俺のバイトのシフトは、一週間の内で平日に二日か三日、夕方から夜の勤務。それから土日のどっちかに昼勤が入ってる。
土曜の夕方、仕事を終えた俺がバックヤードから売り場に出ると、でかい男がスイーツ売り場を眺めていた。
こいつ、外で見るとでかさが際立つな……。
俺も身長170センチを超えてるんだけど、180超えって特別だ。
しかも、今日はもさもさの髪を後ろで縛っていて、眼鏡も掛けていないせいで、ワイルド系の顔の造形があらわになっている。
周囲の客からちらちら見られて居心地悪そうだけど、そのうちのいくつかは好奇心でなく好意だろう。
女の子のグループが話し掛けたそうにしていたので、可哀想なことにならないうちに俺が声を掛けた。
「悪い。待たせた?」
「悠斗……」
ぽんと背中を叩いたのが弟だとわかり、嵐士はあからさまにほっとした顔をする。いままであんなに険しかったのが嘘みたいだ。
「いま来たところ」
「そう? なんか欲しいのある?」
「大丈夫」
言う男の腕を軽く掴み、外に促す。
「おつかれさまでしたー」
と、レジの同僚に挨拶しつつ。
「いまの子、同じ学校の子かな。すごく見られてたけど、バレてないよね?」
「大丈夫だろ、たぶん」
髪を纏めて眼鏡をしていないだけで、いつもと全然違う。いまならクラスメイトに目撃されてもバレなさそうだ。
腕を掴んだまま軽くくっつくと、嵐士は困った顔でこちらを見た。
これくらい、普通だろ。恋人なら。
待ち合わせていたバイト先のコンビニは、最寄り駅のすぐ近くにある。同じ駅を使う生徒もいるし、念のためいつもと違う恰好で来いと言っておいたのは、俺だった。
俺のほうは、見られても兄貴といたって言えばいいし。
兄弟だったらこれくらいの距離感普通だろ。……たぶん。
で、わざわざ呼び出した理由としてはこれ。
「……デートって、なにするの」
「まあまあ、今日は軽くな」
そう。デートです。
といっても、ぜんぜん本格的なものじゃない。
とりあえずふたりで外に出てみようかな、くらいの……。
というか。
なんだよ、恋人を教える、って!?
教室で話しかけないで欲しいとか、足りない食材を買って帰ってきて欲しいとか、嵐士からの頼みはいままでにも何度かあったけど、今回のこれは俺の予想を遥かに超えていた。
恋人を教える……つまり、恋人ごっこ、のようなことをしたいらしい。
俺と? こいつが? 嘘だろ?
もちろん最初は、もっと座学的なことだった。
嵐士の悩みというのはこうだ。
『心の動きとかは、なんとなく書ける。でも、主人公と相手が恋人として生活するときの仕草や動作が、いまいち書けない。そこからの感情も』
だから、例えばこういうときに恋人ならどんなことをする? とか、それはどうして? とか。そういう質問をたくさんされた。
でも、そういうのって言葉では伝えにくいと思う。
抱きしめるとか、手を繋ぐとか、そういう些細な触れ合いを無意識にやってしまうのが、恋人ってものなんじゃないだろうか。
だから、いちいち理由を聞かれても答えにくい。
そういうことを言うと、嵐士はまるで捨てられた仔犬みたいな顔をするんだ。
こんなにでっかい男のくせに、そういうときは可愛いから困る。
大型犬みたいな……自分のこと育ったって気づいてないタイプの。そういうのに俺は弱いんだって、しみじみ思った。
で、この五日ばかりそれを繰り返された俺はついに切れてしまい、こうやって直接教えることにしたというわけ。
……俺が教えられることなんか、ほぼないんだろうけど。
だって、俺は……。
「これどこに向かってるの?」
「とりあえず本屋」
「あ、いいね。俺も見たいかも。悠斗もなにか買いたい?」
「家守凪センセの他の本買おうかなって」
この間の本は、結局貰ってしまった。作者はタダで貰えるから、手元に何冊かあるらしい。そりゃそうか。
でも、他の本も出ているらしいので。
「買わなくていいよ。うちにたくさんあるから」
