CHEEERR!!

 残暑の厳しい日だった。鬱陶しい日差しから避難するために、国分智彰は友人たちと連れ立って、コンビニエンスストアに飛び込んだ。日に焼けた肌にエアコンの風が絡んで、思わず年齢に相応しくないため息が漏れる。
 新製品の菓子を物色していると、棚の向こうで、喜多嶋旬が素っ頓狂な声を上げた。
「見て、これ」
「なに」
 雑誌コーナーに回ると、喜多嶋が広げた雑誌のページを突き出してきた。よくある週刊誌のゴシップ記事。野球選手と女子アナの熱愛を報じる白抜きのキャプションが躍っていた。モノクロの男女の写真はだいぶ遠くから撮られたもので、画質も粗かったが、よく目を凝らせば、じゅうぶんに顔のつくりを確認することができた。
「超ショック。マジかよ、おれの奈々ちゃんが」
 喜多嶋が大袈裟に顔をしかめる。
 杉内奈々は朝のニュース番組やバラエティ番組によく出演する人気アナウンサーだった。まだ2年目の新人だが、あどけない顔立ちと、ぼうっとしていてどこか放っておけない雰囲気から、主に男性視聴者の厚い支持を得ている。
「しかも野球選手ってのが、またむかつくよな。だれだ、この我妻って」
「神奈川ヴェルヴェッツのピッチャーだよ」
「詳しいじゃん、トモ」
「ガキの頃、やってたからな、野球」
 喜多嶋の眉が意外そうに持ち上がる。口を滑らせてしまったことを後悔しながら、国分は深めに帽子を被った女の写真に見入った。無意識に、声を上げた。
「なんだよ」
「いや、この前さ、踊ってるとき、ギャラリーがいただろ」
「たくさんいるからわかんねえよ」
「入口んとこにカップルっぽいのがいたじゃん。1週間ぐらい前」
「ああ」
 予想していたよりもあっけなく、喜多嶋が頷いた。
「あれもいい女だったよな。男連れじゃなかったら、絶対声かけてた」
「馬鹿。狭山真由子だぜ、あれ」
「狭山真由子?」
「KTVのアナ。“ミュージック・ジャンゴ”とか、出てたじゃん」
 喜多嶋は首を捻っている。どうやら自分の好みにあわない女には興味を持てないらしい。
 国分としては、計算高そうな杉内奈々よりも、自立した大人の女という印象の狭山真由子のほうに魅力を感じたが、驚いたのはそのことではなかった。
「いっしょにいた男も野球選手だった」
「マジかよ。見たことないぜ」
「全然テレビ出ないもんな。甲子園ではけっこう活躍してたけど」
「ふうん。やっぱ女子アナはみんな野球選手に取られんだな」
 喜多嶋は悔しそうに唇を窄め、漫画誌を取り上げた。野球や選手に興味を示す様子はない。
 国分のほうにも、それ以上説明する気はなかった。野球の話なんか退屈なだけだし、鬱陶しい奴だと思われてしまうだろう。そもそも、野球のことに頭が向くのも、滅多にないことだった。
 野球をやっていたのは小学校まで。リトルリーグに所属して、休日には父親とキャッチボールもした。しかし、中学に上がってすぐ両親が離婚し、自棄になって煙草を吸っているところを見つかって、チームを辞めさせられた。高校には進学せず、時折思い出したようにアルバイトをして稼いだ小遣いを酒や煙草に変えていた。公園でダンスを踊るのは楽しかったが、とくべつ才能があるとは思わないし、身分不相応な夢を持っているわけでもない。緩慢な日々を消化していくうちに、いつの間にか18歳になっていた。喜多嶋やほかの友人たちと、もうトシだなどと冗談めかした愚痴をこぼしあっているが、いまだにこれといった生き甲斐も目標もない自分には、つくづく失望していた。焦りはすでに諦めに変わって、苛立ちすらも感じることはない。
 この数年でもっとも心弾んだのは、母親の実家がある九州の高校が、甲子園で優勝したときだった。
 母はろくでなしだが、死んだ祖父には可愛がってもらっていた。小学生の頃、祖父や父とキャッチボールをして、帰りの田舎道を歩いた記憶は、国分にとって、なにものも冒されない特別な思い出だった。
 国分は狭山真由子と並んで座っていた男の顔を思い浮かべた。
 奥幸成は、当時の主力選手のひとりだった。甲子園では3割を越える打率と成績を残し、卒業後すぐにプロ入りした。ほんのすこし年上なだけの才能と環境に恵まれた少年を僻みながらも、内心ではひっそりと応援していたものだ。故障したと聞いて胸を痛めもしたが、テレビや新聞で名前を見かけなくなるにつれ、忘れてしまっていた。
 一時期は戦力外ともいわれていたが、まだチームにしがみついているのだろうか。実物を拝んだのははじめてだったが、想像していたよりも小柄に見えた。しかし、すぐにプロ野球選手だと気づかなかったのは、見た目の印象のせいだけではなかっただろう。
 奥はどことなく沈鬱な面持ちで俯き、狭山真由子との会話も、ぼそぼそとした声ばかりで、風にかき消されて聞き取れなかった。週刊誌に載るほどの大物ではないにしろ、我妻と杉内奈々のような関係なのだろうか。しかし、少し話したあと、どうも喧嘩別れをしたようだったし、隣りあって座ってはいても、ふたりの間には微妙な距離があったような気がする。
 コンビニエンスストアのガラス窓が、反対側から叩かれた。漫画雑誌から顔を上げると、ダンス仲間がにやにやしながら手を振っていた。
 喜多嶋と視線を交換しあってから、国分は音を立てて雑誌を閉じた。
 自動ドアを押し分けて外に出ると、たちまち強烈な陽光に肌を刺された。凍らせたペットボトルをわき腹に圧しつけて、国分は仲間たちとともに歩き出した。地元の元ヒーローと年を取ったアナウンサーのことはすでにほとんど頭から消えていた。