「シュンっていま彼女とどんな感じ?」
「え……」
中身の入った牛乳のパックが、ぼとっと鈍い音を立てて床に落ちた。
おいおい、空いてなくてよかったよ。
いつもならマコがキャッチするんだけど、今日はそのマコも驚いてこっちを見ている。
珍しい。
雨上がりの教室はいつもより明るい気がする。今日のランチはいつものパンに、二日連続で作ってもらったからあげの残り。校内には学食もあるけど、いつも混んでて席取りがだるいので、俺たちはあまり行かない。
ふたりとも牛乳に気づいていないので、仕方なく俺が拾ってやった。差し出すと、両手でぎゅっと手を握られる。
「えっえっえっどうしたのゆーくん! まさか……ついに恋に目覚めた!?」
シュンは、最後だけなぜかめちゃくちゃ小声の早口で囁く。
「なんだよ。たまにはシュンの失恋話聞いてやろうと思ったのに。俺が興味示したらおかしい?」
「「おかしい」」
「………………」
そんな、口を揃えて言うことないじゃんか。
「ゆーくんが恋♡ に興味あり♡ なんて知られたら、明日には学校中の人間からラブレターが届いて靴箱が破裂するよ!」
「ラブレターって、いつの時代だよ……」
「もらってるじゃん、たまに」
「もらってるけど……」
メッセージアプリにはクラスのグループが作られてるから、クラスの人間だったらそこから個人的なメッセージも送れる。それは中学校とかでも同じだった。
でも、なぜか昔から、告白されるときは手紙が多い。
「なんでだろ?」
「悠斗がオーケーしないってわかってるからだろ」
「振られた履歴が見えるところに残るのやだもんねー」
ああ、それならわかる。
でもそう思うくらいなら、言わなければいいのに。
なんて言うと、ゆーくんわかってない! とか怒られるんだろうけど。
でも振られるってわかってて、どうして告白するんだろう。言わなければ気まずくもならないのに。
「それで、彼女は?」
「この間振られました。俺はこーんなに可愛いのにね」
「確かに」
どうして振られるんだろう。不思議に思うけど、たぶん、女子から見たらなにかあるんだろう。深い付き合いをしてわかることが。
「あーあ。いつになったらゆーくんの心を射止める相手が現れるんだろうねえ」
ちう、と牛乳を飲みながらシュンが言う。リスみたいだ。マコは親の作ってくれた大きなおにぎりを口いっぱいに頬張っていて、こっちはクマっぽい。
俺は犬なんだっけ……あいつはなんだろ。
嵐士は、嵐士としか思えない。たまに迷子犬みたいになるけど。
筋肉……でかい……やっぱクマ? でもマコとはなんか違うしなあ。
「マコ」
「あん?」
「腹筋触らせて」
「っ! おい!」
ぺたぺたぺたーっと触ると、服越しでもそこそこな筋肉のおうとつがわかった。
まあマコは体育のときとか目の前で着替えるから見たことあるんだけど。わりと制服の着方も崩れてるし。
生徒の自主性を重んじる、とか言って、見た目についての校則がないに等しい学校だ。そのわりにみんなしっかり制服を着ててえらい。
だからタイを緩めてたりしてなかったり、シャツ全開で下の黒いTシャツが見えてるマコくらいのレベルでも、着崩してるほうなんだよね。
女子のことは置いといて。
女子は、なんか難しい。スカートの長さとかタイをリボンにするとかしないとか、カーディガンの色とか模様とか。
そういえば、嵐士の制服は大きめだ。
たぶん香穂里さんが、あいつの成長度合いを見越して大きいのを作ったのだろう。
今年は涼しいから、この間までカーディガンも着てた。それもやっぱり大きくて、袖が余ってたっけ。
あ、冬眠前のクマっぽいか?
