「うわ、女くさっ」
帰宅するなり、厭味をいわれた。朋大はすでに帰宅していて、バスローブ姿でリビングのソファに座りワインを飲んでいた。
「なんなんそれ。どういう状況?」
髪や服を派手に乱したおれを見て、顔をしかめる。
「ハリケーンにでも遭ったん?」
「うるせえ」
脱いだ靴を玄関に放り出し、コートも脱ぎ捨てる。広い廊下を横切り、バスルームに入る。シャワーも浴びずにホテルを出てきた。酒と汗と煙草と精液の匂いが染みついたジャケットとシャツを脱いで洗濯籠に放り投げる。
洗面所の鏡に見知らぬ男が映っていた。他人であるはずがないのだが、すぐには自分だと信じられなかった。不摂生な生活で肌が荒れ、顎はたるんでいる。パーツのバランスはそれなりに整ってはいるものの、皮膚は乾いて生気がなく、まだ25歳だというのに三十代後半に見えた。
ホテルを出てマンションに向かう電車に揺られながら、ネットで視聴できるオーディション番組の放送を見た。スマホの小さな画面のなかで審査のステージに立つ契斗の姿。小柄な体をすべてつかって踊り、カメラを見つめながら歌う。堂々とした姿だった。きらびやかな衣装に身を包み、つよい照明を浴びて、輝いていた。眩しかった。直視できなかった。
映像を停止してワイヤレスイヤホンをはずすと、いつもの終電の喧噪や不快な匂いがやけに気になった。ぶち切れた女に罵られたときよりもさらに昏い気分で、窓の外の無機質な景色が流れていくのをただぼんやりと眺めていた。
「お客さんと揉めた?」
いつの間にかバスルームの入り口に朋大が立っていた。開いたままのドアに凭れて、呆れ顔でおれを眺めている。
「どうせまた変なこといって怒らせたんやろ」
ワイングラスを手のなかで軽く揺らしながら軽口を叩く。泥酔して帰ってくるのも客に殴られるのもはじめてではない。驚くことはなかった。
「いい加減ホストなんか辞めてべつの仕事に就いたらええのに」
「小卒にできる仕事がそうそうあるわけねえだろ」
朋大は京都大学の薬学部を卒業して大手製薬会社に勤め、まだ三十代ながらチーフとして新薬開発のプロジェクトチームを任されている。高校どころか中学校にさえまともに通うことなく社会経験も適応能力も著しく欠如している25歳の気持ちなど理解できるはずがなかった。
「ぼくが養ってもええねんけど」
冗談めかした口調ではあったが、半ば本気のように聞こえた。高給取りでタワーマンションに住む朋大だったが、仕事に忙殺されて遊ぶ暇もなく、これといった趣味も持たない。おれひとり面倒を見るのは不可能ではないだろう。実際、前の女に追い出されて住処を失ったおれが転がり込んで半年以上になるが、家賃や生活費を求められたことは一度もなかった。
ホストをはじめて1年ほどだが、思うように成績が伸びず、ナンバー入りどころかいまだに便所組を抜け出すことができていない。顔だけは悪くないから、席を盛り上げる飾りとしてはそこそこ役立つということでクビにはなっていないだろうが、時間の問題だろう。実際、上位のホストからは蔑まれ、若手からは疎ましがられている。居心地も決していいとはいえない。といって、それ以前の工場勤めにもどる気にもなれない。毎日朝早くから深夜までめまぐるしく働いて得られ賃金はわずかだ。とてもやっていられない。
状況を考えると、朋大の提案はこれ以上なく魅力的だった。尻尾を振って飛びつきたいところだが、即答できないのは、まだわずかに自尊心が残っているせいだろう。
「まあええわ。考えといて」
おれの無反応をどう解釈したのか、朋大は首を窄めた。ワインをひと口飲んで首を伸ばし、鏡に映るおれの情けない顔を見つめた。
「ちょっと、なに、怪我してるやん」
こめかみのあたりからわずかに出血していた。興奮していて意識していなかったが、女と揉み合いになったときについた傷だろう。ネイルアートの石か指輪か、去り際にバッグでも殴られたから、持ち手についたチャームの一部で擦ったのかもしれない。
