Momo Said

 改札を出て、ひとの波に沿って歩く。公園の横を抜けて、住宅街へ進む。以前までは焼鳥屋だったところが小洒落たカフェに変わっていた。背の高い女性が店の前で掃き掃除をしている。
 角を曲がると、以前とおなじ場所にそのマンションがあった。建物の外装が古くなってすこし変色しているが、他にはほぼ変わらない。
 階段を上がり、目的の部屋に向かう。インタホンを押すと、数秒とたたずにドアが開いた。
 ドアノブをつかんだまま、純真は微動だにせず、おれを見つめていた。
「モモ……」
 掠れた声。純真の顔には以前にはなかった髭がたくわえられ、金髪の根元は黒くなっていた。それでも、澄んだ黒い瞳はすこしも変わらなかった。
「久しぶり、純真」

 純真の部屋は相変わらずものがすくなく、殺風景だった。おれがくる前に準備していたらしく、室内に入るとコーヒーの香りが漂った。かすかに純真がつかっている香水の匂いもする。好みは変わっていないようだ。
「まだおなじとこに住んでたんだ」
 ソファに座り、コーヒーカップを受け取る。
「なんとなくね」
 ミルクを混ぜたコーヒーに口をつけ、純真が床に直接座る。おれの隣ではなく、テーブルを挟んだ反対側だ。あぐらをかいて、観察するような眼差しでおれを見つめた。
「2年ぶりくらい?」
「3年」
 テーブルの上にはノートパソコンとデザイン資料のような紙束が放置されていた。
「職場もおなじ?」
「うん。変わらない」
「忙しそうだね」
 サンプルらしき画像が並ぶ紙を手持ち無沙汰に捲りながら、いった。あれから3年なら、当時入社して間もなかった純真も仕事が板に付いてきたところだろう。
「そうでもないよ」
 純真は笑って見せたが、表情はぎこちなかった。口数もすくなく、緊張しているように見えた。
「場所、おぼえてた?」
「うん」
 会話が途切れた。コーヒーの表面から立ちのぼる湯気が純真の表情を一瞬隠した。
「こういうとこ、よくつかうの?」
「いや、はじめて」
 純真は落ち着かない様子で、両手でカップを包みこみ、さぐるような目を向けてきた。
「友達から、似てるひとがサイトに載ってるって聞いて」
 記憶を辿る。純真の友達でおれを知っている人物はひとりしかいない。
「友達じゃなくて恋人だろ」
「え?」
「あのときの……」
「ああ……」
 ようやく思い出したようで、純真は視線を逸らした。
「あれはちがう」
「別れたの?」
「じゃなくて……そもそも付きあってない」
「あ、そうなんだ。てっきり……」
 親しそうに見えたから勘違いしてしまったが、本来の相手はべつにいたということか。
「でもよくわかったね。ほとんど顔隠れてる写真なのに」
「すぐわかるよ」
 純真がテーブルごしに手を伸ばしてくる。指先がセーターの胸元を軽く引っ張る。
「ここ。黒子、おぼえてる」
 鎖骨の下にぽつんと浮いた黒。自分でも意識したことがなかった。純真の指は肌に直接触れることなく離れた。
「眼鏡、やめたの」
「うん」
「コンタクト?」
「いや……去年レーシック手術した」
「そっか」
 どうでもいい会話。時間だけが過ぎていく。
「モモはいつからこの仕事してるの」
「えっと……3年くらいかな」
「じゃ、あのあとすぐくらい?」
「うん」
 コーヒーカップをテーブルに置き、膝を抱える。
「酔っ払って呼んじゃったんだ、勢いで」
「嘘だろ」
「ほんと」
 3年前の夜を思い出し、思わず笑いがこみ上げた。純真も目を見開き、信じられないというように肩を竦めている。
 部屋に籠もってアルコールに溺れていたとき、自暴自棄になって、デリバリーヘルスにアクセスした。男を買ってどうするつもりだったのかは、今考えてもよくわからない。すこしだけ純真を思い出させるジュンという男娼は、荒れた部屋と持ち主を見ても不快感を示すことはなく、ぼろぼろのおれを慰め、落ち着くまで背中を擦ってくれた。
 頼れる友人のひとりもいなかったおれは、その後も何度か彼を指名した。いっしょにビールを飲み、話をして過ごした。たいした話ではなかったが、来客は部屋を片付け、身なりを整える理由になる。掃除や洗濯といった作業を繰り返すうちに、おれは徐々に日常を取りもどしていった。
