「いらっしゃいませー」
最近、嵐士の様子が少しおかしい。
「ありがとうございましたー」
お客さんに挨拶しつつ、黙々と商品の期限をチェックする。
割引のラベルを貼って、売り場を整える。お客さんの対応をして、また売り場を片付ける。
いつも通りのコンビニバイトをしながら、俺は今朝の嵐士について考えていた。
なんだかぼんやりしていて、声を掛けても上の空。
不機嫌というか、落ち込んでいるというか、体調が悪そうな感じもした。
大丈夫かな、あいつ。
ふたりきりで生活をして、ちょうど一週間が経った。
親たちからも、日に一回は写真つきの連絡が来るけど、随分と船旅を楽しんでいるようだ。
俺たちだって、最初の頃はぎこちなく、でも上手くやれていたと思う。
それが日を追うごとに嵐士の言葉は少なく、考え込むことが増えてきた。
夕食のあとに、なんとなく座って話をする時間ができているけど、そのときもぼんやりしていることが多い。
しかも気づいてしまったのだけど、あいつ、朝早くにどこかに行ってる。
一時間しないで帰って来てるみたいだけど、どこに行ってるんだろ……。
聞けばいいのに、なんとなく聞きにくくて……もしかしたら、俺との生活がストレスなのかも、と思ってしまって、そのままになってる。
やっぱり毎日料理させてるの、嫌かな。
たまには代わってやりたいとは思ってるんだけど、俺には作れないし。弁当買って帰ろうか? って言うと、作るよって言われるし。
そこらへんも、無理してんのかな……。
楽しいって思ってたの、俺だけかな。
「はあー……」
大きなため息に、店で流れるCM放送が被る。
【新作スイーツは自信作! あっという間に100万個突破!】
へえ、だからこんなに大量に入ってるんだ。
うちの店では夕方の割引し始める時間になると、新作系は売り切れていることが多い。
でもそのスイーツはまだ大量に残っていた。
品切れさせるなという指示でもあったのかもしれない。
……嵐士、甘いもの好きかな。
朝食と夕食は一緒に食べるけど、こういうお菓子とかを食べているところは見たことがない。俺もわざわざ買って家で食べたりしない。
前に購買で甘い系のパンを買ってるの見たから、嫌いではないはず。たぶん。
……俺って、あいつのこと、まだ全然知らないんだな。
好きなもの、嫌いなもの、朝早くにどこに行っているのか。
どうしてあんなにぐったりしているのか。
借りていた本は、もうすぐ読み終わる。
ホラー部分も結構怖かったけど、なにより、登場人物がどんどん死んで、たぶんこのまま主人公が孤独で終わるというのが俺は怖い。
どんなことを考えて、あんな本を書いたんだろう。
それとも、特にそういう、作者の心情が出るみたいなことはないのだろうか。
力を合わせて呪いを打ち砕く! とかのほうが俺は好きだけど……。
ああ、でもホラーってそういうのじゃなかったりする?
