ホテルのドアが開いて、おれの顔を見た瞬間、契斗は唖然として立ち竦んだ。表情を強張らせ、声を抑えるように掌を口元にあてる。
「庸介くん、その顔……」
「いいから入れよ」
契斗の視線から逃げるように顔を背け、室内に入るよう促す。契斗は黙っておれの脇を通り抜け部屋に入った。
「どないしたん、それ」
ベッドに腰掛けて、契斗がおれを見上げる。心配そうな眼差し。おれの顔は大きく腫れ上がり、こめかみと頬に大きなガーゼが貼られていた。
「喧嘩?」
「そんなんじゃない。だいじょうぶだから」
早口に答える。前日の夜、仕事を終えて店を出たところでいきなり背後から殴られた。道路に倒れたところを複数の男に蹴られ、怪我を負わされた。
警察には行かなかった。おおかた客を奪われた他店のホストやスカウトのうちのだれかだろうし、翌朝早朝のソウル行きの便に乗らなければならなかった。
病院には行かずにそのまま帰宅し、朋大に傷の手当てをしてもらった。帰り道で知らない相手と軽い小競り合いになっただけだと説明したが、納得はしていないようだった。
「そんな顔すんなよ」
契斗の隣に座り、いった。
「たいしたことないから」
笑って見せたが、契斗の表情は固いままだった。
「なんかあったん?」
「べつに。ちょっとしたトラブルみたいなもん」
「トラブルって仕事で?」
質問の意図をつかめず、一瞬返答に詰まった。契斗はおれから目を逸らし、俯いていった。
「この前、部屋でホストクラブの名刺見つけた」
「……友達のだよ」
「たくさんあった」
おれは名刺入れを持っていない。煩わしいからだ。いつもそのまま束にしてポケットに入れている。なにかの拍子に滑り落ちてしまったのだろう。契斗はおれの嘘に気づきながら騙されたふりをしていた。思っていたほど鈍いわけではないようだ。
「悪かったよ、嘘ついて」
誤魔化せそうにないと悟り、ため息をついた。
「ちょっとかっこつけたかったんだよ」
契斗は黙っている。思い詰めたような表情で床を見つめている。
重い空気に耐えられなかった。手を伸ばし、契斗の顎に指をかけようとしたが、避けられた。
「なんだよ」
「今日は話するって約束やったやろ」
「やることやってから話してもいいだろ。時間はあるんだし」
強引に押し倒そうとしたが、契斗は身を捩って拒んだ。
「今日は無理」
「なんで」
「そういう気分になれへん」
「なんでだよ」
しつこく食い下がった。この数日、毎日契斗のことを考えていた。目の前の体を抱きたくてたまらなかった。
「顔がこんなだからテンション上がんねえとか? 面食いだもんな、おまえ」
「関係ない。そういうことやなくて……」
「じゃなに」
契斗の返答が要領を得ないことに苛立ち、舌打ちした。
「いいたいことあんならいえよ」
契斗はすこしの間黙っていたが、やがて静かにいった。
「庸介くんといると不安になる」
おれのほうには顔を向けないまま、いった。
「庸介くん、ほんまのこと全然いうてくれへんし」
「だから悪かったって。謝ってんじゃん」
拗ねているだけだと思っていた。しかし、契斗の頬の筋肉は強張ったままだった。
「殴られるくらいだれかに恨まれてるの?」
「はあ?」
「だれか傷つけた?」
頑なな態度の理由を察して、天井を仰いだ。ホストに対するイメージは近年悪化の一途をたどっている。自分に会うために客から金を巻き上げているのではないかと危惧し、心を痛めているのだろう。その不安は、あながち間違いともいえなかった。
「おまえ、おれが他人を騙して金儲けしてると思ってんの? それは偏見じゃねえ?」
身を乗り出していうと、契斗が俯く。
「たしかに胸張れる仕事じゃないかもしれないけど、犯罪者じゃねえし。職業差別ってやつだろ、それは。この顔見ろよ。どう見ても被害者だろ。同情してくんねえかな」
