CHEEERR!!

 神奈川県にあるホームスタジアムでは、ヴェルヴェッツの公開練習がおこなわれていた。揃いのレプリカのユニフォームにプラカードを持ったファンの群れが外野席にひしめきあい、グラウンドでボールを追いかける選手たちに声援を送っている。
「ガッツ我妻あ!」
 声援が鳴り止む頃合いを見計らって、ひときわ甲高い声を張り上げた。キャッチボールに励んでいた我妻が振り向く。如才のない笑みがかき消えた。

 出待ちをしていたファンの輪に混ざり、根気よく待った。幸い、無職の身に時間はそれほど貴重なものではないい。1時間ほどして、選手たちが出てきた。我妻のもとには数えきれないほどのファンが群がった。国分も決して野球に明るいわけではなかったが、奥の賛辞が大袈裟なものでないことは、すぐに納得できた。
 国分の姿を目ざとく認めると、我妻はさりげなく顎をしゃくった。小さく頷いて、ファンの行列を離れた。
 我妻の車は国分でさえ名前を知っている高級車だった。素直に讃えたが、我妻は嬉しそうな顔ひとつ見せなかった。国分を乗せ発進させると、すぐに口を開いた。
「奥から聞いた」
「よく会ってもらえたね」
「電話したんだ」
「しつこく?」
 我妻は答えずに、ステアリングを握りしめた。
「ちゃんと謝った?」
「聞いたのか」
 あっけないほど簡単に食いついてくる。我妻がいかに有能な選手であったとしても、しょせんは野球しかやったことのない世間知らずだ。年齢こそ国分のほうが下だが、人生経験では負けていない自信があった。内心ほくそ笑みながら、国分は曖昧に肩を竦めた。
「愚痴に付きあってあげただけだよ」
「おまえに迫られて困ってるっていってたぞ」
「嘘、嘘」
 余裕綽々といった態度をとってみせると、我妻は目に見えて苛立った。
「本気なのか」
「おっくんのこと?」
「ほかにあるか」
「どうでしょうか」
「いっとくけどな」
 信号が赤に変わるのと同時に、我妻は焦れたように身を乗り出した。
「おれはおまえなんかよりずっと前からあいつのことが好きなんだよ」
 沈黙。信号が点滅する。決定的な言葉を、我妻はなんの躊躇もなく堂々といってのけた。燃えるような眼で国分をにらみつけた。
「あいつに手出したら殺す」
 短いが、強烈な印象を与える宣言だった。国分は思わず口のなかに溜まった唾液を飲み込んだ。ふざけ半分に絡もうとしたことを後悔した。高級な革製のシートの感触が突然心地の悪いものに感じられた。
 信号の色が変わると、我妻はなにごともなかったかのように正面を向いて車を発進させた。国分は無言で腕を組んだ。無意識に貧乏揺すりをしていた。
 我妻がなぜエースと呼ばれているのかわかった。窓の外に視線を向けながら、運転席の男を舐めてしまっていたことを後悔した。奥もとんでもないのに好かれたものだ。同情する。
 シューズの爪先で小刻みに車の床を叩きながら、奥はさりげなくため息をついた。早く車が停まってくれることを祈った。

 電話が鳴ると憂鬱になる。我妻からなら、チアを辞めろといわれるし、真由子からなら、辞めないでくれといわれる。どちらにせよ、楽しい話を聞けるような期待は抱けない。しかし、ディスプレイに浮かんだ名前は、そのどちらでもなかった。
「大滝ですが」
「奥です。お久し振りです」
「おう、元気か」
 打撃コーチとして2年間面倒を見てくれた大滝の野太い声が妙に懐かしく感じられて、奥の胸は熱くなった。
「今、なにやってるんだ」
「家にいました」
「そうじゃなくてだな」
 相変わらずだと軽口を叩いて、大滝はいきなり本題に入った。
「どこかのチームに入ったのか」
「いえ、まだ……」
「そうか。実はな、こんど、栄ロークスのテストがあるんだけどな」
 心臓が大きく跳ね上がる。大滝は以前とまるで変わらない力強い声でつづけた。
「受けてみないか。話だけは、いちおう、してみたんだが」
 携帯電話を握る手に、じっとりと汗が浮かんだ。