話したこともないクラスメイトが、兄になりました。




 父さんたちが旅立った日。

 クラスメイトとのふたり暮らし……もとい、はじめての兄弟だけのお留守番をすることになり、最初にしたのは友人たちへの事情説明だった。
 とはいえ、嵐士の頼みの件もあるので、ざっくりと。

「俺さ、今日から、放課後とかしばらく遊べないかも」

 言うと、シュンの手から食べかけのパンが落ちた。運動神経抜群のマコがそれをさっとキャッチする。けど、シュンはそれどころでないらしい。

「もしかしてゆーくんまで塾!? ヤダーッ!」

 と、泣きつくみたいにして、抱きついてくる。
 早とちりするのはシュンの特技みたいなものだ。

「違うって。親がしばらくいないから、家事とか色々自分たちでしないといけねーの」
「あーなるほど、おうちのことね。俺はてっきりゆーくんが勉強に本気になっちゃったのかと! ……いや待てよ? ゆーくんがもっと成績アップして俺に勉強教えてくれたら完璧じゃない?」
「教えるとか苦手なんだってば。授業聞いてたらまあまあわかるだろ?」
「それでわかってたらなあ! 毎回親から怒られなくてすむの!」

 ぷんぷん、と怒って見せる。
 昼休みの教室にはまあまあな人数が残っていて、女子たちがちらちらこっちを見て(かわいい♡)と囁き合っていた。うん。同感。

「というか、家に他に誰かいんの?」
「え?」

 シュンの手にパンを持たせながら、マコが聞いてくる。

「俺らって言ってた。悠斗、兄弟いなかったよな」
「あー……親、再婚したんだよね。いま一緒に住んでるんだけど、新婚旅行に行くから子どもは置いてけぼり」
「へえ。……兄貴? 弟?」
「待って。お姉様の可能性は?」
「ないだろ」

 マコがきっぱりと言い切った。

「確かに男兄弟だけど、なんでわかった?」
「だって、マチガイがあるかもしれねーじゃん。親からしたらさ」
「きょうだいで?」
「連れ子同士は結婚もできるんだぞ」
「へー!」

 知らなかった。確かに、血は繋がってないんだもんな。

「そういうのはないよ。うちは男同士だし」
「「………………」」
「なに?」
「いや」
「なんでもなーい」
「あ、もちろん俺個人の話ね。男同士とか女同士があり得ないって言ってるんじゃなく」

 もしも、シュンやマコが同性を好きになったとしても、俺は気にしない。

「じゃあ、あっちがゆーくんのこと好きになったら?」
「えー……」

 ちらりと視線をやると、嵐士は今日もノートに向かってなにかを書いている。
 意識するようになって知ったけど、嵐士はよくそういうことをしていた。勉強熱心なのだろうか。
 というか、あいつが俺を好きになるって。
 苦手だって言い切られてるのに?

「それはない」
「え、断言?」
「ないって。そもそも、そんなに俺のこと好きになる奴いないし」

 真面目に言うと、シュンは困ったように息を吐く。

「ゆーくん、もっと自分の人気、自覚して?」
「どういう意味?」
「うーん……まーちゃんはどう思う?」
「俺に振るな。悠斗が困ってる」
「まこっちょ」
「変なあだ名やめろ」

 マコが怒ると、シュンはその膝に座ろうとする。
 で、マコは嫌がるけど結局座られる。……もしかして兄弟ってこんな感じだろうか。
 嵐士の膝に座ってみたら、あいつはどんな反応をするだろう。
 嫌がるか、驚くか……いまいち想像がつかない。
 あの夜はよく喋ったけど、相変わらず俺が帰宅する時間には部屋に閉じこもっていて、顔も合わせないし。
 部屋でも勉強してんのかな。

「あ、そうそう。それで思い出したんだけどさ、ゆーくん、こないだの女の子はどうなった?」
「なにが?」
「なにって。金曜、校門のとこで待たれてたじゃん」
「ああ……」

 そういえばそんなこともあった。
 他校の女の子が待ってくれてて、マコとシュンはその子の友だちの女の子たちとどっか行っちゃって。

「話したいって言われたから、バイトの時間まで遊んだ」
「で?」
「で? って?」
「告白されたんでしょ?」
「されたけど、断ったよ。知らない子だったし」
「出たよ。可愛い子だったのにさー!」
「舜佑、声がでかい」
「見た目はどうでもいいだろ。それに俺、べつにいま彼女欲しくないし」
「じゃ、彼氏は?」
「舜佑」
「なんもいらないって。マコとシュンがいれば楽しいし」

