真新しいユニフォームに袖を通す。剃り落としてから時間がたち、伸びはじめた臑の毛がストッキングに抵抗して、奥は苦笑いした。
開幕戦は一軍スタートとなった。自由契約からテストを経て入団した若手としては、異例の待遇だった。今季からロークスの監督に就任した諸井は、甲子園での奥のプレイをいまだに記憶していたらしい。情熱的なタイプの指導者で、ヴェルヴェッツの選手育成の手法について批判的だった。
とはいえ、当然スターターに名を連ねることはなく、とうぶんはベンチをあたためるだけだろう。展開によって代走、もしくは代打でつかわれることがあるかもしれないが、それは同時にテストにもなる。少ないチャンスをものにすることができなければ、ここでもまた、二軍でくすぶるはめになる。萎縮しかける気持ちを奮い立たせるように、奥はことさら大きく体を伸ばした。
チアをやめてからは、半年間のブランクを埋めようと必死になって体をつくってきた。打撃コーチの評価も悪くない。自信はあった。
ホームのヴェルヴェッツの練習が終わり、ロークスのメンバーがグラウンドに出る。ブルペンから出てきた我妻と、視線がぶつかった。
「よう」
「おう」
グラブを脇に抱え、我妻は拳を口元にあてて咳払いした。
「調子、どうだ」
「いいよ。そっちは」
「まあまあかな」
バスルームでの夜以来、我妻には会っていなかった。すぐに沈黙に支配される。
「じゃ、おれ、練習あるから」
「奥」
走り出しかけた奥を、我妻が呼び止めた。
「今日の試合でもし完投……いや、完封したら、おまえにいいたいことがある」
真剣な表情だった。奥は首を窄めた。
「すごい自信だな。白星くらいにハードル下げとけば」
「奥、おれ……」
「嫌だ」
拍子抜けした様子の我妻に、奥はいった。
「おれが打席に立って、おまえの球打ったら、聞いてやる」
早口にまくしたてると、我妻の返事も聞かずに、奥は人工芝のなかへと飛び込んでいった。
球団広報と打ち合わせをしていると、背中に視線を感じた。白いテープで仕切られたマスコミ用のスペースの向こうで、杉内奈々が手を振っていた。
「お久し振りです、狭山さん」
打ち合わせが終わるなり、声をかけてくる。無視するわけにもいかず、真由子は奈々に歩み寄った。
「元気そうじゃない」
「おかげさまで」
「スポーツ担当になったの?」
「そうなんですよ。例の記事も、もう時効ですし、ガセだってちゃんと訂正も入りましたしね」
ほっとしているように見せているわりに、残念そうな顔だった。聞きもしないことまでべらべらとしゃべって、真由子のほうにも匙を向けてくる。
「狭山さんも、スポーツやってるんですか?」
今日の催しの内容を聞いていないはずはないのに、目を丸くして小首を傾げる。いかにもあざといしぐさだ。真由子は苦笑いして首を振った。
「そうじゃないの。実はチアを……」
「えーっ、狭山さん、チアガールになっちゃったんですか?」
同情じみた口ぶりだった。うんざりしかけたところに、折りよく広報に呼び戻される。
「ごめんなさい。仕事だから」
「わたしもですよ」
男性視聴者が可憐だと鼻の下を伸ばす華やかな微笑を浮かべて、奈々はいってらっしゃいと手を振った。
時間が押していてよかったと真由子は思った。あまり長い間話をしていると、そのうち、どうせあなたほど上等な仕事じゃないというような種類の言葉を口にしてしまったかもしれない。
広報のあとについてロビーに出ると、ヴェルヴェッツのロゴが刺繍されたそろいのコスチュームを着たチアガールたちが待っていた。
「こちら、コーチの狭山さんです」
広報の男性の紹介に、チアガールたちはそれぞれ会釈した。真由子も慇懃に腰を折り曲げる。8人しかいないチームのサポートとして、彼女たちにもいっしょに踊ってもらうことになっていた。