 しかし、決して安いとはいえないデリヘルの指名料とサービス料を無職の学生が支払い続けるのには限界があり、すぐに貯金が枯渇した。ジュンに勧められ、店で働くことにした。客からスタッフになったわけだ。
 男性客に性的なサービスを施す仕事に抵抗がなかったとはいえない。生きているのか死んでいるのかわからないような状態にまで追い込まれ、正常な判断ができなかったのかもしれない。しかし、騙されたという感覚はなかった。紹介はされたが、決して無理強いされたわけでもなく、あくまでも自分で決めたことだ。実際に、仕事は楽しかった。手や舌で男を刺激し、慰めてやると、おもしろいほど反応があり、自分の行動がだれかの身体に影響を与える事実に喜びを感じた。はじめての感覚だった。面倒な客に当たってしまうこともないわけではないが、この種の店としては高級なほうで、客の管理やスタッフのケアもしっかりしていたから、危険な目に遭うことはなかった。
「びっくりしたよね」
「そりゃ……」
 純真は言葉を選びながらいった。
「おまえ、そんなイメージ全然なかったし」
 自分でも驚いていた。他人と関わる仕事は苦手だと思っていたのにもかかわらず、接客業の究極ともいえる職で生計を立てているのが信じられなかった。しかし、自己嫌悪や自己憐憫とは無縁だった。端的ないいかたをすれば、性に合っているとでもいうのか。おれを気に入って指名してくれる常連客も増え、いっしょに働く仲間たちもみなそれぞれに事情を抱えてはいるが、それだけに他人に価値観を圧しつけたり優位に立とうとしたりすることもなく、過剰に踏み込まないすっきりとした関係を構築できていた。
 おれをスカウトしたジュンは去年引退して東北の田舎へ帰っていったが、ジュンがいなくなってからもおれは店にとどまった。入れ替わりの烈しい業界で、古株のような存在になっていた。
「学校は?」
「休学中。たぶんこのまま退学すると思う」
 当然ながら、家族には話していない。バーか居酒屋でバイトをしているものと考えているようだ。一昨年、高校を卒業した弟は受験に成功し、第一志望の大学に進学していた。おれが受験できず通えなかった私立の大学だ。次男がまともに育っていることでひとまず安心しているのか、なにかと難しい性質で出来の悪い長男は放置してくれていた。
 両親には申し訳ないとは思う。しかし、後悔はしていなかった。どうせ将来やりたいこともなく、なりたいものもなかった。今の自分には満足していたし、違和感もない。なによりも、他人の目を気にすることなく、自由に生きられる。
「おれもびっくりしたよ。まさか純真とまた会うなんて思ってなかったから……」
 顔を上げた。おれを見据える純真の目から笑みが消えているのに気づいた。
「モモって」
「え?」
 我に返った。純真は再び表情を和らげ、おれを見た。
「源氏名っていうの? 店の名前、モモにしたんだ」
「ああ、うん。下の名前はあんまり……」
「あんまり好きじゃないから?」
「うん、そう」
 カップを手にコーヒーを啜り、純真はなにか考えに耽っているようだった。
「他のやつもモモって呼ぶんだ」
「うん」
「そっか」
 会話が途切れた。おれは舌先で唇を舐め、膝頭に掌を置いて、その上に顎を載せた。テーブルの向こうの純真を見つめた。純真は俯いてコーヒーカップの中身を眺めていた。態度は3年前と変わらなかった。おれの職業を知っても、取り乱したり怒り出したりすることもない。
「純真」
 純真が顔を上げる。視線がぶつかりあった。
「純真のせいじゃないよ」
 それを聞いたとたん、純真の顔の筋肉がわずかに震えた。安堵ではない。落胆だった。しかし表情の変化は一瞬で、すぐに困ったような微笑みを浮かべた。
「わかってる」
 新規客の指名だとオーナーから聞いて、住所と電話番号を見たとき、純真だとすぐにわかった。拒否することもできたが、そうしなかった。
「理由は聞かないんだな」
「理由?」
「この仕事してる理由」
