「今日、実家行ってきた」
「実家?」
契斗の実家は大阪のはずだ。早朝の新幹線で行ったのか、あるいは契斗だけが韓国から大阪へ向かったのか。いずれにしても、遅刻の理由がわかった気がした。
「お父さんが去年脳梗塞で倒れて」
「え……」
「もう退院してるんやけどね。右半身に麻痺が残って、日常生活にちょっと支障があるみたい」
冷静に話してはいるが、父親を心配しているのがよくわかった。しかし、様子を見るだけで新幹線に乗り遅れるだろうか。いくら契斗が家族思いでも、公演の開始時間を忘れるほど家族団欒の時間に熱中するとは思えない。
「カミングアウトした」
唐突に、契斗はいった。
「カミングアウト……」
かつては暇つぶしにときどき出かけていた二丁目からも足が遠のいていた。言葉の意味を理解するのに時間がかかった。
「親に話したのか?」
「そう」
「なんで」
「んー、なんやろ……隠すのもう嫌になって」
雑誌やテレビのインタビューで好きな異性のタイプについて話す契斗の笑顔を思い出した。
「メンバーにも昨日いった」
打ち明けるにはかなりの勇気がいったはずだ。そうとうな覚悟を持って決断したのだろう。生半可な気持ちでできることではない。
「……それで?」
「メンバーと社長はわかってくれて、話してくれてよかったっていうてくれた。ハジュンは気づいてたみたいやった。知らないふりしててくれたんやね」
契斗の口調はわずかに掠れてはいたがいつもどおりで、心の乱れは感じさせなかった。顔を見て話せないことにもどかしさをおぼえた。
「家族は……やっぱ驚いてたし、ショック受けてたかな」
声が沈む。公演に遅れた理由。
「だいじょうぶか」
契斗の両親の記憶はほとんどなかったが、市営団地住まいで裕福とはいえなかったはずだ。父親は昔気質の大工で、先進的なジェンダー感覚の持ち主とは思えなかった。
「うん。ただ……まあ、長男やしね。親としては、いきなりそんなんいわれても、簡単には割り切れへんよね」
明るい調子でいったが、家族との話し合いがスムーズであれば、予定どおり新幹線に乗ることができ、公演に遅れることはなかったはずだ。態度には出さなかったが、契斗が深く傷ついていることは電話ごしにも想像できた。
心の傷を癒やし、肯定され、慰められるためにおれに連絡したのかと思ったが、そうではなかった。
「公表したいと思ってる」
契斗の言動には常に驚かされてきた。予想できたことなど一度もなかった。
「公表?」
また間の抜けた鸚鵡返しをしてしまう。
「公表ってなに、みんなにいうって意味?」
「うん」
「公式で発表するってこと?」
「そう」
予想もしていなかった計画を聞かされ、唖然とするしかなかった。
「なんでそんな……」
「隠してるのが嫌になったんやって」
言葉を失っているおれに、契斗はていねいな口調で説明した。
「応援してくれてるファンにも周りのひとたちにも、ほんとのおれを知ってほしい。嘘ついてる状態でずっと活動してくのがもう苦しいねん」
「嘘ついてるとはいえないだろ。騙してるわけじゃない」
「わかってるけど、みんなが見ている契斗はほんまのおれとちがうから。ステージ出るたびに罪悪感でしんどくて……」
契斗のジレンマは理解できた。むしろ、誠実でまっすぐな契斗らしいともいえた。しかし、あまりに突然で、どういえばいいのかわからず、混乱した。黙っていると、契斗は静かにいった。
「どう思う?」
「どうって……」
以前までのおれなら、どうでもいいと思っただろう。好きにすればいいと突き放したはずだ。だが、契斗の決断が齎す影響を考えれば、安易な返事はできなかった。一方、ありのままの自分でいたいという契斗の思いも痛いほど理解できた。
「家族とか事務所の連中はなんていってんだよ」
「家族は絶対反対だって。社長は……理解はしてくれたけど、許可はできないって。メンバーも、それはやめようってゆうてる」
それはそうだろう。LGBTQなどという概念が確立され、昔ほど差別的な眼差しを向けられるわけではないだろうが、リスクが大きすぎる。
欧米では著名人のカミングアウトは珍しくない。しかし、日本ではまだまだ多くないし、韓国社会は日本以上に保守的だ。
ソロ歌手や俳優であれば個性のひとつとして通せるだろうが、アイドルグループなれば話はちがってくる。ファンはすくなからずメンバーを男性として見ているはずだし、素直に受け容れられるかといえば、複雑だろう。
デビュー3年目をすぎて、グループとしても大事な時期だ。判断を誤れば命取りになるという会社の懸念も理解できなくもない。
契斗もそれがわかっているから悩んでいる。利己的な人間であれば、事務所スタッフやメンバーへの影響を考えず、強引にでも自身の主張を通すだろう。大切な仲間を危機に晒すことは、契斗にとって自分を偽ること以上につらいはずだ。
「庸介くんも、やっぱり反対?」
「おれは……」
思わず口籠もった。おれにとっては、事務所やグループなどどうでもよかった。大切なのは契斗だ。家族との関係が悪化し、グループや事務所内で居場所を失い、ファンから背を向けられるようなことになれば、契斗が傷つく。
