ソウル・ステーション/ディセンバー

 右手で契斗を抱いたまま、左手をデニムのポケットに入れた。表面の塗装が剥がれ、傷だらけになった古いキーホルダーを取り出した。契斗がくれたエッフェル塔のキーホルダー。契斗の掌に載せる。涙ぐむ契斗を見つめ、いった。
「おれと付き合ってくれ」
 ずっと押し込めてきた感情が溢れた。
 以前に気持ちを伝えたときには、迷いもなく背中を向けられた。しかし、このとき、契斗はなにもいわなかった。おれの胸に半身を預け、俯いてキーホルダーを握りしめている。
「でも……庸介くん、遠距離は無理なんやろ?」
 躊躇いながら、呟いた。
「おれ、両親置いて東京には行かれへんし……」
「おれは……」
 無理ではないと答えようとして、言葉を飲み込んだ。嘘はつけない。5年も契斗と会えなかった。これ以上1日でも離れられない。
「おれが大阪に行く」
 契斗が顔を上げ、おれを見た。
「……本気でゆうてる?」
 頷いた。大阪にいい思い出はなかったが、東京も似たようなものだ。契斗がいる場所がおれのいるべき場所だった。
「いっしょに住もう」
 声が上擦った。おれを見つめる契斗の瞳が揺れる。おれは他人に寄生するヒモだ。すくなくとも、契斗が知っているおれは、だれかの好意に甘えるしか能のないクズでしかないはずだった。
「おれ、ちゃんと働くから。家事もするし、おまえの親の介護も手伝う。おまえがやりたいことがあれば応援するし、なんでもする」
 エッフェル塔を握る契斗の手を握った。捲し立てるようにいった。
「おまえがしてほしいことは本当に、全部する。おまえがなってほしい男になる。だから、なあ、頼むよ。おれ、もうこれ以上おまえと離れてられないんだよ。これ以上は、マジで無理なんだよ。だから……」
 無意識に前のめりになっていた。かなり必死な形相になっていただろう。契斗は呆気にとられていた。しばらくの間、無言でおれの目を見てから、いった。
「ほんまなんかなって、ちょっと疑ってた」
 手のなかのエッフェル塔を指先で弄びながら、契斗は呟いた。
「庸介くんがおれを好きなんてこと、ほんまにあるんかなって。高校の頃、絶対そんなんなかったやんか」
「それは……」
 嘘はつけなかった。些細なごまかしでも、悪意のない偽りであっても、契斗に二度と嘘はつきたくなかった。
「あのときはガキだった。おまえがそばにいるのを当たり前だと思ってた。おまえの存在がどれだけ大事だったか、気づいてなかった」
 契斗はまた俯いた。すこしの間を措いて、いった。
「今もおれのこと好きってこと?」
 壊れた人形のように何度も頷いた。
「好きだ」
 距離や時間は恋心を薄めるどころかむしろ高めていた。毎日すこしずつ好きだという気持ちが更新され、思いが積み重なり、今この瞬間が過去最大といえた。ただ、契斗にどの程度伝わっているかは自信がなかった。自分の気持ちを契斗にうまく伝えられないことがもどかしかった。
「ほんまに好きなんやったら、5年もほっとかないやろ、ふつう」
「それは……」
 おれとしても熟慮したうえでの苦渋の決断ではあったが、契斗の側からしてみればそうは思えないだろう。口を噤むしかなかった。
「ほっといてる間に、他に好きなひとできるかもとか思わんかった?」
「え……」
 契斗の言葉に、おれは愕然として、今度は言葉を失った。
「そ、それって……」
 かろうじていった。情けない声だったし言葉にもなっていなかったが、気にしている余裕はなかった。
「おまえ、だれか、他の……他に……」
 ろくに言葉も紡げないほど取り乱しているおれを見て、契斗はまた笑った。その表情を見て、揶揄われたのだと気づいた。
「やめろよ、マジで……」
 大きくため息をつく。無意識に呼吸を止めていたようで、ほとんど喘ぐように息を継いだ。
「ちょっとええなって思うひとはいたよ」
 おれが聞き返す前に、契斗はいった。
「けど、庸介くん以上におれのこと好きになってくれるひとっていんのかなって思ったら、なんか……」
 親指の先でエッフェル塔の錆びた表面をいとおしそうに撫で、契斗はいった。
「でも不安やった。庸介くん、全然会いにきてもくれへんし」
「会いたかったよ。会いたくなかったわけじゃない。死ぬほど会いたかった」
「わかってる。ハジュンに聞いた」
 いたたまれない表情のハジュンを思い出した。
「おれが悪かった。おまえの邪魔したくなくて……」
「それはもうええんよ。おれのために我慢してくれたんやろ?」
 視線を落としたまま、契斗はいった。
「今日、久しぶりに会えるの楽しみやったのに、庸介くん、なんもゆうてくれへんし……」
 契斗がいわんとしていることがわからず、戸惑っていた。怒っているのだと思っていたがちがった。拗ねているのだ。
「いや、それはちがくて……」
 離れていた時間があまりに長かったことと気持ちが増幅しすぎて、再会が特別なものになりすぎていた。緊張していたせいでぎこちない態度になってしまった。契斗を不安にさせたかったわけではない。
「部屋きても、ずっと黙ってるし。触るのに、なんもしてこんし……」
 おれの胸に半身を預けたまま、ベッドの上で契斗が膝を抱える。
「もうおれに興味なくなったんかなって……」
「そんなわけないだろ!」
 思わず声を上げた。
「そんなわけない。おれがそんな、興味ないとか……」
 舌が縺れ、汗が浮き出た。体裁を繕う余裕はない。必死で捲し立てた。
「興味あるよ。めちゃくちゃ興味ある。ずっとおまえに触りたかったし、抱きしめたかった。ただ……」
 契斗が顔を上げ、おれを見る。抑えてきた感情が噴き出しそうだった。
「ただ、その……おまえが引退するって日に、おれの性欲ぶつけるのは、なんかちょっと、ちがうだろ」
「……まだ我慢してくれてたん?」
「いや……いや、ちがう、ごめん。今のはかっこつけた」
 悪癖こそしつこく付き纏う。つい本心を誤魔化してしまった。すぐにいいなおした。
「ほんとは……なんていうか、緊張してた」
「なんで緊張すんの」
「なんとなく……ずっと写真とか動画でしか見てなかったから、ファンみたいな気持ちになってたのかも……」
 契斗はしばらく黙って、それからおれの手を握った。
「ファンは嫌や」
 密着していなければ聞き取れないような小さな声でいった。
「彼氏になってよ」