よくわからない。
嵐士のことも、よくわからない。
我ながら、気になったら我慢できないタイプだと思う。
「甘いもの好き?」
帰宅して、ただいまの次に言ったのがその言葉だった。
エプロンをつけた嵐士はぼんやりと俺の言葉の内容を考え、頷く。
「あまり食べないけど、好きだよ」
「これ、うちの新作。放送聞いてたら食べたくなっちゃったから、一緒に食べてくれない?」
嵐士はぱちりと瞬きする。
それから、ゆるく笑った。
「うん。ありがと」
話をするタイミングは、夕食のあとにやってきた。
クリーム系のチーズケーキだったから、とコーヒーを淹れてくれた嵐士は、そのスイーツを見てまたなにか考え込んでいる。
唇をいじって、指先を動かす。
「……嫌いだった?」
おそるおそる問うと、ハッとしてこちらを見た。
「いや、好き。ありがとう」
それから、嵐士が持つと小さく見えるフォークを突き刺し、ひとくち食べて。
「うわ、美味しい」
「えー? どれどれ……んーっ」
まったりとして、でもしつこくなくて、美味しい。
「美味い。めっちゃ売れてるだけある」
「そうなんだ?」
「三日で100万個? だったかな。とにかく売れてるらしい。今日もカップルがさ、一個じゃ足りないから二個! って楽しそうにしてて」
「へえ……」
あ、しまった。
美味しそうに食べていたのに、またなにか考え始めてしまった。
「……あのさ」
「うん?」
「最近元気ないけど、なんかあった?」
「え、なにも……」
と言いつつ、目が合わないんですけど。
「……家事色々やらせちゃってるもんな。悪い」
「洗い物は悠斗がしてくれてるし、洗濯とお風呂掃除もしてくれてる。俺は買い物行って、料理作ってるだけだよ」
「大変じゃん」
「気がまぎれるから好きなんだよ」
あ、いま気がまぎれるって言った。
やっぱりなんかあるんじゃん。
「じゃあ俺がめちゃくちゃ話し掛けるから、とか?」
「え?」
「そういうとこが苦手だって言ってたもんな」
それくらいしか思いつかない。
「ごめん。つい楽しくて」
「違う!」
「っ!」
突然大きな声を出されて驚いていると、嵐士は慌てたように両手を振って、それで自分の顔を覆った。
大きく息を吐く。
「違う、違うよ。ごめん、悠斗は関係ない。気にしてた?」
「……ちょっと」
嘘だ。滅茶苦茶気にしてた。
嵐士はゆるいウェーブを描く髪を、指に絡めて遊ぶ。
「仕事で、悩んでて……」
「仕事? 小説の?」
「うん。上手く書けなくて、悩んでた」
「……じゃあ朝にどっか行ってるのもそれ?」
嵐士はあっさりと答える。
「ああ、それは単にランニング」
「え、走ってんの?」
「うん。中学のときは新聞配達のバイトしてて。あの辺はまだそういうのあってさ。それから、走らないとなんか一日がしっくりこないんだよね。心配させてごめん」
「ならいいけど……おまえほんとすごいよな」
「なにが?」
「全部」
小説のこともだし、その、早朝のランニングとか。その前のバイトとかも。
こいつのことだから、それだって香穂里さんのためなんだろう。
自分のためにバイトしてる俺とは違う。
「あんなにノートにアイデア書き込んでたからさ、もっとさらさらーって書いてるんだと思ってた」
「そんなことないよ。デビュー作くらい」
「でもそれで賞とったんだろ?」
「だけど、あれも、出版前にめちゃくちゃ直したし……」
「そうなんだ。もうすぐ読み終わるけど、面白いよ」
「あ、りがと……」
急に真っ赤になった。
「なんで照れんの?」
笑って言うと、嵐士はまた顔を隠してしまう。
「面と向かって褒められるのやだ」
「でも、面白かった」
「最後で面白くなくなるかもよ」
「いや、もうここまで来てそれはないだろ」
にひ、と笑うと、嵐士はどこか悔しそうにした。
「悠斗、まだ寝ない? ここにいる?」
「もうちょいいようかな」
「じゃあ、ここで小説のこと考えていい? ひとりでいるとすぐ詰まっちゃうから。気分変えたい」
「俺はいいけど」
「ありがとう」
「じゃあ俺もここで続き読んでていい?」
「えっ……」
「だめ?」
上目づかいで可愛い子ぶって言うと、嵐士は渋々頷いた。
「いいよ」
嵐士のデビュー作は、やっぱり主人公がひとりになって終わった。
自業自得って感じもするけど、この終わりが幽霊より怖い気が、俺にはする。
「……これさ、ホラーって最後こういうふうにするもの?」
気になって問うと、先ほどから頭を抱えていた嵐士が顔を上げた。
「どう?」
「ハッピーエンドではない、みたいな」
自分が呪われて、呪いを周囲に振りまきまくっていたことに気づいた主人公は、友だちも家族も失って、これからも呪いを振りまいて生きていく……。
