話したこともないクラスメイトが、兄になりました。




「悠斗も嵐士くんも。まあ、落ち着いて」

 落ち着いてられるか。

「だって、一か月って……」
 俺は半ば呆然として、まず気になったことを尋ねた。

「すぐ行くの?」
「来週から」
「はや! なんでそんな急?」

 父さんはコホンと咳払いする。

「それが、本当は父さんの同僚が予約していたんだけど、都合が悪くなってな。でもなかなか取れないツアーだからキャンセルするのは勿体ないって父さんに声をかけてくれたんだ」
「父さんたちが新婚だから?」
「ああ」
「ふうん……」

 もしかしたら、父さんも断りにくい相手からの提案なのかもしれない。
 父さんは二年前に倒れてから、それまで働いていた会社を辞めた。その後転職した外資系の企業はいままでと色々違うらしい。給料はいいし仕事は裁量制だからかなり柔軟な働き方ができる……とは聞いてるけど。でもやっぱり働くというのは多かれ少なかれ人間関係が重要だ、とも言っていた。

 ……いや、この様子はだと、普通に乗り気にしか見えないけども。

「父さんたち、仕事は?」
「父さんの仕事はいざとなったら船の上でもできるし、去年使ってないバカンス休暇を使えと言われてるところだったんだ。来週からなら香穂里さんがちょうど有給休暇の消化もあるし、いましかない! と思ってな」
「あー……」

 香穂里さんは看護師さんなのだけど、元々勤めている病院はうちからだと通うのが大変な場所にあるらしく、近々駅前の病院に転職すると聞いている。
 ちなみに、このふたりの出会いは父さんが倒れて入院したときだ。

「でもね」

 と、香穂里さんが身を乗り出してくる。

「ふたりともしっかりしてるけど、やっぱりそんなに長期間、高校生だけにするのはよくないとも思っていて……」
「ああ、まあそれは大丈夫なんじゃないっすかね」
「え?」
「このマンション、セキュリティもしっかりしてるし、この辺治安いいし。すぐそこに警察署があるからかな?」

 親が一か月程度親が帰ってこないからって、それ自体はいい。父さんが転職する前とあまり変わらない気がする。
 問題は、その一か月はひとりで過ごす一か月じゃなくて、ふたりで過ごす……というところなのだ。……けど。

「行ってきなよ、ふたりで」
「悠斗」
「ハネムーンでしょ。折角休めるなら、ふたりで世界一周してくれば? 俺らは大丈夫だし。なあ?」

 つつくと、嵐士は弾かれたように顔を上げた。

「は、え?」
「ふたりで大丈夫だろ?」
「大丈夫、だけど……」
「悠斗くん、本当にいいの?」
「大丈夫っすよ。親いないからって友だち呼んで夜な夜な騒いだりとかしないんで、安心してください。あ、飯代は、欲しいけど」
「そりゃあもちろん……」
「おっけー。じゃあ、楽しんできてよ」

 とだめ押しに笑えば、結局ふたりは頷いて「たくさんお土産買ってくるから」と約束した。





「あのさ……」

 珍しく嵐士のほうから呼び止められたのは、旅行話のあと、自分の部屋に戻ろうとしているタイミングだった。

「なに?」
「なんでふたりで行けって言ったの?」
「なんでって……」

 嵐士はいつも猫背気味だけど、今日は珍しく真っすぐ立っている。眼鏡をしてないからか、緊張しているのがもろに伝わってきて、俺は頭を掻いた。
 渋ってる気配はあったけど、そんなに嫌だったのか?
 だったら言えばよかったのに……まあ言えない雰囲気にしたのは俺か。
 どっちにしろ、親に聞かせたい感じはしない。

「入れば」

 ドアを開けて促すと、嵐士は案外素直に俺の部屋に入った。

「ふたりで行かせたら駄目だった?」
「駄目じゃないけど」
「もしかして一緒に行きたかった?」
「それはないけど……」

 なんだか歯切れが悪い。それに、そわそわしていて落ち着きがない……のは、いつものことか。
 椅子に座って腕を組む。嵐士はドアの前に立っている。座れば? とベッドを示しても動かなかった。しかたないな。

「……うちの父親さ、前に倒れちゃったんだけど、それまで仕事三昧で滅多に家にいなかったんだよ。本当に仕事が生きがいって感じで……だから、旅行したいとかそういうこと言うの、すげえ珍しいの。行かせてあげたいじゃん」

