CHEEERR!!

 マンションの階段を降り、駅までの道をいつもどおりに歩こうとした足が止まった。
 奥に気づいた我妻が、ガードレールにもたせかけて組んでいた長い脚を解く。
「久し振り」
「久し振り……」
「出かけんの」
「いや、べつに」
「じゃ、ちょっといい」
 嫌とはいえなかった。練習場所の体育館では真由子たちが待っているはずだったが、そのことを我妻にいえるはずもない。迷いながらも、従うしかなかった。先を立って大股に歩いていく我妻の後を追いながら、奥はそっと携帯電話を弄った。
「電話?」
「うん、ちょっとな」
 予定があるのかとは、二度と聞かなかった。近所のカフェに入ると、メニューも見ずに、我妻は身を乗り出した。
「元気だったか」
「まあ」
「連絡つかないから」
 返答に困ったところに、店員が注文を取りにきた。コーヒーもアルコールも、ふたりとも口にしない。オレンジジュースを注文すると、また沈黙が流れた。
「キャンプは」
「いっただろ、別メニューだって」
 追い出されたんじゃないのかとからかってやってもよかったが、それで空気が和むとは思えなかった。
「そっちはどうなんだよ」
「なにが」
「ダンス」
 舌打ちをこらえる。うまくいってくれるはずの田所は、我妻になんと伝えたのだろうか。
「楽しくやってるよ」
「遊びなんじゃなかったのか」
「遊びだよ」
「なら、なんでそこまで進んでんだよ」
「そこまでって」
「開幕戦」
 飲みものが運ばれてくる。店員が去るのを待って、我妻が言葉を繋ぐ。
「試合前のイベントに出るそうじゃん」
 奥は絶句した。そんな話は一言も聞いていない。
「聞いてないわけないだろ。コロさんが球団に掛けあって、もう本決まりにちかいらしいじゃん」
 いわれてみれば、思い当たることがないでもない。最近、真由子と田所が密かに話をしているところを見かけることも多かった。自分に了解ひとつ得ることもなく、そこまで話を進めてしまったふたりに対しての憤りを抑え、奥は目頭を揉んだ。
「もしそうなるとしても、おまえには関係ない」
「ふざけんなよ。おれの立場も考えろよ。おまえのそんな姿見せられて、集中してマウンドに立てると思うのかよ」
「投げんの?」
「まだ決まってないけど。おれが投げないとしても、気にはなるだろ」
「なんでだよ。気にしなきゃいいじゃん」
「そんなわけにいかない」
「恥ずかしいのか」
 自分でも不可解なほど、厳しい口調になった。我妻が詰まる。
「そういうわけじゃないけど」
「嘘つけ。恥ずかしいんだろ。おれなんかとライバルだなんていわれてたのが」
「なにいってんだ、そんなこと……」
「悪いけど」
 目の前のオレンジジュースに口もつけないまま、奥は立ち上がった。
「おれ、練習あるから」
「ダンスの練習か」
「今更野球の練習してどうなるんだよ」
「幸成」
 思いがけず名前を呼ばれて、奥は面食らった。我妻も居心地悪そうに視線を逸らす。いいわけのようにいう。
「おまえの友達は、おまえのこと、おっくんって呼ぶだろ」
「だからなんだよ」
「同じように呼ぶのは嫌なんだよ」
「だからって、なんで」
「嫌か」
「嫌っていうか」
 奥は眉を顰めて、他人を見るような目で我妻を見下ろした。
「おまえ、なんか、前とちがう」
 かろうじてそれだけをいうと、奥は逃げるようにその場を去った。我妻は追ってこなかった。右手の様子を尋ねるのを忘れたと思ったが、引き返す気にはなれなかった。