノートの上を走るシャーペンが蛇行する。
しかも、なんかめちゃくちゃいい匂いするし……。
ダメだ、切り替えなきゃと必死に邪念を払って黒板を見つめていると、ノートの端をトントンとペン先で弾かれた。
『次のテクニックも教えろ』
『次? 次もなにも、もう十分じゃないかな』
『足りねー』
『そんなに手強い相手なの?』
『近付いても顔色一つ変えない』
それは相手が相当自分の感情をコントロールできるタイプなんじゃないかな。例えば俺とか。
人は、役割ひとつで振る舞いが変わるという。周りから与えられた立場が、その人を、その人たらしめることがあるのだ。
明日からバスケ部の部長ね! と言われたら、なんとなく部長らしく振る舞うようになるのと同じように。
俺は自分のことを常に一軍男子なのだと言い聞かせている。そうでもしないと伊波の横に立てないから。そうやって心を麻痺させているから、いまだってなんとか表情をコントロールできている……と思う。たぶん。
『じゃあ、名前をたくさん呼ぶとかは?』
『名前?』
『【ネームコーリング効果】って言って、名前を呼ばれるとそっちに意識が向くってやつ』
『ほーん、じゃあ、相川』
『俺の名前を呼んでも意味ないよ』
『真』
…………っ。
不意打ちで名前呼びを食らってしまって、ギュッと心臓を素手で鷲掴みにされたような衝撃が走る。
練習だとわかっていてもこれはクるものがあった。
『嫌だった?』
『嫌じゃないよ。でも相川のままのほうが馴染みあるし、そのままがいいかな』
『わかった。じゃあ、相川』
真っ白なノートの上。無意味な『相川』が、伊波の手によって何個も何個も生み出される。
紙の上で話すことがなくなっても、あーいーかーわーと文字で呼びかけられて、俺はその横顔が何を考えているのか、世界史の授業が終わってもわからなかった。
そりゃあ、女子には素っ気ないところがあるけれど、同性に対してはどこまでもいいヤツだった。
顔の良さで陽キャ一軍男子の座についているけれど、誰に対しても分け隔てなく接するし、常に斜に構えた態度で一歩引いていることもあるけれど、馬鹿をするときは全力で馬鹿をするから一緒にいて楽しいし。
そんな伊波とは、高二の春のクラス替えで前後の席になった。相川と伊波で、間に挟まる生徒がいなかったのだ。
伊波の周りには自然と人が集まり、後ろの席は必然的にうるさくなる。俺はそれを気にしていなかったけれど、人の波が去ったあとでトントンと肩を叩かれた。
「わり、うるさかったよな?」
「……ううん、だいじょーぶ……」
目を奪われるとはこのことを言うんだな、と振り返って理解した。一目惚れだった。
センター分けされた長めの前髪から覗く意志の強そうな瞳、こんなガリ勉メガネスタイルの俺にも声をかけてくれる彼に、俺は一瞬で初恋と書かれたガラスのハートが砕け、次の日には伊波と仲良くなりたいと思って、その足で眼科に行き、コンタクトに変えた。
「あれ、コンタクトに変えた?」
「いや……昨日はたまたまコンタクト入んなくてメガネにしてただけ」
嘘をついた。伊波はすぐにメガネからコンタクトに変えたことをツッコんでくれて、俺は散々考えた言い訳を口にした。
それから徐々に見た目を変えていき、約二週間で見た目を整えた俺は、幸運にも伊波と仲が良かった守屋に声をかけられた。
「うわっ、ここだけキラキラオーラがすげぇ〜。相川って顔キレーなのな。てか、伊波と一緒でモテそう」
運動部らしくサッパリとした短髪、そしてこんがりと焼けた肌。八重歯が印象的で、常に明るい話し方。
そんな圧倒的一軍男子の守屋から声をかけれて一瞬怯みかけたけれど、せっかく話しかけてくれたのだから……と口を開いた。
「全然、そんなことないよ」
「え〜ほんとかよ。てかさ、聞いてくれよ〜! 最近できた彼女にフラれそうでさ〜。なんとか繋ぎとめてーの! でさ、伊波に相談しても興味ねーって取り合ってくんねぇし。相川なら相談乗ってくれるよな!?」
守屋が助けて〜と俺に泣きつき、肩を抱いてくる。