救いがない。
「……最初は、主人公も死んで終わりだった。それ、続編意識した作りなんだ」
「そうなんだ」
「で、いまやっとその続編に取り掛かってるんだけど……難しくて」
「どういうところが?」
「ちょっと聞いてもらってもいい?」
「うん。っていうか聞いていいんだ?」
「悠斗は家族だし」
あっさりと言って、嵐士はノートを広げた。
「それに、書けなかったらそもそも出ないから」
ノートには、メモだったり、あらすじだったりが色々と書かれている。嵐士の指がそれをなぞる。
「読んだなら少しわかると思うんだけど、その本って実際にあった話ぽく書いてあるでしょ。次回もそのテイストで、って言われてて……こっちと、こっち、どっちの話が好み?」
「えー……」
聞かれたのは、極端な二択。
①男が主人公。恋人の女が死ぬ。
②女が主人公。恋人の男が死ぬ。
そのあとに、死んだことに気づいてないだとか、恋人の幽霊だとか書いてあるけど、どうやらそもそもの主人公の性別で躓いているらしい。
「これ、死なないとだめ?」
「え? 死んだらだめ?」
「だめっていうか……いやでもそうか。ホラーだもんな。恋人が死んだら悲しいなって思っただけ」
「悲しい……」
嵐士はまた考え込んでしまった。
俺がノートを引っ張ると、あちらのほうからこっちに押しやってくる。自由に読んでいいらしい。
とはいえ、アイデアノートというのは、本人にしか解読できないタイプのものなんだろう。
メモが多い。そこだけ読むと支離滅裂だったり、意味がわからなかったりする。不吉そうな漢字をたくさん書き並べてあったり、妖怪かなにかの古そうな絵のコピーや、いまの日本語とは違う、古い言葉遣いの新聞記事がスクラップされていたりする。殺人とかではなく、神隠し、とか、そういうの。
最初のほうに行くと、ちょうど読んだばかりの本のアイデアと思しきものもあった。
「初めて小説書いたのいつ?」
「覚えてない。小学校低学年とか」
「すごい」
「すごいっていうか……親が夜勤多くて、あんまり遊びにも行けなくて、それでお金がかからなくてひとりでできることと思って、書いてただけで……」
「でも、好きで、ずっと書いてるんだろ? いまもすごく頑張ってるし」
ノートには、メモじゃなく小説そのものを書いてある部分もある。何回も書き直している形跡があった。選んだ言葉のひとつひとつに気持ちを込めているんだとわかる。
「……俺はさ、嵐士みたいなこと、できないから。純粋にすごいと思う」
ぽろりと言ってしまう。
「頑張るのが苦手なんだよな」
「悠斗は器用そうだもんね。勉強もできるし運動もできる」
「そこそこ、だけどね」
苦笑すると、嵐士は息を吐いた。
「俺のは、そんな偉いものじゃない。俺は……やらないと不安で……だから、頑張るしかなかっただけだよ」
「おまえ、ほんとすごいな」
「なんで」
「頑張るだけでもすごいのに、そうやって自己分析してる。こうやって結果まで残して……結果が残らないことのほうが多いだろ? 不安じゃなかった?」
「賞を取りたくて書いてたわけじゃないから。取れたらいいな、とは思ってたけどね。主に――――賞金と、印税目当てで」
悪戯っぽい笑みに、胸の奥がずぐずぐする。
「金かー」
「母さんと離れたくなかったんだよ。お金さえあればどうとでもできると思って」
「、」
一瞬動揺してしまったのを覚ったのか、嵐士が探るようにこちらを見る。
「……引く?」
「引かない」
急に、自分のことが恥ずかしくなった。
いつもなにかに必死になりたくなくて、流されるままに生きている自分が。
同時に、嵐士のことが羨ましくなった。
そうやって、一心に誰かを思い続けていられる、嵐士のことが。
「やっぱり、嵐士はすごい」
「俺からしたら、悠斗のほうこそ、すごいと思う」
小声で、言う。
「小説書いてるって言ったら、もっと、笑ったり馬鹿にされたりするかと思ってた」
「なんで? すげーって思うけど、馬鹿にする理由ないじゃん」
「昔、そういうことがあったんだよ。学校で……小学校のときにね。それで、人間嫌いになった。特に陽キャっぽいひとたち」
「………………」
「でもたぶん、そいつらってただの性格悪い奴らだったんだよね。いまならわかる。悠斗は、全然違う」
「違う、かな」
「違うよ。悠斗は、本当にいい奴だ。明るくて、素直で、気持ちよくて。……谷町の言ってたこと、すごくよくわかる」
「谷町って……ヒメ? なんかあった?」
「あ、いや。なんでもない」
慌てて言う姿に、なんだかもやもやした。
ヒメは、嵐士の小説のファンだ。
もしかして、どこかで、なにか話をしたのだろうか。
ふたりで?