「ゆーくん、なんでまーちゃんのおなか触りながらにやにやしてるの?」
「あ、ごめん。触ってるの忘れてた」
「馬鹿野郎」
頭のてっぺんにチョップされてしまった。
「ねえ、やっぱり誰か好きなひとできたんじゃない?」
「ないない」
「ほんとに?」
「うん。その、恋とか特別な好きとかがわからないから、シュンに色々と聞きたくて」
シュンにはほとんど常に彼女がいる。二股とかはしてないけど、わりとひっきりなし。しかも毎回シュンのほうが振られてるらしい。
「俺? 俺の好きは熱いよー」
「へえ」
「ゆーくん」
「ん?」
「好きだーっ!!」
「おわっ」
突然抱きついてきた友人を咄嗟に受け止める。
「危ない! ひっくり返るとこだったよ」
「えーごめぇん」
ぎゅうぎゅうすりすりしてくるシュンに、あいつの力の強さを思い出してしまう。
あれ以外、なにもないけど……。
もっと、強く抱き締められた。壁に押し付けられて、それで……。
「ゆーくん、顔、赤! もしかして脈アリ!?」
「いやいや。えー、シュンかー」
可愛いし、友だちとして大好きだけど。
「ないなー」
「ねーのかよ!」
「ま、男だしな」
マコがさらりと言う。シュンは無言で俺を離すと、そのままマコの膝に移った。
「意地悪!」
「はあ? おい、乗るな」
「やだね!」
今日もふたりは微笑ましい。
どっちも、俺とはこういうふうな言い合いをしないから見ていて楽しかった。
でも、そうか。男だからって普通はわりと大きな障壁なのか。
じゃあ恋人ごっことはいえ、嵐士も男から抱きついたりとかされるのは嫌かもしれない。俺は気にならないタイプみたいだけど。
「めしが食えねえだろ」
「ゆーくんー! まーちゃんがいじめる!」
「よしよし」
こういうのに慣らされてるからかな。
また抱きついてくるシュンを宥めていると、ふっと目の前に影が差した。
「あ、っ」
反射的に名前を呼びそうになってしまって、慌てて口を閉じる。
もさもさの髪に、猫背。黒ぶちの眼鏡。でも、座ってるほうから見上げるから、学校では感じたことのない威圧感がある。
嵐士は、なんで自分がここにいるのかわからない、みたいな、困惑したような顔で俺を見ていた。
「あれ? ヤモリくんじゃん。めずらしーね」
シュンから話し掛けられて、嵐士の顔が引き攣る。
「あ、あの……」
「舜佑に用事か?」
マコにまで話しかけられて、カチコチになってしまった。
トラブルの気配を感じたのか、教室に散っているクラスメイトたちもこっちをちらちら見ている。
俺はシュンに離れるよう促し、さっと立ち上がって嵐士の手を掴んだ。
「悪い。俺が呼び出したんだったな」
大きめの声で言って、手を引いて教室を出る。
嵐士はされるがままについてきた。
昼休みの校内はどこにでも生徒がいるけど、昇降口のほうまで行くとひとけがない。
靴箱と靴箱の隙間に大きな身体を押し込んで、俺も入った。靴を履き替える人間がいなければ見られないだろう。ちょっとカツアゲ? っぽいかもだけど。
「どした?」
嵐士は、最近見なかったくらい表情が固い。前はよくこういうもの言いたげな顔してたっけ。
いつの間にか、俺の前では素直に表情を出すようになっていたことに気づく。
眼鏡の奥の瞳が揺れている。
「夜森」
学校なので、一応そちらで呼ぶ。
嵐士はきゅっと唇を引き結ぶ。
ふたりで暮らし始めて、もう半月。
この半月で、俺たちは随分兄弟らしくなった。
「もしかして、体調悪い?」
手を伸ばしておでこに触る。すると、おずおずと抱き寄せられた。
「ちょ、」
そのまま、驚いて動けない俺をぎゅうぎゅう力いっぱい抱きしめてくる。
が、学校だけど、ここ!
