平日だというのに、店は忙しかった。店長はずっと不機嫌で、おれとは閉店時間まで目も合わせなかった。おとなげない。こちらから話しかける気にもなれず、淡々と仕事をこなした。このバイト先もそろそろ限界かもしれない。ほかの社員にも疎まれているのは察していた。おれにしては長続きしたほうだ。
「あれ? まだ着替えてなかったの」
掃除が済んだ店内で無人のボックス席のソファに座って休んでいると、制服を脱いだ純真がパーティションの間から顔を覗かせた。
すでに店のシャッターは降り、店長もアルバイトスタッフも帰宅していた。レジ締めの作業のため純真だけが残っていた。本来ならそれも店長の仕事のはずだったが。
「どこにもいないから帰ったのかと思った」
店内で唯一死角になるボックス席で座り込んでいるおれを、純真は心配そうに見下ろした。
「おれのこと待ってたのかなー……つって」
おどけた口調でいって、純真はおれの隣に座った。3人は座れる長いソファだったが、それほどスペースが広いわけではない。純真が隣に座ると、自然と互いの半身が触れあった。
おれは無言で俯いていた。制服のエプロンを握りしめる。
「否定しないと調子乗るよ」
純真がおれの背中に腕を回し、密着が濃くなる。友達同士が肩を組むのとはあきらかにちがった空気。咄嗟に体を引いた。
「ごめん。冗談」
純真は無理に追いかけようとはせず、両手を挙げて微笑んだ。
「だいじょうぶ?」
頷いた。過剰な反応を見せてしまったことに頬が熱くなった。付き合うことになってから……お試し期間とやらを了承してからまだ数日なのに、純真の態度はそれ以前と変わっていなかった。拍子抜けするほどだ。おれだけが、いちいち意識して狼狽えていた。
「あのさっきごめんありがと」
用意していた言葉を一気にいう。
「え、なに。早口言葉?」
純真は笑ってテーブルに頬杖をついた。やさしい眼差しがおれを見つめる。
「いいよ。モモ、なんも間違ってないし」
いつもどおり、純真はおれを理解し、受け容れてくれる。本当に、おれのことを好きでさえなければ、最高の友達だ。
営業中は流行のポップスが流れている店内は、今は静まり返っていて、純真の息づかいさえ聞き取れるほどだった。おれが言葉を紡ごうとするのを純真は頬杖をつきながらのんびり待っていた。
「あのさ……」
「うん」
ソファの端で縮こまりながら、おれは純真を見ずにいった。
「今って、おれたち、付き合ってんの?」
「そうだよ」
こともなげにいって、純真はおれのほうに首を伸ばした。
「なんで?」
「いや、なんか……」
繋がりそうな言葉が浮かばない。これではまるで期待しているかのようだ。なにかが変わるのを。
「おれ、だれかと付き合うのはじめてだから、よくわかんなくて……」
告白のときの様子から、純真は翌日から強引に押してくるものだと信じこみ、警戒していた。それなのに、LINEの文面もバイト先での態度もいつもどおりで、その理由がわからなかった。
「おれがなにかしたほうがいいのかなって……」
「モモが?」
「だって、純真、いつもと全然変わらないし……」
不自然に言葉が切れた。ソファの上で、純真がおれの左手を握っていた。大きな手だった。体温が皮膚を通して流れ込んでくる。驚いて思わず顔をもどす。純真の視線とぶつかる。純真の目はもう笑っていなかった。
「怖がらせないように、ゆっくりしようと思ってたんだけど」
左手を握る手に力がこもる。おれが怯えていないかどうか確認するような抑制の効いた力だった。
「でもほんとはすげえ焦ってる。だって1か月なんてあっという間じゃん」
もう片方の手が首に触れる。襟足の髪の束を掻き分けて、後頭部に移動する。確かめるような手つきで頭を撫でられると、自然と体の力が脱けてくる。どんな顔をしているのかわからず、おれは何度も瞬きした。顔が熱い。純真の顔をまともに見ることができない。
「モモ」
純真が顔を近づけてきて、おれは咄嗟に目を瞑って顔を背けた。純真の唇がおれの耳に近づき、長い睫毛が頬に触れる。
「な、今、おれのことどのくらい好き?」
「え……」
