CHEEERR!!

 我妻の穴は、中継ぎで活躍していた埜波が埋めた。監督が目を止めたファームの試合で3回を無失点に抑えた田所が一軍に上がり、ヴェテランらしい安定した試合運びを見せた。
 このまま一軍定着かともいわれたが、田所は今季限りでの引退を表明した。年齢による体力の限界が理由だった。絶頂期を過ぎ、数年を二軍で過ごした田所にとっては、結果的に、これ以上ないとはいえないまでも、現時点では最適な引き際といえた。
 神奈川ヴェルヴェッツは最後まで優勝争いに名を連ねたものの、我妻をはじめとする故障者を多く出したことが影響し、Bクラス止まりでシーズンを終えた。
 我妻の手首の手術は無事成功し、リハビリをつづけてはいたが、けっきょくシーズンには間に合わず、来季開幕戦からの復帰が期待されていた。
 奥はチームとの契約延長を勝ち取ることはできなかった。自由契約をいい渡され、他球団の入団テストを受けることにしたが、いっこうに調子の上がる気配はなく、これもまた狭き門だった。
 そして冬が訪れ、奥のいないヴェルヴェッツの新しいシーズンに向けたキャンプがはじまった。

 真新しいマンションの部屋を出たところで、携帯電話が振動した。ダウンジャケットのポケットをまさぐっているうちに振動は途切れ、舌打ちする。
 着信履歴のディスプレイに浮かんだ名前を見て、奥は少し迷った。ただでさえ遅刻は間違いない。急用ならメールででも連絡を入れてくるだろう。携帯電話をポケットに戻し、エレヴェータに乗り込んだ。
 休日の東武東上線は混みあっていて、奥は扉の脇に体の側面を圧しつけるようにして立った。
 真由子から借りたCDは、前夜のうちにMP3に変換しておいた。それを聴きながらぼんやりと景色を眺めていると、また携帯が鳴った。
 反射的に受話ボタンを押すと、我妻の神経質な声が聞こえてきた。
「久し振り」
「あ、悪い。ちょっと、今……」
「取り込み中?」
「電車乗ってんだよ」
 それで諦めてくれるだろうと思っていたが、我妻はしつこかった。
「どこ行くの」
「ちょっと。なあ、あとでかけるからさ」
「変な友達と遊んでるわけじゃないよな」
 縋るような口調だった。
「チアダンスなんか、やってないよな。な、奥」
「なにいってんだよ」
 周囲の視線が全身に刺さって、奥は苛立った。
「この間から全然会えてないだろ。気になって、練習に集中できなくて……」
 責めるような口調だった。謝りたいというなら、そのぐらいは聞いてやってもいいと思ったが、そんなつもりはないようだ。奥はため息を吐いた。
「とにかく、今はまずいから、かけなおす」
 早口にいって、返事を待たずに電話を切る。渋面をつくるサラリーマンに向かって目礼をすると、自分でも意外なほど惨めな気分になった。
 簡単な謝罪と、調整の進行のほどを尋ねる社交辞令的なLINEを送ると、数分と待たずに電話がかかってきた。そのときにはすでに降車してはいたが、奥は無視した。付きあっていられない。
 我妻の怪我はすでに完治し、沖縄で行われている春季キャンプにも参加していた。怪我の後遺症とブランクを考慮され、チームとは別メニューが組まれているらしい。
 来季以降のことを考えれば的確な判断であり、じっくり調整をしていくべきだったが、我妻は目に見えて焦っていた。シーズンの半分ちかくチームから離れ、試合の感触もつかめずにいるのだ。しかし、いくら不安だとはいっても、なにかにつけて電話をかけてくる神経が、奥には理解できない。
 怪我で前線を離れていたとはいえ、いまだチームの主力のひとりである我妻に頼られることに悪い気はしないし、故障の原因をつくったのはほかならぬ自分なのだから、愚痴に付きあってやるくらいの義務は負わなければならないとも思う。しかし、いくら電話だけとはいえ、我妻と話をするのは、奥にとって、苦痛以外のなにものでもなかった。
 以前はこうではなかった。結果が出ずに悩んでいる奥を我妻は気遣ってくれたし、連絡先は知っていたが、電話やメールを寄越すことも、ほとんどなかった。
 チームを去った奥の現状を心配しているのか、怪我の原因である奥の謝罪が足りないというのか、それとも、国分たちのような連中と付きあっている奥に憤りをおぼえているのか。あれ以来、我妻はろくに用もないのに、しつこく奥の近況を聞いてくる。キャンプに発ってから、よけいにひどくなっているようだ。
 奥のほうも、はじめのうちは適当に聞き流していた。しかし、今では疎ましく思っているのを隠すことも困難だ。怒りよりもむしろうしろめたさのほうが大きかった。放っておいてくれれば。しかし、突き放そうとすればするほど、さらに執拗に迫ってくる。いつしか奥には我妻が負担に思えるようになっていた。