「さっき自分で説明しただろ」
 そういうことではない。純真も理解しているはずだった。無意識にか、あえてか、核心を避けている。
「おれ、ずっと自分に自信なくて、いつも逃げてばっかりだったし、他人と関わらないようにしてきたけど、今はちゃんと自分として生きられてる気がすんだよね」
「……そっか」
 静かに立ち上がり、部屋の隅に移動した。カーテンが引かれた窓に背中を圧しつけ、膝を抱える。
 だれにも気にされないよう身を隠し、息を潜めて、すべてから逃避していた。純真とも向き合う勇気がなかった。腐臭を漂わせる自室で、おれはたぶん一度死んだのだ。そう思った。
「おぼえてる、純真?」
 純真はおれがなにをしているのかわからず戸惑っているようだった。手を差し出すと、膝を擦らせてゆっくり近づいてくる。
「ここでちっちゃくなって泣いてたんだ、おれ、あのとき」
 微笑んで見せると、純真は虚を突かれたように口を閉ざし、それからなにかをいおうとして唇を解いた。しかし、言葉は出てこなかった。
「たくさん傷つけてごめん。ずっと謝りたかった」
 静かにいった。純真の顔が近づいてくるのを眺め、薄く唇を開いて、純真の舌を迎え入れる準備をした。息が掠めるほどの距離。しかし、触れることはなかった。
 純真の躊躇を振り切るかのように、自分のほうから首を伸ばした。視線が絡み、唇が触れあった。
「おれも謝る」
 おれの背中に腕を回し、体を寄せながら、純真はいった。
「付きあってるひとがいるからモモとは会えないっていったけど、あれは嘘だった」
 麻布十番の舗道で路面に座りこみ、純真に縋った記憶。驚くほど鮮やかに甦った。
「……なんでそんな嘘」
「あのときは……また会えてうれしかったけど、でもモモといるとつらくて……もう傷つきたくなかった」
 烈しい痛みに堪えるかのように、純真の眉間に深い皺が刻みこまれた。
「馬鹿だった。後悔してる」
 純真の気持ちはよくわかった。あの喫茶店で1年ぶりに話したとき、ぎこちなさを感じて逃げ出したくなったのはおれもおなじだった。純真が嘘をついてまで距離を取ろうとしたのも、おれを受け容れられなかったのも、しかたない。第一、おれに純真を責める資格があるはずもなかった。
「モモ……」
 おれを抱き竦め、唇の端にキスして、純真はいった。
「おれ、あれからずっとだれとも付きあってない」
「……今も?」
「今も」
「そっか……」
 純真の胸に顔を圧しつけると、昔とおなじ香水とかすかな汗の匂いが鼻腔を通り抜けた。
「意外?」
「でもないけど……」
 互いの体を密着させ、囁くように言葉を交換する。まるで恋人同士のようだったが、そうでないことはどちらもわかっていた。
「おれのこと呼んどいて、全然触ったりしないから」
「……触っていいの?」
「いいよ」
 顔を上げ、純真の首に額を擦りつけながら、いった。
「お客さんでしょ。遠慮しないで」
 純真の腕からするりと抜け出し、服を脱いだ。ニットの襟が首を通り過ぎるとき、視界から純真の姿が消えたが、くぐり抜けた後にも純真はそこにいた。当然ではあったが、どこかで今起きていることが幻想ではないかという疑念を抱いていた。あのときとおなじように純真の部屋で彼と向き合っている状況はあまりに現実感が薄かった。
 リアルな感覚を求めるように、おれは手を伸ばし、純真の前に跪いた。ベルトをはずし、ファスナーを下ろす。
 純真がすでに興奮しはじめていることは、体を密着させたときに気づいていた。勢いよく勃ち上がり、外気に触れてかすかに震える先端を口に含んだ。躊躇はない。店で働きはじめてから数百回は繰り返してきた行為。今さら羞恥も戸惑いもあるはずがなかった。
 純真は熱く屹立し、表面には無数の血管が浮き出て蚯蚓のように脈打っていた。喉の奥まで迎え入れると、大きく震えて先端から粘液を滲ませた。直接的な感触に、おれは安堵していた。妄想ではない生身の純真がここにいて、おれの口のなか、手のなかで脈動している。
 実感は興奮を伴って増幅した。頭を上下に振りながら、おれは自分も昂っているのを意識した。
