客席の電源が落ち、周辺が暗くなる。歓声が上がり、ホール内の壁を跳ね返ってうねりを生み出す。やがてSEが流れ出すと客のボルテージは最高潮となった。ほとんどは女で、甲高い声で推しの名前を叫んでいる。色とりどりのうちわが振られ、ペンライトが点灯した。暗闇のなかライトの光が揺れて幻想的な空間を演出する。
強い照明が輝き、ステージ上に複数の人影が並ぶ。均等に距離をおいて整列した複数の影がゆらめき、ゆっくりと前進した。ファンたちの歓声に包まれ、一歩一歩踏みしめるように歩みを進める。
ステージ中央に全員が揃い、一列に並んだタイミングを見計らって、照明が明るくなった。眩しいほどの光のなか、数百人のファンが待ちわびた姿が現れた。
「携帯、貸してくんない?」
すぐには返事ができなかった。しかし、顔に出ていたのだろう。おれがなにかいう前に、女が慌てて言葉を重ねた。
「ちがうちがう、なんも見たりしないから」
ベッドの上で裸の上半身を捻り、自分のスマホを掲げて見せる。
「今ね、韓国のオーディション番組にハマってて」
「オーディション番組?」
「そう。推しの子が今ギリギリラインだから、投票に協力してほしいんだ」
見せられた画面には学生服のようなおなじ衣装を着た若い男の顔がいくつも並んでいる。どうやらテレビやネットで放送する公開オーディションの投票画面のようだ。歌やダンスの審査だけでなく一般投票の数も採用されるらしい。
「ねえ、お願い。電話番号だけでできるからさ。2秒で終わる!」
「無理」
正直なところ、面倒でしかたがなかった。アルコールも残っていて、運動までさせられ、疲れていた。しゃべるのも億劫で、さっさと帰りたかったが、そういうわけにもいかない。顔をしかめると、女が唇を尖らせる。
「えー、なんで?」
「こういうのおれ興味ないし、自分のスマホつかうのも……」
「お願いお願い。明日もお店行くから!」
思わず詰まってしまう。翌日は客を呼べるあてがなかった。いわゆるお茶引きは今月5度目だ。現状の成績を考えても、目先の売上げに飛びつかざるを得なかった。
「わかった」
「マジ? やったー、ありがと!」
「その代わり明日はギリギリまで頑張ってよ。締め日前なんだしさ」
「おけおけ、まかして」
ホテルの使い古されたシーツを捩れさせて、女が体を起こした。味わい尽くしたあとの二流ホストから「推し」というアイドルの卵に関心が移っているのはあきらかだった。おれの手からスマホを奪い取ると、慣れた手つきで操作する。
「他んとこ絶対いじんなよ」
LINEの画面や個人情報をさぐられることのないよう横から首を伸ばして画面を確認する。
「わかってるってば」
面倒そうにいって、自分のスマホとおなじ画面を表示させた。十代から二十代と見られる男たちの顔が小さな画面にずらりと並ぶ。黒髪、茶髪、金髪、赤髪、一重瞼、二重瞼、奥二重、丸顔、瓜実、面長、数十人はいる。みな一様にきっちりとメイクを施し、笑顔を弾けさせている。まるで男のショーケースだ。
「全部おなじ顔に見えんだけど」
「そんなわけないでしょー」
舌打ちを飲み込む。馬鹿げた茶番劇。投票を餌にファンを囲い込むことで競争を煽り、アクセス数とポイントで小銭を積み上げる。平等な審査に見せかけて、最終的には事務所の都合で必要な人材を集める。そういう仕組みだ。
「で、どれに投票んすの」
「えっとね、この子この子」
示されたのはまだ中高生に見える韓国人の男だった。色白で、それなりに整った顔つきではあるが、どう見ても整形だ。顎が尖り、鼻のかたちも不自然だった。いかにも人工的な笑顔にはまるで魅力を感じない。
「うちのソンオプ、かわいいでしょ?」
最近はメン地下と呼ばれるインディーズのアイドルが競い合うように女たちから金を集めている。ある意味では商売敵のような位置にいるガキのためにわざわざ投票までさせられるのは愉快とはいえなかった。とはいえ、数少ない貴重な太客の機嫌は取っておきたい。曖昧に頷いて誤魔化すしかなかった。
「これでいい?」
画面をタップして選択すると名前の横にチェックがつく。
「投票、押せないけど」
「3人選ばないといけないんだ。あと2人選んで」
スワロフスキーチップが散りばめられたネイルの指先が画面をスクロールする。
「だれにしよっか? 廉士、どの子がタイプとかある?」
「あるわけないじゃん。男だよ」
呆れた口調をつくって、ため息を吐く。
「なんでもいいからてきとーに選んどいてよ」
「じゃ日本人の子にしよ。何人かいるから」
石まみれの爪が蠢いて、スマホを操作する。
「この子でいい?」
「どれでもいいって……」
不自然に言葉が途切れる。思わずスマホをつかみ、顔を近づけてまじまじと見つめた。
「え、なに?」
「いや……」
見間違いかと思った。しかし、ひとのよさそうな丸顔に腫れぼったい目、その横にある小さな黒子まですべて見覚えがあった。そして写真の下に記載された名前。
KEITO YAGI
八木契斗。芸名でなく本名だった。それほど多い氏名ではない。間違えようがなかった。
「ねえ、なんなの」
「いや……」
気の短い女にせっつかれて、おれは口籠もった。
「こいつ知ってる」
「え、マジで?」
ベッドの上で女が身を乗り出す。
「なんで知ってんの? 友達?」
「地元がいっしょなだけだよ」
「そうなの? 同級生とか?」
「2個下……」
庸介先輩……
契斗の弾んだ声が耳の奥に甦った。
庸介先輩、練習、いっしょしてもいいですか?
