「……今なんて?」
すぐに言葉が出てこず、数秒の間を措いて、おれは顔を上げた。
「いや、だからさ……」
「好きっていった?」
「聞こえてたんじゃん」
私服に着替えた純真は照れくさそうに首をすぼめた。おれはまだバイトの制服のままで、前掛けを握りしめたまま呆然と突っ立っていた。
「好きって、だれがだれを?」
「だからおれがー」
純真は大仰な手振りで一度自分を指さし、同じ指をまっすぐおれに向けてきた。
「百瀬くんを」
完全に頭が真っ白になっていた。おれは思わず周囲を見回した。趣味の悪い悪戯かと思ったのだが、純真は真面目な顔でいった。
「ほかにだれがいるんだよ。今ここにいるの、おれと百瀬くんだけじゃん」
「そうだけど……」
どんな言葉を返していいのかわからず、おれは視線を逸らした。正直にいった。
「急にいわれても、ちょっと頭が追いつかないっていうか……」
「急かなあ。おれ、めっちゃ好きアピールしてたじゃん」
「好きアピール……」
「シフト合わせたりとか、飲み誘ったりとかもしてたじゃん。あんまきてくんなかったけど」
「え……」
「あー、全然気づいてなかったパターンか」
純真が首の裏をさすりながら苦笑いする。
アルバイトスタッフの中でも浮いていると自覚していた。純真はまったく逆で、磊落な性格で男女問わず人気があり、客とのコミュニケーションも巧みだった。絶世の美男子というわけではないが、長身で清潔感があり、爽やかな印象を与える。学生時代は運動部に所属して、そこそこの成績だったと聞いたことがある。常に他人に気を配り、まめに声をかけるタイプで、おれのことにも気を遣って誘ってくれているのだと思っていた。
「で、どうかな?」
「は……?」
「付き合ってほしいってこと」
「つ……」
上下の歯を接着したまま、おれは硬直した。純真の話は耳の中に入ってきてはいたが、脳に届いてもすぐに突き抜けて頭頂部から霧散していくようだった。
「え、好きってそういうこと?」
「そりゃそうでしょ。告白して終わりのわけないじゃん」
確かにそうなのかもしれない。しかし、自分の身に起きると想像したことはなかった。
「百瀬くん、付き合ってるひといないっていってたよね?」
そういえば、すこし前に聞かれて答えたおぼえがある。バイトの休憩中、なにげない雑談のなかで。おれには恋愛経験がなく、そういった類の話題は苦手だったから、途中で逃げた。どんな話をしたかはおぼえていない。
「その、こういうのって聞いていいかわからないんだけど……」
「男が好き? うん、おれ、そう。いってなかったっけ」
口ごもるおれの先を行くようにして純真は明るくいった。
「でもべつに男だからってわけじゃなくて、百瀬くんだから好きなんだけど」
天気の話をするようにさりげなく、実にさわやかな笑顔で純真はいった。おれの反応を見るように顔を覗き込んでくる。その視線を避けるようにおれは後ずさった。
「なんでおれ?」
かろうじて言葉を発した。声が上擦っていた。
「おれなんか、イケメンでもないしおもしろくもないし、いいとこなんもないのに……」
自分でいいながら情けなくなったが、事実だからしかたない。混乱しているおれに、純真はいとも簡単にいってのけた。
「そんなことないよ。おれ、バイトはじめた最初の頃から百瀬くんいいなって思ってた」
純真が一歩足を踏み出すのと同時に、おれはさらに後退した。純真は無理に追わず、おれの様子をうかがうように再び距離を取って、やさしい口調でいった。
「あんましゃべらないけど、仕事ていねいだし、ひとが嫌がる作業も率先してやるし」
「それは……」
純真はいいように取っているようだが、実際には空気を壊すのが嫌で、理不尽なことにも耐えているだけだった。しかし、うまく説明できなかった。狼狽えているうちにも純真は畳みかけてくる。
「この前も、店長に頼まれてメニュー取り替えたとき、ほかの奴のぶんもやってたでしょ。ああいうのも見てて、やさしいし、エロいなって」
「エロ……」
「あ、ごめん。間違えた。えらいなって」
「どんな間違い……」
緊張感のない言葉に思わず噴き出してしまった。視線を上げると、にやけた顔の純真がいた。
「なに……?」
「かわいい」
顔が熱くなった。そんなふうにいわれたのははじめてだった。たぶん、子どもの頃以来ではないだろうか。おれは顎を鎖骨に埋めるように下を向いた。頬が燃えるようだった。
「ねえ、どうかなあ。おれ、ほんと好きなんだけど」