「実家?」
契斗の実家は大阪のはずだ。早朝の新幹線で行ったのか、あるいは契斗だけが韓国から大阪へ向かったのか。いずれにしても、遅刻の理由がわかった気がした。
「お父さんが去年脳梗塞で倒れて」
「え……」
「もう退院してるんやけどね。右半身に麻痺が残って、日常生活にちょっと支障があるみたい」
冷静に話してはいるが、父親を心配しているのがよくわかった。しかし、様子を見るだけで新幹線に乗り遅れるだろうか。いくら契斗が家族思いでも、公演の開始時間を忘れるほど家族団欒の時間に熱中するとは思えない。
「カミングアウトした」
唐突に、契斗はいった。
「カミングアウト……」
かつては暇つぶしにときどき出かけていた二丁目からも足が遠のいていた。言葉の意味を理解するのに時間がかかった。
「親に話したのか?」
「そう」
「なんで」
「んー、なんやろ……隠すのもう嫌になって」
雑誌やテレビのインタビューで好きな異性のタイプについて話す契斗の笑顔を思い出した。
「メンバーにも昨日いった」
打ち明けるにはかなりの勇気がいったはずだ。そうとうな覚悟を持って決断したのだろう。生半可な気持ちでできることではない。
「……それで?」
「メンバーと社長はわかってくれて、話してくれてよかったっていうてくれた。ハジュンは気づいてたみたいやった。知らないふりしててくれたんやね」
契斗の口調はわずかに掠れてはいたがいつもどおりで、心の乱れは感じさせなかった。顔を見て話せないことにもどかしさをおぼえた。
「家族は……やっぱ驚いてたし、ショック受けてたかな」
声が沈む。公演に遅れた理由。
「だいじょうぶか」
契斗の両親の記憶はほとんどなかったが、市営団地住まいで裕福とはいえなかったはずだ。父親は昔気質の大工で、先進的なジェンダー感覚の持ち主とは思えなかった。
「うん。ただ……まあ、長男やしね。親としては、いきなりそんなんいわれても、簡単には割り切れへんよね」
明るい調子でいったが、家族との話し合いがスムーズであれば、予定どおり新幹線に乗ることができ、公演に遅れることはなかったはずだ。態度には出さなかったが、契斗が深く傷ついていることは電話ごしにも想像できた。
心の傷を癒やし、肯定され、慰められるためにおれに連絡したのかと思ったが、そうではなかった。
「公表したいと思ってる」
契斗の言動には常に驚かされてきた。予想できたことなど一度もなかった。
「公表?」
また間の抜けた鸚鵡返しをしてしまう。
「公表ってなに、みんなにいうって意味?」
「うん」
「公式で発表するってこと?」
「そう」
予想もしていなかった計画を聞かされ、唖然とするしかなかった。
「なんでそんな……」
「隠してるのが嫌になったんやって」
言葉を失っているおれに、契斗はていねいな口調で説明した。
「応援してくれてるファンにも周りのひとたちにも、ほんとのおれを知ってほしい。嘘ついてる状態でずっと活動してくのがもう苦しいねん」
「嘘ついてるとはいえないだろ。騙してるわけじゃない」
「わかってるけど、みんなが見ている契斗はほんまのおれとちがうから。ステージ出るたびに罪悪感でしんどくて……」
契斗のジレンマは理解できた。むしろ、誠実でまっすぐな契斗らしいともいえた。しかし、あまりに突然で、どういえばいいのかわからず、混乱した。黙っていると、契斗は静かにいった。
「どう思う?」
「どうって……」
以前までのおれなら、どうでもいいと思っただろう。好きにすればいいと突き放したはずだ。だが、契斗の決断が齎す影響を考えれば、安易な返事はできなかった。一方、ありのままの自分でいたいという契斗の思いも痛いほど理解できた。
「家族とか事務所の連中はなんていってんだよ」
「家族は絶対反対だって。社長は……理解はしてくれたけど、許可はできないって。メンバーも、それはやめようってゆうてる」
それはそうだろう。LGBTQなどという概念が確立され、昔ほど差別的な眼差しを向けられるわけではないだろうが、リスクが大きすぎる。
欧米では著名人のカミングアウトは珍しくない。しかし、日本ではまだまだ多くないし、韓国社会は日本以上に保守的だ。
ソロ歌手や俳優であれば個性のひとつとして通せるだろうが、アイドルグループなれば話はちがってくる。ファンはすくなからずメンバーを男性として見ているはずだし、素直に受け容れられるかといえば、複雑だろう。
デビュー3年目をすぎて、グループとしても大事な時期だ。判断を誤れば命取りになるという会社の懸念も理解できなくもない。
契斗もそれがわかっているから悩んでいる。利己的な人間であれば、事務所スタッフやメンバーへの影響を考えず、強引にでも自身の主張を通すだろう。大切な仲間を危機に晒すことは、契斗にとって自分を偽ること以上につらいはずだ。
「庸介くんも、やっぱり反対?」
「おれは……」
思わず口籠もった。おれにとっては、事務所やグループなどどうでもよかった。大切なのは契斗だ。家族との関係が悪化し、グループや事務所内で居場所を失い、ファンから背を向けられるようなことになれば、契斗が傷つく。



