テレビのワイドショーを見るともなく眺めながら、真由子は缶ビールを傾けた。脹脛から爪先にかけて、鬱然とした重みがあった。ハイヒールにスーツで一日中歩き回ったのだから、しかたがない。
ソファに体を預け、ストッキングの上から膝裏を指圧する。もう若くはない。即座に化粧を落とし、丹念に化粧水と乳液を擦り込んでおかなければと思ったが、疲れきった体はなかなか動いてくれなかった。
明朝は早くから地方ロケに行かなければならない。本当は前乗りしておきたかったのだが、今夜の仕事が時間どおりに終わるかどうか怪しまれた。スケジュールにはかなり厳しかったが、フリーランスになったばかりの真由子のような女性アナウンサーは、多少の無理も喜んで受け容れなくてはならない。
目を擦りたいのを耐えて、代わりに眉間を揉んでいると、テレビ画面に見知った顔が映った。
局アナだった頃の後輩にあたる杉内奈々のゴシップだった。相手は前途洋々たるプロ野球選手。分割された画面のいっぽうに映し出された顔は、試合中のものだろうか。チームのロゴが刺繍された帽子をかぶって、なかなか男前だった。
ノーコメントをとおしているらしい奈々の愛らしい顔を見て、真由子は苦笑いした。奈々は女子大を出て入社した時期から、キャリア志向とは縁がなく、常に目を光らせて玉の輿を狙っているタイプの現代的な女の子だった。真由子にはよくわからないが、キャスターが説明するところによると、我妻洋司という相手の選手は名実ともにチームを代表する剛腕投手のようだし、うまくやったというところだろうか。
奈々の顔が消え、代わりに我妻が登板した試合のVTRが流れた。画面いっぱいに長身が映り、ユニフォームの文字を確認すると、真由子はちょっと眉を上げた。
どこかで見たことがあると思ったが、そういえば、あの奥幸成も、同じ神奈川ヴェルヴェッツの選手ではなかったか。
奥の顔を思い出すと、懐かしさと同時に、自嘲めいた苦笑いが浮かんだ。
広場で若者たちのダンスを眺めながら、真由子はつい昔を思い出し、無神経なことを口ばしってしまった。
チアダンスをやろうだなんて、本気にするはずがない。奥は驚きながらも、女ではないからなどといって、やんわり身を退いた。それでも真由子が諦めず、今は混合もあるし、それなりのやり甲斐はあるとなおも勧めたので、少し気分を悪くしたようでもあった。クビになって落ち込んでいるときに、ダンスを踊るような気になれないのも、当然といえば当然だった。しかも奥は男で、馘首の憂き目に遭ったとはいえ、まだプロのアスリートという立場だ。
真由子は子供の頃から活発な性格だったが、同時に思い込みが激しく、愚直なところがあり、気持ちが高揚すると、冷静に周囲の反応を見たり他人の心情を推し測ったりということができなくなる。そんな単純な性格だからこそ、染谷のような男に溺れ、けっきょくは弄ばれてしまったのかもしれない。
まだ半分以上も残っているビールをテーブルに置いて、真由子は嘆息した。ひとりでいると、つい思考が卑屈なほうに向かってしまうようだ。
いい加減に洗面台に向かおうと、重い腰を上げかけたとき、バッグのなかで携帯電話が震えた。
「はい」
相手に見られるわけではないが、だらけた姿勢を隠すように、ことさら取り澄ました声をつくる。
「あ、どうも、奥です」
「はあ……」
外出先からかけているのだろう。回線の向こうは話し声や車の騒音などといった雑音にまみれていて、聞きとりづらかった。真由子が黙っていると、相手が改めて名乗った。
「奥幸成です」
「ああ」
つい素っ頓狂な声を上げてしまった。
「どうも。お久し振りです」
渡した名刺には携帯電話の番号も刷られていたが、機嫌を損ねてしまったので、かかってくるとは思っていなかった。真由子はソファに座りなおした。
「この間はごめんなさい、変なこといっちゃって」
「いえ、いいんです。気にしてないですから」
そうはいったものの、奥の声は微妙に強張っていた。
「あのう、今、ご自宅ですか」
「ええ。どうして?」
「よかったら、いっしょに飲まないかと思って」
予め用意していたような口調だった。真由子が迷っていると、慌てて重ねた。
「あ、でも、ふたりじゃないですよ。おれの友達もくるんで。もしあれでしたら、真由子さんも、だれか連れてきてもらってもいいし」
奥が早口にまくし立て、真由子は噴き出した。
「行きます」
「ほんとですか」
奥がほっとしたようにいう。なんとなく、放っておけないタイプの男だ。しかし、本人の言葉どおり、下心のようなものはないだろう。そんなちがいに気づかないほど、真由子も子供ではない。
簡単に店の場所を聞いてから、電話を切った。嵌めたままの腕時計に目を落とす。もうすぐ日付が変わろうかという時間になっていた。
明日の仕事のことを考えると憂鬱になったが、思いがけない奥の誘いは単純に嬉しかった。かといって、真由子のほうにもまた、他意があるわけではない。男なんて、しばらくは考えたくもなかったし、奥はどことなく田舎の弟を思わせ、よくも悪くも、男性として意識することはなかった。
奥のほうでも、同じだろう。同僚の成功と華やかなゴシップに、やっかみ半分、祝福半分で飲みたい気分なのかもしれない。それならそれで、できる限りは付きあってやろうと思った。
化粧を落とさずにいたのは、結果的には正解だった。鏡を覗いて少し顔をなおしてから、真由子は玄関に向かった。パンプスに爪先を差し込もうとして、ちょっと思案する。奥に会うのに、わざわざ気取ることもあるまい。ヒールがほぼないに等しく、見栄えは悪いが楽なシューズを履いて、マンションを出た。
