ソウル・ステーション/ディセンバー

「おまえ、おれのこと好きなの?」
 冗談のつもりだった。酔いにまかせてつい口ばしってしまっただけで、本気ではなかった。だから、契斗の反応にすくなからず戸惑った。
「え……」
 契斗は顔を真っ赤にして目を見開いていた。唇が小刻みに震えているが、言葉は出てこない。
「な、なんで……」
 かろうじて漏れた声は上擦って、よく聞き取れなかった。
「いや、なんとなく……なんか、他の奴と態度ちがうっていうか……」
 急激に紅潮した顔が今度は白く変色していく。おれも狼狽えていた。酔いが覚めていく感覚。
「え、マジ?」
 青ざめて俯く契斗の頭を見下ろして、おれは呟いた。ベッドの上でだらしなく投げ出していた足を床に下ろし、上半身を傾けて、後輩の顔を覗き込む。
「おまえ、そうなの?」
 契斗は答えない。気まずい沈黙が漂った。口を開きかけたところで、部屋のドアがノックされた。おれも契斗もぎくりとして顔を上げた。
「庸介?」
 母親の声が聞こえてきて、思わず息を吐いた。
「帰ってんの?」
「うるせえな。入ってくんなよ」
「お母さんたち、もう出るけど、朝ごはん、冷蔵庫に入ってるからね」
 朝帰りは珍しいことではない。母親の声に怒気はなかった。もともとおれにたいして興味はない。再婚相手との子どもが生まれてからはさらに会話が減り、母親の希望どおり次男が芸能活動をはじめた今、家におれの居場所はなかった。
「裕太の撮影あって帰り遅くなるから、夜ごはんは……」
「いいって。適当に食うから早く行けよ」
 ドアの向こうで遠ざかっていく母親の足音を聞きながら、契斗に向きなおった。契斗は俯いたまま両膝の上に手を置いて息をころしていた。
 壁に掛かった時計は午前9時をさしている。日曜の朝、初夏の陽光がカーテンの隙間から差し込んで、強張った契斗の横顔に影をつくっている。
 昨晩の記憶は曖昧だが、バーのソファに寝転んで契斗にLINEを送ったことはなんとなくおぼえていた。連絡したのは泥酔して財布をなくしたからだ。契斗は始発に乗って繁華街まで迎えにきた。足が縺れてうまく歩けないおれに手を貸し、自宅まで送るのははじめてではなかった。酔っ払って連絡するたびに契斗はやってきた。女の部屋で眠りこけてしまってライブのリハーサルをすっぽかしたおれのために、下着と着替えを持ってきたこともある。深夜だろうが明け方だろうが文句ひとついわず、いそいそと駆けつけてはおれの世話を焼いた。
 だれにでも親切にするものだと思っていたが、どうやらそういうわけでもないらしい。だが、本当の理由に気づいても、すぐには信じられなかった。
「あの……おれ、もう帰るね」
 立ち上がりかけた契斗の腕をつかむ。なぜそうしたのか自分でもわからなかった。咄嗟の行動だった。
 不安定な体勢で突然腕をつかまれ、バランスを崩して、契斗はベッドに膝をついた。至近距離で視線が絡み合う。
「ごめん……」
 上半身を捻り、両腕を掲げ、顔を隠して、契斗がいう。
「なんで謝るんだよ。今のはおれが……」
「ちが……」
 契斗の声が掠れて不自然に途切れる。
「おれ、事務所辞める」
「は?」
「グループも脱退する。社長に電話して……」
「ちょっと待てよ。なんの話してんの、おまえ」
 腕をつかむ手に力をこめて、おれはいった。
「なんでそういう話になんだよ」
「だって……嫌やろ、こんなんが近くにおったら」
「なんで?」
 契斗がおれを見上げる。瞳が細かく左右に揺れて、わずかに潤んでいる。怯えて混乱した眼を目にしたとたん、加虐的な気持ちと依存的な気持ちがない交ぜになった不思議な感情が涌き上がってきた。はじめて味わう感覚に、おれも当惑していた。
「気持ち悪くない……?」
「べつに気持ち悪くはねえよ」
 咄嗟に否定した。その一言で「なんだよ、気持ち悪いな」と笑い飛ばして冗談にするという選択肢が消えた。
 実際のところ、自分でも意外なほど、不快な感情は抱いていなかった。男に関心を持ったことはないし、関係を持つことを想像しただけでも吐き気を催す。しかし、今は契斗を帰したくなかった。
「いつから?」
 せわしなく目を瞬いている契斗に尋ねた。
「いつから好きなの、おれのこと」
 契斗にとってもおれの反応は意外だったようで、表情に戸惑いの色が滲んでいた。
「なあ、いつからだよ」
「それはあの……」
 口籠もってから、契斗は静かにいった。
「最初から……」
「最初って中学?」
 中学がおなじだということは初対面のときに聞かされていた。いや、初対面ではなかったのか。
「おれ、おまえのこと全然……」
「わかってる。おぼえてなくてあたりまえ。おれ、今より30キロ以上太ってたし、校舎もべつやったから。庸介くんはあんまり学校きてへんかったし……」
 契斗の眼差しが遠くなる。中学時代のことを思い出しているのかもしれない。
「3年生に芸能人がいるって聞いて、クラスの女子たちといっしょに見に行った。はじめて見たとき、こんなにかっこいいひと世のなかにいるんやって……」
 言葉を切って、唇を歪めた。過去の記憶は契斗にとって必ずしも幸せなものではなかったのかもしれない。
「靴箱に手紙入れたの、何回か」
「マジ?」
 頷いて、視線を落とす。中学時代は郊外の校区だったこともあり、契斗のいうようにそこそこ人気があった。手紙やプレゼントを靴箱に入れられたこともあったが、それこそ気持ち悪いと感じ、中身を見ることなく棄てていた。
「読んでないよね。ほかにもたくさんもらってたと思うし……」
 母親の期待にこたえることも新しい家族に馴染むこともできずに荒れていた時期だった。他人のプライベートなスペースに無断で入り込んで感情を圧しつける神経に耐えられなかった。
「憧れの先輩やった。庸介くんが卒業して、もう忘れるつもりやったけど……」
 肩を丸めて、契斗が呟く。声にも表情にも緊張が滲み、シーツの上の指先が震えている。
「高校入って、家族と遊園地行ったら、庸介くんがステージに立ってるの見て……」
 テーマパークやショッピングモールのイベントスペースで無料ライブをこなしている頃だ。契斗に見られていたことにはまったく気づかなかった。
「ほんまにほんまにかっこよかった。何度もライブ観に行って、毎日庸介くんのことばっか考えて、ファンとか後輩ってだけじゃ満足できなくなって、もっと近づきたくなった。それで……ダイエットして、ダンスの振り付けおぼえて……」
 おれに憧れてオーディションを受けたことも聞いていた。だが、それほど強い思いを抱いていたことは想像もしていなかった。