1週間後、おれの体は池袋にあった。
駅に近いライブハウスは、前回の会場よりも大きく、収容人数は200人程度といったところか。表にA3サイズのポスターが何枚も貼られていた。
到着したときはすでに公演がはじまっている時間になっていたが、急がなかった。観にくるつもりはなかったからチケットも持っていない。
幸か不幸か、仕事は休みでほかにすることもなかった。朝から悶々としていたが、けっきょく、会場まできてしまった。
前回よりも規模が大きくなったとはいえ、音が漏れてくるほどの大箱ではない。すでに公演がはじまっており周辺にスタッフやファンの姿もなく、静かなものだった。道ばたでぼんやり突っ立っていても、なににもならない。わかっていても、その場から動けなかった。
1時間近くライブハウスの向かいの雑居ビルの前に立ち尽くしていた。気づくと公演が終わる時間になっていて、おしゃれをした女性客たちが建物から続々と出てきた。
思わず苦笑いする。なにをしているのか。我ながら呆れた。これではファンというよりもストーカーだ。
契斗に会うことが目的できたわけではない。一般客が大勢いる会場外に契斗が出てくるはずもなかった。ただ、すこしでも近くにいたかった。
しかし、あまり長時間いるとスタッフに訝しく思われる可能性もある。そろそろ退散したほうがよさそうだ。踵を返したとき、おれの脇を通り過ぎる3人連れの女性の話し声が耳に入った。終わったばかりのライブの感想を楽しげに語り合っている。
「リーダー、間に合ってよかったよね」
「マジでそれ。ケイトが寝坊って珍しいよね。なんかあったんかな」
どうやら公演時間はすこし遅れたようで、その理由は契斗の遅刻だったらしい。違和感をおぼえた。契斗は真面目で几帳面な性格で、高校時代に地元で活動をしていたときにも遅刻をしたことは一度もなかった。
「今日もちょっと元気なかったもんね。MCもあんましゃべんなかったし」
「まだ足痛いのかなあ」
「心配だよね。ちゃんと休んでくれたらいいけど」
足を止めると、すぐ後ろを歩いていた女性客がぶつかりそうになり舌打ちした。目で謝って体をずらし、道を空けた。
ライブの余韻を楽しむ女性たちに混じってひとりで突っ立っているおれに、通りすがる客たちが警戒するような目を向けてきたが、気にならなかった。
契斗が本番に遅れた。公演を観ていたファンたちによると、ステージ上での様子もふだんとちがっていたという。どうしようもなく胸が騒いで、その場を離れられなくなった。
駅へ向かうひとの流れに逆らってライブハウスの方角へもどる。この日も公演終了後に写真撮影会や握手会が行われているはずで、地下の会場から階段を上がってくる客がちらほらといた。すぐには帰宅せず、会場周辺でいくつかの輪をつくって互いの写真やグッズを見せ合ったりおしゃべりをしたりしている。
契斗の様子が気になったが、彼女たちの脇をかき分けて会場に入る勇気はなかった。ハジュンとの約束もあったし、そもそも客でもないおれを入れてくれるとも思えない。
電話やLINEで直接連絡しようか。元気かどうか聞くだけだ。なにもなければそれでいい。
ファンの集団からすこし離れた舗道でスマホを手に逡巡していると、手のなかに振動を感じた。契斗からの電話だった。向こうからかかってきた。
躊躇った。電話がくるのは数ヶ月ぶりだ。ずっと出てこなかった。無視しようと思ったが、タイミングが気になった。
迷った結果、おれは電話に出た。
「もしもし」
契斗の声が聞こえたとたん、思わず声が漏れそうになった。まだ施設内にいるのだろう。周囲が騒がしい。スタッフらしき韓国語の会話がせわしなく聞こえる。声を顰めて、契斗はいった。
「庸介くん?」
ずっと聞きたかった言葉。契斗の声がおれの名前を呼んでいる。無意識にスマホをつよく握りしめていた。