厳しい口調で捲し立てたが、かえって疑いを抱かせたかもしれない。契斗の表情はますます曇っていった。
「なあ、こっちこいって」
腕をつかみ、引き寄せる。抱きしめても、契斗は身を固くしているだけでいつものようには応じなかった。
「ほかのひとともしてるの?」
「あ?」
思わず笑いが漏れた。
「なに、ひょっとして嫉妬してんの、おまえ」
唇を噛んでいる契斗の顎に刻まれた皺をいとおしく感じた。
「おまえとしかしてねえよ」
いとおしさがこみあげてくるいっぽうで、相変わらず口からはごく当然のように嘘がこぼれる。
「な、契斗。おまえだけだから」
歯の浮くような台詞を口にしても羞恥心や罪悪感が芽生えることはなかった。嘘を重ねてその場をどうにか凌いできた経験が神経を麻痺させていた。噛んで含めるようにいい聞かせたが、契斗の表情が緩むことはなかった。
「契斗……」
抱き寄せようとしたおれの胸を契斗の両手が突いた。不意をつかれ、おれはベッドの上に手をついた。
「なんだよ。ほかの奴としてないつったろ」
「そういうことやなくて……」
契斗はぎこちなく言葉を切り、混乱を抑えるように両方の掌で顔を覆った。呻くように呟いた。
「……こういうの、もうやめたい」
「こういうの?」
明確な拒絶に、いとおしさは一瞬で腹立たしさに変わった。
「おまえだって楽しんでたじゃん。今さらやめたいとか勝手すぎるだろ」
「間違ってた」
深いため息とともに、契斗はいった。
「会わなかったらよかったって、今すごい後悔してる」
「……なんだよ、それ」
契斗の言葉は刃のようにおれの胸を鋭く貫いた。目の前が黒く染まり、全身の血液が足下に落ちる感覚。おれは唇を震わせていった。
「勝手に決めんなって。おれは……」
口のなかで言葉が粘つき、粘膜に纏わりついて外に出てこない。いつもそうだった。だれかを糾弾し責め立てるときには饒舌になるが、自分の感情を正直に話そうとすると、まるで陸に揚げられた魚だ。口を開閉するだけでなにもいえなくなる。
「庸介くん、その顔……」
「いいから入れよ」
契斗の視線から逃げるように顔を背け、室内に入るよう促す。契斗は黙っておれの脇を通り抜け部屋に入った。
「どないしたん、それ」
ベッドに腰掛けて、契斗がおれを見上げる。心配そうな眼差し。おれの顔は大きく腫れ上がり、こめかみと頬に大きなガーゼが貼られていた。
「喧嘩?」
「そんなんじゃない。だいじょうぶだから」
早口に答える。前日の夜、仕事を終えて店を出たところでいきなり背後から殴られた。道路に倒れたところを複数の男に蹴られ、怪我を負わされた。
警察には行かなかった。おおかた客を奪われた他店のホストやスカウトのうちのだれかだろうし、翌朝早朝のソウル行きの便に乗らなければならなかった。
病院には行かずにそのまま帰宅し、朋大に傷の手当てをしてもらった。帰り道で知らない相手と軽い小競り合いになっただけだと説明したが、納得はしていないようだった。
「そんな顔すんなよ」
契斗の隣に座り、いった。
「たいしたことないから」
笑って見せたが、契斗の表情は固いままだった。
「なんかあったん?」
「べつに。ちょっとしたトラブルみたいなもん」
「トラブルって仕事で?」
質問の意図をつかめず、一瞬返答に詰まった。契斗はおれから目を逸らし、俯いていった。
「この前、部屋でホストクラブの名刺見つけた」
「……友達のだよ」
「たくさんあった」
おれは名刺入れを持っていない。煩わしいからだ。いつもそのまま束にしてポケットに入れている。なにかの拍子に滑り落ちてしまったのだろう。契斗はおれの嘘に気づきながら騙されたふりをしていた。思っていたほど鈍いわけではないようだ。
「悪かったよ、嘘ついて」
誤魔化せそうにないと悟り、ため息をついた。
「ちょっとかっこつけたかったんだよ」
契斗は黙っている。思い詰めたような表情で床を見つめている。
