日付が変わった時間帯。出るとは思っていなかった。しかし、5コールを聞いたところで、回線がつながった。
「もしもし」
すこし掠れた特徴的な声。間違いない。契斗だった。
「もしもし?」
訝しげな声を聞いて、自分が数秒間無言でいたことに気づいた。
「契斗か?」
我ながら間の抜けた質問だった。舌打ちをこらえる。スマホを握る手が汗ばんでいた。
「うん」
衝動的に電話をかけてしまい、なにを話すかまで考えになかった。
「あー……ごめん、遅い時間に」
舌が縺れてしまう。自分からかけておきながら、おれはひどく緊張し、動揺していた。
「寝てたか?」
「お風呂行ってた」
韓国には行ったことがない。海外旅行さえ未経験だった。時差がどのくらいあるのかも知らない。向こうは今何時なのか。それほど変わらないはずだ。
「びっくりした」
回線の向こう側で、契斗が呟くようにいった。
「連絡くると思ってへんかった」
関西訛りの間延びした声。契斗だ。あの頃のまま、なにも変わらない。
「なんかあったん?」
「べつに。たまたま番組見て思い出したから」
「そっか……」
会話が途切れた。5年以上没交渉だった。ぎこちないのも無理はない。
「その……昨日のやつ見たよ。チームバトルだっけ。1位獲ってた」
隙間を埋めるようにまくしたてた。
「すごかった。ふつうに感動した」
小学生も笑うような稚拙な感想だったが、契斗は素直に笑った。
「うれしい」
「ほんとにすごいと思ったよ。マジで」
本心だった。仕事帰りにスマホで番組を見て、思わず言葉を失った。すでに半数が落選しており、残った出場者は実力者ばかりだった。そのなかでも契斗の存在感は群を抜いていた。指先から爪先まですべて繊細な動きを保ち、大舞台でもよけいな力が入ることなく、楽曲を独自に解釈して世界観を表現しながらも、個として目立ちすぎず完璧にチームを牽引していた。
ステージが終わってもしばらくの間動くことができなかった。契斗のパフォーマンスに圧倒されて、呆然と座り込んでいた。
「まだつづけてると思わなかった」
大阪で活動をしている頃はふたりとも十代だった。入所時、契斗は歌もダンスも未経験で、事務所のレッスンを受けながら自主トレーニングに励んでいた。いつも遅い時間まで居残って黙々と練習を繰り返していた。はじめのうちは素人同然で、ステージでも端のほうで踊っていた契斗だったが、努力の甲斐あって短期間で上達した。
「ずっと韓国にいるのか」
「うん。なかなかあきらめきれんくて……」
韓国に行くと聞かされたとき、おれは嗤った。すぐに挫折して帰国するものと思い込んでいた。契斗の信念のつよさを見くびっていた。
「庸介くんは?」
「おれ?」
「なにしてんの、今」
「今? 今日は新宿で……」
「じゃなくて」
契斗がまた笑う。低く掠れた笑い声が耳に心地いい。
「活動、つづけてる?」
「ああ……」
すこし躊躇ってから答えた。
「いや、今は……」
「そう……」
わずかな沈黙の後で、契斗が明るい声を上げた。
「でもよかった。元気そうで」
「まあ……」
なかなか会話が弾まない。気まずい空気。もどかしさと焦りを感じた。待機室のドアが開いて、仕事を終えたホストたちが入ってきた。客の話題や金の話で騒がしい。慌てて同僚たちに背を向けた。
「騒がしいね」
「今ちょっと外に……」
女の話をしているのか、男たちが一斉に笑い出す。品のない下ネタ。咄嗟にスマホを掌で覆った。会話の内容までは聞こえていないだろうが、契斗はいった。
「そろそろ切るね」
「気にしなくていい。べつになにかしてるわけじゃ……」
「もう寝ないと。明日朝早いから」
声が遠くなって、韓国語の会話が聞こえた。低い男の声。知らない人間の声。
「ルームメイトが帰ってきた」
「ルームメイト?」
思わず聞き返した。
「男と住んでんのか?」
「事務所の宿舎。2人部屋で……」
また声がして、韓国語のやりとりが聞こえた。言葉の意味が理解できないことに苛立ちをおぼえた。
「ごめん。切らないと……」
「わかった」
気配が離れていく。咄嗟に口を開いた。
「来週」
「え?」
「来週末、仕事でそっちに行く」
意図せず言葉が出た。もちろん嘘だ。出張の予定などあるはずもない。つい口ばしってしまった。
「会えないか?」
「え……」
「いや、久しぶりにメシでもどうかなって。せっかくだし」
なにが『せっかく』なのか自分でもわからなかった。契斗の戸惑いが回線ごしにも伝わってくる。
「あー、それは……どうかな、えっと……」
「時間ない?」
「月末はいろいろと……」
「すこしくらいいいだろ」
「うーん……」
「頼むよ」
すこし声を低めて、囁くようにいう。こうして頼めば、契斗は嫌とはいわない。すこしずつ記憶が蘇っていた。
「わかった」
案の定、契斗は承諾した。あきらめたようにいった。
「土曜日の夕方?」
「いいよ。連絡する」
「うん」
「じゃあ来週」
「おやすみなさい」
付き合っていた頃、何度も聞いた一言。じわりと胸に染みわたった。
電話を切ると、スマホを手に大きく深呼吸した。まだ緊張して落ち着かなかった。鼓動が高まり、血流が烈しくなっている。高揚しているのに、穏やかな気分。はじめての感覚だった。騒がしいホストクラブの待機室で、おれは体内をめぐる感覚を噛みしめるようにじっと立ち尽くしていた。