頭頂部に降ってくる言葉。現実のものとは思えなかった。
「百瀬くん、おれのこと嫌い?」
「いや、嫌いというわけでは……」
「ほんと? じゃ好きになってもらえる可能性あるってこと?」
純真の言葉はすべてにおいてまっすぐで夾雑物がない。それだけに、おれは追い込まれるような感覚に陥り、まともな思考を取り戻せなかった。
「百瀬くん?」
「あの……ごめん。ちょっと……」
「やっぱ無理?」
頭の上の純真の声が沈む。無意識に目を上げていた。
「無理っていうか……」
ああ、まただ。可能性はゼロだとはっきり断ればそれで終わるはずなのに。男と付き合うなんて考えられないと口に出して伝えるべきなのに、できない。
「おれのこと嫌じゃなかったらさ、お試しでもいいから一回メシとか行こうよ。映画でもいいし」
おれはついに黙ってしまった。あまりにも想像していなかった展開で、なんと返していいのかわからない。俯いていると、純真が軽やかにいった。
「じゃ、とりあえず来週行こうよ。LINEするから……」
「ごめん!」
思わず大きな声を出してしまい、自分でも驚いた。純真はスマホを手にしたまま目を丸くしている。また引かれてしまった。何度となく経験した張り詰めた空気を感じて、おれは完全に萎縮しきっていた。それでもなんとか言葉を繋げた。
「あの……おれ、やっぱり、付き合うとかはできない……ごめん」
「ああ……そっか。そうだよな」
純真はぎこちなく笑って首をすぼめた。
「ごめん。ちょっと強引すぎたかも。いきなり男に好きとかいわれたら気持ち悪いよな」
「あ、いや、男だからとかではなくて……」
無意識に顔を上げていた。視線が合う。純真の目にも戸惑いが浮かんでいた。
「おれ、今までだれかと付き合ったり、告白されたこともないから驚いただけで、気持ち悪いとかそういうのはないから」
相手に不快感を与えないようにまくし立てるように弁解するのも学生時代からの癖だった。ただ、本心ではあった。純真に対して嫌悪の気持ちは生まれなかった。純真の告白が率直で、言葉に誠実さが滲んでいたからだろう。
「ていうか、むしろ、なんでおれみたいなのがいいのかわからなくて、戸惑っているのはそこのところ……」
「え、いいとこばっかじゃん」
おれの自己憐憫を純真が即座に遮った。
「さっきもいったけど、百瀬くん、自分で思うより数百倍魅力的だから。気づいてない?」
純真の言葉に顔が熱くなる。流されないように力を込めて、いった。
「気持ちはうれしいけど、おれ、やっぱ最初に付き合うのは自分が好きになったひととがいいから。だから、ごめんなさい」
心のどこかではまだ悪戯の可能性を捨てていなかった。この時点でバイト仲間が出てきて囃し立てるのではないかと警戒していた。しかしなにも起きなかった。純真はしばらく黙っていたが、やがていった。
「わかった。じゃあ友達は?」
「友達……」
「友達ならいいよね。一緒に出かけたりメシ食ったりするの」
思いがけない提案に、おれはあっけにとられていた。内向的で空気の読めない性格のせいで、友人といえる友人を持つことができずにいたおれに、純真の申し出は安易に断りきれないものだった。純真は男女関係なく、どんな人間でも友人になりたいと望むような魅力的な男だ。なによりも、人生ではじめて告白されたことに驚き、断らざるを得ないことへの後ろめたさが、おれの首を縦に振らせていた。
「友達だったら……」
「ほんとに? よかった!」
純真は意外なほどに喜び、おれの手を握ってきた。おれの右手を両手で強く握る。握手のつもりらしい。
「じゃあ今日から友達な。よろしく!」
純真の手は熱かった。子どものような無邪気さに思わず笑ってしまった。
「友達だから、下の名前で呼んでいい?」
「え?」
「百瀬伊知郎だよね? いっちゃんとか」
「えっと、どうかな。下の名前、あんま好きじゃないから……」
「じゃあ桃太郎は?」
「それは……ていうか、それだけは嫌かな」
「それ以外はいいってこと? じゃあ百瀬だからモモって呼ぶわ。おれのことも純真って呼んで。ジュンでもシンでもいいし」
「あ、うん……」
展開が早すぎてついていけないが、友達というのはそういうものなのかもしれない。気に入ったわけではないが、受け入れるしかなかった。
「で、モモは来週いつ空いてる?」
再びスマホの画面に視線を落とし、純真はしゃべり続ける。おれは終始圧倒されながら、機械のように頷き続けた。
そうして、おれたちの関係ははじまった。