彼女からフラれないための術なんて持ち合わせていないけれど、髪型を決めるために開いた美容雑誌のとある一面に書かれていた恋愛テクニックを思い出した。
「あー……それなら――」
そのとき、たまたま守屋にアドバイスした内容がうまくいったようで、その日から俺は恋愛のスペシャリストになった。
噂が噂を呼び、恋愛相談が絶えず続き、そのたびに俺は雑誌やネット、ときには心理学の本なんかを開き、手のひらサイズの小さなメモ帳に調べたことをメモした。
だから、俺のブレザーの内ポケットに入っているメモ帳は、いわば恋愛の手引書だ。これのおかげで俺は今の地位を確立していったけれど、実際の俺は陰キャのガリ勉である。
勉強しか取り柄がないし、要領が悪いから時間を費やすことで鈍くささをカバーしている。
もちろん運動もダメだし、コミュ力も高くはない――。
だから伊波の傍にいることだけで精一杯だというのに、家に帰ると、伊波はなぜか俺に個別のメッセージを送ってきた。
『明日の小テストの範囲どこ』
『39ページから45ページ』
『いま、なにしてる?』
『風呂から出たところ』
『俺もだ、タイミング合うな』
『もう寝る?』
『寝る。ていうか、今日はなに? めっちゃメッセージ送ってくるじゃん』
伊波とはもちろん個別チャットで繋がっている。守屋や、いつも伊波と一緒にいる波多野と喜多もだ。
守屋は常にグループチャットでもうるさくて、くだらないことばかり送ってくる。
見た目は運動部らしく清潔感があって黙っていればモテそうなのに、うるさいから評価が二分する。それでも彼女とはうまく付き合っているらしいから、見た目に反して硬派なやつだ。
いつもはそんな守屋から雑談が始まって、グループチャットが騒がしくなる。個別でチャットすることはほぼなくて、大体が五人のチャットで用が済んでしまうから、こんなふうに伊波から連絡が来るのは珍しかった。
『いろいろ試行錯誤してんだよ。てか明日、駅行く。迎えに行く』
「は……?」
もうそろそろ寝るかとベッドで仰向けになった俺の顔面にスマホが落ちてくる。
駅に行くってなんで? 俺を迎えに行くってこと……?
痛む鼻頭を抑えてスマホを見れば、俺からの返事を待たずしておやすみと伊波からメッセージが送られてきた。
「もしかしてまだ練習のつもりなのかな」
終わってくれと願ったはずの練習はまだ伊波の中で続いているらしい。
恋愛相談は月曜日限定なんだけどな〜と、それとなく送ってみたけれど、当然のごとく既読無視。
伊波って強引なところがあるよなぁ、といまさらなことを思い、さっさと寝てしまおうと目を瞑る。
人は寝ると思考がリセットされるらしく、夜に考えたことが朝には変わっていることも往々にしてあるそうだ。
伊波のこれだって、明日の朝にはやっぱりやーめたってなるかもしれない。
というより、気付いてほしい。伊波のかっこよさなら、小細工なんて不要であるということを。
その顔でいきなり好きと言えば、ほぼ確で付き合えることを。
そう言ったところで、アドバイスが適当すぎだと伊波から言われてしまうかもしれないけれど。
「なるようにしかならないか……」
今日は無駄に心臓が動いたから疲れた……と、考えることを放棄する。
そうして朝になり最寄り駅の改札を抜けたら、本当に伊波が改札の外で立っていた。
「えっ、マジじゃん……」
「おー、相川。助けろ」
俺と目が合うなり、伊波が手招きする。
助けろというのは、取り巻きみたいにくっついているギャルっぽい見た目の女子たちから自分を逃がせということなのだろう。塩対応なところもかっこいいと果敢に攻めてくる女子は意外と多い。
俺は彼女たちの間に割って入ると、おはよう、と一番いい声と笑顔で挨拶した。
「伊波にばっかりずるーい。俺のことも構ってよ」
「相川くん……! おはよう」
塩対応な伊波とは打って変わって、こっちは手厚い対応だ。もちろん顔面では負けるけれど、作り物の優しさであれば負けない。