 香穂里さんと出会ってからも、遠出したりはしてないらしいから、なおさらだ。行きたいときに行くのが一番いい。

「俺らも高校生だし。一か月も置いてって問題ないって判断されたってことは、信頼されてるってことじゃない?」
「……うん」
「だろ? 心配なのはめしかな~俺、料理できないし。でもまあ、なんとかなるでしょ。子どもじゃないんだし」

 この半月、香穂里さんの手料理に慣れてしまった舌には、コンビニの弁当や総菜は味気ないだろうけど。

「で、夜森の心配はなに?」
「俺は……」

 嵐士はすごく言い淀んで、悩んで、それから、顔を背けて言った。

「五十嵐は、一か月、俺とふたりで平気?」
「え、なんで?」

 なにを言うのかと思えば。

「べつに嫌なことないけど。つーか元々一緒に住んでんだし」
「俺のこと嫌いじゃないの」
「ふつーだよ」

 あっさり言うと、嵐士は唇をむにゅむにゅ動かす。それから、小さく息を吐いた。

「五十嵐って……変わってる」
「そう? なんで?」
「あんなこと言ったから、もう嫌われてるかと」
「あんな?」
「兄弟だって知られたくないって」
「ああ、まあ言われたときはムカついたけど……でも夜森がそう思ってるなら仕方なくない?」

 嵐士は首を傾げる。

「そういうところが、なんか……変っていうか……」
「変? 俺?」

 こくん、と頷いた。それで落ちてきた髪を邪魔そうにはらって、じっとこちらを見る。――――あ。少し垂れ目なんだ、こいつ。

「五十嵐、無理してない?」
「え?」
「五十嵐って、自分の意見を通すことがないよね。いまの話も、今日も。……再婚のときも、なにも言わなかったって聞いた」

 咄嗟に、返事ができない。

「いや、だって親がしたいって言ってたしさ」
「親が言ったからこそ、俺は一回渋ったよ。親だけのことじゃないから。母さんに彼氏がいるのは知ってたし、楽しそうにしてるからいいひとなんだろうとも思ってた。……でも、生活が変わるのは不安だったし、相手の家にお邪魔することになるって言われたし。それにいままでひとりだったのに、突然兄弟ができるのも……そっちは違った?」
「えー……そりゃ、不安はあったけど、でも仕方ないし」

 嵐士はなにか言いたそうに口を開いて、でも一回閉じた。それから、今度は大きく息を吸う。

「もしかして、流されやすいタイプ?」
「ああ、そうかも」

 頷きつつ、俺は嵐士が言いたそうにした中身を気にしていた。絶対、「流されやすいタイプ?」じゃない言葉を言いそうになったはずだ。
 たぶん、文句的な。
 もやもやする。こいつはなにが言いたいんだろう。
 ちょっと嫌でも、不安でも、俺が我慢すればまるくおさまる。世の中には、そういうことがたくさんある。我を通すよりそっちのほうが楽ってだけだ。

 それに……わがままを言うのも、自分の意見を通すために頑張るのも……なんか、恥ずかしい。
 相手がひとでもモノでも環境でも、なにかひとつのものに必死になるのは、恥ずかしい。
 けして口には出さないけれど。
 そういう思いが、俺の中には深く深く、根を張ってる。

「確かに俺には主体性がないけど、それで嫌なことないからよくない?」

 あえて挑発するように言うと、嵐士は初めて会ったあの日のように目を細めた。そうすると、長身と体格もあって、少し威圧感が出る。
「……っていうかさ、夜森はいまも文句あんじゃないの? 名字、変えないことにしたんだろ?」
「変えてないけど……」
「理由があるから変えてないんじゃないの?」

 香穂里さんは父さんの籍に入ったから、苗字が五十嵐に変わった。でも、嵐士はその手続きをしないで、夜森のままだ。
 もちそんそれは嵐士の自由だ。手続きも面倒くさいらしいし。でも、親たちはちょっと変えたい雰囲気があったから、俺だったらさっさと変えてると思う。

「もしかして、俺と兄弟だってバレるから?」
「いや……そうじゃなくて……それも少しあるけど……」
「けど?」

 そのまましばらく見つめ合い……というかほとんど睨み合ってから、嵐士は小さく言った。

「……五十嵐嵐士になるから」
「え?」
「五十嵐嵐士。苗字と名前が被る。前後も似てる」
「え? あ、ほんとだ! ダブル嵐! すっご!」
「………………」
「逆にかっこよくない?」
「ない」