質問の意図がつかめず、目を開けた。至近距離で視線が絡む。純真は目を細めて微笑んだ。
「キスしていい?」
「えっ」
「キスしたい。だめ?」
緩急についていけず、慌ただしく瞬きした。なにかいうべきなのに、言葉が出てこない。壊れた玩具のように口を開いたり閉じたりするだけだ。きっと馬鹿みたいな顔になっているだろう。
純真は笑わない。真剣な表情でおれをじっと見つめている。体温とおなじくらい熱を孕んだ視線だった。
「するよ」
逃げようと思えばできたが、動けなかった。純真の手が伸びてきて、眼鏡を抜き取る。おれは瞬きしながら、純真の顔が近づいてきて、あまりに距離が近すぎて焦点が合わずぼやけていく課程を、まるでスクリーンごしに映画を観ているかのようにぼんやり眺めていた。映画でなく実際に自分の身に起きていることなのだと気づいたのは、唇に乾いた感触を意識してからだった。
純真の唇は想像したよりも薄く、硬かった。薄皮が唇の端を掠めて擦れる。
やばい。キスしてる。
そう思った瞬間、突然全身に熱が籠もった。純真の舌が口のなかに潜り込んできて、おれは驚き硬直した。純真の胸に手を圧しあてようとしたが、一瞬早く長い腕に抱き竦められた。
「ん……」
舌先が歯列をさぐるように蠢き、唾液が溢れて顎をつたう。純真の舌がおれの舌を追いかける。喉の奥まで追ってきそうだった。すぐに捕らえられ、熱い舌が絡む。おれのものか純真のものか、唾液がさらに噴き出し、口のなかで泡立った。
呼吸がくるしい。他人のペースで口を塞がれ、口中を舐られて、息を継ぐタイミングを完全に失っている。酸素が不足し、頭の奥が重くなる。ぼうっとしてきて視界が霞みかけたとき、ようやく唇が離れていった。
体重を支えられず、おれは上半身を純真に凭せかけた。必死で酸素を吸う。呼吸に合わせて体が上下する。喘ぎ、咳き込むおれの背中を純真の大きな掌が撫でる。
いつの間にか、おれは純真のシャツをつかんで握りしめていた。呼吸を奪われた恐怖がまだ体のなかに残っている。あまりに突然すぎて、混乱しすぎて、わけがわからなくなっていた。
「ごめん……」
純真の呼吸も荒い。きつく抱きしめられると、Tシャツごしに胸の鼓動が伝わってきた。かなり烈しい。おれのもきっとおなじだろう。
「平気か」
「平気じゃない……」
かろうじて答えた。かすかな香水に混じって、汗の匂いが鼻腔を巡り、全身を駆け巡る。純真の匂い。胸に顔を押しつけると、顎を濡らしていた唾液がシャツの生地の色を濃くした。
「びっくりしたし、なんか……怖かった」
「怖かった……?」
「おれはじめてだっていったじゃん……」
泣き声に近かった。まだ取り乱していた。渾身の力で純真の体にしがみつく。他に頼れるものがなかった。なによりもそれが怖かった。
「ごめん、モモ。我慢できなくなっちゃった。モモがかわいいから……」
おれを抱く腕の力が強くなる。純真の鎖骨が額を圧迫し、痛みを感じるほどだ。
「もっかいやりなおしさせて」
「もうやだ……」
純真の鎖骨に額を擦らせて首を振る。
「お願い。もっかい試してよ」
「やだって……」
言葉が純真に吸い取られる。数十秒前の混乱が甦り、おれの体は強張った。
脱力を促すかのように、純真の唇がやさしくおれの下唇を挟む。覚悟していた舌の侵入はなく、表面だけを掠め、触れ、ゆっくり圧す。尖らせた唇でついばむと、軽い音がする。キスの音だ。
「モモ……」
唇が動くと、触れた部分が刺激されて脊椎がじわりと痺れる。
「おれの首に腕回して」
純真の声が耳朶を掠める。いわれるがままに腕を持ち上げた。同時に純真がおれの腰に腕を回し、おれの臀が浮いた。気づくと純真の膝の上に乗せられていた。赤ん坊のように横抱きにされ、やさしく何度もキスされて、恐怖は消えたが、次は羞恥が襲ってきた。
「モモ、好きだよ」
唇から頬に移動した唇が震えて音を出す。
「わかったから……」
どうにか冷静さを取りもどそうと顔を背けた。重心がずれ、純真の脚の間に座るかたちになる。
「ほんとごめんな」
ゆるく抱きしめられる。相変わらず体温は上昇しているが、手つきはていねいでやさしかった。
