ソウル・ステーション/ディセンバー

「帰らないと……」
 おれの肩に頭を乗せて息を弾ませていた契斗が呟いた。
「まだいいだろ」
「門限あるから」
「ガキじゃねえんだからさ……」
「規則やもん」
 契斗は練習生として籍を置く芸能事務所の宿舎で生活している。家賃や光熱費は事務所が負担する代わりに、帰宅や起床の時間、生活規範などに厳しい制限を課せられている。違反すれば宿舎を追い出され、夢も潰える。
「あと5分」
「もうだめって……」
 毛布の下で脚を絡ませ、腰に腕を回して抱き寄せる。契斗の肌は昔とおなじように張りがあって、しっとりと汗ばみ、おれの手を吸いつけた。保湿のために毎日欠かさずボディクリームだかオイルだかを擦りこんで入念にケアしているそうで、十代のように滑らかだった。
 腋や脚は脱毛され女のようにつるつるとした手触りだ。もともと体毛は薄いほうだと記憶しているが、今ほどではなかった。肌を露出する衣装を着用するために毛の処理を施すのは珍しくないという。
 頭を撫で、前髪の束に鼻先を差し込む。髪にも艶とコシがあった。体をつかう仕事のキャバクラ嬢や風俗嬢と寝ることもあるが、これほど手間をかけている奴はほかに知らない。体に触れるだけで、契斗のこだわりや情熱が伝わってくるようだ。
「来週もきていいか」
「来週はだめ。月末評価あるから」
 月末評価はすべての練習生を対象に事務所内で定期的に行われる試験のようなもので、月に一度、歌やダンスの技術をテストされる。優秀な成績を継続して収められたものだけにデビューのチャンスを手にすることがゆるされる。そうでないものは脱落するルールだ。厳格すぎる気もするが、規則を守れず実力や才能が不足している人間をいつまでも置いておくのは、本人のためにも会社のためにもならない。そういう意味では合理的なシステムといえた。
「ねえ、ほんまに……」
 胸から腰に手を滑り落とすと、契斗が身を捩って逃げた。おれの顎に鼻先を擦りつけて甘い抗議をする。
「3回もしたのに」
「足りない、全然」
 ソウルの焼肉屋で再開してから数ヶ月。おれは月に2、3度は韓国を訪れ、契斗と会っていた。契斗がホテルにきて、何時間も過ごす。食事はデリバリーを注文し、ほとんど外に出ない。ただ会っていなかった5年の時間を取りもどそうとするかのようにひたすら互いの体を貪り尽くしていた。
「そのつぎの日曜は?」
「おれはいいけど……」
 おれの胸に半身を預け、契斗が視線を上げる。
「だいじょうぶなん?」
「なにが」
「お金とか……しょっちゅうこっちきてるから」
「おまえが気にすることじゃない」
「仕事は?」
 純粋な目に見つめられ、思わず黙った。契斗はおれが製薬会社に勤めるエリート会社員だと信じ込んでいる。
「週末は休みだから」
「月曜日も?」
 勤めているホストクラブは日曜が定休日だ。たいていは日曜にソウル入りし、2泊して火曜に帰国する。その日の夜に出勤し、土曜まで無休で働く。
 契斗が心配するように、月に何度も旅行するほどの金銭的余裕はない。収入を増やすために出勤を増やし、面倒がって避けていた同伴やアフターも積極的にしていた。売り上げを上げるために誰彼構わず寝た。とても抱けないような外見の客やメンヘラ客もいたが構わなかった。朋大からもいくらか金を借りている。遊びにつかうためだと説明していたが、朋大は契斗とちがって疑り深い。嘘だと気づいているかもしれない。
「なんで気にする?」
 背中に浮いた産毛の感触を指先で確かめながらはぐらかす。
「おれがくると嫌なの?」
「べつに……無理せんでほしいから」
 付き合っていた頃、おれは契斗に対して誠実とはいえなかった。それでも契斗に責められることはなかった。両腕で契斗を抱きしめ、唇を求めた。
「シャワー浴びないと……」
「んー」
 裸の背中を擦りながら生返事を返す。
「おまえさあ、たまには泊まれねえの」
「無理。前にも説明したやん」
「規則なのはわかってるけどさ、刑務所じゃねえんだから、たまに一泊するくらいよくねえ? 旅行に行くとか家族がきたとか適当にいってさあ」
「嘘はつきたくない」
 実に契斗らしい返答だ。契斗を説得するのがどれほど難しいことかもうすっかり思い出していた。
「年齢的にも崖っぷちだから練習さぼれないし」
 契斗がデビューを賭けて挑戦したオーディション番組は、昨年末に放送が終了。契斗が最終メンバーとして勝ち残ることはなかった。しかし、圧倒的な知名度を誇るわけでも絶世の美少年というわけでもない日本人出場者がセミファイナルまで残り、伏兵として存在感を見せつけた事実は番組を大いに盛り上げた。
 実際のところ、こういった企画の多くは、はじまる前か放送の途中にはすでにだれが選ばれるかある程度決められ、投票数が操作されるものだ。契斗も思ったほど落ち込んでいるようには見えなかった。番組が終わってからも変わらず日々の練習に打ち込んでいる。
 焼肉屋で会ったときの様子から、なんとなく、落選したのではないかと思っていた。契斗は嘘が下手だ。隠そうとしても誤魔化しきれない。