 わりと本心から言うけど、恋愛話が大好きなシュンは疑いの眼差しを向けてくる。
 マコはそもそもそういうことには興味がないらしい。その点では、俺はマコの存在がありがたい。
 誰かひとりを特別に好きになるなんて、そんな……。

「………………」

 嫌なことを思い出しそうになって首を振る。

「悠斗? どうした?」
「どっかかゆい?」
「夕飯なんだろーって思ってた」
「なんじゃそりゃ!」

 シュンが呆れたように笑う。
 マコは軽く首を傾げる。
 そうしているうちに、わりと話したり遊んだりする女子グループがやってきて、それでこの話は終わった。

「森、こんどカラオケ来てよ。ほなみの友だちがね、森のこと紹介してーって」
「おっけー。いーよ。あ、ミカっちいい髪色してんね!」
「でしょでしょ。昨日直したばっか。やっぱ森はわかってんな」
「家倉と五十嵐も来る?」
「舜佑が行くなら行く」
「っていうか、俺らオマケ?」
「だって五十嵐すぐバイトって言うじゃん」
「すぐっていうか、あるんだから仕方なくない?」
「あ、じゃあじゃあカラオケ行く前にゆーくんのコンビニで買い物とかは?」
「俺が遊びたくなるやつじゃんー」

 やや大袈裟に嘆くと、みんなが笑う。
 うん。やっぱり俺は友だちたちがいればいい。
 なにかに必死になるなんて。
 特別な誰かに執着するなんて。
 そんな怖いことは、もうしたくない。






「ただいまー……」

 バイト終わりの夜、二十時すぎ。いよいよ今夜から嵐士とふたりきりだ。
 小さくただいまを言うけど、返事はない。
 まあ嵐士はいつも部屋にこもってるから、同時に帰ってきた日みたいに、ちょうどそこにいなければわざわざ言いに出てくることもない。
 ない、けど、今日からふたりなんだし、部屋の外にいるかと思ってたんだけど……。
 まあいいか。

 部屋に鞄を置いて、制服の上を脱いでリビングに向かう。久々にどっちの親もいないので、手も洗わずソファーに座ってテレビをつけた。
 適当にチャンネルを変えて、お笑い多めのバラエティー番組を選ぶ。

 と、リモコンを置こうとしたところで、テーブルの上のノートが目についた。

 目が痛いほどのぱっきりとしたオレンジ色の表紙で、分厚い。一瞬本かと思ったけどやっぱりノートのようだ。中にメモかなにかたくさん挟まっているようで、ぱんぱんに膨らんでいる。

 嵐士のかな。こういうイメージないけど。
 そういえばいつも学校で書き物をしていることを思い出し、なんとなく手に取る……と。

「あっ」

 やばい! と思ったときには、挟まっていた紙がばさばさと何枚も床に落ちてしまった。

「うわーまじごめん……」

 慌てて拾い集めようとして、思わず手が止まる。

「……なんだよ、これ」

 床に散らばっていたのは、いまいち読めない、書きなぐりのようなメモ。それに、髪の長い女とか、真っ黒な人影だとかの絵。そして――――。

「これ……お札?」

 漫画とかで見るような、お札としか思えない紙だった。
 ほら、あの、悪霊退散的な。
 ………………。

 心臓がバクバクうるさい。

 見なかったことにしてしまいたいけど、これをノートに挟むにはノートを開く必要があって。でも、開いたらなにかよくないものが飛び出してきそうで、身体が動かない。
 そんなふうになっていると、背後で突然、ふわりと温かな空気が動いた。

「おかえり」
「おわっ」

 いきなり真後ろから声を掛けられて、心臓が口から出そうになる。
 振り返ると、髪がもさもさで背の高い男がぬうと立っていて、それでまたちょっと驚いてしまう。

「び、びびった。気配消すのは学校だけにしろよ」
「消してない。いつもより早いね。いま帰ってきた? 髪乾かしてたから気づかなかった」
「ああ、だからいつにも増してもっさもさなわけね」
「そう?」

