1週間後、おれはソウルの街にいた。
海外の仕事があるかもしれないからと親が申請して所持していたパスポートを一度だけ更新した。期限はギリギリだったが、どうにか渡航できた。
仁川国際空港からソウル駅へ電車で1時間弱。ホテルは駅の近くに取っていた。円安もあり多少根は張ったが、奮発してゲストハウスやシティホテルでなくそこそこグレードの高いリゾートホテルを予約した。留守にする週末の食費として、朋大からせしめた金を全額つぎ込み、足りない分はカードローンに頼った。
キャッシングの限度額いっぱい。来月の請求額を考えると頭が痛い。あえて考えないようにするしかなかった。
チェックインして、スーツケースを開く。2泊3日の短い滞在にもかかわらず、荷物は多かった。手早くコートを脱ぎ、シャツを着替える。契斗と約束した時間までまだすこし余裕があった。
細い鏡の前に立って服装をチェックする。ストライプシャツにブラウンのテーラードジャケットを黒のスラックスと合わせた。すこし気張りすぎかと思いなおし、グラフィックTシャツと黒のブルゾンに替える。ベージュのチノパンに、足元もブーツからスニーカーへ。今度はカジュアルすぎるように感じた。タートルネックのニットを着てみたものの、今度は腹の肉が気になってしまう。二十代後半に差し掛かって、急に体重が増えた。ほとんど運動もせず、酒ばかり飲んでいるのだから当然だ。美少年ともてはやされたのは遠い過去の話で、今となっては着実に、急速に、中年への道を突き進んでいる。
鏡を睨んで、我に返った。馬鹿馬鹿しい。くだらない自己嫌悪に浸ってもなににもならない。それ以前に、契斗と会うだけで張り切る必要もなかった。外国のホテルの小さな鏡の前でファッションショーをしている自分が情けなくなり、ベッドに倒れ込んだ。
仰向けになって両手足をだらしなく投げ出す。白い天井を眺めながら、十代の頃を思い出した。あの頃、緊張しているのは、いつも契斗のほうだった。おれに気に入られようと精一杯おしゃれをして、約束した時間よりずっと前に到着して待っていた。おれが遅れてきても文句ひとついわず、遠くからおれの姿を見つけてうれしそうに笑顔を弾けさせた。
悩んだ末、メルトンチェスターコートにパーカー、スキニーデニムというカジュアルシックなコーディネートに決めて、ホテルを出た。まだ早いとわかっていたが、ひとりで部屋にいると落ち着かなかった。
ソウル駅前の焼肉店で待ち合わせていた。指定された店に到着したのは5時過ぎ。約束よりも1時間以上前だった。さすがに早すぎる。迷ったが、はじめての土地で言葉もわからない。とくに見たいものも買いたいものもないし、うろつく理由もないが、道端に突っ立っているには12月のソウルは寒すぎる。焼肉店でひとりぼんやり待つのも憚られた。
道を渡り、向かいのカフェに入った。2階建ての大型店舗で、チェーン店らしく若者を中心に客は多い。メニューに並ぶハングルはまったく読解できなかったが、コーヒーを頼むと通じたようで、やたらに甘いホットコーヒーが出てきた。
窓際のカウンター席からは向かい側の焼肉店がよく見えた。道路を照らす街灯もあり、契斗がくればすぐに気づけるはずだ。
窓の外を気にしながらコーヒーを啜る。無意識に爪先がカフェの床を叩き、ストローの先が平たくなっていた。
神経が昂ぶっている。契斗と電話で話した夜から今日までずっとだ。
アルコールの力を借りて半ば強引に取り付けた約束だった。当然、韓国に行く予定などなかったし、忙しい年末の週末に店を休むことで店のマネージャーからは嫌な顔をされたが、迷いはなかった。
窓ガラスに映るシャツの襟元や髪型が気になった。認めないわけにはいかなかった。おれは浮かれているのだ。契斗に会うことが楽しみで、気持ちが高揚している。
理由はわからない。あのオーディション番組を見るまで、契斗のことは忘れかけていた。思い出しもしなかった。なのにこれほど心揺さぶられているのは、契斗のステージを見たからなのか。うだつの上がらない自分の状況を思い知らされ、自己憐憫に浸っているのか。反対に、契斗と再会することで承認欲求を満たしたいのかもしれない。
契斗の前にも後にも数えきれない人数とセックスした。女とも男とも付き合ったが、今考えれば、おれのことを本心から愛してくれていたのは契斗だけだったのではないか。朋大も店の客も、たまに遊ぶ女も男も、おれの外見やセックスが気に入っているだけだ。本気で惚れているわけではない。
血の繋がった母親も、今は弟に夢中で、見込み違いの長男には関心を示さない。継父との折り合いは悪いし、山梨に住む実の父も再婚してべつの家族と暮らしている。
たいして気にしていないつもりだったが、実際には孤独や苦痛を感じていたのかもしれない。息ぐるしさを解消するために、契斗を利用しようとしているのかもしれない。
あるいは……
ぬるくなったコーヒーを飲みながら考えた。
契斗とまた会って、おれはどうしたいのだろう。別れてから5年たっている。今さらなにを話そうというのか。自分でもわからなかった。
