ソウル・ステーション/ディセンバー

 活動がはじまって半年ほどたった頃、日本でのはじめてのライブとファンミーティングが決まった。新大久保の小さなライブハウスで、韓国アーティストからメン地下と呼ばれる半分アマチュアのようなグループまで大小さまざまな公演が行われている。韓国の会場よりもさらに小規模だが、一般的な知名度が拡がっていない新人グループの初来日公演であればこんなものなのかもしれない。
 おれは簡素なパイプ椅子に腰掛け、ファンの女たちに混じって、公演がはじまるのを待っていた。韓国では関係者らしき男性客の姿も見られたが、日本の客層はほぼ100%女性だった。はじめのうちこそ居心地の悪さを感じていたものの、すっかり慣れてしまった。
 デビュー公演以来、仕事の合間に契斗のグループの活動をネットで追い、1、2か月に一度のペースで韓国のライブやイベントに足をはこぶのが習慣になっていた。渡航費を捻出するために生活を切り詰め、休みなく働いた。無駄な出費を抑えるために酒も煙草もやめた。
 寮から工場に通い、廃品を機械で処理し、仕事が終わればまっすぐ帰宅して契斗のミュージックビデオや音楽番組を見る。華やかさとは無縁の地味な生活だったが、体の調子はよくなり、精神的にも安定していた。
 単調な日々でも、数週間先に待つ韓国行きの予定を考えれば胸が躍った。そこそこのファンがついていた十代の頃には、男が歌って踊る姿を眺めるのにわざわざ遠方から電車に乗って駆けつけ、安っぽいブロマイドやCDを喜んで買う心理が理解できなかった。今ならすこしわかる気がした。
 考えてみればおかしな話だ。高校の頃は契斗のほうがおれに夢中で、ライブに通い、グッズを買って、挙げ句の果てにはおれに近づこうとオーディションまで受け、おなじ事務所に所属した。それが今では、おれのほうが契斗を追いかけている。
 自身の状況と比較して劣等感をおぼえたこともあったが、それももうなくなった。契斗が輝きを増すほどに、救われたような気持ちになった。他人の前に姿を晒し、見世物になる仕事を嫌悪していたが、だれかに勇気を与えられるのだとしたら、そう悪いものでもないのかもしれない。
 公演が終わると、ファンミーティングがはじまった。CDを購入した客は好きなメンバーを指名してツーショット写真を撮影することができる仕組みだ。スタッフの呼びかけに、女性客たちがそれぞれ目当てのメンバーの列に並びはじめる。
 すこし迷ったが、準備のために一列に並びはじめたメンバーたちに目を向けたとき、契斗と視線が合った。おれに気づき、さりげなく微笑む。その笑顔を見たとたん、帰れなくなった。
 自分でも馬鹿げていると思うが、ほんの一瞬笑いかけられただけで、どうしようもなく胸が高鳴っている。
 わかっていた。おれは今でも契斗が好きだ。契斗の気持ちがすでにおれには向いていないと知っていても、完全に消し去ることはできなかった。しかし、だからといって、強引にどうこうしようというつもりはなかった。ファンのひとりとして契斗を応援できればじゅうぶんだった。
「ありがとう、きてくれて」
 順番が回ってくると、契斗がにっこり笑っておれの手を握った。握手をして笑顔を見せるのはほかのファン全員にまんべんなくしていることなのに、まるで自分だけが特別あつかいをされているような気がした。
「客席いたの見えたよ」
 ステージを終えてメイクなおしをしたのだろうがまだすこし汗ばんだ肌をタオルで軽く拭う。
「おれ、目立つよな」
「うん」
 タオルを口元にあてて笑いを噛みころす。ハジュンのようなイケメンキャラではないが、愛嬌のある笑顔で、心根のよさが伝わってくる。いわゆる典型的なアイドル像に嵌まらずとも、ファンから信頼され、メンバーから頼られている理由のひとつだ。
「日本やし、ひょっとしているかもって思ってたけど」
「おれがくると迷惑か?」
「全然。うれしい」
 韓国人のスタッフがなにかいって、短い会話は中断せざるを得なくなった。スタッフにスマホを渡し、契斗と並んで写真を撮った。ライブには何度か足をはこんでいたが、ファンサービスに参加するのははじめてだった。
 気恥ずかしいのは向こうもおなじだっただろう。視線が合い、笑い合った。
「じゃあ……」
「うん、ありがとう」
 契斗が笑顔で手を振り、おれはスタッフに誘導されてその場を離れた。振り返ると、すでに契斗は次の客を迎えているところだった。おれにしたように両手で手を握り、楽しげに会話をしている。つまらない独占欲は封じたつもりだったし、契斗の恋愛対象に女性が含まれないこともわかっていた。しかし、中学生か高校生くらいに見える若い女性ファンと指を絡めて写真に収まっている契斗の姿を見ていると、わずかに胸が騒いだ。
 列を離れると、とたんに羞恥心が増した。同時に、数ヶ月ぶりに会話を交わしたのにもかかわらずくだらないことしかいえなかったことを後悔した。
 ファンたちの列からすこし離れて、客をもてなす契斗を見つめた。しばらくすると列が短くなり、客の数もまばらになっていった。