重い空気に耐えられなかった。手を伸ばし、契斗の顎に指をかけようとしたが、避けられた。
「なんだよ」
「今日は話するって約束やったやろ」
「やることやってから話してもいいだろ。時間はあるんだし」
強引に押し倒そうとしたが、契斗は身を捩って拒んだ。
「今日は無理」
「なんで」
「そういう気分になれへん」
「なんでだよ」
しつこく食い下がった。この数日、毎日契斗のことを考えていた。目の前の体を抱きたくてたまらなかった。
「顔がこんなだからテンション上がんねえとか? 面食いだもんな、おまえ」
「関係ない。そういうことやなくて……」
「じゃなに」
契斗の返答が要領を得ないことに苛立ち、舌打ちした。
「いいたいことあんならいえよ」
契斗はすこしの間黙っていたが、やがて静かにいった。
「庸介くんといると不安になる」
おれのほうには顔を向けないまま、いった。
「庸介くん、ほんまのこと全然いうてくれへんし」
「だから悪かったって。謝ってんじゃん」
拗ねているだけだと思っていた。しかし、契斗の頬の筋肉は強張ったままだった。
「殴られるくらいだれかに恨まれてるの?」
「はあ?」
「だれか傷つけた?」
頑なな態度の理由を察して、天井を仰いだ。ホストに対するイメージは近年悪化の一途をたどっている。自分に会うために客から金を巻き上げているのではないかと危惧し、心を痛めているのだろう。その不安は、あながち間違いともいえなかった。
「おまえ、おれが他人を騙して金儲けしてると思ってんの? それは偏見じゃねえ?」
身を乗り出していうと、契斗が俯く。
「たしかに胸張れる仕事じゃないかもしれないけど、犯罪者じゃねえし。職業差別ってやつだろ、それは。この顔見ろよ。どう見ても被害者だろ。同情してくんねえかな」
厳しい口調で捲し立てたが、かえって疑いを抱かせたかもしれない。契斗の表情はますます曇っていった。
「なあ、こっちこいって」
腕をつかみ、引き寄せる。抱きしめても、契斗は身を固くしているだけでいつものようには応じなかった。
「ほかのひとともしてるの?」
「あ?」
思わず笑いが漏れた。
「なに、ひょっとして嫉妬してんの、おまえ」
唇を噛んでいる契斗の顎に刻まれた皺をいとおしく感じた。
「おまえとしかしてねえよ」
いとおしさがこみあげてくるいっぽうで、相変わらず口からはごく当然のように嘘がこぼれる。
「な、契斗。おまえだけだから」
歯の浮くような台詞を口にしても羞恥心や罪悪感が芽生えることはなかった。嘘を重ねてその場をどうにか凌いできた経験が神経を麻痺させていた。噛んで含めるようにいい聞かせたが、契斗の表情が緩むことはなかった。
「契斗……」
抱き寄せようとしたおれの胸を契斗の両手が突いた。不意をつかれ、おれはベッドの上に手をついた。
「なんだよ。ほかの奴としてないつったろ」
「そういうことやなくて……」
契斗はぎこちなく言葉を切り、混乱を抑えるように両方の掌で顔を覆った。呻くように呟いた。
「……こういうの、もうやめたい」
「こういうの?」
明確な拒絶に、いとおしさは一瞬で腹立たしさに変わった。
「おまえだって楽しんでたじゃん。今さらやめたいとか勝手すぎるだろ」
「間違ってた」
深いため息とともに、契斗はいった。
「会わなかったらよかったって、今すごい後悔してる」
「……なんだよ、それ」
契斗の言葉は刃のようにおれの胸を鋭く貫いた。目の前が黒く染まり、全身の血液が足下に落ちる感覚。おれは唇を震わせていった。
「勝手に決めんなって。おれは……」
口のなかで言葉が粘つき、粘膜に纏わりついて外に出てこない。いつもそうだった。だれかを糾弾し責め立てるときには饒舌になるが、自分の感情を正直に話そうとすると、まるで陸に揚げられた魚だ。口を開閉するだけでなにもいえなくなる。



