『好きな人の好きな人』に捧げる恋愛手引書

「俺、相川(あいかわ)のことが好きだ」

 青天の霹靂とはまさに、この瞬間を言うのではないだろうか。

 月曜日の放課後、校舎一階の奥にある科学室――のさらに奥にあるパーテーションで区切られた三畳ほどの狭いスペース。
 そこに、場違いなほど顔の整った伊波(いなみ)が大きな体を丸めてパイプ椅子に座っている。

 伊波はもう一度、今度はゆっくりと確実に俺の耳に声を届かせるスピードで、好きだ、と囁いた。

「あー……と、マジで言ってる……?」
「あぁ、マジだ。大真面目に言ってる」

 普段から意思の強そうな目をしてるけれど、今日はいつにも増して力強い眼差しだ。
 伊波は俺のことを射殺さんばかりの勢いで目を逸らさずに見つめると、パイプ椅子を引きずって、膝頭が当たるギリギリまで近づいてきた。

「で、返事は?」
「返事……?」

 あまりのことに思考が追いついていかない。だって、伊波裕也(いなみゆうや)は俺の友だちだ。
 高校二年生のときのクラス替えで一緒になったクラスメイトで、学年どころか学校中からモテるイケメンくん。絵に描いたような等身と優秀な頭脳、そしてスポーツ万能な彼はどこにいても衆目を集める存在。

 そして俺は、そんな伊波のことが好きだった。

「えっ、と……」
「前に、顔がいいヤツはいきなり告白しろって言ってただろ」

 脈絡のない会話に首を傾げる。
 なんのことだと考え込む俺の隣で伊波が「恋愛相談……」と呟いたことで、やっと何を言われているのか理解した。

「あぁ〜、なんだ、恋愛テクニックの話〜?」

 よかった、変なことを口走る前で、と安堵しながらおどけた調子で笑みを浮かべる。

 そう、ここは科学室裏の備品置き場。いつ使うかもわからないガラクタがごちゃ混ぜに置かれている掃き溜めみたいな場所。

 いつ行っても鍵が空いていて人も来ないから相談事にはうってつけ。だから俺は月曜日の放課後だけ、相川真(あいかわまこと)の恋愛相談室を開いている――そういう設定だった。

「で、どうなんだよ?」
「どうって言われても……。まぁ、確かに伊波は格好いいし、顔で押せなくもないとは思うけど」

 正直、もうすでに小手先のテクニックなんか使わなくても俺は伊波に惚れている。だからこんな茶番は不要だ。
 もう十分、お腹いっぱいですという意思表示と、己のちっぽけなプライドを保つためだけに、俺は降参のポーズを取った。

「も〜、びっくりした。てか、急に練習台にしないでよ〜。心臓止まるから」
「んだよ。月曜日のこの時間は相川センセーの恋愛相談室じゃなかったのかよ」
「そうだけどさぁ……。あっ、てかもしかして、伊波、好きな人がいるの?」

 自分から聞いておいて、ほんのわずかに声帯がおかしな震え方をする。

 ……正直、聞きたくない。伊波の好きな人の話なんて。
 でも、この流れで聞かないのは不自然だ。

 なんて言ったって、俺は恋愛におけるスペシャリストだ。相川真が受けた恋愛相談は百発百中。高空を飛ぶ鳥だって落とせる。高嶺の花だって摘める。そういうことになってしまっているし、実際そうでもある。

 俺は恋愛のレの字も知らないくせに、偉そうに人様の恋愛相談を聞いている。これがまぁ、自分でも笑えるくらいよく当たり、今では相川に相談したら必ず恋人ができると専らの噂だ。
 俺には本当の意味で(・・・・・・)そういう相手ができたことなど、一度もないのに。

