話したこともないクラスメイトが、兄になりました。




「父さんな、お付き合いしている女性がいるんだ」

 父親からそう告げられたのは、去年の十二月三十一日。新年のカウントダウンが始まる直前だった。
 それからあのひとはテレビのナレーションに合わせて律儀にカウントダウンをして、新年の挨拶をしてから話を続けた。ちょっと変わったひとだ。

「悠斗がいいと言ってくれたら、再婚したいと思ってる」
「ああ、いいんじゃない?」

 頷くと、父さんはほっとした様子で笑った。

 我ながらあっさりと許可したと思うが、こだわるほどのことじゃない。そのうちこういう日が来るかも、とはずっと思っていたし。
 両親が離婚したのはもう十年以上も昔の話だ。いまさら、新しい母親はいらない、と言うほど子どもでもない。
 父さんがそうしたいのなら、したほうがいい、と普通にそう思った。
 昔から物分かりのいい子だった俺の返事に、父さんは特に違和感を覚えなかったらしい。心配してきたのは、そのあとすぐにお茶をした交際相手の女性――夜森香穂里(かほり)さんだった。

 香穂里さんは「本当にいいの?」「無理しないで」「我慢だけはだめ」とたくさん気遣ってくれて、父さんに「いいよと一度言われたからって、子どもの言うことをそうすぐに真に受けないで」とおかしなつっこみを食らわせていた。

「ねえ悠斗くん。もしも気を使ってくれているのなら、私たちのことは気にしないでいいのよ。子どもを置いてけぼりにする再婚なんか、絶対にしあわせなことにはならないんだから」
「香穂里さん、悠斗は大丈夫だよ」
「五十嵐さんはちょっと黙ってて」
「はい……」

 そのときのふたりの空気に、俺はなんとなく、このふたりの交際期間はそれなりに長いんだなと気づいた。

「俺は大丈夫ですよ」

 と言うと、ふたりは同時にこちらを見た。

「ちょっと緊張しちゃうかもだけど」

 香穂里さんは、いいひとそうだ。しっかりしてそうだし、俺のことも気遣ってくれてる。
 それに――――まあ、大学に入れば家を出るだろうなと思っていたから、なにかあっても二年の辛抱だ、なんて打算的な考えもあった。
 予想外だったのは、その日の帰り、車の中で父親から落とされた発言だった。

「あのな、あっちにも子どもがいるんだよ」
「え?」
「再婚したら、一緒に住むことになる。まだ高校生なんだ。それでもいいか?」
「あー、俺はいいけど」
「本当にか?」
「うん」

 だって、それは嫌だと言っても仕方ないことだ。
 そもそも嫌ってほどでもないし。

「何歳? 男? 女?」
「おまえと同い年の男の子だ。嵐士くん、という」
「そうなんだ、了解」

 頷くと、さすがの父さんも思うところがあったのか、視線をこちらに向けてきた。

「……本当にいいのか?」
「いいよ」
「おまえが大学に入ってから、とも思ったんだが」
「早いほうがいいんじゃない? あのひとのこと好きなんでしょ?」

 ぐぬ、と父は黙る。それから、重々しく口を開いた。

「……お母さんのところに、行きたいか?」

 勘弁してくれ。――――とは、さすがに言わなかったけど。

「行けって言うならそうするけど、もう何年も会っていないし、あっちも困るんじゃない?」
「連絡、来てないか?」
「ないよ」

 母の思い出は、幼かったあの日、家を出て行った後ろ姿で終わっている。

「……香穂里さん、いいひとそうだった。ああいうひとがお母さんならいいと思う」

 率直に言うと、父さんはやっと心の底から安堵したようだった。
 そんなやり取りからしばらく。
 新年度が始まり、二年に進級して、ばたばたしていたのが落ち着いた頃、両家の顔合わせというか、うちの父親と俺、そして香穂里さんとその息子、四人の食事会は開催された。




 ちょっと洒落た(たぶん高い)レストランで、夜の七時に待ち合わせ。
 先に到着していた俺たちを見つけて、香穂里さんが手を振ったとき、俺は彼女の隣にいる男に釘付けになった。
 俺は、というか、たぶん店内のほとんどの客が。

 小柄で可愛い系の香穂里さんとは似ても似つかない、身長180センチはあろうかという大柄な男。

 少し長めの癖っ毛を撫で付けて、整えた髪型。シンプルなシャツにパンツ。飾り気はないけど、それだけでじゅうぶんと言わんばかりの、その落ち着いた佇まい。
 キリッとした太めの眉に、細められた目。彫りが深くて、身長やがっしりめの体格も相まって、ちょっとどころでなく目立つ美形だ。