 言いながら、髪を掻き上げる。
 羊みたいで柔らかそー……。
 眼鏡もないから本当に雰囲気が違う。家の中では掛けたり掛けなかったりらしい。
 嵐士は髪を邪魔そうにまとめて、息を吐いた。

「それ、見た?」
「あ……」
「返して」

 差し出された手にノートと紙を載せる。
 それ、なに? 聞きたいけど、聞くなと嵐士の表情が伝えてくる。

「……ごめん。中は見てないけど、持ったら中身が落ちちゃって」
「俺も置きっぱなしにしてたから」

 やばいものを見られたふうでもなくそう言って、嵐士はノートを抱き締めるようにする。

「………………」
「………………」

 気まずい沈黙。
 ふと、嵐士が視線をテレビに向けた。

「なんか面白いのやってる?」
「あ、いや、べつに。……音があったほうが好きなだけ」

 むしろ目的の番組がないほうがいい。
 こういう、ちゃんと見てなくても笑えるバラエティーとかが。
 小さい頃からそうしてたから。
 でもわかんないだろうな、そういうの。
 そう思ったのに、嵐士はあっさり頷いた。

「ああ、わかる。家にひとりだとね」

 え?

 顔を上げると、あいつはもう俺に背を向けていた。
 っていうか、本当にそのお札(?)はなんなんだよ!

 思わず立ち上がってついて行くと、嵐士はそのままカウンターキッチンに入る。カウンターの上にノートを載せて、冷蔵庫から銀色のボウルを取り出して、こっちを見ずに喋る。

「あと十五分でお米が炊けるから、手を洗って服を着替えてくれば。お風呂入るならそれでもいいよ」
「……夜森、まじでお母さんっぽい。それ、なに?」
「生姜焼き。味噌汁はもう作ってある」
「すぐ入ってくるから」

 もろに食欲を刺激されて、あと、やっぱりちょっと逃げたくて、風呂場に飛び込んだ。
 濡れたタイルは、まだほんのり温かい。嵐士が使ったばかりだからだ。

 頭からシャワーを浴びていると、あの気味の悪い絵とか、オレンジ色のノートとか、お札とか、それから、テレビに視線を向けたときの嵐士の顔だとか、キッチンに立つ姿だとかを思い出してしまう。
 ほんとになんだったんだよ、あれは。
 あんなのを見てしまったせいで、背後が気になるような……いやいや、やめよう。

 ――――あいつ、「わかる」って言ったな。

『ああ、わかる。家にひとりだとね』

「………………」

 料理を作っていた嵐士。
 いつも部屋にこもっている嵐士。
 俺の気持ちが、わかると言った嵐士。
 あっちの母子は……嵐士は……どういう暮らしをしていたんだろう。





「めっちゃ美味かった! ごちそうさまでした!」

 心の底から言うと、嵐士はほっと息を吐いた。

「なら、よかった……」

 夕食は、豚の生姜焼きと、ごはん、きゃべつとえのきの味噌汁。常備菜、とかいう、ひじきの煮たやつ。どれもめちゃくちゃ美味しかった!
 そしていままで食べていた香穂里さんの料理(と思い込んでいたもの)と同じ味だった。
 本当に、いつもこいつが作ってたんだな……。

「俺、この生姜焼き好きなんだよ。前も作ってくれたろ?」
「……うん」
「また作って」
「わかった」

 嵐士は真面目な顔で頷く。
 風呂から上がるとあのノートは姿を消していて、だから俺もあれのことは忘れることにした。なにも見てない。うんうん。

「夜森ってうちに来る前からめし作ってた? 料理好きなのか?」

 食器を運びながら問うと、洗い物もするつもりなのか、嵐士は腕まくりをしつつ頷いた。

「うちの母さん、夜勤多かったから」
「ああ、看護師さんだもんな」
「……というかね、俺を育てるためにだと思うんだけど。夜勤は手当てもつくから、増やしてたんだと思う」
「………………」
「夜勤ってやっぱり疲れるらしくてさ。子どもながらに手伝ったほうがいいんだろうなって思ってて。なにが一番大変? って聞いたとき、料理って言われたから、できるようになって役に立ちたかったんだよ」
「……すごいな、おまえ」
「べつに……仕方なくみたいなものだよ」