すぐに言葉が出てこず、数秒の間を措いて、おれは顔を上げた。
「いや、だからさ……」
「好きっていった?」
「聞こえてたんじゃん」
私服に着替えた純真は照れくさそうに首をすぼめた。おれはまだバイトの制服のままで、前掛けを握りしめたまま呆然と突っ立っていた。
「好きって、だれがだれを?」
「だからおれがー」
純真は大仰な手振りで一度自分を指さし、同じ指をまっすぐおれに向けてきた。
「百瀬くんを」
完全に頭が真っ白になっていた。おれは思わず周囲を見回した。趣味の悪い悪戯かと思ったのだが、純真は真面目な顔でいった。
「ほかにだれがいるんだよ。今ここにいるの、おれと百瀬くんだけじゃん」
「そうだけど……」
どんな言葉を返していいのかわからず、おれは視線を逸らした。正直にいった。
「急にいわれても、ちょっと頭が追いつかないっていうか……」
「急かなあ。おれ、めっちゃ好きアピールしてたじゃん」
「好きアピール……」
「シフト合わせたりとか、飲み誘ったりとかもしてたじゃん。あんまきてくんなかったけど」
「え……」
「あー、全然気づいてなかったパターンか」
純真が首の裏をさすりながら苦笑いする。
アルバイトスタッフの中でも浮いていると自覚していた。純真はまったく逆で、磊落な性格で男女問わず人気があり、客とのコミュニケーションも巧みだった。絶世の美男子というわけではないが、長身で清潔感があり、爽やかな印象を与える。学生時代は運動部に所属して、そこそこの成績だったと聞いたことがある。常に他人に気を配り、まめに声をかけるタイプで、おれのことにも気を遣って誘ってくれているのだと思っていた。
「で、どうかな?」
「は……?」
「付き合ってほしいってこと」
「つ……」
上下の歯を接着したまま、おれは硬直した。純真の話は耳の中に入ってきてはいたが、脳に届いてもすぐに突き抜けて頭頂部から霧散していくようだった。
「え、好きってそういうこと?」
「そりゃそうでしょ。告白して終わりのわけないじゃん」
確かにそうなのかもしれない。しかし、自分の身に起きると想像したことはなかった。
「百瀬くん、付き合ってるひといないっていってたよね?」
そういえば、すこし前に聞かれて答えたおぼえがある。バイトの休憩中、なにげない雑談のなかで。おれには恋愛経験がなく、そういった類の話題は苦手だったから、途中で逃げた。どんな話をしたかはおぼえていない。
「その、こういうのって聞いていいかわからないんだけど……」
「男が好き? うん、おれ、そう。いってなかったっけ」
口ごもるおれの先を行くようにして純真は明るくいった。
「でもべつに男だからってわけじゃなくて、百瀬くんだから好きなんだけど」
天気の話をするようにさりげなく、実にさわやかな笑顔で純真はいった。おれの反応を見るように顔を覗き込んでくる。その視線を避けるようにおれは後ずさった。
「なんでおれ?」
かろうじて言葉を発した。声が上擦っていた。
「おれなんか、イケメンでもないしおもしろくもないし、いいとこなんもないのに……」
自分でいいながら情けなくなったが、事実だからしかたない。混乱しているおれに、純真はいとも簡単にいってのけた。
「そんなことないよ。おれ、バイトはじめた最初の頃から百瀬くんいいなって思ってた」
純真が一歩足を踏み出すのと同時に、おれはさらに後退した。純真は無理に追わず、おれの様子をうかがうように再び距離を取って、やさしい口調でいった。
「あんましゃべらないけど、仕事ていねいだし、ひとが嫌がる作業も率先してやるし」
「それは……」
純真はいいように取っているようだが、実際には空気を壊すのが嫌で、理不尽なことにも耐えているだけだった。しかし、うまく説明できなかった。狼狽えているうちにも純真は畳みかけてくる。
「この前も、店長に頼まれてメニュー取り替えたとき、ほかの奴のぶんもやってたでしょ。ああいうのも見てて、やさしいし、エロいなって」
「エロ……」
「あ、ごめん。間違えた。えらいなって」
「どんな間違い……」
緊張感のない言葉に思わず噴き出してしまった。視線を上げると、にやけた顔の純真がいた。
「なに……?」
「かわいい」
顔が熱くなった。そんなふうにいわれたのははじめてだった。たぶん、子どもの頃以来ではないだろうか。おれは顎を鎖骨に埋めるように下を向いた。頬が燃えるようだった。
「ねえ、どうかなあ。おれ、ほんと好きなんだけど」