 モデル? 芸能人? などと囁かれる中を、彼は真っすぐこちらへ歩いてきた。
 俺の目の前に立って、軽く首を傾げる。マコよりでかい気がする……ということは、やっぱり180は超えてる。185はありそうだ。

「こんばんは、悠斗くん。ほら、あんたも挨拶」

 香穂里さんから、ぺし、と背中を叩かれ、彼が手を差し出した。

「夜森……嵐士です」

 握手するとは思ってなかった。
 慌ててその手を握る。少し汗ばんだ、冷たくて大きな手を。突然の緊張に、耳鳴りがした。
 縺れそうな舌を、どうにか動かす。

「俺は、五十嵐悠斗――――」

 ……うん?

「やもりあらし?」

 なんか、聞いたことあるような音な気がする。
 でも、どこで聞いたんだっけ。
 もう一度、まじまじと彼――――夜森嵐士を見る。
 けれどやっぱり見覚えはない。
 いやでも絶対どこかで聞いたことある名前だよな。
 こんな美形、一度見たら忘れないと思うんだけど。
 もしかして本当に芸能人とかだったりする?

 正方形のテーブルの、隣同士に座った父母がワインリストを開きながら話を始めた。
 俺はかなり悩んでから、右隣りの、同い年だという男に声を掛ける。

「あのさ」
「………………」
「有名人、だったりする? 名前聞いたことある気がするんだけど」

 本当に有名人だったら失礼だなと思いつつ聞くと、嵐士は少し悩む素振りを見せて、かけてもいない眼鏡を押し上げる動作をした。それから、目を逸らす。

「陽キャの一軍男子さんには知られてなくても当然です」
「はい?」
「俺、学校一の超陰キャだから」
「学校?」

 ということは。

「もしかして同じ学校? 俺と会ったことある?」

 重ねて聞くと、嵐士はグラスの水をぐいと飲んだ。濡れた唇を舐めて、こんどは顔ごと逸らす。耳に掛けられた黒髪が艶やかにうねっている。耳の先は、赤くなっていた。

「……クラスメイト、なんだけど」
「クラスメイト?」
「うん」
「誰のクラスメイト?」
「……五十嵐の」
「誰が?」
「…………俺」

 どんどん小さくなる声に、俺は戸惑うしかない。いや、ええ?

「クラスメイトって、あのクラスメイト?」
「たぶんそう」
「同級生?」
「二年一組でしょ」
「うん」

 それは、そう。そうだけど。
 俺は必死に毎日のように通っている学校、そして教室を思い浮かべていた。
 夜森……ということは、シュンより後ろの席のはずで、でも、そこの席にどんな人物が座っていたのか、男なのか女なのかも、なにも思い出せない。

「…………ごめん、わからない」

 嵐士は軽く首を竦めた。

「知ってる」
「え?」
「こっちのこと知ってたら、この話が出たときに学校で話しかけてきたはずだから。でも、目も合わなかった」
「え、じゃあ夜森は俺のこと知ってた?」
「そりゃ、目立つし」
「目立つ?」
「五十嵐は、森と家倉と三人で学年の人気トップグループだから」
「ええ?」

 確かにマコとシュンはかなりモテるけど、そして正直俺も結構女の子から声を掛けられたりはするほうだけど、そこまでか?
 というか。

「本当に同じクラスなんだ」

 嵐士は頷いて、空のグラスを持ち上げ、落ち着かなさげにそれを口元に運んだ。そしてそれが空なことに気づいて、悔しそうに軽く唇を噛む。

「あの……五十嵐に、頼みがあるんだけど」
「頼み? なに?」

 グループに入れてくれ、とか?
 というか、話したこともないクラスメイトと兄弟になるのか。どんな感じなんだろう。
 ぼんやり考えていると、嵐士がこちらに顔を寄せた。親たちに聞こえないように、囁く。

「学校では、他人のフリしてくれる? 五十嵐と兄弟になったとか、知られたくない」





 ああそうですか。そうでございますか。
 兄弟になったとか、知られたくない。そうでございますか。

 滅多に腹を立てない俺でも、さすがにあの言い方はカチンときた。
 あからさまに俺と兄弟になるのが迷惑、みたいな言い方。べつに言いふらそうとは思っていなかったけど、それでも他人のフリってなんだよ。
 むしろ積極的に声を掛けてやろうか。まるで親友、みたいな感じで。