「言わなくてもわかんだろ。だから、ここにいんだよ」
「マジ……? いつものようにただ俺と駄弁りにきただけだと思ってた」
「それなら教室でいーわ」

 伊波がムスッとした顔で腕組みをする。どうやら真剣に取り合おうとしない俺に、思うところがあるらしい。
 俺はニコッと人好きのする笑みを無理やり顔に貼り付けると、誤作動を起こし続けている自分の胸を押さえた。

「正直、いまのめっちゃ食らった。あともう一回くらい告白されたら、本気で伊波のこと好きになっちゃいそう」
「好きだ」
「……っ」

 やけに真剣なトーンで繰り返すものだから、うっかりときめきそうになる。
 だけど、伊波が俺のことを好きになるわけがなかった。
 だって俺は、恋愛のスペシャリストという称号とは別に、もうひとつ不名誉な称号をいただいてしまっている。

 相川真は遊び人。自分の恋愛テクニックを駆使して、恋愛をゲームみたいに楽しんでいる軽薄な男。それがもうひとつの、俺に与えられた不名誉な称号だった。

「あれ、もしかして俺、まだ練習台にされちゃってる?」
「……あぁ、そうだ。だから俺に好きなヤツの落とし方を教えろ」
「なにそれ、横暴すぎ! ……でもいいよ、友だちには安くしとく」
「金取んのかよ」
「うそうそ、取らないよ。ちょっとした冗談じゃん」

 俺の恋愛相談は基本的にはタダ。情報を開示された時点で、相談相手はそれ相応の対価を支払っている。
 俺の頭の中にはAちゃんはBくんが好きで、でもBくんはCちゃんが好きで、CちゃんはDくんが、そしてDくんはCちゃんが好きだから実は両想い……といった相関図が出来上がっていて、みんなの秘密を人よりもちょっとだけ多く知ることができる。

 今だって、伊波が俺に恋愛相談をした時点で少なくとも好きな人がいるという事実は筒抜けだし。

「で、次はどうすりゃいい?」

 ぐいっと顔を近づけられて、ひぃっ、と情けない声が漏れる。俺は伊波に背を向けると、ブレザーの内ポケットから小さなメモ帳を取り出した。

 これはマル秘恋愛テクニックを凝縮したメモ帳だ。もう何百回もこの手引書を開いているから、わざわざ内容を確認しなくても頭に入っている。
 ただ、相手は学園一のモテ男。他の人みたいに細かなテクニックなんかはすっ飛ばしてもいいだろう。

「へぇ、わざわざメモまで取ってんのな」
「うわぁ! 見ちゃダメ! これは企業秘密! 俺の恋愛テクニックのすべてが詰まってるんだから!」
「ふはっ、案外真面目だよなぁ、お前」

 フッと目元を細めて笑う伊波に、恥ずかしさやら嬉しさやらで固まってしまう。
 元々、俺は真面目な人間だ。そもそも伊波と同じ一軍男子の中にいるのも奇跡。

 そもそも、高二になるまでガリ勉メガネスタイルだった。コンタクトにしたのも、伊波を見て感動したからだ。

 ――俺も伊波みたいにかっこよくなりたい……。

 そう思ってのいまだから、真面目なところを出し過ぎるのは少し恥ずかしかったりする。
 みんなと……一軍男子たちのテンションとは合わなくなってしまうから。

「真面目で悪かったな。軽薄なだけじゃないの、俺は」
「知ってる。それに、俺は真面目な相川のこと好きだし」

 さっきから、好き好き攻撃がすぎる。伊波はそういうこと、あまり口に出すタイプでもないのに。
 そこで、ふと思い出す。メモ帳をペラペラとめくれば、該当のページがあった。

【好意の返報性】
 人は好きと言われると、相手にも同じだけ好きを返したくなる心理のこと。
 脈ゼロの相手に告白し、恋愛スイッチをオンにしたあとで小出しに好きを織り交ぜた会話をするのは効果的。

