「元気印のゲンちゃん」を知る者はかなりすくなくなった。20年前に放送された乳製品のテレビCMだ。子役の「ゲンちゃん」が紙パックの飲料を飲んでおどけたポーズを取る。コミカルな音楽と愛くるしい子役の笑顔が話題になり、全国的なムーブメントを引き起こした。
テレビ画面のなかで天真爛漫な笑顔を弾けさせる「ゲンちゃん」を演じた子役がおれだ。当時5歳で、撮影現場の記憶はほとんど残っていない。大人に囲まれてかわいがられた思い出がかすかに残っているだけだ。
おれの母親は東北出身で、若い頃は歌手を目指していたらしい。十代で上京し、小さな芸能事務所に所属したはいいものの、デビューの夢は叶わなかった。二十代半ばで事務所との契約が切れ、アルバイトで働いていたキャバクラの客のひとりと結婚した。
客は山梨県内で不動産業を営む会社の代表だった。結婚した頃にはすでにおれを身籠もっていた。はじめのうちは順調だったが、経営の中枢を実質的に握っていた義父である会長が脳梗塞で倒れ、そのまま死去したことを期に、歯車が狂いはじめた。母親が結婚した男は真面目で善良な人間だったが、経営の才覚には恵まれなかった。業績はあっという間に下降し、収入も激減した。社長夫人としての悠々自適な生活を求めて甲府に嫁いだ母にとっては、大きな計算ちがいだった。
不幸はつづくもので、長年連れ添った夫を失った義母も体調を崩し、介護が必要になった。裕福な生活から一転、家計は火の車で、小さな子どもを育てながら義理の母親の身の回りの世話もすることになった。
父は会社を存続させるための資金繰りや契約交渉に奔走し、妻を慮る余裕を失っていた。両親の関係は悪化し、すぐに修復不可能な状態になった。離婚したのはおれが4歳の頃だ。翌年に受けたオーディションで「ゲンちゃん」役をつかみ、全国的な人気者になった。
母は自分の夢を息子に託すことを決めた。地元の小さな芸能事務所から東京の大手事務所に移籍させ、週に何度も東京に通ってレッスンを受けさせた。ステージママぶりはすさまじく、ギャラの交渉や仕事内容にまで口を出した。
CMのおかげで知名度が一気に高まったとはいえ、たまたま監督に気に入られて合格しただけの子どもだ。もともと特別な才能があるわけでもない。実力も未知数の子役にそこまで期待する業界人はいなかった。うるさく纏わりついてくる母親と非現実的な出演料の金額に、ヒット特需に群がってきた大人たちはあっさりと散っていった。CM放送直後はバラエティ番組や情報番組に引っ張りだこだった「ゲンちゃん」はあっという間に姿を消し、成長とともに仕事も減っていった。
母親にとっては2つめの「想定外」といえた。息子が稼ぐギャラと元夫から得る養育費で生活するはずが、思うように仕事が増えず、東京までの交通費や経費だけが嵩んでいく。理想と現実のギャップに、大いに苦悩した。
そこで引き下がればよかった。我が子の限界を理解し、期待するのをやめて、あきらめればよかった。しかし、母は意地になっていた。息子にかけた投資費用を取り戻し、自分の夢を実現するため、撤退をゆるせなくなっていた。
「あら、おはよう」
昼すぎに起き出すと、朋大がキッチンで料理をしているところだった。昼食をつくっているのだろう。トマトソースとにんにくの匂いがした。
「コーヒー飲む?」
唸り声で答える。前日のアルコールがまだ残っていて気分が悪かった。頭痛もする。朋大が淹れたコーヒーを飲み、トマトクリームパスタを食べて、胃薬を飲んだ。
土曜日で朋大の会社は休みだ。昼まで寝て夕方出勤し朝まで帰らないおれと残業が多い朋大の生活サイクルは真逆で、おなじ家に住んでいながら顔を合わせることはほとんどない。いっしょに昼食を取るのは珍しかった。
「あ、新しい朝ドラはじまるんや」