「べつに平気だよ。驚いただけだから……」
「ほんと?」
純真はおれの肩に顎を乗せ、首にもキスしてくる。甘えるようなしぐさが擽ったい。
「じゃ明日もまたしていい?」
「え……」
「付き合ってんだからキスくらいするよね」
豊富な知識を持っているとはいえないが、おそらくそうなのだろうということはわかる。頷くしかなかった。
「よかった」
肩越しにため息を感じる。心底安堵しているようだ。背中に純真の鼓動を感じる。さっきはおなじくらいだと思ったが、今はむしろ純真の心音のほうが大きく感じた。自分のことしか考えられない状況だったが、実は純真も怯えていたのかもしれない。おれを怖がらせ、傷つけ、嫌われたのではないかと焦っていたのかも。そう考えると、恐怖も羞恥も霧散し、代わりに罪悪感が芽生えた。未経験だからといって、あそこまで大仰に騒ぐことはなかった。あんな態度では、だれでも慌てるだろう。
おれは胸の前で交差した純真の腕に指先で触れた。純真が顔を上げる。視線がぶつかると、引き寄せられるようにまた軽く唇が触れあった。
「……なんだよ」
「んー」
おれの髪に頬を擦らせながら、純真は惚けた表情でいった。
「モモとキスできた」
その表情はいかにも嬉しそうで、おれはなにもいえなくなってしまった。これまでに何度も何人ともしてきた行為だろうに、まるで純真のほうもはじめて体験するかのように感激している。ほとんど呆れていた。数分前におれの唇を貪っていたときとはまるで別人のようだった。どちらの顔もはじめて見るもので、まだ鼓動が烈しいまま、おさまりそうにない。だれも知らない純真を垣間見たような気がして、誇らしいような萎縮するような不思議な気分だ。相手が純真だからなのか、それともはじめて経験することだからか。判別できなかった。
ただひとつわかっていたのは、店長に対しあれほど過剰に反応してしまった理由だった。
「モモ……」
再び唇が近づいてくる。避けられなかった。
もう気づいていた。おれは純真といたくて、邪魔をされて腹が立ったのだ。
この感情が恋や愛なのかはわからない。ただ、間違いなく、おれは純真に依存している。本当に恐ろしいのは純真ではなく、彼に烈しい執着を持ちはじめている自分自身だった。
「あれ? まだ着替えてなかったの」
掃除が済んだ店内で無人のボックス席のソファに座って休んでいると、制服を脱いだ純真がパーティションの間から顔を覗かせた。
すでに店のシャッターは降り、店長もアルバイトスタッフも帰宅していた。レジ締めの作業のため純真だけが残っていた。本来ならそれも店長の仕事のはずだったが。
「どこにもいないから帰ったのかと思った」
店内で唯一死角になるボックス席で座り込んでいるおれを、純真は心配そうに見下ろした。
「おれのこと待ってたのかなー……つって」
おどけた口調でいって、純真はおれの隣に座った。3人は座れる長いソファだったが、それほどスペースが広いわけではない。純真が隣に座ると、自然と互いの半身が触れあった。
おれは無言で俯いていた。制服のエプロンを握りしめる。
「否定しないと調子乗るよ」
純真がおれの背中に腕を回し、密着が濃くなる。友達同士が肩を組むのとはあきらかにちがった空気。咄嗟に体を引いた。
「ごめん。冗談」
純真は無理に追いかけようとはせず、両手を挙げて微笑んだ。
「だいじょうぶ?」
頷いた。過剰な反応を見せてしまったことに頬が熱くなった。付き合うことになってから……お試し期間とやらを了承してからまだ数日なのに、純真の態度はそれ以前と変わっていなかった。拍子抜けするほどだ。おれだけが、いちいち意識して狼狽えていた。
「あのさっきごめんありがと」
用意していた言葉を一気にいう。
「え、なに。早口言葉?」
純真は笑ってテーブルに頬杖をついた。やさしい眼差しがおれを見つめる。
「いいよ。モモ、なんも間違ってないし」
いつもどおり、純真はおれを理解し、受け容れてくれる。本当に、おれのことを好きでさえなければ、最高の友達だ。
営業中は流行のポップスが流れている店内は、今は静まり返っていて、純真の息づかいさえ聞き取れるほどだった。おれが言葉を紡ごうとするのを純真は頬杖をつきながらのんびり待っていた。