 それをさらっとできるのだから、俺の恋愛指南など必要なさそうだ。

「伊波には俺からのアドバイスなんていらなそうじゃない……?」
「いや、いる。これでも苦労してんだよ。好きなヤツ落とすのに」
「へぇ〜。その顔で落ちないなんて、相手は不感症なんじゃない?」
「ふか……まぁ、刺さってはねーわな。これだけじっと見つめても」
「なるほど。相当手ごわい相手なんだ……。じゃあ言うけど、会話の節々に好き(・・)を混ぜるのは効果的だよ。人は好きって言われた分だけ、お返ししたくなる生き物だから。だけど、たくさん言い過ぎると、あとで痛い目をみる。逆に言葉が軽くなるから」
「好きなもんは好きって言いたいけど、そんなもんか」
「そんなもんだよ」

 ……びっくりした。伊波って、恋愛すると熱烈なタイプなんだ。
 新たな発見をしたところで、夕方五時を知らせるチャイムが鳴る。部活動をしている生徒でもない限り、帰宅を推奨する時間だ。
 それに、常に空きっぱなしの備品置き場とはいえ、最後には施錠をしに先生がやってくる。

「はい、今日はおしまい」

 ぱん、と手を叩くと、伊波が唇を突き出して不服を訴えてきた。

「続きは来週の月曜日ね」
「待てない。から、帰りながら教えろ」
「も〜。伊波じゃなかったら断ってるよ」

 俺は時間をきっちりと守るタイプだ。それに、普段の月曜日であれば予約で埋まっている時間でもある。
 今日だって本当は二年五組の女子から声をかけられていた。だけど、その前に伊波が来てしまい、そうこうしているうちに件の女子から断りの連絡がきた。やっぱり今度にします、と言われてしまったのだ。
 結果的に約束まで流れてくれてよかったけれど、代わりに伊波の恋愛相談を受けることになってしまった。

 だから、本音を言えば、今日限りの恋愛相談で終わらせたい。

「相川、荷物は?」
「あるよ、伊波は?」
「ある」

 どっちかが教室に荷物を置きっぱなしにしていたら、うまく撒いて逃げようかとも思ったけれど、そうもいかないらしい。
 伊波と共に昇降口へ向かえば、他学年からの視線が集まった。

『ヤバ、伊波さんだ、かっこよ〜』
『相川さんもいる。相川さんもいいよね』
『え〜、でもすぐ女の子を捨てちゃうって噂だよ』
『伊波さんも女子には冷たいって聞くけど』

 そんなひそひそ話は毎日のことなので痛くも痒くもない。だけど、伊波はあからさまに不機嫌さを露わにすると、噂話をしていた女子たちのほうを睨んだ。
 すると、彼女たちが怯えて目を逸らしてしまう。

「こら、威圧しないの」
「してない。相川が悪く言われてたから」
「俺のことはいいよ。半分、事実だし」

 もういまさら、誰かに悪く言われてもなにも思わない。それだけ心が麻痺してしまっている証拠だ。

 下駄箱からスニーカーを取り出し、投げやりに靴を床に落とす。バラバラと転がっていくのを足先で押し留めながら靴を履いた。

「むしろ伊波は女子に優しくしなよ〜。格好いいのに塩対応すぎって言われてるんだから。俺たちにはそういう態度取らないのに」
「友だちに取る態度とその他に向ける態度は違うだろ」
「そうだけどさ。でも、もうちょっと愛想よくしたら、もっとモテると思うけど」
「これ以上は面倒くさい」
「そーですか……」

 一度でも言ってみたいセリフだ。俺も身なりには気を使っているし、メガネからコンタクトに変え、髪も雑誌をひっくり返してモテるメンズヘアを参考に美容院で整えてもらっているから、それなりにはなっている。
 あとは十八番の恋愛テクニックを駆使して、陽キャ一軍男子のモテ男ポジションをなんとか維持しているけれど、それだって伊波には負ける。
 伊波が100なら、俺は1モテるかな……程度だ。

