「えー……それは、どうかなあ」
「お願い! 一回だけでいいの。ちょっとだけ、お話しさせてくれたら……!」
「うーん」
「お願い!!」
長い黒髪がさらさら揺れる。
ふたりきりの放課後。俺の前で深々と頭を下げているのは、ヒメだ。
理由はというと……。
「お兄ちゃんに、聞いてみるだけでも!」
そう。ヒメは嵐士のことを俺に紹介してほしいと頼み込んでいるのだった。
なんでも昨日突然家守凪の新作短編がアップされたらしく、その感想をどうしても面と向かって誰かと語り合いたいらしい。
最近嵐士が書いてたのはそれか。
短編ってことは、例の恋愛ホラーとは別? 俺もちょっとは役に立ててると思っていたけど、勘違いだったかな。
落ち込みそうになる自分を脇に避けておいて、俺はヒメに頭を上げるよう促す。
わざわざ校舎裏(!)に呼び出されてることもあり、落ち着かない気分になるし。誰かに見られて誤解されると嫌だし。
「あのね、ヒメちゃん。うちの兄貴、めちゃくちゃ人見知りなんだよ。それに、ファンではないよ?」
「それでもいいの! むしろアンチの意見も聞いてみたい!」
「いや、アンチでもないけど……」
作者です、とは言えるはずもない。
「仲良しのみちるちゃんは? 読んでないの?」
「みちはねー、怖いの絶対駄目なの。だから無理。ミカほなは小説読まないし。周りに読んでる子いない。前に図書室で借りてる先輩いたから声かけたんだけど、嫌がられちゃった」
「あー……」
思っていたよりアグレッシブな子だ。
でも、そこまで語り合う相手を求めていて、得られないのは、すごく寂しいかもしれない。
俺にはそんなに一途になれる趣味はないけど、でも想像することくらいできる。そして、そんな思いをするのなら、なにも好きになりたくないとも思ってしまう。
でも、ヒメは諦めてない。
一心に求めてる。
それくらい、ヒメは嵐士の小説が好きなんだ。
読み始めたばかりでホラーも苦手な俺なんかより、ずっと。
だったら、やっぱり、俺よりもヒメのほうが嵐士の役に立てるんじゃないか?
ヒメだって、もし嵐士が家守凪だって知れば……。
「わかった。聞くだけ聞いてみるよ」
「ほんと!?」
「でも期待だけはしないで。本当に人見知りだから、ダメ元ね」
「ありがとー!! さすがみんなの王子!」
「だから、王子はやめてくれって」
確かに、見た目だけはそこそこ整っているかもしれない。父親より母親に似た顔はどちらかといえば中性的で、身長もある。
でも、俺はそういうタイプじゃない。
みんな、俺がこんな人間だって知らないから、王子だとか言えるんだ。
俺の、友だち向けの顔しか知らないから。
それだって確かに俺ではあるんだけど……。
嵐士だって、前に言ってた。俺は変わってる。変だって。
あれが、俺の本当の評価なんだ。
俺は、結局のところ他人から嫌われるのが怖い。
邪険にされるのが怖い。
好きになってくれたひとから、好きになったひとから、もういらない、と言われるのが怖い。
だからこそ、好きになってくれた子にすべてをさらけ出すなんてできない。
落胆されたくない。されるくらいなら、最初から好きになんてなられたくない。
そんな俺が、わざわざ呆れられたり、顔を顰められるようなことを――――ひとを好きになりたくないなんて、本気になってなにかに打ち込むのが恥ずかしいなんて、言えるわけがない。
だから本当は、俺に恋人がいたことなんか一度だってありはしない。
「絶っっっっ対に、無理!!」
「だよなあ」
帰宅してすぐ、一応念のためヒメのお願いを伝えてみたけど、嵐士の反応はおおむね予想通りのものだった。
いまは怯えた様子で一心不乱に玉ねぎを薄切りにしている。今日の夕食は親子丼だそう。
「ごめんだけど、谷町には断って」
「うん。で、おまえのほうの話っていうのは?」
あっちもなにか話があるようだったので促すと、嵐士はダイニングテーブルの上に置いてあった封筒を指差した。
「それ、開けてみて」
日本人なら誰でも知っている有名出版社の名前が印刷されている。
「これ……?」
「担当さんがくれたんだ。悠斗のこと、ぼかして、そういうことに付き合ってくれる友だちがいるって言ったら、これも役立ててくださいって」
「俺が開けていいの? 中身みた?」
「見てないから開けてみせて」
甘えてんなー。
他人宛のものなので、ペーパーナイフを出してきて(刃物を禁じられていたので父親がくれたけど使ってなかった)丁寧に開封する。
クリアファイルの中に更に白い封筒が挟まっていて、開けるとチケットが二枚出てくる。
「水族館のチケットだ」
「ああ、水族館だったんだ」
洗った手を拭きながら、嵐士がこっちに来た。差し出すけど受け取ることはせずに、くっつくみたいにして覗き込んでくる。
「遊園地とかのホラーもって話したから、そっち系かと思った」
「でもほらここ、遊園地もあるとこだから」
「そうなんだ」
だから水族館にしては高めのチケットのはずなんだけど、こんなのくれるなんて太っ腹だなあ。
「悠斗と行って、資料にしろってことだよ」
「俺?」
「恋人だから」
さらりと言われて、動揺した。
ごっこ、だろ?