「庸介くん、聞こえてる?」
おれが黙っていることに不安をおぼえたのか、契斗の声がさらに小さくなる。
「聞こえてるよ」
慌てて答えた。周囲を気にしながら、ライブハウスに背を向け、おれも声を低めた。
「どうした? なんかあった?」
「なんもないけど……」
ステージを終えたばかりだというのに、契斗の声に高揚や余韻はなかった。疲労というわけでもない。たしかに、どこか様子がおかしかった。
「……今日、きてくれへんかったね」
責めるような口調ではなかったが、胸が痛んだ。
「ああ……忙しかった。ごめん」
「そっか……」
すこし笑ったが、力はなく寂しげだった。
「日本公演やし、いるかもって思って、ちょっと客席探してた」
胸が苦しい。罪悪感といとおしい気持ちが交差し、渦を巻いた。
「今日、このあと会えへんかな?」
「今日?」
思いがけない言葉に声が上擦った。
「せっかく日本きてるし、ちょっと話したいこともあるから……」
契斗にしては歯切れが悪い。あきらかに不自然だった。
「やっぱなんかあったんだろ」
動揺を抑え、どうにか気持ちを落ち着かせながら、いった。
「いえよ。なにがあった?」
「それはあとで……」
「今いえ」
呼吸を継ぐ気配。躊躇いが伝わる。
「体の調子でも悪いのか? 怪我はもう治ったんだろ?」
「なんで怪我のこと知ってんの?」
「それは……ネットニュースでたまたま見て……」
毎日欠かさず情報を確認しているというのには抵抗があった。だれもが知るトップアーティストというわけでもない契斗の負傷が海外ニュースにまでなるかというと微妙なところだ。誤魔化すようにいった。
「おまえ、枕とかやらされてんじゃねえだろうな」
回線の向こうで契斗が噴き出す。
「笑うなよ」
「ごめん」
「やってないってことか?」
「あたりまえやろ」
「そっか……」
詰めていた息を吐く。契斗がまたすこし笑った。
駅に近いライブハウスは、前回の会場よりも大きく、収容人数は200人程度といったところか。表にA3サイズのポスターが何枚も貼られていた。
到着したときはすでに公演がはじまっている時間になっていたが、急がなかった。観にくるつもりはなかったからチケットも持っていない。
幸か不幸か、仕事は休みでほかにすることもなかった。朝から悶々としていたが、けっきょく、会場まできてしまった。
前回よりも規模が大きくなったとはいえ、音が漏れてくるほどの大箱ではない。すでに公演がはじまっており周辺にスタッフやファンの姿もなく、静かなものだった。道ばたでぼんやり突っ立っていても、なににもならない。わかっていても、その場から動けなかった。
1時間近くライブハウスの向かいの雑居ビルの前に立ち尽くしていた。気づくと公演が終わる時間になっていて、おしゃれをした女性客たちが建物から続々と出てきた。
思わず苦笑いする。なにをしているのか。我ながら呆れた。これではファンというよりもストーカーだ。
契斗に会うことが目的できたわけではない。一般客が大勢いる会場外に契斗が出てくるはずもなかった。ただ、すこしでも近くにいたかった。
しかし、あまり長時間いるとスタッフに訝しく思われる可能性もある。そろそろ退散したほうがよさそうだ。踵を返したとき、おれの脇を通り過ぎる3人連れの女性の話し声が耳に入った。終わったばかりのライブの感想を楽しげに語り合っている。
「リーダー、間に合ってよかったよね」
「マジでそれ。ケイトが寝坊って珍しいよね。なんかあったんかな」
どうやら公演時間はすこし遅れたようで、その理由は契斗の遅刻だったらしい。違和感をおぼえた。契斗は真面目で几帳面な性格で、高校時代に地元で活動をしていたときにも遅刻をしたことは一度もなかった。
「今日もちょっと元気なかったもんね。MCもあんましゃべんなかったし」