 いろんな意味で到底追いつきはしないであろう伊波の背中を追いかけて、駅へと続く道を歩いていく。

「あれ、そういやぁ、伊波って電車通学だったっけ?」
「逆」
「だよね!? じゃあ、なんでこっち……?」
「相川センセーに恋愛テクニックを聞くためだな」

 ニヤリと笑って、伊波が俺の腕を小突く。何度か小突かれているうちに手が触れて、そのままするりと手を握られた。

「は!?」
「あれ、違ったか? さっきメモに、接触効果とか書かれてたの見たから」
「あー……それのこと……」

 意識を繋がれた右手に向けながら、十ページ目あたりに書いた【単純接触効果】の項目を思い出す。

 単純接触効果は、身体の触れ合いを増やす……という意味ではなく、純粋に顔を合わせる機会を増やし、意識を向けさせるテクニックのことだ。
 気付けば隣にいつもの男の子がいる。ここにも、そこにも。
 そうやって相手の視界に入り続けていれば、自然と気になるというもので、こうして手を繋ぐという意味ではない。

 そりゃあもちろん、人は身体的な触れ合いでも脳のエラーを起こし、恋かもと思い込んでしまう生き物だけれど。

「伊波が言ってるのは単純接触効果のことね。言っておくけど、手を繋ぐって意味じゃないから」
「じゃあ、なに?」
「意中の相手と接触する回数を増やしましょう、ってこと。何度も顔を合わせる機会があると、自然と気になっちゃうでしょ。恋って、勘違いからはじまるって言われてんの。だから、常に姿が目に入ったり、顔を合わせたりする相手のことを運命だと勘違いしちゃう」
「なるほどな。じゃあ、相川には効果ないな」
「毎日、顔を合わせてるしね……」
「それなら、こっちのほうが効果的だろ」
「うーん……。そうなのかな……?」

 いいように言いくるめられている気がするけれど、これは俺だから許されるのであって、女子にいきなり触れたら怖がられる可能性がある。
 俺はぶんぶんと右手を振ると、伊波の拘束から逃れた。

「あぶな。流されそうになったけどダメだから。女子にそんなことしたら怖がられちゃう」
「……恋愛、難しすぎだろ」
「顔だけで横着してるとそうなんの」
「横着したつもりはねぇ。あと、そういう相手もいなかったし。相川と違って」

 拗ねたようにそっぽを向いた伊波の耳が少し赤い。
 わざと恋愛初心者ムーブを醸し出しているのかはわからないけれど、気分はよかった。
 俺にもひとつくらい伊波に教えられることがあるという優越感。ただし、伊波が恋愛テクニックのすべてを心得てしまったら、俺の失恋は確定となる。
 伊波に好かれて、嫌がる人間なんていないから。

「とにかく、いきなり触るのはダメ」
「……わかった」

 そろそろ駅も見えてきた。やっと俺の鼓動も落ち着いてくる。
 伊波に告白されてから俺の心臓は常に不具合を起こし続けていて、ちょっとした拍子に壊れてしまうのではないかとヒヤヒヤしていたのだ。
 無事に手を繋がれたことで、心臓がバラバラに飛び散りかけたけれど。

「じゃあね、伊波」
「じゃあな、明日も頼むわ、相川センセー」

 真逆の方向へ踵を返した伊波を見て、俺は最後の最後まで笑顔を作ったまま彼に背を向ける。

「ヤッバー……」

 無理無理無理、ぜんぶ無理。だって伊波からの告白だよ!? 実験台だとしても無理じゃん。手だって繋いじゃったし……。

 じわりと手汗が滲む右手を見つめる。

「なーんで本当のこと言っちゃったんだろ」

 伊波が勘違いしたままだったら、練習と称してこれからも手を繋いでもらえたかもしれないのに。

 我ながら浅ましい思考に辟易する。

 今日のことは、どうか伊波の気まぐれで終わりますように。明日からは元通りになっていますように。

 そう願わずにいられなかった。