「……ヒメさ、おまえのファンだって」
「言ってたね」
「どう?」
「どうって……」
「身近にいるファン、気にならない? もう話した?」
「俺は女子と話すのも怖いです。一年から同じクラスだったけど、谷町のことなんも知らないし。たぶんほぼ話したことないよ」
本当に興味なさそうに言うじゃん。
ほっと息を吐くと、今度は嵐士のほうから聞いてきた。
「もしかして悠斗、谷町のこと好き?」
「え、なんで」
「なんか、気にしてるみたいだから」
「いや、俺が気にしてるのはヒメじゃなくて――――」
ヒメじゃなくて?
あれ、なんか、変じゃない?
「谷町じゃなくて?」
「あー……ほら、嵐士の、小説の進み具合だよ。ファンの意見欲しくない?」
「それはいらない」
やっぱり、きっぱりと言い切る。
嵐士の中にはしっかりとした自分の芯があって、だからぶれないんだ。
それが俺にはすごくかっこよく見える。
「……なに」
「俺の兄貴は恰好いいと思って」
「鏡見てから言ってよ」
「えー?」
「悠斗、いま彼女いる?」
「は?」
突然だな。
「いないけど……」
「でもいたことくらいあるよね? すごくモテるし。この間も告白されたって話してたよね」
「よく聞いてんね」
驚いて言うと、嵐士はさっと目を逸らす。
「森の声が大きいから聞こえた」
「ああ、シュンね。確かにでかいか」
身体はちっこくて可愛い系だけど、それを補うように声と動作が大きいのがシュンだ。まあ、それも魅力なのだけど。
面白いのは、でかいマコがまるでそれに噛み合うように、物静かで動作もゆっくりなところ。ほんと、いいコンビだと思う。
「で、俺に彼女がいなくて、それが?」
嵐士は姿勢を正して、真剣に語り始める。
「いま詰まってる話、ホラーだけど恋愛小説で行きたいって言われてるんだよ。それで、やってみてるんだけどなかなか上手くいかなくて、悩んでた」
「ああ、さっきのやつ? 恋人のどっちが死ぬか、みたいな」
「うん。恋人っぽくない。淡々としすぎって編集さんから言われちゃって……もう少し、感情を揺さぶられるみたいに! って」
「なんか、難しそう」
「うん。怖いのは書けるけど、恋愛で感情揺さぶるって、なに? みたいな。本当に、正直書ける気がしない。なんで受けちゃったんだろう……」
出版のことはよくわからないけど、どうやら依頼されて書いているらしい。そうやって内容も指定されるんだ。
「断れないの? やっぱホラー一本で! って」
「できるかもしれないけど……受けたからには、本当に無理になるまでは頑張ってみたい」
やっぱすごいなこいつ。
「じゃあ小説のために彼女が欲しいから、誰か紹介してくれってこと?」
「えっ! や! ちが!」
冗談で言ったのに、本気で焦っているのが面白い。
からかわれたことに気づいたのか、嵐士はため息を吐いて続けた。
「そうじゃなくて、暗中模索っていうか、恋人同士ってどういうことするのかわからなくて……」
「うんうん」
にやにやする俺に、嵐士は真剣な様子で爆弾発言を落とした。
「悠斗が……俺に、『恋人』を教えてくれない?」
「………………はあ!?」