「いやいや、自分で買いたいから。そういうことのためにバイトしてるんだし」
「………………」
本屋の入っているビルに入り、エレベーターに乗る。他の客はいない。
「買ったらサインくれる?」
「やだ」
「じゃあ、拇印でいいや。寝てるときに勝手に貰う」
「怖いって」
呆れて笑う嵐士の手を取ると、少し驚かれた。俺はそもそもスキンシップに抵抗ないほうだけど、嵐士は見るからに違うだろう。
親指の腹を撫でて、指紋を確かめる。その動きを封じるように、ぎゅっと握られた。
嵐士が、ぽつりと呟く。
「……手を繋ぎたいから繋ぐ、だけじゃないって、こういうこと?」
「たぶんね。俺の持論だと、恋人っていうのは――――」
肩を竦めると、嵐士は俺の手を掴み直した。じっと見つめられる。
なんか、どきっとした。その目の真剣さに。
「恋人っていうのは?」
「……徹底的な越境の欲求」
「それ、俺の小説じゃん。呪いの本質って説明した」
八階まで急上昇する狭い箱。
最初に握手したときと同じように、ひんやりしていて、汗ばんだ手。
目的階で降りるのと同時に手を離す。
「おまえって、手もでかいのな」
嵐士は自分の手を見て、首を傾げた。
「そうだった?」
「うん。身長もあるし、羨ましい」
「牛乳買って帰ろうか。夕食の買い物したい」
「デートじゃなくてただの買い物だな」
本屋に入ると、嵐士は雑誌のコーナーに向かった。
「食べたいものある? 生姜焼き? たまごマカロニサラダ?」
「一昨日食べたからなー。何回でも食べられるけど、好きなときに食べてたら、いつか食べられなくなった日が怖い」
「俺がずっと作るよ」
さらりと言われて、咄嗟に返事できない。
「そんな、ずっとなんてあり得ないだろ」
「そうかな」
「ないない。俺、大学入ったら家出るつもりだし」
「ふたりで一緒に住むとかは?」
「え?」
「俺も進学はするつもりだから。どこにするかしっかり決めてないけど、一緒に住んだら広い部屋に住めて家賃も少し浮くと思う」
呆気に取られている俺に、嵐士は首を傾げる。
「俺、悠斗とだったらこのままふたり暮らしできる。悠斗は? 難しそう?」
え、いや、でも、そう言われると……。
「……確かに。めっちゃいい、それ」
「よかった」
「でももっと野菜のメニュー減らして欲しい」
「それはだめ。悠斗は嫌いな野菜多すぎるから、食べれるの食べて」
「やだー」
「あ、ちょうどいい本が……」
と、手に取ったのは『子どもに野菜を食べさせる! ふわふわパンの教科書』
「俺、赤ちゃんかよ!」
「こら、静かにして」
ふたりで笑い合って、狭い店の通路をもつれ合うようにして歩く。
奥のほうに行くと、嵐士的に言う『禍々しい』感じのコーナーが目に入った。いままでだったら素通りしてたな。そもそも本屋に来ることがなかったけど。
「あるじゃん、家守凪コーナー」
「いま、ホラーがブームだったから」
謙遜するけど、手書きのPOPには『大人気ベストセラー!』とか『超人気作家の超話題作!』とか、色々と書かれてる。
この本屋にも、この本屋を使う客にも、こいつの本を好きな人間がたくさんいるんだと思うと、なんだか誇らしい。
「あー……こいつが作者ですよーって言いふらしたい」
「ちょっ! やめてよ!?」
「夕飯、からあげにしてくれたら我慢する」
「野菜食べさせるの難しいやつ……」
話しながら、持っていない本を一冊手に取った瞬間――――。
「あれ? 五十嵐?」
「ヒメ!」
「偶然~! 五十嵐も地元こっちだっけ。会うことないね」
「俺、インドアだから。今日はバイト上がり」
ふうん、と頷くヒメから隠れるように、嵐士がくっついてくる。さすがにクラスメイト相手では仕方ないか。
「あ! もしかして家守凪の本買いに来たってこと?」
「あ、そうそう。読み終わったから、別のをね」
「えー。自分で買うんだ。ありがとー」
「なんでヒメがお礼?」
「めちゃくちゃ好きだからだって。この本もめっちゃいいよ。すんごい怖い。最高」