ついでに「今なら特別に今日の放課後、恋愛相談会を開いちゃう」と言えば、伊波の塩対応とは対照的すぎる態度に女の子たちの関心がコロッとこちらに向いた。
「え、本当に?」
「いつも枠埋まってるから、相川くんと話したかったんだよね」
「俺もこの前の続き聞きたかったんだ。ただし交換条件ね。俺、今日は日直当番でさ。職員室で日誌を取りに行ってくれた子だけ、特別に聞いちゃう」
「わかった。取りに行くわ」
「ちょ、待って、私も!」
二人のギャルが学校に向かって我先にと走っていく姿を見届けてホッと息を吐く。
すると、俺と女子たちのやり取りを見ていた伊波が、「おー、すげ」と間延びした声で形ばかりの賛辞をくれた。
「さすが相川センセー」
「茶化さないでよ。伊波のこと、助けたんだから」
これでも、女子たちと話をするのは緊張するのだ。そもそもコミュ症で、今まで女子と接点がなかったタイプの人間だ。
遅れた高校デビューというものをいままさに花開かせていて、まだ心が追いついていない。
吹けば飛ぶようなちっぽけな強がりなのだから、そっとしておいてほしい。
「ありがとな。でも、あんま無理すんなよ」
ぽんと労うように頭を撫でられてびっくりする。伊波は俺の前髪をぐしゃりと混ぜると、アホ面と言って笑った。
「も〜。せっかくセットしたのに!」
「さらに格好よくしてやったんだよ」
「嘘つき。絶対、変になった」
「なってねーよ。俺は、一番最初の相川の髪型が好きだし」
「それも嘘でしょ。絶対ダサかったもん」
出会った頃の俺は、黒髪ストレートのなんの遊びもない髪型だった。今みたいにワックスで毛並みを整えたり、流れを作ったりすることもしていない。
絶対にいまの見た目のほうがよくなっている自信はある。だけど、出会った頃のつまらない俺のほうがいいと言われて、また昨日みたいにときめいてしまった。
「てか、好きって言ったね、いま」
「さっそく、相川センセーからの有難いアドバイスを忠実に守ってるだけだわ」
あくまで、俺からのアドバイスを忠実に再現しているだけらしい。だとしても、さらっと投げ込まれた好きになにも思わないわけではない。
「言い過ぎ注意ね。でも、さりげなくてよかったかも。いまのは百点〜」
「何点満点中?」
「千点満点中」
「先が長過ぎるだろ……。でも燃える」
こんなことで燃えないでほしい。
だけど嬉しい気持ちは隠せず、ケラケラと笑って歩き出す伊波の横にぴったりとくっついて歩いていく。
――楽しい。これが本当に伊波から口説かれている側の人間であれば。
ほんの少しの切なさを抱えて伊波と学校へ向かい、教室に入れば、さっきの女子たちが悲しそうな顔で俺の席にやってきた。
「日誌、先生がすでに相川くんの机の中に入れてきたって」
「あー……、それは残念」
本当に残念だと肩を落とす。実際、昨日のうちに先生から日誌を机の中に入れといたからなーと言われていた。
かなりズボラな先生なので、前の当番の人が書いた日誌をその場で――教室で――確認し、次の人の机に放り込むような人だ。いつもそういうわけではないけれど、今回はたまたまそういう日だった。
「じゃあ、また月曜日に。枠が空いてたら聞くから」
落ち込む彼女たちに手を振り、席に戻る後ろ姿を見届ける。視線を感じて振り返れば、伊波がニヤリと笑っていた。
「俺、お前のそういうところ好きだわ」
「その好きは毒があるやつでしょ」
「まーな。でも同じ好きは好きだから」
好きの連呼はよくないって言ったばかりじゃん、とは言えずに前を向く。
嬉しい。なんだかんだ言って。伊波に好きと言われるのは。
自然とニヤけそうになる口元を手で隠して、一時間目、二時間目……と授業を受ける。
そうして四時間目になって、移動教室の時間になった。世界史だけは文理に関わらずごちゃ混ぜで授業を受けているから、大教室での授業だ。
伊波も俺も、そして守屋や波多野、喜多も同じ世界史コース。教科書とノートを持って移動すると、伊波に首根っこを掴まれた。
「なに?」
「相川はこっち」
「え、わっ」