頭頂部に降ってくる言葉。現実のものとは思えなかった。
「百瀬くん、おれのこと嫌い?」
「いや、嫌いというわけでは……」
「ほんと? じゃ好きになってもらえる可能性あるってこと?」
純真の言葉はすべてにおいてまっすぐで夾雑物がない。それだけに、おれは追い込まれるような感覚に陥り、まともな思考を取り戻せなかった。
「百瀬くん?」
「あの……ごめん。ちょっと……」
「やっぱ無理?」
頭の上の純真の声が沈む。無意識に目を上げていた。
「無理っていうか……」
ああ、まただ。可能性はゼロだとはっきり断ればそれで終わるはずなのに。男と付き合うなんて考えられないと口に出して伝えるべきなのに、できない。
「おれのこと嫌じゃなかったらさ、お試しでもいいから一回メシとか行こうよ。映画でもいいし」
おれはついに黙ってしまった。あまりにも想像していなかった展開で、なんと返していいのかわからない。俯いていると、純真が軽やかにいった。
「じゃ、とりあえず来週行こうよ。LINEするから……」
「ごめん!」
思わず大きな声を出してしまい、自分でも驚いた。純真はスマホを手にしたまま目を丸くしている。また引かれてしまった。何度となく経験した張り詰めた空気を感じて、おれは完全に萎縮しきっていた。それでもなんとか言葉を繋げた。
「あの……おれ、やっぱり、付き合うとかはできない……ごめん」
「ああ……そっか。そうだよな」
純真はぎこちなく笑って首をすぼめた。
「ごめん。ちょっと強引すぎたかも。いきなり男に好きとかいわれたら気持ち悪いよな」
「あ、いや、男だからとかではなくて……」
無意識に顔を上げていた。視線が合う。純真の目にも戸惑いが浮かんでいた。
「おれ、今までだれかと付き合ったり、告白されたこともないから驚いただけで、気持ち悪いとかそういうのはないから」
相手に不快感を与えないようにまくし立てるように弁解するのも学生時代からの癖だった。ただ、本心ではあった。純真に対して嫌悪の気持ちは生まれなかった。純真の告白が率直で、言葉に誠実さが滲んでいたからだろう。
「ていうか、むしろ、なんでおれみたいなのがいいのかわからなくて、戸惑っているのはそこのところ……」
「え、いいとこばっかじゃん」
おれの自己憐憫を純真が即座に遮った。
「さっきもいったけど、百瀬くん、自分で思うより数百倍魅力的だから。気づいてない?」
純真の言葉に顔が熱くなる。流されないように力を込めて、いった。
「気持ちはうれしいけど、おれ、やっぱ最初に付き合うのは自分が好きになったひととがいいから。だから、ごめんなさい」
心のどこかではまだ悪戯の可能性を捨てていなかった。この時点でバイト仲間が出てきて囃し立てるのではないかと警戒していた。しかしなにも起きなかった。純真はしばらく黙っていたが、やがていった。
「わかった。じゃあ友達は?」
「友達……」
「友達ならいいよね。一緒に出かけたりメシ食ったりするの」
思いがけない提案に、おれはあっけにとられていた。内向的で空気の読めない性格のせいで、友人といえる友人を持つことができずにいたおれに、純真の申し出は安易に断りきれないものだった。純真は男女関係なく、どんな人間でも友人になりたいと望むような魅力的な男だ。なによりも、人生ではじめて告白されたことに驚き、断らざるを得ないことへの後ろめたさが、おれの首を縦に振らせていた。
「友達だったら……」
「ほんとに? よかった!」
純真は意外なほどに喜び、おれの手を握ってきた。おれの右手を両手で強く握る。握手のつもりらしい。
「じゃあ今日から友達な。よろしく!」
純真の手は熱かった。子どものような無邪気さに思わず笑ってしまった。
「友達だから、下の名前で呼んでいい?」
「え?」
「百瀬伊知郎だよね? いっちゃんとか」
「えっと、どうかな。下の名前、あんま好きじゃないから……」
「じゃあ桃太郎は?」
「それは……ていうか、それだけは嫌かな」
「それ以外はいいってこと? じゃあ百瀬だからモモって呼ぶわ。おれのことも純真って呼んで。ジュンでもシンでもいいし」
「あ、うん……」
展開が早すぎてついていけないが、友達というのはそういうものなのかもしれない。気に入ったわけではないが、受け入れるしかなかった。
「で、モモは来週いつ空いてる?」
再びスマホの画面に視線を落とし、純真はしゃべり続ける。おれは終始圧倒されながら、機械のように頷き続けた。
そうして、おれたちの関係ははじまった。