 だれとも付きあっていないという話は本当だろう。純真は早かった。口中で大きく膨張したかと思うと、次の瞬間、おれの喉の奥に大量の精液を放った。
 口中射精を望む客は多い。慣れていたはずだったが、あまりの量に噎せそうになった。どうにか嚥下し、先端を濡らしている白濁の残りを舌先で舐め取った。
 純真は大きく胸を弾ませながら息をしていた。舌で処理をしているおれの髪に指を差し込み、やさしく乱す。両手で握りこみ、先端を口に含んだまま、促されるように目線を上げる。
「嘘だろ……」
 独白のように純真が呟く。
「キスだけであんなに恥ずかしがってたのに……」
「引いた?」
「引くわけない。むしろ……」
 床に膝をつき、体を伸ばして、汗ばんだ腹に口づける。臍の窪みに舌先を潜らせると、純真は擽ったそうに身を捩った。
「むしろ、なに?」
「いや……」
 ぎこちなく言葉を切って、純真は身を屈めた。おれの腋の下に手を差し込み、軽々と持ち上げる。折り重なるようにベッドに倒れ込んだ。純真が覆い被さってきて、伸びた前髪がおれの額を掠めた。
「モモは?」
 おれの首元に顔を埋め、大きく息を吸って、純真は尋ねてきた。
「だれかいるの? 決まった相手……」
「いないよ」
 純真の頭を抱きこみ、髪の生え際を指でなぞりながら答える。これまでに指名された客のなかにはプライベートで会いたいと請われたこともあったが、その気になれなかった。
「おれもしていいの?」
 裸の胸に頬を擦らせながら、純真が確かめるように視線を送ってくる。
「いいよ。でも本番はだめ」
「わかった」
 下着を脱いで全裸になり、体勢を入れ替えた。仰向けになった純真の上に重なって、彼の顔を跨いだ後ろ向きの姿勢で奉仕を再開する。
 純真の指が臀部の肉に食いこみ、ふだんは外気に晒されることのない場所に吐息が流れこんだ。熱く濡れた舌先に侵入され、思わず身を竦めた。
 純真の指が入ってくる感覚。見えていないぶん感覚が研ぎ澄まされる。
「気持ちいい?」
「うん……」
 頷いたものの、指を入れられて気持ちいいと感じたことはあまりなかった。しかし、純真の指に刺激されているのだと考えると、神経が昂ぶり、全身の皮膚が粟立った。純真も興奮しているようで、口のなかで再び質量を増しはじめている。おれもおなじで、剥き出しの先端を純真の胸元に擦りつけ、その刺激で先走りを滲ませていた。
 純真は没頭していた。おれのなかに指を圧しこみ、唾液を送りこむ。溢れた唾液が太股をつたって滑り落ちた。
 予兆を感じて、おれは身を翻した。体を反転させ、純真の胸に唇を寄せる。互いの脚が絡み、下半身が密着する。故意にか、無意識にか、純真が怒張を圧しつけてくる。
「入れるのはだめだけど、挟むだけならいいよ」
 耳元で囁くと、顔をずらして目を見てきた。
「ほんとに?」
 頷く。啄むようなキスをして、純真に背中を向けた。ベッドに膝をつき、臀を持ち上げる。背後で純真が喉を鳴らすかすかな音が聞こえた。
「入れちゃだめだよ……」
「……わかってる」
 膝頭を擦りあわせ、両脚をくっつけて待っていると、すぐに熱い塊が腿の肉を圧し上げた。熱く湿った感触に体が竦む。
 純真は自分のものを握りこみ、ほとんど空間のないおれの両腿の間に捻じこんだ。そのまま前後に動きはじめる。挿入はしていないが、それにちかい動作で快感を高めていく。
 おれは両肘をベッドの上に張り、純真の動きを助けて体を揺らした。股の間で硬くなったものもおなじタイミングで揺れ、互いに擦れて濡れた音を発する。淫らな音だった。直接挿入されているわけでもないのに、突き上げられるたびに声が漏れそうになる。摩擦が熱を生み、熱が快感を生む。
 摩擦が烈しくなったと思ったとたん、突然脚の間から異物感が消えた。
「あ、ごめん……はずれちゃった?」
 首を捻って振り返った。純真はベッドに膝をつき、体を起こしておれを見下ろしていた。これまで一度も見たことがない表情。その意味をすぐには理解できなかった。
「純真……?」
「ごめん、モモ」
 純真が小さく呟いて、上半身をゆっくり倒す。