「あのさ……」
「うん」
ソファの端で縮こまりながら、おれは純真を見ずにいった。
「今って、おれたち、付き合ってんの?」
「そうだよ」
こともなげにいって、純真はおれのほうに首を伸ばした。
「なんで?」
「いや、なんか……」
繋がりそうな言葉が浮かばない。これではまるで期待しているかのようだ。なにかが変わるのを。
「おれ、だれかと付き合うのはじめてだから、よくわかんなくて……」
告白のときの様子から、純真は翌日から強引に押してくるものだと信じこみ、警戒していた。それなのに、LINEの文面もバイト先での態度もいつもどおりで、その理由がわからなかった。
「おれがなにかしたほうがいいのかなって……」
「モモが?」
「だって、純真、いつもと全然変わらないし……」
不自然に言葉が切れた。ソファの上で、純真がおれの左手を握っていた。大きな手だった。体温が皮膚を通して流れ込んでくる。驚いて思わず顔をもどす。純真の視線とぶつかる。純真の目はもう笑っていなかった。
「怖がらせないように、ゆっくりしようと思ってたんだけど」
左手を握る手に力がこもる。おれが怯えていないかどうか確認するような抑制の効いた力だった。
「でもほんとはすげえ焦ってる。だって1か月なんてあっという間じゃん」
もう片方の手が首に触れる。襟足の髪の束を掻き分けて、後頭部に移動する。確かめるような手つきで頭を撫でられると、自然と体の力が脱けてくる。どんな顔をしているのかわからず、おれは何度も瞬きした。顔が熱い。純真の顔をまともに見ることができない。
「モモ」
純真が顔を近づけてきて、おれは咄嗟に目を瞑って顔を背けた。純真の唇がおれの耳に近づき、長い睫毛が頬に触れる。
「な、今、おれのことどのくらい好き?」
「え……」
質問の意図がつかめず、目を開けた。至近距離で視線が絡む。純真は目を細めて微笑んだ。
「キスしていい?」
「えっ」
「キスしたい。だめ?」
緩急についていけず、慌ただしく瞬きした。なにかいうべきなのに、言葉が出てこない。壊れた玩具のように口を開いたり閉じたりするだけだ。きっと馬鹿みたいな顔になっているだろう。
純真は笑わない。真剣な表情でおれをじっと見つめている。体温とおなじくらい熱を孕んだ視線だった。
「するよ」
逃げようと思えばできたが、動けなかった。純真の手が伸びてきて、眼鏡を抜き取る。おれは瞬きしながら、純真の顔が近づいてきて、あまりに距離が近すぎて焦点が合わずぼやけていく課程を、まるでスクリーンごしに映画を観ているかのようにぼんやり眺めていた。映画でなく実際に自分の身に起きていることなのだと気づいたのは、唇に乾いた感触を意識してからだった。
純真の唇は想像したよりも薄く、硬かった。薄皮が唇の端を掠めて擦れる。
やばい。キスしてる。
そう思った瞬間、突然全身に熱が籠もった。純真の舌が口のなかに潜り込んできて、おれは驚き硬直した。純真の胸に手を圧しあてようとしたが、一瞬早く長い腕に抱き竦められた。
「ん……」
舌先が歯列をさぐるように蠢き、唾液が溢れて顎をつたう。純真の舌がおれの舌を追いかける。喉の奥まで追ってきそうだった。すぐに捕らえられ、熱い舌が絡む。おれのものか純真のものか、唾液がさらに噴き出し、口のなかで泡立った。
呼吸がくるしい。他人のペースで口を塞がれ、口中を舐られて、息を継ぐタイミングを完全に失っている。酸素が不足し、頭の奥が重くなる。ぼうっとしてきて視界が霞みかけたとき、ようやく唇が離れていった。
体重を支えられず、おれは上半身を純真に凭せかけた。必死で酸素を吸う。呼吸に合わせて体が上下する。喘ぎ、咳き込むおれの背中を純真の大きな掌が撫でる。
いつの間にか、おれは純真のシャツをつかんで握りしめていた。呼吸を奪われた恐怖がまだ体のなかに残っている。あまりに突然すぎて、混乱しすぎて、わけがわからなくなっていた。
「ごめん……」
純真の呼吸も荒い。きつく抱きしめられると、Tシャツごしに胸の鼓動が伝わってきた。かなり烈しい。おれのもきっとおなじだろう。