「まだ足痛いのかなあ」
「心配だよね。ちゃんと休んでくれたらいいけど」
足を止めると、すぐ後ろを歩いていた女性客がぶつかりそうになり舌打ちした。目で謝って体をずらし、道を空けた。
ライブの余韻を楽しむ女性たちに混じってひとりで突っ立っているおれに、通りすがる客たちが警戒するような目を向けてきたが、気にならなかった。
契斗が本番に遅れた。公演を観ていたファンたちによると、ステージ上での様子もふだんとちがっていたという。どうしようもなく胸が騒いで、その場を離れられなくなった。
駅へ向かうひとの流れに逆らってライブハウスの方角へもどる。この日も公演終了後に写真撮影会や握手会が行われているはずで、地下の会場から階段を上がってくる客がちらほらといた。すぐには帰宅せず、会場周辺でいくつかの輪をつくって互いの写真やグッズを見せ合ったりおしゃべりをしたりしている。
契斗の様子が気になったが、彼女たちの脇をかき分けて会場に入る勇気はなかった。ハジュンとの約束もあったし、そもそも客でもないおれを入れてくれるとも思えない。
電話やLINEで直接連絡しようか。元気かどうか聞くだけだ。なにもなければそれでいい。
ファンの集団からすこし離れた舗道でスマホを手に逡巡していると、手のなかに振動を感じた。契斗からの電話だった。向こうからかかってきた。
躊躇った。電話がくるのは数ヶ月ぶりだ。ずっと出てこなかった。無視しようと思ったが、タイミングが気になった。
迷った結果、おれは電話に出た。
「もしもし」
契斗の声が聞こえたとたん、思わず声が漏れそうになった。まだ施設内にいるのだろう。周囲が騒がしい。スタッフらしき韓国語の会話がせわしなく聞こえる。声を顰めて、契斗はいった。
「庸介くん?」
ずっと聞きたかった言葉。契斗の声がおれの名前を呼んでいる。無意識にスマホをつよく握りしめていた。
「庸介くん、聞こえてる?」
おれが黙っていることに不安をおぼえたのか、契斗の声がさらに小さくなる。
「聞こえてるよ」
慌てて答えた。周囲を気にしながら、ライブハウスに背を向け、おれも声を低めた。
「どうした? なんかあった?」
「なんもないけど……」
ステージを終えたばかりだというのに、契斗の声に高揚や余韻はなかった。疲労というわけでもない。たしかに、どこか様子がおかしかった。
「……今日、きてくれへんかったね」
責めるような口調ではなかったが、胸が痛んだ。
「ああ……忙しかった。ごめん」
「そっか……」
すこし笑ったが、力はなく寂しげだった。
「日本公演やし、いるかもって思って、ちょっと客席探してた」
胸が苦しい。罪悪感といとおしい気持ちが交差し、渦を巻いた。
「今日、このあと会えへんかな?」
「今日?」
思いがけない言葉に声が上擦った。
「せっかく日本きてるし、ちょっと話したいこともあるから……」
契斗にしては歯切れが悪い。あきらかに不自然だった。
「やっぱなんかあったんだろ」
動揺を抑え、どうにか気持ちを落ち着かせながら、いった。
「いえよ。なにがあった?」
「それはあとで……」
「今いえ」
呼吸を継ぐ気配。躊躇いが伝わる。
「体の調子でも悪いのか? 怪我はもう治ったんだろ?」
「なんで怪我のこと知ってんの?」
「それは……ネットニュースでたまたま見て……」
毎日欠かさず情報を確認しているというのには抵抗があった。だれもが知るトップアーティストというわけでもない契斗の負傷が海外ニュースにまでなるかというと微妙なところだ。誤魔化すようにいった。
「おまえ、枕とかやらされてんじゃねえだろうな」
回線の向こうで契斗が噴き出す。
「笑うなよ」
「ごめん」
「やってないってことか?」
「あたりまえやろ」
「そっか……」
詰めていた息を吐く。契斗がまたすこし笑った。



