ソウル・ステーション/ディセンバー

 別れを告げられた日から、契斗とはいっさい連絡がつかなくなった。電話は繋がらず、LINEの既読もつかない。ブロックされているのかもしれなかった。
 契斗はSNSをやっていなかったし、オーディション番組の放送も終了していたから、様子を知ることはできなかった。まるではじめから存在していなかったかのように、契斗の存在は見事に消滅した。
 おれは自暴自棄になり、生活はますます荒んでいった。酒に溺れ、だれとでも寝た。暴力事件があってからホストクラブは辞めていたから金がなかった。生活費だけでなく小遣いもすべて朋大に依存し、朋大との関係も悪化していった。財布から金を盗み、四六時中泥酔しているおれにさすがの朋大もうんざりしているのを隠そうともせず、その態度がおれの気分をさらに惨めにさせた。顔を合わせるたびに口論となり、険悪な空気がつづいた。
 朋大に寄生する生活も限界かもしれないと感じつつあったある夜、帰宅したおれを朋大が玄関まで迎えにきた。
「話あんねんけど」
 楽しい話でないことはすぐに察した。面倒がっているのを隠しもせず、ため息をついた。
「明日でいいだろ」
「だめ。今」
 有無をいわせぬ厳しい口調だった。感情を圧しころしてはいるが、あきらかに様子がおかしかった。
「座って」
 リビングのソファに向かって顎をしゃくる。逃げられそうになかった。おれは不承不承ソファに座った。だらしなく脚を投げ出し、朋大を見上げる。
「早くしろよ。眠いんだよ、こっちは」
 すでに深夜2時を回っていた。強いテキーラのせいで頭が重い。早めに済ませて眠りたかった。
「この前な」
 おれの前に立って腕を組み、朋大が口を開いた。
「口内炎みたいのできてん」
「口内炎?」
 別れ話を覚悟していただけに、拍子抜けした。
「それが?」
「今日、病院行ったら、梅毒っていわれた」
「梅毒?」
 馬鹿のように鸚鵡返しを繰り返す。
 小学校さえまともに通っていないおれも、性病の一種であるということは知っていた。しかし、実感が湧かなかった。
「庸ちゃんは? 症状ない?」
「症状って……」
「頭痛とか体のだるさとか、あとは発疹とか」
 混乱して答えられなかった。ほぼ毎日酒を飲んでいて頭痛や倦怠感は常時あったし、自分の顔や体を鏡でチェックすることもなかった。
「とりあえず、明日すぐ病院行ったほうがええよ」
 おれは完全に取り乱していた。性病に冒されているという現実がまったく理解できず、思考が停止していた。
「それと、関係を持ったひとにも連絡して」
 愕然としているおれとは対照的に、朋大は冷静だった。医療関係者らしく淡々といった。
「症状が出ないひともおるし、放置すると危険やから」
「危険って……」
「早めに治療したら抗生剤で治るけど、ほっといたら心臓や脳に障害が残るかもしれへんし、死ぬことだってあるよ」
 死ぬという一言に頭を殴られたようだった。
「契斗……」
 思わず呟いた。契斗と別れてから1か月ほどだ。朋大とも最近はしていなかった。朋大が罹患したなら、契斗に伝染した可能性はじゅうぶんある。
「その子に伝染されたの?」
「ちがう」
 咄嗟に声が出た。ソファから立ち上がる。のんびり座っていられなかった。
「あいつはおれしか知らないから……」
「そんなん信じてんの? アホちゃう?」
「あいつはおまえとはちがうんだよ」
「へえ」
 朋大は顔色ひとつ変えず、次にこういった。
「ほんならその子に伝染したんや」
 腕を組んだ姿勢のまま、冷ややかにおれを見る。
「かわいそうやなあ。こんなクズに病気伝染されて」
「うるせえよ」
 自分がどうしようもない人間であることはわざわざ教えられなくてもわかっていた。吐き捨てるようにいった。
「おまえじゃねえの?」
「は?」
「おまえがどっかから菌持ってきたんじゃねえのって」
 朋大は相変わらず眉さえ動かさない。しばらく黙ってから、静かにいった。
「それはないわ」
 責められているのかと思ったが、どうやらちがうようだった。
「もう半年以上、庸ちゃんとしかしてへんもん」
 今度はおれが言葉を失う番だった。
「……マジかよ」
「嘘ついてどうすんの」
 朋大の表情からはなんの感情も読み取れなかった。
「だっておまえ……」
 おれたちの関係は気楽で軽薄なもののはずだった。互いに干渉せず、好きなときに好きな相手と遊ぶ。そんな都合のよい関係だったはずだ。
「おまえもてきとーに遊んでるつってただろ」
「ほんまのこといったら、庸ちゃん、絶対うざがるやんか」
 否定はできなかった。朋大のいうとおりだった。朋大がほかの男の話をしても、病気を伝染した相手がほかにいたとしても、嫉妬は感じなかった。
「……悪かった」
 心から謝罪した。病気を伝染したことに対してだけではなかった。
「本当にごめん。ゆるしてほしいとはいわないけど、謝る」
 おれは朋大を愛していない。便利な金づるとして以外の感情は持てなかった。
 朋大は頭がいい。もう気づいていただろう。おれから目を逸らし、小さく呟いた。
「終わりやね」
 なにもいい返せなかった。黙っているおれに、朋大は疲れたような声でいった。
「明日はここ行って」
 小さな紙切れを取り出し、テーブルに置いた。大学病院の医師の名刺だった。
「ええ先生やから。話通してある」
 それだけいって、おれに背を向け、自室に向かった。半分ほどドアを開けた状態で動きを止め、おれのほうは見ないまま、いった。
「1週間以内に荷物まとめて出てってな」
 ドアが閉まり、静かになった。
 リビングでひとりになると、おれは呆然と立ち竦んだ。
 1年もいっしょに住んで、あっけない終末だった。すでに終わりは過ぎていたのかもしれない。
 終わりやね、という朋大の言葉が契斗の声に変換された。全身から力が脱け、おれは再びソファに座り込んだ。