「え、なに……?」
 掌が股の間に潜りこみ、脚を開かせる。きつく窄まった箇所に先端が圧しつけられた。
「ちょっ……」
 驚いて腰が跳ねた。体を起こそうとしたが、純真の体重がかかって自由に動けない。そうしている間にも、股の間で凶器が息づいている感覚がどんどん迫ってきて、おれは慌てた。
「待って、だめ、入っちゃうじゃん……」
 冗談に変えようとして、努めて軽く抗議したが、純真は答えない。
「純真! だめだってば!」
 先端がやわらかい部分に潜りこんできて、焦りが声を荒くさせた。しかし、遅かった。異物を追い出そうとする内臓の動きに逆らうように、純真が体を進めた。熱く滾った欲望が強引に侵入してきて、おれは痛みと異物感に声を上げた。
「うそうそ、やだ、待って、嫌だって……」
「モモ……」
 暴れようとするおれを押さえつけるように、純真の両腕がおれの腕ごと体に巻きついて、熱い息がこめかみを掠めた。
「モモ、ごめん、ほんとに……」
 謝罪を口にしながらも、体はどんどん前進し、内蔵を圧し拡げてさらに肥大していく。すこしずつ入ってくるのが見えなくてもわかる。恐怖と不安で汗が噴き出した。
「いた……痛い、もう……抜いて、お願い、抜いて」
 泣きながら懇願したが、聞き入れられなかった。純真が大きく息を吐くのと同時に、臀の肉がかき分けられ、一気に奥まで貫かれた。
 視界が白く濁る感覚。うめき声がシーツに沈み、指や舌とは比較にならない強烈な圧迫感に涙が溢れた。
 背中にぴったりと張りついた純真の胸がくるしげに上下し、ふたりぶんの体がひとつの塊になったかのように弾んでいる。
「モモ……」
 振り向こうとして首を捻じると、唇を奪われた。余裕がないらしく、強引に舌を吸われる。唾液を交換しているうちに、腹のなかの純真がさらに大きくなるのがわかった。同時に、次になにをされるのかも理解できた。
「純真……」
 汗で湿った腕を必死でつかみ、視線で訴えた。純真の目の奥に明確な欲望の炎が見えた。その光を目にした瞬間、おれはすべてを諦めた。
 純真が動きはじめた。速度と深度ははじめのうちはゆるやかに、すこしずつ烈しく深くなっていく。おれは唇を噛んで耐えた。
 さっきとおなじように、純真は早かった。腹のなかで極限まで膨張したかと思うと、熱い液体がもっとも奥の場所で放たれ、内壁にぶちまけられた。途轍もない勢いと量だった。体験したことのない違和感に、全身がこまかく震える。
 放出はそう長くはなかっただろうが、永遠に感じた。最後の一滴まで絞り尽くしてから、ようやく純真は出て行ってくれた。繋がっていた部分から精液が漏れ、腿の表面を汚す。
 おれは脚を閉じ、ベッドに体を横たえていた。呼吸が乱れ、頭が重くぼんやりしている。もう終わったはずなのに、まだ体内に塊が残っているような異物感をおぼえている。腿をつたう精液の冷たさが緩慢になりそうな感覚を鋭く抉っていた。
「……ごめん」
 純真がおれのそばに座って手の甲で額の汗を雑に拭っている。まだ荒く息を継ぎながらも、すこしは冷静さを取りもどしたらしい。
「痛かったよな。だいじょうぶか」
 腰から臀にかけて撫でられる。逃げようにも体を動かすのさえ億劫だった。侵入された場所からじわりと鈍い痛みが広がり、じんじんと痺れている。
 純真の指が溢れた白濁をこそげ取る。さすがに反省しているようで、声は沈んでいる。
「ごめん。生でしちゃった。いつもはゴムつけてるよな?」
「いつも……?」
 噛み合わない会話。奇妙な空気が流れた。視線が絡んだ。純真の表情に戸惑いが差しこんだ。
「モモ……」
 裸の体を縮こまらせているおれを見下ろして、純真は愕然としていた。声を震わせ、いった。
「もしかしてはじめてだった?」
 懇願するような響き。おれは視線を逸らした。
「だれとも付きあったことないし本番もNGだってさっきいったじゃん……」
「それは聞いたけど……」
「こういう仕事してるから軽いと思った?」
 意図せず自虐的な響きになった。純真は表情を曇らせ、その場で頭を下げた。
「本当にごめん」