 ぷいと顔を逸らしてしまう。
 横を向いているから、唇がツンと尖っているのがよくわかった。拗ねてるのか、恥ずかしいのかも。
 その表情に、じわ、と胸の奥が熱くなる。
 こいつ、案外可愛いところあるじゃん。
 それに気づいた瞬間、芽を出したのは小さな欲求だった。

 もっと、知りたい。
 この、俺の、兄弟のことを。

「夜森が俺と兄弟だってバレたくないの、俺のことが嫌いだから?」
「え」
「あ、っていうかもしかして、新婚旅行に渋ってんの、嫌いな俺とふたりっきりになるからとか?」

 茶化すように問うと、嵐士はぴんと背筋を伸ばした。
 真っすぐにこっちを見る。

「嫌いじゃない」

 と、はっきり言う。

「嫌いじゃない、五十嵐のこと」

 その思いのほか真剣な様子に、俺のほうが戸惑ってしまう。

「あ、そ、そう?」
「嫌いじゃない。……苦手だったけど」
「え、そうだったんだ?」

 接点のなかった相手からそう思われていたことにちょっと傷ついていると、嵐士は首を横に振る。もさもさの髪がふわふわ揺れる。
 その髪を掻き上げる。鋭い視線に、どきっとした。

「五十嵐は悪くないよ。俺が勝手に苦手だっただけだから。……五十嵐はいつも明るくて、人付き合いよさそうで、男子とも女子とも仲良く喋ってて、裏表なさそうで……」
「褒められてる?」
「ザ・陽キャって感じして怖かった。俺ってすごい陰キャだから。だから、五十嵐と兄弟になったって知られたら騒ぎになりそうで嫌だった」
「……騒がれるのが、怖いってこと?」
「そう」

 その感覚が俺にはよくわからないんだけど。でも、本人が怖いっていうんだから、怖いんだろう。俺も恐怖映像とか微妙に苦手だし、そういう感じ?

「さっきの話は……五十嵐本人が嫌じゃないなら、いい。俺と母さんが五十嵐に無理させてたら嫌だと思っただけだから」
「……もしかしてさ、俺のこと心配してくれてんの?」

 ふいに気づいて問うと、嵐士はまた顔を逸らした。
 ああ、なんだ。
 こいつこそ、他人に興味なさそうにしてるくせに、本当はすごくひとのことを気にしてるタイプなんだ。

「そんなに気にしなくていいよ。俺は本当に気にしてない。香穂里さんの料理めっちゃ美味しいし」
「……そう?」
「うん。あ、めしが美味いからって、そのためだけに気にしてないって言ってるわけじゃないからな?」
「あれ、俺が作ってる」
「……え?」
「料理作ってるの、俺。……母さんもたまに作ってるけど」
「ええっ!?」

 まじ? と聞くと、嵐士はうんと頷いた。
 し、知らなかった。

「香穂里さんが作ってるんだと思い込んでた。……仕事忙しいのにすげーって」
「五十嵐はバイトもあるし、帰ってくる時間が遅いから。いないときに常備菜はまとめて作ったりしてるよ」
「じょーびさい」

 同級生の、しかもこんなでかい男の口から出たとは思えない言葉を繰り返すと、嵐士は小さく噴き出した。

「笑うなよー」

 恥ずかしそうに咳払いする。

「……ごめん」
「や……え、ていうかこっちがごめん。いつも美味しいごはんをありがとうございます」

 ぺこりと頭を下げると、嵐士は一気に顔をしわくちゃにした。

「やめてよ、そういうの。俺はやりたいからやってるだけだし。むしろ迷惑かもって思ってたから、喜んでくれてるならよかったよ」
「わかった。ありがとう」

 でも、だとしたら。

「じゃあふたり暮らし、全然問題ないんじゃん」

 掃除洗濯は自分でできるし、料理は嵐士。もちろんいつも通り、片づけは手伝う。
 笑って言うと、嵐士は天を仰いだ。

「楽観的だよね。俺たちはいいけど……一か月もクルーズ旅行って、絶対海外だよ」
「そっちは心配性だな」

 でもまあ確かに、まったく心配でないとは言わない。俺たちじゃなくて、親たちの心配だ。

「……夜森さ、タイタニックって映画、知ってる?」
「知ってる。あー、やめて。考えないようにしてたのに」
「ジョーズって映画……」
「あれは違うだろ」
「じゃあ……」
「やめてってば」

 こいつ、面白いじゃん。
 ちゃんと喋るし。

 両耳を塞いで嫌そうにする姿が妙に刺さって、おかしな性癖に目覚めそうだった。