CHEEERR!!

 広場に設置した即席の小型音響システムから流れる重低音は、ざらつき、ひび割れていた。背後の道路を行き来する車のエンジン音とぶつかりあい、奥の耳を無遠慮に侵す。
 奥は顔をしかめ、暇つぶしにでもやってきたことを後悔しかけたが、スピーカーをいじる国分の憔悴しきった顔を見ていると、怒りは薄れた。
 国分の疲労は、おそらく奥の比ではない。奥よりも若いはずだが、アルコールや煙草のせいだろう、少し走っただけで息を切らし、5、6キロ走ってマンションに戻ってきた頃には、息も絶え絶えだった。
「プロが素人相手になにマジになってんだよ」
 奥がにやけているのに気づいた国分が、唇を尖らせる。おとなびた格好をして粋がってはいるが、まだ子供だ。奥は拳を噛むようにして笑い、謝った。
 国分がなにかいいかけようとしたところに、喜多嶋が手を振りながらあらわれた。
「おー、早いじゃん。なに、おっくんもいっしょかよ」
「昨日はお疲れ」
「お疲れーっす。やばい楽しかったね。おっくん、体育会系ノリじゃなかったからさ、安心した」
 野球選手なんてろくなものではないといっていたくせに、噂の真相を知ったとたん、調子のいいことだ。
 男子のほとんどが一度は夢見るプロ野球選手だからといって、羨望の眼差しで見られることはない。しかし奥は、実に自然に国分たちの輪に溶け込んでいた。
 なんの理由もなく他人に不快感を与える人間もいれば、反対に、とくに善行をおこなわずとも、無条件に好かれる人間もいる。野球の才能はなかったかもしれないが、奥は貴重な美点をちゃんと持っていた。
「聞いてくれよ。おれ、ジョギングさせられたんだぜ、朝っぱらから」
 国分が哀れっぽい声を出すと、喜多嶋は声を上げて笑った。
「いいじゃん、健康的で。おれも走ろっかな」
 思ってもいないことをしゃあしゃあといって、喜多嶋は大きく体を伸ばした。
「みんな、まだこないだろ。先にやっとくか。BEPの新譜持ってきたからよ」
 喜多嶋の手から受け取ったCDをコンポに挿入して、国分も軽く跳ねる。準備運動はじゅうぶんだろう。イントロを待たずに、体を揺らしはじめた。
 音楽に疎い奥でさえも聞いたことのあるメロディ。しかしリズムはかなりアップテンポである。それにあわせて、国分がステップを踏む。少し距離を置いて、喜多嶋も全身でリズムを取っている。奥の視線はまるで意識していない。
 目で追うのが困難なスピードで国分が旋回をはじめ、掌をアスファルトにつき、右手一本で体を支える。ワイヤーアクションのように下半身が宙に浮き、Tシャツが首まで捲れ上がった。
 国分の体が反転して着地するのとほぼ同時に、喜多嶋が中央に割り込んだ。左脚を軸に720度回転して、両腕を捻り、解放した。両爪先だけで微前進し、そのまま後ろ向きに反転して地面に手をつく。ブリッヂの姿勢から右手を挙げ、さらに前進。その背後にリズムを取る国分の機械じみた動きが重なり、まるで大掛かりなサーカスのようである。
 曲が一時停止するのと同時に、ふたりが無理な姿勢のまま硬直する。完璧なタイミングで、再び覚醒する。国分が前に出て、もはやふたつの楽器に近い痩身が同じステップを踏む。国分がはじめに見せたものよりも数倍速いスピードで旋回したのち、ふたりはストリップ嬢のように股間を突き出した体制で静止した。曲が終了するのと、数秒のずれもなかった。
 オートリヴァースに設定してあるらしいコンポは、さらにイントロを流しはじめたが、さすがにもう1曲かます余裕はないらしい。国分は息を切らしながら、停止ボタンを押した。
「どう?」
 喜多嶋も汗を拭いながら、歯を見せる。
「すごかった。やるなあ」
 正直に感嘆する。喜多嶋は無邪気に首を振った。
「見られてると緊張しちゃってだめだな。ミスっちゃった」
「ひとのせいにすんなよ。左はべた足だっつってんだろうが。おんなじとこばっかり間違えやがって」
「うるせえな。おまえだって、またモタってたじゃねえかよ」
「ありゃわざとずらしてんの。余韻だよ、余韻」
 なんの話をしているのかさっぱりわからない。なんとなく疎外感をおぼえて、奥は首の裏を掻いた。
 どうにも居心地がよくない。おそらくは、奥のひとりよがりにすぎないだろう。国分も喜多嶋も、実に楽しそうに踊って、爽やかな汗をかいている。しかし、奥たちの汗とは種類がまるでちがう。
「国分」
「はいはい」
「おれもそうだけど、おまえらもだよな」
「なにが」
「楽しそうだけど、でも」
 奥は曖昧な笑みを浮かべて、両腕を腰にあてた国分を見上げた。