 下半身を剥き出しにしたまま、ベッドの上で土下座する。情けない姿だったが、純真は気にせず、額をシーツに擦りつけている。
「謝ってもどうにもならないのはわかってるけど……」
「謝ってるの?」
 自分の腕を抱え、体を丸めながら、おれはいった。
「うれしそうに見えるけど」
 純真が黙りこむ。おそらく、おれの言葉が事実だから、なにも返せないのだろうと思った。おれがまだ経験していなかった事実を知って明らかに安堵し、喜んでいる。反省の念を口にしながらも、本心を完全に隠しきれていない。その素直さを、むしろ好ましいと感じた。
「おれは……」
 顔を伏せたまま、純真は呻くようにいった。
「ずっとこうしたいと思ってた。モモのはじめてのデートもキスもセックスも全部おれが……」
 言葉が不自然に途切れた。一瞬、泣いているのかとどきっとする。見えるのは頭頂部だけで、どんな顔をしているのかはわからない。
「でも、こんなふうにしたかったわけじゃない。こんな……」
 声が震える。純真の大きな体があまりに小さく見えて、おれは言葉を失った。強引で身勝手な行為に腹を立てていなかったわけではないし、実際に加虐的な気持ちにもなっていたが、シーツに頭を擦らせる純真を見ていると、ざらついた心がすこしだけなだらかになった。
 男の貞操に意味などあるとは思えない。江戸時代ではないのだ。性的な経験に価値も恥もない。そんなことにこだわって一喜一憂している純真が滑稽にさえ思えた。
「だったら……」
 意識するよりも先に、言葉が唇の隙間から漏れた。
「やりなおす?」
 純真が顔を上げる。おれは身を起こし、痺れた脚に鞭打つようにどうにか折り曲げて、純真に近づいた。至近距離で見つめ合う。
「もっかいしたい?」
「……したい」
 小さな子どものように素直に頷く。そのしぐさに思わず笑ってしまった。純真のことを快活で自信に満ちあふれ、常に冷静な男だと思いこんでいた。しかし、勝手に想像していたほど完璧な人間でないことはもうわかっている。おれとおなじように、純真もまた弱く、情けなく、そして悲しい。
 純真の肩に手を置いて促し、自分から体を近づけた。再び体が密着する。純真の首に両腕を回し、胸を寄せる。シャツのボタンをはずし、肩から抜きながら、キスを深めた。何度も角度を変えて唇を重ねながら、純真の膝の上に跨がった。
「モモ……」
「手伝って」
 躊躇っている純真の手をつかみ、下腹部に導いた。2度達したのにもかかわらず、純真はまた漲らせていた。腰を浮かせて、先端を腿に擦りつける。
 純真が自分のものをつかみ、入口に宛がった。呼吸をあわせるように見つめあって、ゆっくりと体を落とした。
 再び強烈な圧迫感に襲われ、思わず眉を寄せる。純真の大きな掌が頬を包んだ。二度達したからなのか、おれが未経験だと知らされたからなのか、今度は冷静に注意深くこちらの様子を観察しながらゆっくり動く。
「痛くない?」
「うん……」
 さぐるように腰を回すと、純真の形状がはっきりわかる。純真の手が腰や胸を撫でる。やはり確かめるような動きだった。おれたちは互いの存在を確信しようとしていた。セックスとはそういうものなのかもしれないと思った。
 腰を上下に揺らしているうち、快感の細い針で刺されたような痺れを得る箇所があることに気づいた。純真の首につかまり、その場所を集中的に刺激する。純真も気づいたようで、おれに協力して下から突き上げてきた。
「純真……おれ、やばいかも……」
「気持ちいい?」
「気持ちいい……」
 素直に頷いて、純真の頭に縋る。動きながらキスすると、歯や顎が衝突する。そのかすかな痛みさえも快楽の一部になっていた。
 ベッドに踵を埋め、純真の首に指先を食いこませて、かろうじてバランスの取れた不自然な体勢で烈しく動いた。スプリングが軋み、音を立てる。繋がっている部分から濡れた音も跳ねている。何度も奥まで貫かれ、声が溢れた。
「無理……気持ちよすぎて……大きい声出ちゃう……」
「出して。隣、空室だから」
 純真の呼吸も荒い。擦りあわせた唇の隙間から熱い息が漏れる。