…………あ、そういうことか。
主人公カップルを学生にすることにしたのかも。
最近、少しずつだけど書けてるみたいだから。
にしても、ちょっとらしくない。
俺と兄弟だなのバレたくないって――――目立ちたくないって言ったの、こいつなのに。
熱はなさそうだけど、やっぱりどこか調子が悪いのかもしれない。
「嵐士? 大丈夫か?」
「……うん」
「どした?」
もう一度尋ねると、嵐士はやっと身体を離した。
それから。
「なんでもない」
「ないことないだろ」
「……自分でもよくわからない」
それは、本音に思えた。
自分の行動に、自分で戸惑っているように。
こいつこそ迷子の犬みたいな顔をしているものだから、思わず笑ってしまった。もさもさの髪をわしゃわしゃすると、嵐士は目を細めて気持ちよさそうにする。
「今日は夕飯いいから、帰って寝てろよ。バイトあるから遅くなるけど、弁当とか買って帰るし。食いたいものとかある?」
「……チーズケーキ」
「同じやつ?」
「うん」
「おっけ。行ったら真っ先に確保しとくから」
約束してやると、嵐士はやっと安心したように笑った。
「ヤモリくん、なんだった?」
シュンの好奇心に満ちた目に、俺はあっさりと頷く。
「さっき購買行ったときに俺がサイフ忘れてさ、小銭借りたんだった」
「あら。うちの購買未だに現金だけだもんね」
素直に信じた友人に少しばかり罪悪感を覚える。ごめんな、嘘ついて。
「……夜森が喋ってんの初めて見たからびびった」
「あ、わかる! っていうか、ヤモリくんって身長でかいんだね。さっき気づいた。人見知りなのかな? いつもひとりでいるし」
「さあな」
「気になってきたー! 声掛けてみよっかな」
「舜佑」
「やめとけよ」
諫めようとするマコと同時に、でも無意識に、ちょっと冷たい声が出てしまった。
シュンとマコが驚いたようにこっちを見る。
「えっと……ひとりのほうが好きなのかもじゃん。俺らみたいなのが声掛けて、びびらせたら可哀想だって」
「ゆーくん」
「なに……」
「めずらし! あんまりそういうこと言わないのに!」
「そう?」
「うん。ヤモリくんとなにかあった?」
「さっき喋ってそう思っただけ。前からずっとそんな感じだしね」
「ゆーくん、あんな奴いたっけとか言ってなかった?」
「いやいや。クラスメイトですから、知ってます」
「ふーん……でもさ、俺だって席、前後だし? わりと知ってると思うけど?」
「舜佑は喋ったことないんだろ」
「ないけど! でもさ、ふたりよりは接点あるよ」
……でも、俺のほうが知ってる。
クラスメイトだし、家族で、兄弟だから。一緒に住んでるから。
嵐士は、家だったら、俺の前だったらもっと普通に喋る。
たまに大声で笑う。
朝は走りに行ってて、シャワーを浴びてから朝食を作ってくれる。
食パンは5枚切りが好き。
トーストの焼き具合は浅め。
少し冷めたところに、マーガリンをこてっと塗る。溶けたのが好きじゃないから。
それから、たぶん、少し甘えたがり。本人も自覚してないだろうけど。
力が強い自覚もないから、たまに距離感バグられるとびびる。
びびった俺に、慌てる。
あのときの顔。
俺を見る目。
こいつらの知らない夜森嵐士を、俺は知ってる。
誰にも、言いたくない。
「いらっしゃいまー……えっ」
ちょうどお客さんのいなくなった店内に、ぬうっと現れた長身に俺は硬直した。
周囲を確認しつつ近づいてくるのは、嵐士だった。
「え、どうした?」
一度家に帰ったらしい。制服じゃなくて、朝走るときのウェアを着ている。髪は後ろでまとめて、耳にはイヤホン。眼鏡もないし、ランニング途中に寄った、という感じだ。
「夕方も走ってんの?」
「ケチャップなかったから、買いに来るついで。スーパーでもよかったけどこっちのが近かったから」
「ケチャップ?」
「メッセージ送ったの見てない? 材料買ってあったから、晩ごはん作るよ。……もう弁当買っちゃった?」
「それは、まだだけど……」
チーズケーキだけ確保して、弁当は帰る前でいいかと思っていた。
「体調大丈夫か?」
「うん。走ったらすっきりした」
実際、すっきりした顔をしている。
「ならいいけど。無理すんなよ」
「……うん」
商品を出しつつ問う。
「夕飯、なに作んの?」
「内緒。調味料あっち?」
「けち。ご案内しまーす」
案内するほどでもないけど、いまは他の客もいないし、仕事も落ち着いたところ。決まった時間になればやることが増えるけど、まだ大丈夫だ。
嵐士を調味料のコーナーへ案内すると、自動ドアが開いた気配がした。
それから、聞き慣れた声。
「ゆーくんいますかー?」
「こら、舜佑!」
嵐士が緊張したのがわかった。シュンたちだ。
「さっさとレジして外に出ればバレないって。大丈夫。セルフあるから」
そっと声を掛けて、嵐士を背後に庇う。俺が引き付けてるうちに、後ろ側から行け。
「あ! いたいた!」
「五十嵐~!」
「あれ、ミカちゃんたちもいたんだ」
現れたのは、女子四人にシュンとマコ。やばい、ヒメもいる。嵐士は無事にレジしてるだろうか。
なんて思ってたら――――。
ぐい、と後ろから、肘のあたりを掴んで引っ張られた。
「わっ」
背中が軽く背後の人物に触れる。
「おま、っ」
「晩ごはん」
「え?」
「オムライスだから」
「え、ああ、うん……」
……じゃないだろ!