「もしもし」
すこし掠れた特徴的な声。間違いない。契斗だった。
「もしもし?」
訝しげな声を聞いて、自分が数秒間無言でいたことに気づいた。
「契斗か?」
我ながら間の抜けた質問だった。舌打ちをこらえる。スマホを握る手が汗ばんでいた。
「うん」
衝動的に電話をかけてしまい、なにを話すかまで考えになかった。
「あー……ごめん、遅い時間に」
舌が縺れてしまう。自分からかけておきながら、おれはひどく緊張し、動揺していた。
「寝てたか?」
「お風呂行ってた」
韓国には行ったことがない。海外旅行さえ未経験だった。時差がどのくらいあるのかも知らない。向こうは今何時なのか。それほど変わらないはずだ。
「びっくりした」
回線の向こう側で、契斗が呟くようにいった。
「連絡くると思ってへんかった」
関西訛りの間延びした声。契斗だ。あの頃のまま、なにも変わらない。
「なんかあったん?」
「べつに。たまたま番組見て思い出したから」
「そっか……」
会話が途切れた。5年以上没交渉だった。ぎこちないのも無理はない。
「その……昨日のやつ見たよ。チームバトルだっけ。1位獲ってた」
隙間を埋めるようにまくしたてた。
「すごかった。ふつうに感動した」
小学生も笑うような稚拙な感想だったが、契斗は素直に笑った。
「うれしい」
「ほんとにすごいと思ったよ。マジで」
本心だった。仕事帰りにスマホで番組を見て、思わず言葉を失った。すでに半数が落選しており、残った出場者は実力者ばかりだった。そのなかでも契斗の存在感は群を抜いていた。指先から爪先まですべて繊細な動きを保ち、大舞台でもよけいな力が入ることなく、楽曲を独自に解釈して世界観を表現しながらも、個として目立ちすぎず完璧にチームを牽引していた。
ステージが終わってもしばらくの間動くことができなかった。契斗のパフォーマンスに圧倒されて、呆然と座り込んでいた。
「まだつづけてると思わなかった」
大阪で活動をしている頃はふたりとも十代だった。入所時、契斗は歌もダンスも未経験で、事務所のレッスンを受けながら自主トレーニングに励んでいた。いつも遅い時間まで居残って黙々と練習を繰り返していた。はじめのうちは素人同然で、ステージでも端のほうで踊っていた契斗だったが、努力の甲斐あって短期間で上達した。
「ずっと韓国にいるのか」
「うん。なかなかあきらめきれんくて……」
韓国に行くと聞かされたとき、おれは嗤った。すぐに挫折して帰国するものと思い込んでいた。契斗の信念のつよさを見くびっていた。
「庸介くんは?」
「おれ?」
「なにしてんの、今」
「今? 今日は新宿で……」
「じゃなくて」
契斗がまた笑う。低く掠れた笑い声が耳に心地いい。
「活動、つづけてる?」
「ああ……」
すこし躊躇ってから答えた。
「いや、今は……」
「そう……」
わずかな沈黙の後で、契斗が明るい声を上げた。
「でもよかった。元気そうで」
「まあ……」
なかなか会話が弾まない。気まずい空気。もどかしさと焦りを感じた。待機室のドアが開いて、仕事を終えたホストたちが入ってきた。客の話題や金の話で騒がしい。慌てて同僚たちに背を向けた。
「騒がしいね」
「今ちょっと外に……」
女の話をしているのか、男たちが一斉に笑い出す。品のない下ネタ。咄嗟にスマホを掌で覆った。会話の内容までは聞こえていないだろうが、契斗はいった。
「そろそろ切るね」
「気にしなくていい。べつになにかしてるわけじゃ……」
「もう寝ないと。明日朝早いから」
声が遠くなって、韓国語の会話が聞こえた。低い男の声。知らない人間の声。
「ルームメイトが帰ってきた」
「ルームメイト?」
思わず聞き返した。
「男と住んでんのか?」
「事務所の宿舎。2人部屋で……」
また声がして、韓国語のやりとりが聞こえた。言葉の意味が理解できないことに苛立ちをおぼえた。
「ごめん。切らないと……」
「わかった」
気配が離れていく。咄嗟に口を開いた。
「来週」
「え?」
「来週末、仕事でそっちに行く」
意図せず言葉が出た。もちろん嘘だ。出張の予定などあるはずもない。つい口ばしってしまった。
「会えないか?」
「え……」
「いや、久しぶりにメシでもどうかなって。せっかくだし」
なにが『せっかく』なのか自分でもわからなかった。契斗の戸惑いが回線ごしにも伝わってくる。
「あー、それは……どうかな、えっと……」
「時間ない?」
「月末はいろいろと……」
「すこしくらいいいだろ」
「うーん……」
「頼むよ」
すこし声を低めて、囁くようにいう。こうして頼めば、契斗は嫌とはいわない。すこしずつ記憶が蘇っていた。
「わかった」
案の定、契斗は承諾した。あきらめたようにいった。
「土曜日の夕方?」
「いいよ。連絡する」
「うん」
「じゃあ来週」
「おやすみなさい」
付き合っていた頃、何度も聞いた一言。じわりと胸に染みわたった。
電話を切ると、スマホを手に大きく深呼吸した。まだ緊張して落ち着かなかった。鼓動が高まり、血流が烈しくなっている。高揚しているのに、穏やかな気分。はじめての感覚だった。騒がしいホストクラブの待機室で、おれは体内をめぐる感覚を噛みしめるようにじっと立ち尽くしていた。



