CHEEERR!!

「おっくん」
 振り向くと、モスグリーンのパーカーを着た国分が駆け寄ってきた。
「よかった。おっくんも遅刻組か。また真由子さんに怒られちゃうね」
 ちっとも急いでいない様子で、国分が肩を竦める。奥も苦笑いを返した。
「ねえ、タンブリングの練習してきた? おれ、いい加減、下の部屋の浪人生に刺されちゃいそうでさあ」
 弾むような足どりで奥の先を行きながら、国分が無邪気にいう。奥は曖昧に頷きながら、国分のあとに続いて改札を抜けた。
 駅から歩いて15分の市営体育館。2階の隅の卓球場では、すでに10人余りの仲間たちがストレッチをはじめていた。
「遅い、ふたりとも」
 身を縮めるようにして入ってきたふたりを見て、真由子が顔をしかめる。
「もうはじめるとこだよ。早く準備して」
 ジャージ姿の真由子は、それでもじゅうぶん魅力的だったが、眩しく思う気持ちは、とうに消え去っていた。奥は苦笑いしながら、国分とともに上着を脱いだ。
「鬼だよね、真由子さんって」
 荷物を置きながら、国分がそっと耳打ちしてくる。
 確かに、真由子の指導は日に日に厳しさを増していった。
 ストレッチをしている若者たちの動きも緩慢だ。国分と喜多嶋のダンス仲間は、最初のうちこそもの珍しげにダンスを楽しんでいたが、徐々にやる気を失い、不満を漏らしはじめていた。
 真由子は決して悪い女ではないが、完璧主義にすぎる。少しは気遣ってやらなければ、不平不満は募るばかりだった。
 忙しい間を縫ってきてくれるのはありがたかったが、全員に同じだけのやる気を持たせるには、監督する立場の人間が率先して気を抜くことも重要だ。遠まわしにでも、そのうち、いっておかなければならないと思いながら、奥は手早く身支度を整えた。
 国分からやや遅れて練習場に出ていくと、すでに全員がそれぞれの位置についていた。慌てて中央に体を割り込ませる。左右に国分と喜多嶋。半年ちかく練習を重ね、それなりに上達してもいるが、センターを陣取るには、やはり技術はあまりに心許ない。真由子や国分にうまくいいくるめられて、柄でもないリーダーなどを張ってはいるが、できることなら、端に引っ込んでいたかった。
「じゃ、はじめるよ」
 真由子が声を張り上げ、ステレオが軽快なリズムを吐き出す。弾けるような掛け声とともに、全員が一斉に跳びあがった。両手足をいっぱいに広げ、左脚を軸に回転する。
 全国大会用の難しい振りである。たった2分半とはいえ、かなりの体力を消耗する。後半の失速を考慮して、大きなモーションのなかにも、余裕を持って動いた。
 ポジションを変更し、スタンツに移ろうとするところで、唐突に音楽が止まった。
「だめだめ、ストップ」
 真由子が二度手を叩いて、苛立たしげに首を振る。
「そんな緩慢な動きじゃ、なにも伝わってこないよ。もう一回、頭から」
 再び同じくだりを踊る。今度はさっきよりも早く、真由子が制止してきた。
「どうしてこんなとこでへたっちゃうの。やる気ないんじゃない?」
 棘のある口調だった。奥が口を開くよりも先に、メンバーのひとりがため息をついた。
「勘弁してくれよ。おれらだって、ちゃんとやってんだからさ」
 鼻にピアスをとおしたその男の言葉が引き金になり、不満が爆発した。
「そうだよ。いちいち止められちゃ、やる気も出ねえだろうがよ」
 とても止められるものではなかった。だれもが口々に文句を垂れ、座り込んでしまうものもいる。
「だいたい、おれら、べつに、チアダンスなんか、どうしてもやりたいわけじゃねえし」
「そうそう。女子アナ紹介してくれるっていうから、しかたなくきてやってんのによ」
 真由子の顔から血の気が引く。鋭い視線に、奥は慌てて顔を伏せた。口を滑らせた鼻ピアスも、まずいという表情で舌を打つ。
 辞めると駄々をこねるメンバーたちを引き留めるための約束。真由子にはいっていなかった。たちまち空気が澱んで、沈黙がはしる。
「そういうことか」
 皮肉めいたため息をついて、真由子は目を閉じた。
「いい。わかった。そんな気持ちでやってるんだったら、もう辞めたら」
「真由子さん、いくらなんでも、そういういいかたは……」
 とりなそうとしたが、遅かった。
「いわれなくてもやめてやるよ。ばぁか」
「おれも」
「おれもやめた。めんどくせえ」
 鼻ピアスを先頭に、数人が荷物を手に出て行ってしまう。奥や国分が止めたが、無駄だった。
 14人いた仲間は、あっという間に8人にまで減ってしまった。真由子は憤然とした表情で、腕を組んでいる。
「ちょっと、もう、勘弁してよ、真由子さん」
 喜多嶋が呆れて肩を竦める。
「わたしのせいなの。わたしはちゃんとやることやってるでしょう」
 にらみ返され、喜多嶋は諦めたように両手を挙げた。
 たしかに、真由子はただひとり仕事を持っている身でありながら、だれよりも早く練習にきて、熱心に指導に打ち込んでいる。しかし、それだけではだれもついてきてはくれないのだ。リトルリーグの頃から、幾人もの監督のもとで厳しい練習に打ち込んできた奥には、そのことがよくわかっている。しかし、プロの世界で挫折に喘いでいる現状で真由子に提言するのは憚られた。
「だいじょうぶ。8人いれば、ぎりぎりなんとかなるんだから」
 自分にいい聞かせるように強い口調でいって、真由子は手を叩いた。
「さあ、練習再開しよう」
 しかし、だれも微動だにしない。空気が捩れ、張り詰める。
 ドアが開く音が沈黙を破り、だれもがはっと顔を上げた。
「お邪魔だったかな」
 ワイシャツ姿の田所が、居心地悪そうに立っていた。