俺の陰で、嵐士がどんどん赤面していくのがわかる。
そしてついに。
「俺、別のとこ見てるから」
と囁くや否や、慌てたように店の奥へ姿を消してしまった。
「なんか、ごめん? 友だち?」
不思議そうなヒメに、俺は苦笑する。
「いや、兄貴」
「五十嵐って兄弟いたんだ! え、もしかしてだけど、こないだの本貸してくれたひとって、お兄ちゃん?」
「あー、うん」
「えー! 話したかったー」
「ヒメちゃんは俺と話せばいいでしょ」
「そういうの、家守凪の本とウェブ小説全部読んでから言ってくれます?」
「ハイ……」
本を持ってレジに移動すると、ヒメもついてきた。
「ヒメは、なんか買いに来たんじゃないの?」
「ううん。みちがレジ並んでる隙に確認しに来ただけ」
ああ、みちるか。ヒメとみちるはニコイチだけど、休みの日も一緒らしい。女子ってそういうところあるよね。
「確認って? なにを?」
「家守凪の売り場。サイン本とか作られてないかなーって」
「そういうのあるの?」
「他の作家なら、たまに。あのひとサインとか嫌いらしくて、作ったことないんだけどね。でも、住んでるのここら辺らしくて」
おいおい、バレてるじゃん。
まだ引っ越してきてそう経ってないのに。
「公表してるんだ」
「してないけど、この間変わったアイコンの風景がここら辺なんじゃないかって、特定班が」
怖……。
ネット、怖い。
レジでヒメと分かれて、彼女がみちると合流して店の外に出るのを見届けてから、俺は店の奥へ向かった。
嵐士を探していると、児童書コーナーの隅にでかい後ろ姿が。
「逆に目立ってる」
「わっ」
背中をつつくと、嵐士は跳び上がった。
「……谷町は?」
「もう帰ったよ。なに読んでんの?」
「これ。子ども向けのホラー。こういうののほうが、案外シンプルに救いがなかったりするんだよ」
「へえ。意外」
「子どもは素直だから……なに?」
「いや。なあ、帰りコンビニ寄ろう」
「いいけど、なんか欲しいの?」
「こないだのチーズケーキ食べたい」
「ああ、美味しかったよね」
「好きだった?」
「え、うん」
「じゃあ、投稿サイトのアイコン、チーズケーキの写真に替えて」
「なんで?」
「いいから」
こいつのことは、俺が守ってやらないと……。
嵐士は不思議そうにしたけど、特にこだわりはなかったらしく、素直に頷いた。
「思ったんだけど、デートじゃなくて買い物だったよね?」
買ってきた食材を冷蔵庫に仕舞いながら、嵐士が言う。
気づいたか。
「時間なかったし。買い物も新婚ぽくない?」
「えー……夫婦と恋人は違う……」
「じゃあ今度はデートらしく、クレープでも食いに行く?」
「クレープなんだ」
「定番じゃん?」
いや、もしかしたらシュンの定番だったかも。
でも嵐士は「そうなんだ」と感心した様子だった。
「そっちはどっか行きたいところとかないの?」
「うーん……」
上着を脱ぎつつ、考えている。その後姿が落ち着かない。いつもと違って、髪を結んでいるから。うなじのあたりが丸見えで、ひどく無防備に見える。
「……水族館、とか?」
「水族館?」
「昔、両親に連れて行ってもらったことがあって。……きれいだった気がする」
「……ふーん」
その声がどこか切なくて、なにかしてやりたくなった。
俺も、ちょっと恋人ごっこに引きずられてたりするんだろうか。
それとも、兄弟だから?
背中の、肩甲骨の間に額を押し当ててみる。
「悠斗?」
そのまま両腕を回して抱きついてみると、嵐士は慌てたような声を上げた。
「えっ、な、なに!?」
「恋人ごっこ。……おまえが言い出したんだろ」
そんなにびびることねーじゃん。
ちょっと拗ねて言うと、振り向いた嵐士は眉尻を下げた。
「ごめん」
「こういうとき、恋人だったら謝らないと思う」
嵐士は困ったようになって、それから、なぜか俺の頭を撫でた。
「ちょ、なに……」
「悠斗って、たまにすごく年下に見える」
「はあ?」
「可愛い」
それは俺の台詞なんですけど!