 って言うけど、本当にすごいと思う。
 子どもなのにしっかり考えてたんだ。

「俺は、家のこと、掃除とかはしてたけど……父さんは全然家にいなかったから、ひとり暮らしだーとか呑気に考えてた」

 嵐士が洗い物を始めようとするのを制して、ふたりぶんの食器を洗う。
 調理器具は、作りながら洗ったらしい。やっぱりすごい。

「五十嵐は、じゃあひとりのとき、ごはんはどうしてたの?」
「んー……最初の頃はコンビニだったかな。買いだめしてもらってて……お手伝いさんみたいなひとが来てた時期もあるけど、ここ数年は冷凍の宅食。チンするだけで食えんの。昼は給食あったし、いまは購買あるし」

 手についた水をぴっぴっと切って、タオルで拭く。
 嵐士が麦茶をコップに注いだので、なんとなくそのままふたりでダイニングテーブルに戻った。
 ソファーのほうでテレビはまだついていて、夜のワイドショーに変わっている。
 嵐士はそれをぼんやりと見つめて、小さく呟く。

「そういえば、この家に来たとき、包丁がなかった……」
「ああ、それは俺のせい。俺が一回足を切ってから、父さんが全部処分したんだよ」
「足? 包丁で?」
「うん。まだ痕残ってるけど見る?」
「見る」

 片足を抱えるようにして座面に置くと、嵐士は素早く近寄ってきた。しゃがんで、俺の左足の甲を見る。うっすらと白い筋になった傷痕。

「……ここ?」
「うん」

 するり、とそこに指が滑る。
 驚くほど優しい触りかたがくすぐったくて、なんだか落ち着かない気分になった。

「小学生のときにさ、落としちゃって。ここに刺さったんだ」
「……大丈夫だったの?」
「血はすげー出たけど。自分で救急車呼んで、でもなんか縫わなかったな。でかい絆創膏貼ってもらった気がする」

 衝撃的過ぎて、あまり大変だった気もしていない。
 大変だったのはたぶん父親のほうで、包丁はすべて処分され、先の丸いハサミ以外の刃物を禁止されて、解禁されないままいまに至る。

「……なんか、五十嵐って……」
「変わってる?」
「………………」

 俺に言わせれば、おまえのほうが変わってると思う。
 でも、たぶん、俺たちはなにか似てるところもある。
 だっていま、一緒にいて楽だって思ってしまってる。

「……なあ」
「なに」
「さっきの、お札? とかって、なに」
「………………」

 聞いてしまった。
 だって、この先もずっと兄弟としてやっていくなら、やっぱり知らないふりするのは気持ち悪いし。

 嵐士はたっぷりと沈黙したあと、なにかを振り切るように息を吐いた。
 しゃがんだままでこちらを見る。

「五十嵐って、ホラー平気? ちょいグロ」
「ええ……? あー、あの、急にでかい音出して画面いっぱいに出てくるとかは、ちょっと嫌い」
「ジャンプスケア?」
「って言うんだ?」
「うん」

 ちょっと待ってて、と言い置いて、嵐士は自分の部屋へと向かった。かと思えば例の派手な色のノートを抱えて戻ってくる。

 嵐士はそれをテーブルの上に置いて、適当なページを開いた。中にも、色々と文字が書いてある。
 文字というか、なにかを纏めてるみたいな?

 なんらかの絵だったり、地図、間取りとか。被害者、とか……。
 え。こわ。
 まさか、うちに幽霊が憑りついてるとか言わないよな?

 嵐士は重々しく口を開いた。

「本当は、いつかバレるまで黙ってるつもりだったんだけど」
「ハイ……」
「これ、俺のアイデアノート」
「……アイデアノート?」
「俺さ、小説……書いてるんだ」
「小説、書いてる……――――え、すご!!」

 なにを言われたか一瞬わからなかった。
 その言葉はそれくらい、俺には馴染みのないものだったから。

「小説って、あの小説? 図書室とかにある?」
「まあ、うん。俺のはホラー小説なんだけど」
「へええ! 小説って自分で書けるもんなの?」

 思わず身を乗り出して聞くと、嵐士はちょっと仰け反った。

「書くだけだよ……」
「いやいや、だけじゃないだろ」

 図書室の本とか国語の教科書の一節を思い出す。あんな量を書くの、考えただけでしんどいもん。
 もし書けって言われても、高すぎる建物を下から見上げたときみたいな、どうすればいいのかわからない感じがする。