ソファに体を預け、ストッキングの上から膝裏を指圧する。もう若くはない。即座に化粧を落とし、丹念に化粧水と乳液を擦り込んでおかなければと思ったが、疲れきった体はなかなか動いてくれなかった。
明朝は早くから地方ロケに行かなければならない。本当は前乗りしておきたかったのだが、今夜の仕事が時間どおりに終わるかどうか怪しまれた。スケジュールにはかなり厳しかったが、フリーランスになったばかりの真由子のような女性アナウンサーは、多少の無理も喜んで受け容れなくてはならない。
目を擦りたいのを耐えて、代わりに眉間を揉んでいると、テレビ画面に見知った顔が映った。
局アナだった頃の後輩にあたる杉内奈々のゴシップだった。相手は前途洋々たるプロ野球選手。分割された画面のいっぽうに映し出された顔は、試合中のものだろうか。チームのロゴが刺繍された帽子をかぶって、なかなか男前だった。
ノーコメントをとおしているらしい奈々の愛らしい顔を見て、真由子は苦笑いした。奈々は女子大を出て入社した時期から、キャリア志向とは縁がなく、常に目を光らせて玉の輿を狙っているタイプの現代的な女の子だった。真由子にはよくわからないが、キャスターが説明するところによると、我妻洋司という相手の選手は名実ともにチームを代表する剛腕投手のようだし、うまくやったというところだろうか。
奈々の顔が消え、代わりに我妻が登板した試合のVTRが流れた。画面いっぱいに長身が映り、ユニフォームの文字を確認すると、真由子はちょっと眉を上げた。
どこかで見たことがあると思ったが、そういえば、あの奥幸成も、同じ神奈川ヴェルヴェッツの選手ではなかったか。
奥の顔を思い出すと、懐かしさと同時に、自嘲めいた苦笑いが浮かんだ。
広場で若者たちのダンスを眺めながら、真由子はつい昔を思い出し、無神経なことを口ばしってしまった。
チアダンスをやろうだなんて、本気にするはずがない。奥は驚きながらも、女ではないからなどといって、やんわり身を退いた。それでも真由子が諦めず、今は混合もあるし、それなりのやり甲斐はあるとなおも勧めたので、少し気分を悪くしたようでもあった。クビになって落ち込んでいるときに、ダンスを踊るような気になれないのも、当然といえば当然だった。しかも奥は男で、馘首の憂き目に遭ったとはいえ、まだプロのアスリートという立場だ。
真由子は子供の頃から活発な性格だったが、同時に思い込みが激しく、愚直なところがあり、気持ちが高揚すると、冷静に周囲の反応を見たり他人の心情を推し測ったりということができなくなる。そんな単純な性格だからこそ、染谷のような男に溺れ、けっきょくは弄ばれてしまったのかもしれない。
まだ半分以上も残っているビールをテーブルに置いて、真由子は嘆息した。ひとりでいると、つい思考が卑屈なほうに向かってしまうようだ。
いい加減に洗面台に向かおうと、重い腰を上げかけたとき、バッグのなかで携帯電話が震えた。
「はい」
相手に見られるわけではないが、だらけた姿勢を隠すように、ことさら取り澄ました声をつくる。
「あ、どうも、奥です」
「はあ……」
外出先からかけているのだろう。回線の向こうは話し声や車の騒音などといった雑音にまみれていて、聞きとりづらかった。真由子が黙っていると、相手が改めて名乗った。
「奥幸成です」
「ああ」
つい素っ頓狂な声を上げてしまった。
「どうも。お久し振りです」
渡した名刺には携帯電話の番号も刷られていたが、機嫌を損ねてしまったので、かかってくるとは思っていなかった。真由子はソファに座りなおした。
「この間はごめんなさい、変なこといっちゃって」
「いえ、いいんです。気にしてないですから」
そうはいったものの、奥の声は微妙に強張っていた。
「あのう、今、ご自宅ですか」
「ええ。どうして?」
「よかったら、いっしょに飲まないかと思って」
予め用意していたような口調だった。真由子が迷っていると、慌てて重ねた。
「あ、でも、ふたりじゃないですよ。おれの友達もくるんで。もしあれでしたら、真由子さんも、だれか連れてきてもらってもいいし」
奥が早口にまくし立て、真由子は噴き出した。
「行きます」
「ほんとですか」
奥がほっとしたようにいう。なんとなく、放っておけないタイプの男だ。しかし、本人の言葉どおり、下心のようなものはないだろう。そんなちがいに気づかないほど、真由子も子供ではない。
簡単に店の場所を聞いてから、電話を切った。嵌めたままの腕時計に目を落とす。もうすぐ日付が変わろうかという時間になっていた。
明日の仕事のことを考えると憂鬱になったが、思いがけない奥の誘いは単純に嬉しかった。かといって、真由子のほうにもまた、他意があるわけではない。男なんて、しばらくは考えたくもなかったし、奥はどことなく田舎の弟を思わせ、よくも悪くも、男性として意識することはなかった。
奥のほうでも、同じだろう。同僚の成功と華やかなゴシップに、やっかみ半分、祝福半分で飲みたい気分なのかもしれない。それならそれで、できる限りは付きあってやろうと思った。
化粧を落とさずにいたのは、結果的には正解だった。鏡を覗いて少し顔をなおしてから、真由子は玄関に向かった。パンプスに爪先を差し込もうとして、ちょっと思案する。奥に会うのに、わざわざ気取ることもあるまい。ヒールがほぼないに等しく、見栄えは悪いが楽なシューズを履いて、マンションを出た。