ほら、シュンたちがめっちゃ驚いてるし!
嵐士はシュンたちに軽く頭を下げて、みんなの真ん中をすり抜けるようにしてレジへ向かった。
そのまま、ケチャップだけ買って、帰る――――前に、俺のほうを見て。
「寄り道しないでね」
と言って、店を出て行った。
ど、どういうつもりだよあいつ……!
「え! なに!? いまのなに!?」
ほら、シュンが好奇心ギラギラになっちゃってるし。マコも珍しく首を伸ばすようにして外を見てるし!
女子たちは……「やば!」「いけてなかった?」「いけてた!」うん。それは同感だけど。
「仕事中なんでー」
と、そさくさとその場を離れる。
そのタイミングで他にも数組お客さんが来たので、レジに入った。
みんなはレジかごにお菓子やジュースを詰めて、会計の列に並んでる。セルフレジには……行きませんよね、当然。
「袋に入れてくださーい」
「ストローも」
「スプーン!」
「はーい」
「さっきの、五十嵐のお兄ちゃんだったよね?」
代表して聞いてきたのはヒメだった。
うん、まあそうなるか。一回見られてるし。否定はできない。
「そだよー」
「えー! まじ!? もっとちゃんと見とけばよかった!」
「かっこよ! 身長めっちゃあったね!」
「まこっちゃんよりあった!」
「あったあった! でっか! ドタイプだわ!」
「ほなみはいるじゃん彼氏。でっかいのが」
「まあね♡」
「はーい。はい、お待たせしましたー。じゃ、みんなお気をつけてー」
「あ、会計別でカフェラテひとつおねがーい。アイスで!」
こういうときに限って、後ろで待ってるお客さんがいないんだよね……。
「はーい」
奥の製氷機からカップに氷を入れる。
みんなはまだ俺の兄貴について盛り上がっている。
あの様子だと、バレてはいなさそうだけど。
というか、嵐士が悪いよね? あれは。
あいつ、なんであんなことしたんだろ。
今日の昼も変だったし……やっぱりどこか調子が悪いのだろうか。
「はい。お待たせしました」
カップを渡すと、シュンはすぐさまコーヒーのマシンへ向かった。
女子たちはレジ前のくじの景品を眺めていて、ぱんぱんになったレジ袋は、マコが持っている。
マコは俺を見て、小さく苦笑した。
「悪いな、騒いで」
あー、この静かさに癒される……。
「いいけど。みんなで遊び?」
「カラオケ。明日休みだろ? ギリギリまで騒ぐって」
「え、休みだっけ? 火曜日だよね。祝日?」
「開校記念日」
ああ、そういえばそうだったかも。ばたばたしてて忘れてた。
「登校するところだった」
「危なっかしいな。……バイト何時まで? おまえも来る?」
「あー……晩めし作ってくれてるんで、帰ります」
「あの兄貴ってうちの学校の生徒?」
「なんで?」
「明日が休みって知ってるから、寄り道するなって言ったんだろ」
あっさりと言われる。
そうか。嵐士は、俺が遊びに行ったりしないようにあんなこと言ったのか。
行くはずないのに。
「家族だから」
と、誤魔化して友人たちを見送る。
いままでだったら、誘われたら行ってた。
父さんも、転職して時間が増えたからってずっと家にいるわけじゃない。
夕食は基本的にいつもひとりだったから。
あの家にいないでも、俺がいまいるところが俺の家で、居場所だと思ってた。
でも、いまは――――。
嵐士が待っているあの家が、俺の家で、俺の居場所なんだ。