問答無用で守屋たちから引き剥がされ、大教室の一番後ろの席に座らせられる。
大教室では三人掛けの長机にパイプ椅子というレイアウトで、どう頑張っても五人横並びでは座れない。そのため、いつもは俺と守屋、そして伊波と波多野と喜多の分け方がお決まりのスタイルだった。
というのも、守屋は俺のことを恋愛の大先生だと一番に崇めている節があるので、隙あらば俺を捕まえて恋愛相談をしようとする。
世界史の授業中は恋愛相談にもってこいの時間で、いつも守屋からノートの空きスペースを使って恋愛相談を受けていた。だから、何気に伊波と横並びに座るのは初めてだ。というより、やけに守屋から懐かれてしまっているので、毎回二人組を作るときは守屋から声を掛けられる。
こんなふうに伊波と一緒になることは珍しい。
「みんなと離れていいの?」
「いーんだよ。いつも守屋ばっかりでズルいだろ」
「あ、あー……恋愛相談が、ってこと?」
「ちげぇ……くはないか。そうだよ、俺の恋愛相談にもちゃんと乗れ」
「昨日からいっぱい乗ってるよ」
どうやら、伊波は本気で好きな人のことを落としたいらしい。俺に頼るくらいだ。ここまで躍起になっている伊波を見ていると、マジなんだな、と思わざるを得ない。
そのたびに俺の心は完璧にへし折れるわけで。
世界中のどこに、好きな人の好きな人(敵)のために一肌脱ぐお馬鹿さんがいるだろうか。これでは、敵に塩を送っているのと同じだ。
「そこから黒板見えるか?」
「見えるよ、伊波は?」
「ちょっと見えづらい」
「ほら、だったら前の方に行こうよ」
「いや、いい」
ズッ、ズッ、とパイプ椅子を引きずってこっちに近づいてきた伊波の肩とぶつかる。
人の頭をかき分けるためなのか、こてんと首を傾げるから、伊波の髪が頬に触れてくすぐったかった。
「い、伊波、席変わる?」
「いや、いい。これなら見えるし」
いや、ずっと俺にくっつかれたままだと緊張して何も頭に入ってこないんですが。
伊波と違って、ちょっとの勉強でいい点数が取れるタイプの脳みそをしているわけではないから、授業中は俺にとってもっとも集中すべき時間だ。
だけど、伊波が頭を動かすたびに肩やら髪やらが触れるから、ノートの上を走るシャーペンが蛇行する。
しかも、なんかめちゃくちゃいい匂いするし……。
ダメだ、切り替えなきゃと必死に邪念を払って黒板を見つめていると、ノートの端をトントンとペン先で弾かれた。
『次のテクニックも教えろ』
『次? 次もなにも、もう十分じゃないかな』
『足りねー』
『そんなに手強い相手なの?』
『近付いても顔色一つ変えない』
それは相手が相当自分の感情をコントロールできるタイプなんじゃないかな。例えば俺とか。
人は、役割ひとつで振る舞いが変わるという。周りから与えられた立場が、その人を、その人たらしめることがあるのだ。
明日からバスケ部の部長ね! と言われたら、なんとなく部長らしく振る舞うようになるのと同じように。
俺は自分のことを常に一軍男子なのだと言い聞かせている。そうでもしないと伊波の横に立てないから。そうやって心を麻痺させているから、いまだってなんとか表情をコントロールできている……と思う。たぶん。
『じゃあ、名前をたくさん呼ぶとかは?』
『名前?』
『【ネームコーリング効果】って言って、名前を呼ばれるとそっちに意識が向くってやつ』
『ほーん、じゃあ、相川』
『俺の名前を呼んでも意味ないよ』
『真』
…………っ。
不意打ちで名前呼びを食らってしまって、ギュッと心臓を素手で鷲掴みにされたような衝撃が走る。
練習だとわかっていてもこれはクるものがあった。
『嫌だった?』
『嫌じゃないよ。でも相川のままのほうが馴染みあるし、そのままがいいかな』
『わかった。じゃあ、相川』
真っ白なノートの上。無意味な『相川』が、伊波の手によって何個も何個も生み出される。
紙の上で話すことがなくなっても、あーいーかーわーと文字で呼びかけられて、俺はその横顔が何を考えているのか、世界史の授業が終わってもわからなかった。