 彼らはいったい、なんのために踊るのか。とはいえ、そんなところに問題を見出すほうが、無粋なのかもしれない。考えすぎを悟って、奥は言葉を切ったが、国分の表情はかすかに強張った。
「なにいってんだよ。そんなら、おっくんも、やってみない」
 喜多嶋が邪気のない声を上げて、奥の前にしゃがみこむ。
「無理無理。できるわけないって」
 慌てて両手を掲げたが、喜多嶋は聞かなかった。奥の手を引いて、半ば強制的に立たせる。
「楽勝だって、ほら」
「いや、ほんと無理だから」
「だいじょうぶ。だれも見てないしさ」
 たしかに、平日の夕方にわざわざ公園に足を運ぶ人間はほとんどなく、舗道を歩く通行人の歩調も早い。しかし、そういう問題ではなかった。ダンスなんて、考えたこともない。奥は必死になって抗った。
「怪我したらまずいだろ」
「さっきはべつにいいっていってたじゃん」
 ここぞとばかりに、国分があげあしをとる。
「それは、だって、おまえ」
「だいじょうぶだって。プロ野球選手なんだから、軽いアイソレのひとつやふたつ、楽勝だろ」
 また意味不明な単語が出てきた。奥の背を押す国分の言葉には、揶揄するような色が混じっていた。気がひけているようだった国分もすぐにおもしろがり、いっしょになって奥をセンターに立たせようとする。逆らえそうになかった。奥は諦めて手を振り払った。
「じゃあ、ちょっとだけな、ちょっとだけ」
「わかってます」
「教えろよ」
「任せなさい」
 したり顔の喜多嶋が国分に向かって顎をしゃくってみせ、奥はふたりに両側から挟まれた。
「まず、爪先を軽く開いて立って」
「こう?」
「そうそう。で、右足は踵、左足は爪先を軸にして、膝を内側に入れる」
 説明に沿ってというよりも、国分と喜多嶋の動きにつられるように、奥は体重を移動させた。クラブステップとはとてもいえないようなぎこちない動きだったが、脇の国分にうまいじゃんなどと褒められ、つい照れ笑いなど浮かべたりする。
「次、逆ね。膝、外にして」
 喜多嶋のあとを継いで、国分がレクチャーをはじめる。
「はい、繰り返し。外、内、外、内」
「外、内、外、内」
 案外世話焼きなのかもしれない。国分はていねいに解説しながら、奥の足元に視線を向けている。
「おー、なんか、楽しくなってきた」
「でしょ。爪先は“ハ”の字に開いてね。上半身はずれないように……」
 奥の背中と鳩尾のあたりを両手で支えて、国分の指導にも熱が入る。もともと、集中力はあるほうだ。徐々に没頭しはじめた奥のシャツを、喜多嶋がそっと引いた。
「なに」
「いや、なんか、こっち見てる奴いて」
 球場に近い公園だ。知り合いや、奥のことを知るファンが通りがかってもおかしくはない。奥は慌てて振り返った。
「あれって、おっくんの友達だろ」
 さすがの喜多嶋も言葉を選んだが、興味津々といった様子が見え見えだった。
「べつに、友達ってわけじゃない。ただの同僚だよ」
 律儀に訂正しながら、舌を打つ。咄嗟に顔を伏せたが、遅かった。視線がぶつかり、奥の顔を確認すると、我妻は球団関係者が運転しているらしい車の後部座席のドアを開け、大股に近づいてきた。
 奥の気も知らず、喜多嶋と国分はテレビのナイター中継にもよく登場する有名選手を観察しながら、顔を寄せあってはしゃいでいる。
 地元が同じである国分はともかく、マイナー選手の奥のことはだれも知らなかったくせに、調子のいいものだ。思わず苦笑いしたが、それどころではなかった。
 奥の前に立った我妻は、表情を強張らせていた。大袈裟にギプスを嵌めているわけではないが、ジャージの袖からのぞく右腕には、手首から指の関節にかけて包帯が痛々しく巻きついている。
「なにしてんの」
「ちょっと……」
「試合ないからって、遊んでる場合かよ」
 我妻の言葉は冷ややかだったが、いい返せなかった。
「遊んでたんじゃなくて、踊ってたんす」
 ふたりの間に体を割りいれるようにして、国分が口を挟む。気を遣ったつもりかもしれないが、逆効果だった。我妻は国分を見下ろし、また奥を見た。
「友達?」
 奥は鷹揚に頷いた。
「朝、いっしょにいた?」
 奥が頷くのを待たずに、我妻はため息をついた。
「なにやってんだよ、奥。おまえ、自分の今の立場わかってんのか」
 来期の目処がたたない奥を心配しているのか、それとも自分に怪我をさせておいて、のうのうと遊び惚けている奥に腹を立てているのか、判然としない。どちらにせよ、俯くしかなかった。
「あんた、我妻さんだよね」
 黙りこむ奥の代わりに、国分が反論した。