屈託のない笑顔。おれを見上げる眼差し。忘れていたはずの記憶が一気に押し寄せてくる。
「ねえ、廉士ってば、聞いてんの?」
腕を強く突かれ、我に返った。
「知り合いだったら紹介してよ」
「紹介?」
「推しとつながれるかもしんないじゃん」
女の目が期待に輝いている。卑屈な笑みを浮かべて首を振った。
「知り合いじゃないって」
「うそつかないでよ」
「ほんとだよ。連絡先消したからわかんないし、そんな近い関係じゃなかったから。向こうも忘れてるよ」
「でも友達とかだれか知ってるんじゃない? 聞いてみてよ」
「無理だって……」
「やってみないとわかんないじゃん」
アイドル候補生とつながりを持つチャンスとあって、女はあきらめなかった。おれの腕をつかみ、執拗に食い下がる。
「お願い。誕生日にタワー入れるからさ」
シャンパンタワー。魔法の誘惑。おぞましい悪臭を漂わせる呪詛に聞こえた。
「ねえ……」
「うるせえ」
自分のものとは思えないほど昏い声。契斗の笑顔を見つめながら、女のほうは見ずにいった。
「無理つってんだろ。無理って言葉の意味わかんねえのか?」
女の表情が強張る。紅潮していた頬が白くなる。唇を歪めて、ぎこちない笑顔をつくろうとする。
「え、なに?」
耐えられなかった。甲高い声もきつい体臭もなにもかもが疎ましかった。
「うざいんだよ、マジで」
舌打ちしていた。完全に無意識だった。
「汚えおっさんに体売って稼いだ金で安いホスト買って調子乗ってんじゃねえよ、馬鹿女。ボトルなんかいらねえからちょっと口閉じてろ」
頭のなかには契斗の笑顔が浮かび、耳にはすこし掠れた声が響いていた。だからすぐには気づかなかった。おそろしいほど張り詰めた空気。我に返ったときにはなにもかも手遅れだった。
強い照明が輝き、ステージ上に複数の人影が並ぶ。均等に距離をおいて整列した複数の影がゆらめき、ゆっくりと前進した。ファンたちの歓声に包まれ、一歩一歩踏みしめるように歩みを進める。
ステージ中央に全員が揃い、一列に並んだタイミングを見計らって、照明が明るくなった。眩しいほどの光のなか、数百人のファンが待ちわびた姿が現れた。
「携帯、貸してくんない?」
すぐには返事ができなかった。しかし、顔に出ていたのだろう。おれがなにかいう前に、女が慌てて言葉を重ねた。
「ちがうちがう、なんも見たりしないから」
ベッドの上で裸の上半身を捻り、自分のスマホを掲げて見せる。
「今ね、韓国のオーディション番組にハマってて」
「オーディション番組?」
「そう。推しの子が今ギリギリラインだから、投票に協力してほしいんだ」
見せられた画面には学生服のようなおなじ衣装を着た若い男の顔がいくつも並んでいる。どうやらテレビやネットで放送する公開オーディションの投票画面のようだ。歌やダンスの審査だけでなく一般投票の数も採用されるらしい。
「ねえ、お願い。電話番号だけでできるからさ。2秒で終わる!」
「無理」
正直なところ、面倒でしかたがなかった。アルコールも残っていて、運動までさせられ、疲れていた。しゃべるのも億劫で、さっさと帰りたかったが、そういうわけにもいかない。顔をしかめると、女が唇を尖らせる。
「えー、なんで?」
「こういうのおれ興味ないし、自分のスマホつかうのも……」
「お願いお願い。明日もお店行くから!」
思わず詰まってしまう。翌日は客を呼べるあてがなかった。いわゆるお茶引きは今月5度目だ。現状の成績を考えても、目先の売上げに飛びつかざるを得なかった。
「わかった」
「マジ? やったー、ありがと!」
「その代わり明日はギリギリまで頑張ってよ。締め日前なんだしさ」
「おけおけ、まかして」
ホテルの使い古されたシーツを捩れさせて、女が体を起こした。味わい尽くしたあとの二流ホストから「推し」というアイドルの卵に関心が移っているのはあきらかだった。おれの手からスマホを奪い取ると、慣れた手つきで操作する。
「他んとこ絶対いじんなよ」
LINEの画面や個人情報をさぐられることのないよう横から首を伸ばして画面を確認する。
「わかってるってば」
面倒そうにいって、自分のスマホとおなじ画面を表示させた。十代から二十代と見られる男たちの顔が小さな画面にずらりと並ぶ。黒髪、茶髪、金髪、赤髪、一重瞼、二重瞼、奥二重、丸顔、瓜実、面長、数十人はいる。みな一様にきっちりとメイクを施し、笑顔を弾けさせている。まるで男のショーケースだ。