なぜか目を見れなくて視線を逸らすと、頬に手を触れられる。
恋人ごっこを始めてから、嵐士は俺に触るのを躊躇わなくなってきた気がする。一昨日の、あれだって。
「顔、赤いよ」
「……兄弟って、言ってねーの」
「友だちって言ってある」
友だち、かあ。
「俺ってさ、おまえの友だちかな? 兄弟じゃなくて」
「兄弟だけど……友だちって言われるの嫌だった?」
「嫌じゃないけど、考えたことなかったから」
嵐士とは、はじめから兄弟になる人物として出会って、実際にそうなった。だから、どれだけ仲良くなっても友だちかと聞かれるとなんだか違う気がしてしまう。
友だちとは、同じベッドで寝ないし。寝たとしても、抱き締めあったりしないし。
昨日の朝、目が覚めたときも、俺は嵐士から抱き締められたままだった。
向きは変わっていたけど。
背中側から抱き締められてて、手を握られてて。
俺が起きたことに気づいた嵐士が、俺の後頭部に顔を埋めるみたいにして、
『ほんとだ。悠斗のほうが手も小さい』
そう、まだ半分眠っているような声で機嫌よく言って。
寝ぼけたふりして距離を取ろうとしたら、強く抱き締めて拘束された。
『まだ眠い。二度寝しよ』
それが、嫌じゃなかったなんて、友だちならあり得ない。相手がシュンでもマコでも(マコはしないけど)、俺は苦しいとか暑いとか文句を言って離れたと思う。
でも、苦しくても暑くても、嵐士からそうされるのは……。
嵐士がふいに俺の背中に手を回した。軽く促されて、身体を寄せる。肩に頭を預けるみたいにしてくっつくと、とくとくと鳴る嵐士の心臓の音が聞こえた。
少し、速い。
ひとと触れ合うのに抵抗はないタイプだったけど、だからといってあえてそうしたいと思うことはなかった。
シュンが抱きついてきても、俺から腕を広げたりはしない。マコに肩にもたれられても、俺がもたれることはない。
なのに嵐士とこうすると、もっとしたいと思っている自分が確かにいる。
もっと触れたい。ぎゅうっとしてみたい。
嵐士が、どこにも行かないと確かめたい。
くっついていると、ずっと前からこうして生きてきたような、あたたかな、しあわせな気持ちになる。
それは、嵐士が兄弟だからじゃないんだろうか。
他の理由があるのは、困る。
困るんだ。
「水族館、いつ行こうか。今度の日曜はどう? 悠斗もバイト休みだったよね?」
「……それ、ヒメと行けば」
「え?」
「最近書いてたの、書けなくなってたのとは別の話なんだろ? だったら、役に立てなかった俺と行くよりヒメと……女の子と行ったほうが、参考になるんじゃないの」
あ、最低なこと言ってる。ヒメにも、こいつにも。
でも、それが正しい気もしていて。
「ヒメはおまえのファンで、ホラーも大好きだし、俺なんかより……」
「……悠斗以外と、話せる気がしない」
「それは俺が兄弟だからだろ? おまえは、いい奴だし、面白いし、話してて楽しいから大丈夫だって」
「悠斗は、」
嵐士は、なにかを懸命に抑えるように囁いた。
「悠斗は、俺が兄弟だから、こんなに色々させてくれるの?」
「そうだよ」
身体が離れる。両肩を掴んで顔を覗き込まれた。
「他に、ないの」
他?
他に、なんて……。
「あるわけないだろ」
きっぱり断言すると、嵐士は一瞬泣きそうな顔をした。
なにか言わないといけないと、わかっているのに声が出ない。
傷つけたんだって、わかってるのに。
でも、どうして傷ついたのかを聞くのが怖くて。
嵐士は深々と息を吐く。
「わかった。悠斗の言う通りにする」
「え……」
「でもこのチケットは使わない。これは、悠斗と行くために貰ったものだから。それと、谷町と会うには条件がある」
「なに……」
「悠斗も、来て。見ていて」
