ソウル・ステーション/ディセンバー

「じゃあ明日くるか?」
「明日もちょっと……」
 契斗が言葉を濁す。
「土曜日だろ」
「ダンススクールあって……」
「ダンススクール?」
 ベッドに腰掛け、契斗を見上げた。
「最近、通いはじめてん。ヒップホップとジャズダンスのスタジオ」
「レッスンでやってんだろ」
「うん。でも……もっと上手になりたいから」
 契斗がダンスに熱中していることはわかっていたが、それほどまでに没頭しているとは。子どもの頃からレッスンを受けているとはいえ、おれにはダンスなどただの遊びだった。はじめた動機は不純かもしれなかったが、ダンスや歌、ステージが契斗にとって重要な位置を占めているのはあきらかだった。
 しかし、意外に感じた。契斗の家族は団地住まいで、兄弟も多く、習いごとの余裕はないと聞いていた。
「バイトもはじめたの。先月から」
「どこで」
「学校の近くのカラオケボックス。24時間営業やからシフト組みやすいし、空いた時間に歌の練習もできるし」
「へえ……」
「シンくんの紹介で。シンくんもそこでバイトしてて、おんなしとこやったらいろいろ安心やし」
 おなじグループでおれの後輩にあたる。契斗にとっては先輩だ。グループ内ではダンスの振り付けを担当している。真面目に練習に励む契斗を評価し、なにかと面倒を見ていることは知っていた。なんとなく、おもしろくなかった。
 バイトのことを事前に聞かされていなかったことにもかすかな苛立ちをおぼえたが、自分のほうも退所を伝えていなかっただけに、詰問はできなかった。代わりに、皮肉めいた口調でいった。
「なら、これからはそんなに会えなくなるな」
「え……」
「忙しいんだろ?」
「そんなことない」
 意地の悪いいいかたに、契斗は慌てて首を振った。
「おれはもっと会いたいけど……」
 スマホのアラームが鳴った。おれのものではない。契斗が制服のポケットからスマホを取り出し、アラームを解除した。レッスンに向かう時間がきたのだ。いちいちアラームをかけておくところはいかにも几帳面な契斗らしい。
「行かないと……」
「おう、行けよ」
 契斗は躊躇いがちにおれに背を向け、ふと思いついたように振り返った。
「そや、これ……」
 鞄から小さな紙の袋を取り出す。
「なに?」
「この前修学旅行に行ったから。お土産」
 袋を開けると小さなキーホルダーが入っていた。親指ほどのサイズの銀色の塔がキーリングにくっついている。
「なにこれ。東京タワー?」
「エッフェル塔」
「フランス行ったのかよ?」
「ううん。京都やけど」
 契斗がはにかんだ表情を見せる。
「雑貨屋さんで見て、かわいいなって。庸介くん、いつも鍵、裸のまま持ち歩いてるやろ。なくしたらあぶないし」
「なんでエッフェル塔?」
「世界にはばたけますようにって思ったんやけど……」
 笑いそうになった。世界にはばたくとはずいぶん大仰だ。過大評価にもほどがある。
「気にいらんかった?」
 キーホルダーをつまんで卑屈な笑みを浮かべるおれに、契斗がおずおずと尋ねる。
「もし嫌やったら……」
「嫌とはいってない。もらうよ」
 ポケットから自宅の鍵を取り出し、キーホルダーのリングに通す。契斗がほっとしたように表情を緩めた。
「庸介くん、あの……」
 再びおれをまっすぐ見つめ、契斗は躊躇いがちにいった。
「またもどってきたくなったら、いつでも待ってるから」
 契斗の目はうんざりするほど澄んでいた。直視できずに、思わず顔を逸らした。
「ほかの事務所でもええし、できたら、活動つづけてほしいなって。ほら、おれ、庸介くんのファンやし」
 おれの自尊心を傷つけまいと慎重に言葉を選んでいる。
 子役時代も含め、芸能界にいい思い出はなかった。当然、未練もない。この先感じるとも思えなかった。しかし、契斗は熱のこもった声でいった。
「おれが口出しすることやないてわかってるけど、それだけいうときたくて……」
 「落ち着いたら考えてみて」と告げて、契斗が帰ったあと、自室のベッドで仰向けになり、もらったばかりのキーホルダーを眺めながら、おれはすこし救われたような気になった。おとなに利用されるばかりで自由意志もなかった芸能活動にはほとほと嫌気がさしていたが、だれにも影響を与えなかったわけではなかった。すくなくとも、おれがいなければ、契斗が事務所の門を叩くことはなかったし、ダンスをはじめることもなかった。
「世界にはばたくか……」
 真剣そのものといった契斗の顔を思い出すと頬が緩んだ。自分のことはだれよりもよくわかっている。世界どころか、地方でさえたいした活躍もできない凡庸な男だ。取り立てて才能があるわけでもなければ、それを補うだけの努力をすることもない。注目を浴び、圧倒的な輝きを放つスターは、契斗の妄想のなかにしか存在しない。
 京都土産にエッフェル塔を買ってくる者はそう多くないだろう。自分ではまったく気づいていないだろうが、契斗の感性にこそ、非凡なものが埋まっていた。
 契斗といるとき、ほかでは決して味わうことのできない優越感を手にすることができた。一方で、かすかな劣等感も間違いなく存在していた。その大きすぎるギャップはおれの神経を削り取り、より強烈な執着を生み出していた。
 小さなエッフェル塔を手のなかに握り込む。ぎゅっと力をこめると、塔の先端が掌を圧し、痺れるような痛みがじんわりと染み渡った。