「全部おなじ顔に見えんだけど」
「そんなわけないでしょー」
舌打ちを飲み込む。馬鹿げた茶番劇。投票を餌にファンを囲い込むことで競争を煽り、アクセス数とポイントで小銭を積み上げる。平等な審査に見せかけて、最終的には事務所の都合で必要な人材を集める。そういう仕組みだ。
「で、どれに投票んすの」
「えっとね、この子この子」
示されたのはまだ中高生に見える韓国人の男だった。色白で、それなりに整った顔つきではあるが、どう見ても整形だ。顎が尖り、鼻のかたちも不自然だった。いかにも人工的な笑顔にはまるで魅力を感じない。
「うちのソンオプ、かわいいでしょ?」
最近はメン地下と呼ばれるインディーズのアイドルが競い合うように女たちから金を集めている。ある意味では商売敵のような位置にいるガキのためにわざわざ投票までさせられるのは愉快とはいえなかった。とはいえ、数少ない貴重な太客の機嫌は取っておきたい。曖昧に頷いて誤魔化すしかなかった。
「これでいい?」
画面をタップして選択すると名前の横にチェックがつく。
「投票、押せないけど」
「3人選ばないといけないんだ。あと2人選んで」
スワロフスキーチップが散りばめられたネイルの指先が画面をスクロールする。
「だれにしよっか? 廉士、どの子がタイプとかある?」
「あるわけないじゃん。男だよ」
呆れた口調をつくって、ため息を吐く。
「なんでもいいからてきとーに選んどいてよ」
「じゃ日本人の子にしよ。何人かいるから」
石まみれの爪が蠢いて、スマホを操作する。
「この子でいい?」
「どれでもいいって……」
不自然に言葉が途切れる。思わずスマホをつかみ、顔を近づけてまじまじと見つめた。
「え、なに?」
「いや……」
見間違いかと思った。しかし、ひとのよさそうな丸顔に腫れぼったい目、その横にある小さな黒子まですべて見覚えがあった。そして写真の下に記載された名前。
KEITO YAGI
八木契斗。芸名でなく本名だった。それほど多い氏名ではない。間違えようがなかった。
「ねえ、なんなの」
「いや……」
気の短い女にせっつかれて、おれは口籠もった。
「こいつ知ってる」
「え、マジで?」
ベッドの上で女が身を乗り出す。
「なんで知ってんの? 友達?」
「地元がいっしょなだけだよ」
「そうなの? 同級生とか?」
「2個下……」
庸介先輩……
契斗の弾んだ声が耳の奥に甦った。
庸介先輩、練習、いっしょしてもいいですか?
屈託のない笑顔。おれを見上げる眼差し。忘れていたはずの記憶が一気に押し寄せてくる。
「ねえ、廉士ってば、聞いてんの?」
腕を強く突かれ、我に返った。
「知り合いだったら紹介してよ」
「紹介?」
「推しとつながれるかもしんないじゃん」
女の目が期待に輝いている。卑屈な笑みを浮かべて首を振った。
「知り合いじゃないって」
「うそつかないでよ」
「ほんとだよ。連絡先消したからわかんないし、そんな近い関係じゃなかったから。向こうも忘れてるよ」
「でも友達とかだれか知ってるんじゃない? 聞いてみてよ」
「無理だって……」
「やってみないとわかんないじゃん」
アイドル候補生とつながりを持つチャンスとあって、女はあきらめなかった。おれの腕をつかみ、執拗に食い下がる。
「お願い。誕生日にタワー入れるからさ」
シャンパンタワー。魔法の誘惑。おぞましい悪臭を漂わせる呪詛に聞こえた。
「ねえ……」
「うるせえ」
自分のものとは思えないほど昏い声。契斗の笑顔を見つめながら、女のほうは見ずにいった。
「無理つってんだろ。無理って言葉の意味わかんねえのか?」
女の表情が強張る。紅潮していた頬が白くなる。唇を歪めて、ぎこちない笑顔をつくろうとする。
「え、なに?」
耐えられなかった。甲高い声もきつい体臭もなにもかもが疎ましかった。
「うざいんだよ、マジで」
舌打ちしていた。完全に無意識だった。
「汚えおっさんに体売って稼いだ金で安いホスト買って調子乗ってんじゃねえよ、馬鹿女。ボトルなんかいらねえからちょっと口閉じてろ」
頭のなかには契斗の笑顔が浮かび、耳にはすこし掠れた声が響いていた。だからすぐには気づかなかった。おそろしいほど張り詰めた空気。我に返ったときにはなにもかも手遅れだった。