「そうなんだ。すごいな、夜森。ってことはそれ、小説のアイデアなんだ。お札とか」
「うん。本物じゃないけど、禍々しいよね」
「まがまがしい」

 言葉の感じが可笑しくて笑うと、嵐士もふっと頬を緩めた。

「今日は、五十嵐が思ったより早く帰ってきたから、すごく焦った。見られたし。……どうしようかと」
「勝手に触ってごめん」
「いいよ。弟の手の届くところに置いといた俺も悪い」
「……弟?」
「うん?」
「俺が弟?」
「うん。知らなかった?」
「え、冗談でなく?」
「本当だよ」

 そういえば、兄弟だったら、兄と弟がいるはずなのか。

「でも、同い年で同学年だから、決めなくていい気もするんだけど」
「決めるとかじゃなくて。双子で同じ日に生まれても兄と弟はあるものでしょ。しかも俺は四月生まれ。五十嵐は十一月だよね」
「そう。知ってたんだ」
「お父さんから聞いた。俺があと少し早く生まれてたら、学年も違ってたよ」
「えー……」

 そう言われると、なんだか年上に見つめられているような気分になる。実際、四月生まれならいまはあっちがひとつ上だ。そんなのはクラスの中にいくらでもいる年の差なんだけど。

「じゃあ、兄貴」
「……まあ、同い年だし、いいよ名前で」
「嵐士」
「えっ」

 嵐士が目を丸くする。
 そんな顔、初めて見た。

「あ、ごめん。そういう意味じゃなかったか」
「いや、いいけど……下の名前でも。呼びやすいほうで」
「んじゃ、俺のことも名前で呼んで? 嵐士は知らないかもしれないけど、この家、五十嵐が三人いるから」

 ふざけて言うと、嵐士はちいさく笑う。

「わかった」
「俺の名前知ってる?」
「知ってるよ」
「呼んで」

 嵐士は少し照れたようにして、それから、やや笑い含みに囁いた。

「悠斗」
「………………」
「ちょっと、なんでそっち向くの」
「や、なんか……兄弟になったんだなーって、いまさら思った」

 これからは、家に帰ればこいつがいる。
 ひとりじゃない。

 クラスメイトで、同級生で、それで、兄貴。
 やばい。なんか、泣きそうかも。
 いままでずっと平気だったのに。

「悠斗?」
「……俺の兄貴は四月生まれで、料理が得意で、趣味は小説を書くこと」
「うん」
「どっかで読めたりしないの? 俺、読んでみたい。嵐士の書いた話」

 ねだってから、ハッとする。

「小説だったら、急にでかい音がしたりとか、しないよな?」
「しない。怖すぎる挿絵もない。……俺基準では」
「じゃあ読みたい。弟からのお願い!」

 もう一度ねだると、嵐士は焦らすように黙って、また部屋に戻った。
 で、またすぐに帰ってくる。手には黒い本を持って。
 そしてそれを俺に差し出してくる。

「これ、どうぞ」
「これ?」
「俺が書いた小説」
「えっ? これが?」

 普通に、本屋に売っているような本に見えるけど……。
 いかにもホラー! という感じの表紙に、タイトル。作者名は、家守(いえもり)凪(なぎ)……いえもり……やもり?

 嵐士は、軽く肩を竦めた。
 なんでもなさそうな仕草なのに、顔は真っ赤だ。

「俺、一応プロ作家なんだ」





「あれ、五十嵐が小説読んでる。珍し!」
「うわーマジだ」

 マコたちが購買に行っている間に借りた本を広げていると、いつもの女子グループから絡まれた。
 絡まれたっていうか、まあ仲いいんだけど。

 同じクラスのミカちゃんとほなみ、みちるちゃんとヒメ。この四人はよくつるんでいて、俺たちともたまに遊ぶ。
 好きだとか付き合おうとかがなくて済む、貴重な女子たちだ。

「俺だって本くらい読みますよー」

 しおりの紐(なんて便利なんだろう!)を挟んで本を閉じると、ミカちゃんがゲッという顔をした。

「これ怖いやつじゃん!」
「あー、有名なやつ」
「有名なの?」
「知らないで読んでた? めっちゃ怖いんだって。ネットで話題になってた。なんか賞取ったやつでしょ。なんだっけ?」
「ほら、ネット小説の新人賞だよー。怖いでしょ」