海外の仕事があるかもしれないからと親が申請して所持していたパスポートを一度だけ更新した。期限はギリギリだったが、どうにか渡航できた。
仁川国際空港からソウル駅へ電車で1時間弱。ホテルは駅の近くに取っていた。円安もあり多少根は張ったが、奮発してゲストハウスやシティホテルでなくそこそこグレードの高いリゾートホテルを予約した。留守にする週末の食費として、朋大からせしめた金を全額つぎ込み、足りない分はカードローンに頼った。
キャッシングの限度額いっぱい。来月の請求額を考えると頭が痛い。あえて考えないようにするしかなかった。
チェックインして、スーツケースを開く。2泊3日の短い滞在にもかかわらず、荷物は多かった。手早くコートを脱ぎ、シャツを着替える。契斗と約束した時間までまだすこし余裕があった。
細い鏡の前に立って服装をチェックする。ストライプシャツにブラウンのテーラードジャケットを黒のスラックスと合わせた。すこし気張りすぎかと思いなおし、グラフィックTシャツと黒のブルゾンに替える。ベージュのチノパンに、足元もブーツからスニーカーへ。今度はカジュアルすぎるように感じた。タートルネックのニットを着てみたものの、今度は腹の肉が気になってしまう。二十代後半に差し掛かって、急に体重が増えた。ほとんど運動もせず、酒ばかり飲んでいるのだから当然だ。美少年ともてはやされたのは遠い過去の話で、今となっては着実に、急速に、中年への道を突き進んでいる。
鏡を睨んで、我に返った。馬鹿馬鹿しい。くだらない自己嫌悪に浸ってもなににもならない。それ以前に、契斗と会うだけで張り切る必要もなかった。外国のホテルの小さな鏡の前でファッションショーをしている自分が情けなくなり、ベッドに倒れ込んだ。
仰向けになって両手足をだらしなく投げ出す。白い天井を眺めながら、十代の頃を思い出した。あの頃、緊張しているのは、いつも契斗のほうだった。おれに気に入られようと精一杯おしゃれをして、約束した時間よりずっと前に到着して待っていた。おれが遅れてきても文句ひとついわず、遠くからおれの姿を見つけてうれしそうに笑顔を弾けさせた。
悩んだ末、メルトンチェスターコートにパーカー、スキニーデニムというカジュアルシックなコーディネートに決めて、ホテルを出た。まだ早いとわかっていたが、ひとりで部屋にいると落ち着かなかった。
ソウル駅前の焼肉店で待ち合わせていた。指定された店に到着したのは5時過ぎ。約束よりも1時間以上前だった。さすがに早すぎる。迷ったが、はじめての土地で言葉もわからない。とくに見たいものも買いたいものもないし、うろつく理由もないが、道端に突っ立っているには12月のソウルは寒すぎる。焼肉店でひとりぼんやり待つのも憚られた。
道を渡り、向かいのカフェに入った。2階建ての大型店舗で、チェーン店らしく若者を中心に客は多い。メニューに並ぶハングルはまったく読解できなかったが、コーヒーを頼むと通じたようで、やたらに甘いホットコーヒーが出てきた。
窓際のカウンター席からは向かい側の焼肉店がよく見えた。道路を照らす街灯もあり、契斗がくればすぐに気づけるはずだ。
窓の外を気にしながらコーヒーを啜る。無意識に爪先がカフェの床を叩き、ストローの先が平たくなっていた。
神経が昂ぶっている。契斗と電話で話した夜から今日までずっとだ。
アルコールの力を借りて半ば強引に取り付けた約束だった。当然、韓国に行く予定などなかったし、忙しい年末の週末に店を休むことで店のマネージャーからは嫌な顔をされたが、迷いはなかった。
窓ガラスに映るシャツの襟元や髪型が気になった。認めないわけにはいかなかった。おれは浮かれているのだ。契斗に会うことが楽しみで、気持ちが高揚している。
理由はわからない。あのオーディション番組を見るまで、契斗のことは忘れかけていた。思い出しもしなかった。なのにこれほど心揺さぶられているのは、契斗のステージを見たからなのか。うだつの上がらない自分の状況を思い知らされ、自己憐憫に浸っているのか。反対に、契斗と再会することで承認欲求を満たしたいのかもしれない。
契斗の前にも後にも数えきれない人数とセックスした。女とも男とも付き合ったが、今考えれば、おれのことを本心から愛してくれていたのは契斗だけだったのではないか。朋大も店の客も、たまに遊ぶ女も男も、おれの外見やセックスが気に入っているだけだ。本気で惚れているわけではない。
血の繋がった母親も、今は弟に夢中で、見込み違いの長男には関心を示さない。継父との折り合いは悪いし、山梨に住む実の父も再婚してべつの家族と暮らしている。
たいして気にしていないつもりだったが、実際には孤独や苦痛を感じていたのかもしれない。息ぐるしさを解消するために、契斗を利用しようとしているのかもしれない。
あるいは……
ぬるくなったコーヒーを飲みながら考えた。
契斗とまた会って、おれはどうしたいのだろう。別れてから5年たっている。今さらなにを話そうというのか。自分でもわからなかった。