「簡単に立ち位置などの確認をお願いします」
そういって広報が忙しげに去ってしまうと、真由子はさっそくバッグからグラウンドの見取り図を取り出して、チアガールたちに示してみせた。細かい振り付けやフォーメーションの打ち合わせは予め済ませてあるので、簡潔に説明するにとどめる。
「突然我々のようなものが割り込んできて、ご不快に思われるかもしれませんが、皆様の邪魔はいたしませんので、どうぞよろしくお願いします」
もう一度深々と頭を下げると、チアガールたちは互いに顔を見合わせた。
「なにかご質問でも」
「あ、ちがうんです」
髪をポニーテールにしたチアガールが胸の前に掌を掲げる。
「そんなにていねいに挨拶されるなんて思ってなかったから、びっくりしちゃって」
「わたしたち、あんまりきちんとした扱いされることってないから」
「とくに女子アナにはね」
女子高生のように声を顰めていうのを聞き、真由子は苦笑いした。
真由子もアナウンサーであることを思い出したのだろう。他の女の子が慌てて口を挟む。
「でも、女子アナの方がどうとかいってるわけじゃないですよ」
「いいんです。ぶっちゃけ、玉の輿狙いのアイドル気取りもいますしね」
真由子が悪戯っぽく囁くと、チアガールたちはどっと笑った。若い女の子らしい、明るい笑いは、不良たちに囲まれていた真由子を清々しい気持ちにさせた。
女子アナとチアガール。どちらも少女たちの憧れであることにちがいはないが、女として、職業としての差は歴然である。アナウンサーとはちがい、パンチラや、野球観戦のおまけのような扱いを受けることもあるだろうが、チアガールたちはそれぞれ強固なプロ意識を持っていた。
「それに、男の子だったら、ファンを獲られちゃう心配もないしね」
いちばん若そうな女の子が悪びれる様子もなくいったので、真由子は笑い出してしまった。
開幕戦は一軍スタートとなった。自由契約からテストを経て入団した若手としては、異例の待遇だった。今季からロークスの監督に就任した諸井は、甲子園での奥のプレイをいまだに記憶していたらしい。情熱的なタイプの指導者で、ヴェルヴェッツの選手育成の手法について批判的だった。
とはいえ、当然スターターに名を連ねることはなく、とうぶんはベンチをあたためるだけだろう。展開によって代走、もしくは代打でつかわれることがあるかもしれないが、それは同時にテストにもなる。少ないチャンスをものにすることができなければ、ここでもまた、二軍でくすぶるはめになる。萎縮しかける気持ちを奮い立たせるように、奥はことさら大きく体を伸ばした。
チアをやめてからは、半年間のブランクを埋めようと必死になって体をつくってきた。打撃コーチの評価も悪くない。自信はあった。
ホームのヴェルヴェッツの練習が終わり、ロークスのメンバーがグラウンドに出る。ブルペンから出てきた我妻と、視線がぶつかった。
「よう」
「おう」
グラブを脇に抱え、我妻は拳を口元にあてて咳払いした。
「調子、どうだ」
「いいよ。そっちは」
「まあまあかな」
バスルームでの夜以来、我妻には会っていなかった。すぐに沈黙に支配される。
「じゃ、おれ、練習あるから」
「奥」
走り出しかけた奥を、我妻が呼び止めた。
「今日の試合でもし完投……いや、完封したら、おまえにいいたいことがある」
真剣な表情だった。奥は首を窄めた。
「すごい自信だな。白星くらいにハードル下げとけば」
「奥、おれ……」
「嫌だ」
拍子抜けした様子の我妻に、奥はいった。
「おれが打席に立って、おまえの球打ったら、聞いてやる」
早口にまくしたてると、我妻の返事も聞かずに、奥は人工芝のなかへと飛び込んでいった。