「見せて。手当しないと……」
「さわんなよ」
伸ばされた手から避けるように顔を背ける。
「血出てるやん。もう、ほんまに……顔殴るなんてマナー違反とちがうの」
「平気だよ、こんくらい」
朋大が大袈裟に騒いでいるだけでたいした怪我ではない。痛いのは、唯一に近い太客を失ったことだった。これで明日もお茶引き確定だ。締め日までにノルマを達成できる可能性は限りなく低い。シャンパンタワーどころか、この先に控える誕生日にも指名の目処は立っていない。去年はまだ入りたての新人だったからある程度は大目に見てもらえたが、今年はそうはいかないだろう。
憂鬱や苛立ちはあったが、半ばあきらめの境地に達していた。誕生日などたいして意味はない。楽しみに思ったことはなかった。事務所や自宅に届く大量のプレゼントや名前も思い出せない客を大勢迎えて開く盛大なバースデイパーティもすべて他人ごとだった。
「ねえ、庸ちゃん。こっち向いて。傷見せてよ」
「いいつってんだろ」
しつこく心配してくる朋大の手をつかみ、引き寄せた。体勢を入れ替え、洗面台に尻を圧しつけさせる。
「ちょっと……あぶないって。グラスが……」
朋大はわずかに身を捩ったが、腰を抱いてキスをするとすぐに抵抗の力を弱めた。ワイングラスを洗面台に置いて、おれの首に腕を絡めてくる。
「……女の匂いさせて帰ってくるんもマナー違反やで」
文句をいいながらも、おれの動きに協力して脚を開く。バスローブをはだけさせ、下着を引き下ろした。腕のなかの体が徐々に熱を持っていく。
「なにしててもかまへんけどね。せめてシャワーくらい浴びてきてよ」
「めんどくせえこといってねえでさっさとそこ手つけよ」
舌打ちしながら太股を掌で叩く。朋大は不服そうに唇を窄めたが、なにもいわずに自分から体の向きを変え、洗面台に手をついて尻を突き出した。
帰宅するなり、厭味をいわれた。朋大はすでに帰宅していて、バスローブ姿でリビングのソファに座りワインを飲んでいた。
「なんなんそれ。どういう状況?」
髪や服を派手に乱したおれを見て、顔をしかめる。
「ハリケーンにでも遭ったん?」
「うるせえ」
脱いだ靴を玄関に放り出し、コートも脱ぎ捨てる。広い廊下を横切り、バスルームに入る。シャワーも浴びずにホテルを出てきた。酒と汗と煙草と精液の匂いが染みついたジャケットとシャツを脱いで洗濯籠に放り投げる。
洗面所の鏡に見知らぬ男が映っていた。他人であるはずがないのだが、すぐには自分だと信じられなかった。不摂生な生活で肌が荒れ、顎はたるんでいる。パーツのバランスはそれなりに整ってはいるものの、皮膚は乾いて生気がなく、まだ25歳だというのに三十代後半に見えた。
ホテルを出てマンションに向かう電車に揺られながら、ネットで視聴できるオーディション番組の放送を見た。スマホの小さな画面のなかで審査のステージに立つ契斗の姿。小柄な体をすべてつかって踊り、カメラを見つめながら歌う。堂々とした姿だった。きらびやかな衣装に身を包み、つよい照明を浴びて、輝いていた。眩しかった。直視できなかった。
映像を停止してワイヤレスイヤホンをはずすと、いつもの終電の喧噪や不快な匂いがやけに気になった。ぶち切れた女に罵られたときよりもさらに昏い気分で、窓の外の無機質な景色が流れていくのをただぼんやりと眺めていた。
「お客さんと揉めた?」
いつの間にかバスルームの入り口に朋大が立っていた。開いたままのドアに凭れて、呆れ顔でおれを眺めている。
「どうせまた変なこといって怒らせたんやろ」
ワイングラスを手のなかで軽く揺らしながら軽口を叩く。泥酔して帰ってくるのも客に殴られるのもはじめてではない。驚くことはなかった。
「いい加減ホストなんか辞めてべつの仕事に就いたらええのに」