テレビを見ていた朋大が呟いた。NHKのニュースが終わり、番組の間に流れる番宣だ。放送開始を控えたドラマの予告で、人気の俳優たちの顔が次々映し出される。そのうちのひとりに見覚えがあった。坊主頭の少年。ヒロインの少女時代の初恋相手を演じているらしい。
「最近の若い俳優さん、全然わからへん。中年の仲間入りやね」
パンをちぎりながら、朋大がいう。おれに話しかけるというよりは独白のようだった。曖昧に相槌を打つ。
朋大が知らないのも無理はない。売り出し中の若手で、代表作といえるものはまだない。それでも、おれはよく知っていた。
NHKの連続ドラマに抜擢された若手俳優がおれの実弟だと知ったら、朋大は驚くだろう。おれが芸能活動をしていたことも知らないのだ。冗談だと思うかもしれない。
離婚から4年後、母親はおれを連れて大阪へ移り住んだ。息子の才能を受け容れない東京に見切りをつけ、娯楽もチャンスもない山梨から逃げ出した。元夫が所有していたアパートを出て、心機一転、息子とふたりだけで新たな道を模索しようとした。おれは8歳だった。
世間知らずで夢見がちなシングルマザーとまぐれあたりのヒット以外になにも持たない小学生だ。当然、うまくいくはずがなかった。
貯金が底をつき、困窮した母親は生活費のためにミナミのスナックで働きはじめ、客のひとりと再婚した。新たな夫との間に子どもが生まれ、子育てに忙しくなっても、目標を忘れることはなかった。
地元のイベント業者だった義父の紹介で、大阪の芸能事務所に籍を置いた。数年後、事務所が立ち上げたアイドルグループに所属することになった。ろくにステージ経験もない男子中高生を集めた素人集団だ。主に地元のショッピングモールやイベントに出演し、チェキやグッズを販売していた。
ギャラは歩合制で、レッスン料は無料だが、髪や肌の手入れや交通費は自己負担のうえ、仕事はハードだった。遊びたい盛りの十代の少年だ。生活習慣や恋愛にまで管理される窮屈さもあり、脱退が相次いだ。数年ごとに実施されたオーディションで新たに加入したメンバーのひとりが契斗だった。
テレビ画面のなかで天真爛漫な笑顔を弾けさせる「ゲンちゃん」を演じた子役がおれだ。当時5歳で、撮影現場の記憶はほとんど残っていない。大人に囲まれてかわいがられた思い出がかすかに残っているだけだ。
おれの母親は東北出身で、若い頃は歌手を目指していたらしい。十代で上京し、小さな芸能事務所に所属したはいいものの、デビューの夢は叶わなかった。二十代半ばで事務所との契約が切れ、アルバイトで働いていたキャバクラの客のひとりと結婚した。
客は山梨県内で不動産業を営む会社の代表だった。結婚した頃にはすでにおれを身籠もっていた。はじめのうちは順調だったが、経営の中枢を実質的に握っていた義父である会長が脳梗塞で倒れ、そのまま死去したことを期に、歯車が狂いはじめた。母親が結婚した男は真面目で善良な人間だったが、経営の才覚には恵まれなかった。業績はあっという間に下降し、収入も激減した。社長夫人としての悠々自適な生活を求めて甲府に嫁いだ母にとっては、大きな計算ちがいだった。
不幸はつづくもので、長年連れ添った夫を失った義母も体調を崩し、介護が必要になった。裕福な生活から一転、家計は火の車で、小さな子どもを育てながら義理の母親の身の回りの世話もすることになった。
父は会社を存続させるための資金繰りや契約交渉に奔走し、妻を慮る余裕を失っていた。両親の関係は悪化し、すぐに修復不可能な状態になった。離婚したのはおれが4歳の頃だ。翌年に受けたオーディションで「ゲンちゃん」役をつかみ、全国的な人気者になった。
母は自分の夢を息子に託すことを決めた。地元の小さな芸能事務所から東京の大手事務所に移籍させ、週に何度も東京に通ってレッスンを受けさせた。ステージママぶりはすさまじく、ギャラの交渉や仕事内容にまで口を出した。