球団広報と打ち合わせをしていると、背中に視線を感じた。白いテープで仕切られたマスコミ用のスペースの向こうで、杉内奈々が手を振っていた。
「お久し振りです、狭山さん」
打ち合わせが終わるなり、声をかけてくる。無視するわけにもいかず、真由子は奈々に歩み寄った。
「元気そうじゃない」
「おかげさまで」
「スポーツ担当になったの?」
「そうなんですよ。例の記事も、もう時効ですし、ガセだってちゃんと訂正も入りましたしね」
ほっとしているように見せているわりに、残念そうな顔だった。聞きもしないことまでべらべらとしゃべって、真由子のほうにも匙を向けてくる。
「狭山さんも、スポーツやってるんですか?」
今日の催しの内容を聞いていないはずはないのに、目を丸くして小首を傾げる。いかにもあざといしぐさだ。真由子は苦笑いして首を振った。
「そうじゃないの。実はチアを……」
「えーっ、狭山さん、チアガールになっちゃったんですか?」
同情じみた口ぶりだった。うんざりしかけたところに、折りよく広報に呼び戻される。
「ごめんなさい。仕事だから」
「わたしもですよ」
男性視聴者が可憐だと鼻の下を伸ばす華やかな微笑を浮かべて、奈々はいってらっしゃいと手を振った。
時間が押していてよかったと真由子は思った。あまり長い間話をしていると、そのうち、どうせあなたほど上等な仕事じゃないというような種類の言葉を口にしてしまったかもしれない。
広報のあとについてロビーに出ると、ヴェルヴェッツのロゴが刺繍されたそろいのコスチュームを着たチアガールたちが待っていた。
「こちら、コーチの狭山さんです」
広報の男性の紹介に、チアガールたちはそれぞれ会釈した。真由子も慇懃に腰を折り曲げる。8人しかいないチームのサポートとして、彼女たちにもいっしょに踊ってもらうことになっていた。
「簡単に立ち位置などの確認をお願いします」
そういって広報が忙しげに去ってしまうと、真由子はさっそくバッグからグラウンドの見取り図を取り出して、チアガールたちに示してみせた。細かい振り付けやフォーメーションの打ち合わせは予め済ませてあるので、簡潔に説明するにとどめる。
「突然我々のようなものが割り込んできて、ご不快に思われるかもしれませんが、皆様の邪魔はいたしませんので、どうぞよろしくお願いします」
もう一度深々と頭を下げると、チアガールたちは互いに顔を見合わせた。
「なにかご質問でも」
「あ、ちがうんです」
髪をポニーテールにしたチアガールが胸の前に掌を掲げる。
「そんなにていねいに挨拶されるなんて思ってなかったから、びっくりしちゃって」
「わたしたち、あんまりきちんとした扱いされることってないから」
「とくに女子アナにはね」
女子高生のように声を顰めていうのを聞き、真由子は苦笑いした。
真由子もアナウンサーであることを思い出したのだろう。他の女の子が慌てて口を挟む。
「でも、女子アナの方がどうとかいってるわけじゃないですよ」
「いいんです。ぶっちゃけ、玉の輿狙いのアイドル気取りもいますしね」
真由子が悪戯っぽく囁くと、チアガールたちはどっと笑った。若い女の子らしい、明るい笑いは、不良たちに囲まれていた真由子を清々しい気持ちにさせた。
女子アナとチアガール。どちらも少女たちの憧れであることにちがいはないが、女として、職業としての差は歴然である。アナウンサーとはちがい、パンチラや、野球観戦のおまけのような扱いを受けることもあるだろうが、チアガールたちはそれぞれ強固なプロ意識を持っていた。
「それに、男の子だったら、ファンを獲られちゃう心配もないしね」
いちばん若そうな女の子が悪びれる様子もなくいったので、真由子は笑い出してしまった。