「小卒にできる仕事がそうそうあるわけねえだろ」
朋大は京都大学の薬学部を卒業して大手製薬会社に勤め、まだ三十代ながらチーフとして新薬開発のプロジェクトチームを任されている。高校どころか中学校にさえまともに通うことなく社会経験も適応能力も著しく欠如している25歳の気持ちなど理解できるはずがなかった。
「ぼくが養ってもええねんけど」
冗談めかした口調ではあったが、半ば本気のように聞こえた。高給取りでタワーマンションに住む朋大だったが、仕事に忙殺されて遊ぶ暇もなく、これといった趣味も持たない。おれひとり面倒を見るのは不可能ではないだろう。実際、前の女に追い出されて住処を失ったおれが転がり込んで半年以上になるが、家賃や生活費を求められたことは一度もなかった。
ホストをはじめて1年ほどだが、思うように成績が伸びず、ナンバー入りどころかいまだに便所組を抜け出すことができていない。顔だけは悪くないから、席を盛り上げる飾りとしてはそこそこ役立つということでクビにはなっていないだろうが、時間の問題だろう。実際、上位のホストからは蔑まれ、若手からは疎ましがられている。居心地も決していいとはいえない。といって、それ以前の工場勤めにもどる気にもなれない。毎日朝早くから深夜までめまぐるしく働いて得られ賃金はわずかだ。とてもやっていられない。
状況を考えると、朋大の提案はこれ以上なく魅力的だった。尻尾を振って飛びつきたいところだが、即答できないのは、まだわずかに自尊心が残っているせいだろう。
「まあええわ。考えといて」
おれの無反応をどう解釈したのか、朋大は首を窄めた。ワインをひと口飲んで首を伸ばし、鏡に映るおれの情けない顔を見つめた。
「ちょっと、なに、怪我してるやん」
こめかみのあたりからわずかに出血していた。興奮していて意識していなかったが、女と揉み合いになったときについた傷だろう。ネイルアートの石か指輪か、去り際にバッグでも殴られたから、持ち手についたチャームの一部で擦ったのかもしれない。
「見せて。手当しないと……」
「さわんなよ」
伸ばされた手から避けるように顔を背ける。
「血出てるやん。もう、ほんまに……顔殴るなんてマナー違反とちがうの」
「平気だよ、こんくらい」
朋大が大袈裟に騒いでいるだけでたいした怪我ではない。痛いのは、唯一に近い太客を失ったことだった。これで明日もお茶引き確定だ。締め日までにノルマを達成できる可能性は限りなく低い。シャンパンタワーどころか、この先に控える誕生日にも指名の目処は立っていない。去年はまだ入りたての新人だったからある程度は大目に見てもらえたが、今年はそうはいかないだろう。
憂鬱や苛立ちはあったが、半ばあきらめの境地に達していた。誕生日などたいして意味はない。楽しみに思ったことはなかった。事務所や自宅に届く大量のプレゼントや名前も思い出せない客を大勢迎えて開く盛大なバースデイパーティもすべて他人ごとだった。
「ねえ、庸ちゃん。こっち向いて。傷見せてよ」
「いいつってんだろ」
しつこく心配してくる朋大の手をつかみ、引き寄せた。体勢を入れ替え、洗面台に尻を圧しつけさせる。
「ちょっと……あぶないって。グラスが……」
朋大はわずかに身を捩ったが、腰を抱いてキスをするとすぐに抵抗の力を弱めた。ワイングラスを洗面台に置いて、おれの首に腕を絡めてくる。
「……女の匂いさせて帰ってくるんもマナー違反やで」
文句をいいながらも、おれの動きに協力して脚を開く。バスローブをはだけさせ、下着を引き下ろした。腕のなかの体が徐々に熱を持っていく。
「なにしててもかまへんけどね。せめてシャワーくらい浴びてきてよ」
「めんどくせえこといってねえでさっさとそこ手つけよ」
舌打ちしながら太股を掌で叩く。朋大は不服そうに唇を窄めたが、なにもいわずに自分から体の向きを変え、洗面台に手をついて尻を突き出した。