「平気か」
「平気じゃない……」
かろうじて答えた。かすかな香水に混じって、汗の匂いが鼻腔を巡り、全身を駆け巡る。純真の匂い。胸に顔を押しつけると、顎を濡らしていた唾液がシャツの生地の色を濃くした。
「びっくりしたし、なんか……怖かった」
「怖かった……?」
「おれはじめてだっていったじゃん……」
泣き声に近かった。まだ取り乱していた。渾身の力で純真の体にしがみつく。他に頼れるものがなかった。なによりもそれが怖かった。
「ごめん、モモ。我慢できなくなっちゃった。モモがかわいいから……」
おれを抱く腕の力が強くなる。純真の鎖骨が額を圧迫し、痛みを感じるほどだ。
「もっかいやりなおしさせて」
「もうやだ……」
純真の鎖骨に額を擦らせて首を振る。
「お願い。もっかい試してよ」
「やだって……」
言葉が純真に吸い取られる。数十秒前の混乱が甦り、おれの体は強張った。
脱力を促すかのように、純真の唇がやさしくおれの下唇を挟む。覚悟していた舌の侵入はなく、表面だけを掠め、触れ、ゆっくり圧す。尖らせた唇でついばむと、軽い音がする。キスの音だ。
「モモ……」
唇が動くと、触れた部分が刺激されて脊椎がじわりと痺れる。
「おれの首に腕回して」
純真の声が耳朶を掠める。いわれるがままに腕を持ち上げた。同時に純真がおれの腰に腕を回し、おれの臀が浮いた。気づくと純真の膝の上に乗せられていた。赤ん坊のように横抱きにされ、やさしく何度もキスされて、恐怖は消えたが、次は羞恥が襲ってきた。
「モモ、好きだよ」
唇から頬に移動した唇が震えて音を出す。
「わかったから……」
どうにか冷静さを取りもどそうと顔を背けた。重心がずれ、純真の脚の間に座るかたちになる。
「ほんとごめんな」
ゆるく抱きしめられる。相変わらず体温は上昇しているが、手つきはていねいでやさしかった。
「べつに平気だよ。驚いただけだから……」
「ほんと?」
純真はおれの肩に顎を乗せ、首にもキスしてくる。甘えるようなしぐさが擽ったい。
「じゃ明日もまたしていい?」
「え……」
「付き合ってんだからキスくらいするよね」
豊富な知識を持っているとはいえないが、おそらくそうなのだろうということはわかる。頷くしかなかった。
「よかった」
肩越しにため息を感じる。心底安堵しているようだ。背中に純真の鼓動を感じる。さっきはおなじくらいだと思ったが、今はむしろ純真の心音のほうが大きく感じた。自分のことしか考えられない状況だったが、実は純真も怯えていたのかもしれない。おれを怖がらせ、傷つけ、嫌われたのではないかと焦っていたのかも。そう考えると、恐怖も羞恥も霧散し、代わりに罪悪感が芽生えた。未経験だからといって、あそこまで大仰に騒ぐことはなかった。あんな態度では、だれでも慌てるだろう。
おれは胸の前で交差した純真の腕に指先で触れた。純真が顔を上げる。視線がぶつかると、引き寄せられるようにまた軽く唇が触れあった。
「……なんだよ」
「んー」
おれの髪に頬を擦らせながら、純真は惚けた表情でいった。
「モモとキスできた」
その表情はいかにも嬉しそうで、おれはなにもいえなくなってしまった。これまでに何度も何人ともしてきた行為だろうに、まるで純真のほうもはじめて体験するかのように感激している。ほとんど呆れていた。数分前におれの唇を貪っていたときとはまるで別人のようだった。どちらの顔もはじめて見るもので、まだ鼓動が烈しいまま、おさまりそうにない。だれも知らない純真を垣間見たような気がして、誇らしいような萎縮するような不思議な気分だ。相手が純真だからなのか、それともはじめて経験することだからか。判別できなかった。
ただひとつわかっていたのは、店長に対しあれほど過剰に反応してしまった理由だった。
「モモ……」
再び唇が近づいてくる。避けられなかった。
もう気づいていた。おれは純真といたくて、邪魔をされて腹が立ったのだ。
この感情が恋や愛なのかはわからない。ただ、間違いなく、おれは純真に依存している。本当に恐ろしいのは純真ではなく、彼に烈しい執着を持ちはじめている自分自身だった。