 そう、思っていたんだけど……週明け、学校で嵐士を見て、正直、納得した。

 夜森嵐士は実在した。本当にクラスメイトで、俺と同じ教室で同じ授業を受けていた。
 が、その姿は、あのレストランで見た姿とは似ても似つかないものだった。

 撫でつけて整えていた髪は、ワックスの気配もないもさもさ。
 前髪も長くて、よく見るとふちの太い眼鏡を掛けていて、大きな身体を丸めるようにして気配を隠している。

 これがあの夜森嵐士?
 にわかには信じられなくて思わず凝視していると、目が合った。軽く顔を顰められて、その反応と、眼鏡に隠されている顔の造形に、やっぱり同一人物だ、と確信する。

『俺、学校一の超陰キャだから』

 そういえばそんなことを言っていたっけ。
 つまり嵐士は、目立つのが嫌い? 人間が苦手? ということなのか。
 あんなにきれいな顔を隠してるのも、そのためなのかも。
 こっちのこと女子人気あるとか言ってたけど、あいつこそ、あの日みたいに色々きちっとしたらかなりモテると思うんだけど。
 でもまあ本人がそうしたいと思っているなら、こっちからなにか言うことじゃないか。

 それにしても、気配消すの上手すぎだろ。
 シュンに、「あんな奴いた?」と聞いてみると、「ヤモリくん? 後ろの席だけど喋ったことないなー」とのこと。
 マコは珍しく「興味あんの?」とか聞いてきたけど、マコ自身よく知らないらしい。
「静かなやつだよな」
 とだけ言っていた。シュンがいないとほとんど喋らないマコに言われるんだから、相当だ。




 兄弟になった見知らぬクラスメイトとの出会いはまあそんな感じで、それが先月。

 そしてそれからすぐ。いまから半月ほど前、父さんと結婚し、「お母さん」となった香穂里さんは、嵐士と共にうちに越してきた。
 昔母親が使っていた空き部屋は嵐士の部屋となり、香穂里さんがいて、去年転職して家にいる時間の増えた父親は、もっと家にいる時間が増えた。

 俺はといえば……家族が増えても、あんま変わんないなーなんて思ってた。
 変わったことといえば、俺の「ただいま」や「いってきます」にたまに返事があること。それと、「おかえり」や「いってらっしゃい」を言える機会が増えたということだろうか。

 もちろん、家族の数が一挙に倍に増えたのだから、変化自体はもっとたくさんある。

 ベランダに干された洗濯物の量がすごいとか、ごみの日のごみの量が多くなったとか。冷凍の宅食じゃなくなった夕飯とか、そもそもひとりで食べることが減ったとか。
 洗濯、風呂、掃除。いろいろ。家の中に他人がいる、ということ。
 たぶん、普通ならこれにストレスを受けるんだと思う。

 でも、俺はあまり気にならなかった。
 香穂里さんはやっぱりいいひとだし、一緒に暮らすのも嫌な感じはしない。押しつけがましいところもないし、気遣いしすぎる感じもないのがいい。
 俺は持ち前の適応力の高さで、新しい母親にあっという間に馴染んでいった。

 ただし、兄弟のほうは別だ。

 嵐士は家にいる間ほとんど部屋から出てこないし、用がなければ話しかけてこない。俺もバイトだったりシュンたちと遊んでたりで家にいない時間が長いから、結果として、いまだに兄弟らしい会話はない。
 兄弟らしいってどういう感じかはわからないけど。
 仲が悪いわけじゃないけど、俺たちはとにかく接点がなかった。
 でもまあ、それで困ることもなかった。

 今日までは。






 早く帰ってこいと言った親たちは、夕食のあと俺と嵐士をリビングに集め、うやうやしく切り出した。

「あのな、急なんだが、新婚旅行に出ようかと思うんだ」
「新婚旅行……?」
「クルーズ旅行なの」

 予想外の言葉にぽかんとしていると隣の嵐士が尋ねた。

「クルーズって、どのくらい?」
「だいたい一か月かな」
「「一か月!?」」

 待って欲しい。新婚旅行ということは、当然ふたりで行くはずで。
 それが、一か月?
 もしかして、もしかしなくても……。

「「一か月こいつとふたり暮らしってこと!?」」