「だめ、いきそう……」
「いっていいよ」
 純真の声にももう余裕はなかった。左手でおれの腰をつかみ、ふたつの体の間で揺れるおれの根元を右手でつかんで力強く擦った。
 強烈な刺激に、おれは悲鳴を上げた。大きく体を反らし、純真の手のなかで達した。首につかまっていた力が弱まり、後ろに倒れかけた体を純真が素早く抱きとめ引き寄せる。
 弛緩した体を純真の胸に預け、酸素を求めて必死で口を開けた。客の手や舌をつかって射精したことはこれまでにあったが、快楽も衝撃もまるで比較にならない。目の前が白く霞み、全身に熱が充満していた。純真の背中につかまろうと手を回したが、どちらも大量の汗をかいていて滑りうまくいかなかった。
「モモ……」
 唇が触れあい、舌が絡みあう。純真はおれの背中に腕を回し、ゆっくりとベッドに倒した。白濁が散って濡れた両脚を持ち上げ、自分の肩に引っかけて、そのままつよく体を圧しすすめる。ポンプで空気を注入する機械になったかのように、おれの臀部は浮き上がり、もっとも深い部分まで侵された。つよい刺激にまた声を上げてしまう。
「モモ、かわいい……」
 口を大きく開け、飲みきれない唾液で口の周りを汚し、大声を上げている。かわいらしさとは無縁の痴態だったが、構っている余裕はなかった。純真も夢中で腰を振っている。
 ふたりとも狂ったように腰をぶつけあっていて、電話が鳴る音に気づかなかった。テーブルの上に置いたおれのスマホが鳴っている。
「出んなよ」
 怒ったように純真が低く囁く。動きつづけたままだ。
「出ないと。店にもどらないといけない時間だから……」
 おれも体を揺らしながら、腕だけを伸ばしてどうにかスマホをつかむ。
「……延長する?」
「する」
 純真は即答した。おれは電話に出て、延長を伝えた。話している間にも、純真は動きを止めず、おれは烈しく喘ぎながらなんとか言葉を発している状態だった。
 まだ回線がつながったままのうちに、純真がおれの手からスマホを捥ぎ取り、乱暴に放り投げる。集中しろというように顎をつかまれ、唇を貪られた。唾液が送りこまれ、溢れて零れる。
「モモ……」
 額同士を擦れあわせると、互いの前髪が絡んだ。どちらも湿って、ざらついている。
「モモ、好きだ……」
 熱に浮かされているかのような低く掠れた声で純真がいった。小さな声だったが、ほとんど叫びに近かった。
「好きだよ、モモ。ずっと好きだった。今も好き。ずっとモモのことばっか考えてた。モモすげえ好き」
 呪文のように繰り返される言葉。顔中にキスされ、痛いほど腰や脚をつかまれて、おれもまともな思考ができなくなっていた。
「おれも好き」
 烈しい揺れに振り落とされまいと純真の首にしがみついて叫んだ。
「純真、好き……」
「ほんと? モモ、それ本気?」
「うん……」
 促されるまま何度も首を縦に振る。視線を上げると、興奮で紅潮した純真の顔が目の前にあった。切実さを溢れさせた眼差しでおれを見つめている。
「大好き。純真だけ……」
「モモ……」
 純真の動きがさらに烈しくなり、おれは声を迸らせた。つかまっていられず、上半身が紙人形のように揺さぶられる。
「もっといって、モモ……」
「純真ん……好き、好き好き……もうだめ、またいきそう……」
 求められるまま何度も叫び、おれは再び全身を撓らせた。爪先まで痙攣させながら上り詰めた。一拍措いて、純真も頂点に達した。体のなかで熱い液体が拡がっていく。
 純真が倒れこんでくる。全身汗だくで、肌が灼けるように熱い。純真の体重を受け止め、背中の筋肉に指を這わせながら、おれはじっと目を閉じていた。
 おれだけが純真に執着していると思っていた。実際には、純真もおれに縛られ、囚われていたのだと考えると、残酷な喜びが胸に拡がった。けっきょくのところ、おれたちは共依存の関係で、ともにくるしむかべつの人生を進むかふたつの選択肢しかなかったのだと思う。
「モモ……」
 唇や頬にキスされ、脚を持ち上げられる。体勢を変え、もう一度つながった。そのままおれたちは再び電話が鳴るまで互いを奪いつづけた。