CMのおかげで知名度が一気に高まったとはいえ、たまたま監督に気に入られて合格しただけの子どもだ。もともと特別な才能があるわけでもない。実力も未知数の子役にそこまで期待する業界人はいなかった。うるさく纏わりついてくる母親と非現実的な出演料の金額に、ヒット特需に群がってきた大人たちはあっさりと散っていった。CM放送直後はバラエティ番組や情報番組に引っ張りだこだった「ゲンちゃん」はあっという間に姿を消し、成長とともに仕事も減っていった。
母親にとっては2つめの「想定外」といえた。息子が稼ぐギャラと元夫から得る養育費で生活するはずが、思うように仕事が増えず、東京までの交通費や経費だけが嵩んでいく。理想と現実のギャップに、大いに苦悩した。
そこで引き下がればよかった。我が子の限界を理解し、期待するのをやめて、あきらめればよかった。しかし、母は意地になっていた。息子にかけた投資費用を取り戻し、自分の夢を実現するため、撤退をゆるせなくなっていた。
「あら、おはよう」
昼すぎに起き出すと、朋大がキッチンで料理をしているところだった。昼食をつくっているのだろう。トマトソースとにんにくの匂いがした。
「コーヒー飲む?」
唸り声で答える。前日のアルコールがまだ残っていて気分が悪かった。頭痛もする。朋大が淹れたコーヒーを飲み、トマトクリームパスタを食べて、胃薬を飲んだ。
土曜日で朋大の会社は休みだ。昼まで寝て夕方出勤し朝まで帰らないおれと残業が多い朋大の生活サイクルは真逆で、おなじ家に住んでいながら顔を合わせることはほとんどない。いっしょに昼食を取るのは珍しかった。
「あ、新しい朝ドラはじまるんや」
テレビを見ていた朋大が呟いた。NHKのニュースが終わり、番組の間に流れる番宣だ。放送開始を控えたドラマの予告で、人気の俳優たちの顔が次々映し出される。そのうちのひとりに見覚えがあった。坊主頭の少年。ヒロインの少女時代の初恋相手を演じているらしい。
「最近の若い俳優さん、全然わからへん。中年の仲間入りやね」
パンをちぎりながら、朋大がいう。おれに話しかけるというよりは独白のようだった。曖昧に相槌を打つ。
朋大が知らないのも無理はない。売り出し中の若手で、代表作といえるものはまだない。それでも、おれはよく知っていた。
NHKの連続ドラマに抜擢された若手俳優がおれの実弟だと知ったら、朋大は驚くだろう。おれが芸能活動をしていたことも知らないのだ。冗談だと思うかもしれない。
離婚から4年後、母親はおれを連れて大阪へ移り住んだ。息子の才能を受け容れない東京に見切りをつけ、娯楽もチャンスもない山梨から逃げ出した。元夫が所有していたアパートを出て、心機一転、息子とふたりだけで新たな道を模索しようとした。おれは8歳だった。
世間知らずで夢見がちなシングルマザーとまぐれあたりのヒット以外になにも持たない小学生だ。当然、うまくいくはずがなかった。
貯金が底をつき、困窮した母親は生活費のためにミナミのスナックで働きはじめ、客のひとりと再婚した。新たな夫との間に子どもが生まれ、子育てに忙しくなっても、目標を忘れることはなかった。
地元のイベント業者だった義父の紹介で、大阪の芸能事務所に籍を置いた。数年後、事務所が立ち上げたアイドルグループに所属することになった。ろくにステージ経験もない男子中高生を集めた素人集団だ。主に地元のショッピングモールやイベントに出演し、チェキやグッズを販売していた。
ギャラは歩合制で、レッスン料は無料だが、髪や肌の手入れや交通費は自己負担のうえ、仕事はハードだった。遊びたい盛りの十代の少年だ。生活習慣や恋愛にまで管理される窮屈さもあり、脱退が相次いだ。数年ごとに実施されたオーディションで新たに加入したメンバーのひとりが契斗だった。