 え、そうなんだ。
 賞までとってたとは……。

「まだ読み始めたばっかりだからさ」

 いまのところ、怖いより面白いが強い。
 あまり想像力が豊かじゃないからかもしれないけど。

「っていうかなんで突然本?」
「読みたいって言ったら貸してくれた」
「誰だよ王子にホラー貸したの」
「王子はやめてって」
「ごめんごめん」

 やんわり言うと、女子たちは俺の机に飴玉を降らせて、いなくなった。女の子って、どうしてこんなにいつもお菓子をくれるんだろう。

「ねえ、」
「うん?」

 と、ひとりで戻ってきたのは谷町(たにまち)日芽香(ひめか)――ヒメだ。
 黒髪ロングのストレート。可愛い感じで、四人の中ではそこまで俺と話したりしない、おとなしめの子。

「その本さ、五十嵐に貸したひと、作者のファンだったりする?」
「え、どうだろ……ファン、ではないかも」
「そっかあ……」
「なんで?」
「あのね、私その作者めっちゃ好きなのね。投稿時代から読んでて、だからファンだったら語りたいなーって」
「そんなに有名なの?」
「めちゃ有名! ネット小説読んでて、ホラーをシャットアウトしてなかったらみんな知ってるよ!」

 そんなに有名なんだ……。
 やっぱすごいな、あいつ。

「でも、だったらネットにいるんじゃない? ファンくらい」
「そりゃたくさんいるけど! でも、リアルで話して盛り上がりたいの! 同じくらいの歳のひとと!」
「そういうもの?」
「そういうもの! 五十嵐もちょっとはオタク心わかってよー」

 オタクなんだ。いままで知らなかったな、こういう子だって。

「ヒメって面白いね」

 笑って言うと、思い切り顔を顰められた。

「やめて。好きになりそう」
「えー?」
「グミあげる。本に落とさないでね」

 手を出すと、ハート型の、砂糖たっぷりのすっぱいグミをもらってしまった。口に入れると、頬の内側がきゅーっと痺れる感じがする。

 嵐士のほうを見ると、いつもと違って完璧に机に伏せてしまっている。
 耳が赤くなっているところからして、こちらの話が聞こえていたのだろう。
 まさかヒメも作者がすぐそこにいるなんて思わないだろうなあ。

 笑ってしまうと、その気配に気づいたのか、顔を上げた男に睨まれる。顔まで赤い。
 その姿は、昨日この本を貸してくれたときとよく似ていた。

 ホラー小説家・家守凪。――――それが俺の兄弟の、もうひとつの顔だ。

 昨日は本当に驚いた。
 趣味で書いてるだけでもすごいのに、まさか現役高校生でプロ作家なんて。
 だからいつもなにか書いてたんだな……。

 少しだけページをめくる。
 自分ではあまり読み返さないのか、本は限りなく新品に近く見えた。
 学校に持ってくるにはでかいんだけど、家で読むのはあっちが嫌がったんだよね。恥ずかしいらしくて。
 でも実際、いまはどう思っているやら。

「あー、おもしろ……」

 思わず呟くのと同時に、声を掛けられた。

「なにが面白いって?」
「マコ」
「なに見てたんだ?」
「あ、なにも見てない。面白いのは本ね」

 ふうん、とマコは頷く。危ない危ない。

「ヒメがさ、この本好きなんだって。なんか有名なホラーらしい」
「へえー。なんか女子ってホラー好きだよねー」
「というか、流行りに敏感なんじゃないか?」
「ああ、そうかも」

 マコも、遅れて戻ってきたシュンも、小説には興味がないらしく、この本のことも知らないらしい。

「その本、兄弟に借りたんでしょー? 仲良くしてるんだ」
「ん、まあそれなりに」

 仲いい、よな。たぶん。
 この調子だと、帰ってきた親たちが驚くかもしれない。
 購買か自販にでも行くのか、嵐士が目の前を横切った。

 一瞬、目が合う。

 その背中がまんまるで、家にいるときより、というかいままでよりも猫背なことに気づいて、笑いをこらえるのが大変だった。

 そんなふうにして、ふたり暮らし一週間目は過ぎて行った。