たまにめちゃくちゃ可愛いことあるくせに。
……でも、今日は違う。
こいつの言う通り、嵐士のことが年上に見えるというか……。
嵐士の顔には、結ぶのに中途半端な長さの前髪が幾筋も垂れていて、それが、なんか、いつもと違う雰囲気で戸惑う。
俺は本屋で密かに買っていたものをポケットから取り出した。
「こっち向いて。ちょっと頭下げて」
「なに?」
「じっとしてろ」
台紙から外したそれで、零れてきていた前髪を固定した。
「え、なに? 髪留め?」
「前髪クリップやる。邪魔そうにしてるだろ、いつも」
絵本のキャラモチーフのクリップは、嵐士がつけるにはちょっと可愛すぎるかもしれない。
でもなんか逆に似合うし。
「ありがとう。さすがに、そろそろ切らないととは思ってるんだけど」
「美容室苦手?」
「わかる?」
「うん」
嵐士は指を折って嫌なところを数える。
「こうして欲しい、とか特にないのに説明しなきゃならないでしょ。いい感じにしてって言っても嫌いな感じにされたり。話しかけてくるひとはすごく話しかけてくるし。そもそも他人に触られるのが嫌い。ぞわぞわする」
「あ、じゃあさっきの本気で嫌だった?」
だったら悪いことをした。
「驚いたけど……悠斗はいいよ。犬みたいだった」
「犬!?」
「朝走ってると、犬の散歩してるひとも多くて。一回靴紐結んでるときに後ろから突撃されたことあるんだよね。あんな感じで」
言いながら、そっと手を伸ばされる。
じっとしていると、髪に触れられた。指で梳くようにして優しく撫でられて、そのまま受け入れていると、おっかなびっくりハグされる。
「………………犬?」
「いや、ごめん。恋人のほうです」
「ふうん」
だったらいいや、と身体の力を抜くと、もう少し強く抱き締められた。
親にもされた覚えがないので、なんだか照れる。
「つーか、でかいな、ほんと。シュンと全然違う」
「森?」
「うん。あいつよく抱きついてくるから」
「へえ……」
嵐士はそのまま腕の輪を狭くする。身体が密着して、肩に顎を載せられた。
顔が熱い。
さすがに、やりすぎじゃないだろうか。
どうしていいのかわからなくなって、嵐士の身体に腕を回す。本当に、めちゃくちゃでかい。厚みがあるというか。部活とかしてないくせに。
なに食ったらこんなになれるんだよ。
ぺたぺたと触っていて、異常に気付いた。
「え、ちょっと待って」
「なに?」
「腹触らせて」
渋々という感じで身体を離した嵐士の、腰回りから腹筋を触る。え、うそ。
「……割れてる?」
「ああ、腹筋? うん」
ぺろんとシャツをめくって見せられて、そこに目が釘付けになった。
「すごっ!」
目の前に現れたのは、男ならたぶんほとんどが憧れるタイプの肉体だった。
しっかりとついた筋肉。うっすらどころでなく割れた腹筋。ボディビルダーとかではないけれど、普通に生活していてこの筋肉に出会ったら惚れる。
「おまえ着痩せしすぎじゃない?」
学校ではまんまる猫背なくせに。
筋肉の溝を指先で辿り、その柔らかさとか、力が入った瞬間の硬さを確かめる。うわ、やばい。これで高二?
「ジムとか行ってんの?」
「筋トレはしてるけど、体質もあるかも……あの、あんまり触られるとくすぐったいから……」
「もうちょっと」
「悠斗」
「悪い」
さっと手を引っ込めると、嵐士は息を吐く。
それから、俺の腰を強く抱き寄せた。
「……俺にも触らせて」
と、服の上から腰とか腹に触られる。
「ちょちょちょ!」
「ぺらぺら。ほっそ」
「悪口! 少しは筋肉ついてますけど!」
「でもさ、」
と、突然踏み込まれて身体が仰け反る。
抵抗する間もなく、壁際に追い詰められた。
「こんなのも、すぐできる」
至近距離で囁かれて、ぞくっとした。
密着した場所だとか、逆光になっている嵐士の顔だとか。
そういう色々なところを意識してしまって、頭がパンクしそうになって。
嵐士が、顔を寄せてくる。
「な、なに……」
戸惑う俺の耳元で、低く言う。
「徹底的な越境の欲求」
「ギャーッ! 耳元で言うなばか!」
「……ふはっ」
堪らず悲鳴を上げると、嵐士が噴き出した。
珍しく腹を抱えて笑っている。
俺を抱き締めるようにして。
それから、少し屈むようにして――――。
「うわあっ! ばか! ばか! 下ろせって!!」
「暴れないで。落としそう」
「落とすな!」
いわゆるお姫様抱っこ、をされてしまった。
「結構普通に歩けそう」
「歩かなくていいって! 怖い!」
確かに嵐士は俺よりでかいけど、でも俺だってそこそこ身長ある(そしてうっすら筋肉もある)高校生男子なので、これはない。
でも嵐士はやめようとしない。
強引というか、マイペースというか。
意外とこういうところあるんだ、こいつ。
「わ、わ、わっ! 絶対落とすなよ!」
「わかったから、動かないで」
落とされたくなくて必死でしがみつくと、嵐士はそのままリビングダイニングを横断し、テレビの前のソファーに俺を下ろした。
「はい到着」
「ほんと、おまえ……」
文句を言おうと顎を上げると、思いのほか近くに嵐士の顔があった。
「…………ぁ、」
なにか言おうとしたら、嵐士はぱっと起き上がる。
「じゃあ、今日は揚げ物で危ないから、ここでおとなしくしててね」
「……おい」
「明日の朝はふわふわの野菜パン焼こうかな」
「赤ちゃんネタやめろ!」