「チームの仲間に、そんないいかたないんじゃないの。試合がない日にちょっと羽根伸ばしたって、いいじゃん、べつに」
 喜多嶋も横で頷く。我妻は怒りを抑えるように、左手で眉間を揉んだ。
「踊ってたって?」
 思い出したようにいって、我妻は奥をにらんだ。
「この間いってた、チアダンス?」
 喜多嶋がブレイクダンスだといおうとするのを遮って、我妻はさらにまくしたてた。
「おれの応援でもしてくれるってわけ。そんなことしてほしいって、おれが思ってると思うか」
「そうじゃないけど」
 勘違いをしているといいたかったが、代わりに口をついて出たのは、いいわけのような言葉だった。
「昨日、見舞いに行ったときは、迷惑そうだったし」
「だからって、あんなすぐ帰ることないだろ」
「おまえが帰れつったんだろうが」
「おれんとこにくるぐらいなら、練習したほうがいいっていったんだ」
「嘘つけ。おれの顔見たとたん、あからさまに嫌そうな顔したじゃねえかよ」
「そんなことない」
 我妻が声を荒げる。
「ただ、おまえの顔見ると、つい思い出すから」
 搾り出すような声に、奥の胸は詰まった。
 我妻は球団にもマスコミにも奥の名を出さなかった。あくまでも自分の不注意による怪我だと貫きとおした。だからといって、感嘆に割り切ることができるはずがない。奥と同じように、我妻も、野球が人生のすべてである。責任を負わせるつもりがなくとも、奥の顔を見るのはつらいだろう。
 我妻を待って道路脇に駐車した車が、クラクションを鳴らした。
「とにかく」
 我妻はため息混じりにいった。
「ダンスなんて絶対にやめろよ。おまえも野球選手なんだから、プライドを捨てたりするな」
 懇願に近い助言だった。奥は小さく頷いた。しかし、それで終わらなかった。
「待てよ、イケメン」
 踵を返しかけた我妻を、国分が呼び止めた。
「ダンスのどこが恥ずかしいんだよ」
「やめろよ、馬鹿」
 喜多嶋の制止も聞かず、国分は我妻に向かって足を踏み出した。不穏な空気が流れる。
「べつに、ダンスがだめだっていってるんじゃない」
 冷静さを取り戻した我妻が、とりなすようにいう。
「ただ、こいつがチアダンスをやるのはゆるさないっていってるんだ」
「なんであんたに許可取らないといけないんだよ」
「おまえな」
 我妻は車のほうに向きかけていた体を戻して、国分を見下ろした。
「友達だったら、わかるだろ。奥は応援するより、応援されるほうの人間だって」
「おれらとちがって?」
「そうはいってない」
「今のはそう聞こえたぜ。なあ」
 我妻から視線をはずすことなく、国分が顎で喜多嶋の同意を求める。喜多嶋は曖昧な苦笑いを浮かべただけだった。国分の怒りの源を把握できずに、戸惑っている。それは奥も同じだった。彼が奥の名誉のために我妻に噛みついているわけではないということはわかっていたが、真意はまったくつかめなかった。
「付きあってられねえよ」
 吐き棄てるようにいって、我妻は奥の腕をつかんだ。
「行こうぜ。こんな奴らに構ってる暇ないだろ」
「こんな奴らってなんだよ、おい」
「落ち着けよ」
 我妻につかみかからんとする国分を抑え、奥は声を張り上げた。我妻に向き直って、腕をつかむ手を振り払う。
「おまえもだよ、我妻。らしくないぞ。なにキレてんだ」
「おまえのせいだろ!」
 我妻に怒鳴りつけられると、奥も沈黙する以外にない。怪我で残りのシーズンを棒に振ることになれば、気が立つのは当然だし、そうなったのはほかならぬ奥のせいだった。しかし、我妻の真意はそこにはなかったらしい。
「ちょっとはおれのこと心配してくれてると思ってた。今頃、責任感じて落ち込んでるんじゃないかと思って心配してたのに、呑気にダンスなんかやってるから」
 奥は眉を顰めた。そんな子供じみた言葉が我妻の口から出るとは、思ってもみなかった。いつも穏やかで、試合中は強気でも、マウンドを降りればどちらかというと物静かで地味な性格の我妻が声を荒らげるのを見るのははじめてだった。
「なにいってんだ、おまえ。ちょっと落ち着けよ」
「うるせえな、触んなよ!」
 咄嗟のことで、気を配る余裕もなかったようだ。怪我をした右手で奥の胸を押して、反対に我妻が顔をしかめた。奥は青くなった。
「だいじょうぶか」
「ほっとけよ、もう。そいつらとダンスでもなんでもやってりゃいいだろ。知らねえからな、おれは」
 なにをいっても無駄だった。我妻は右手を庇うようにして体の向きを変えると、きたときと同じように、大股に車に戻っていった。さすがに、国分も今度は黙って見送っていた。