早朝、目を覚ました。おれの頭を腕に乗せた純真はまだ眠っていた。
深夜、純真がそっとベッドを抜け出したことに気づいていた。トイレに籠もってなにをしていたのかも、想像がついていたが、気づいていないふりをして毛布にくるまっていた。
純真を起こさないよう注意しながらベッドを滑り降りた。純真は腕を投げ出し、唇をすこし開いて寝息を立てている。ふだんはおれよりも年上に見えるのに、寝顔は子どものようだった。昨夜のことを思い出すと、胸が詰まった。
照明のせいで部屋は明るかったが、カーテンの隙間から朝日が差し込んできていることがわかった。床に落ちた眼鏡を拾い上げ、コートを羽織る。昨夜飲んだビールや酎ハイの缶、総菜のパックがそのままだったが、片付けもせずに慌ただしく部屋を出た。冷蔵庫の上に置いてあった鍵を持って外に出て施錠し、郵便受けに鍵を落とす。室内に鍵が落下する金属音を確かめてから、忘れものをしたことに気づいた。コートとシャツの間に着ていたニットを置き忘れた。
電話かLINEで純真を起こせば中から鍵を開けてくれるだろうが、起こしたくはなかった。昨日あんなことがあったうえに、自分の気持ちを自覚した今、どんな顔で話せばいいのかわからなかった。
けっきょく、おれは足早に部屋を離れ、帰宅した。大学生とはいえ、連絡も寄越さずに朝帰りの長男に、早起きの母は不機嫌な顔を見せたが、構う余裕はなかった。
その日は平日で、バイトのシフトは入っていなかったが、大学の講義は通常どおりあった。単位に直接関わる重要な講義のひとつだったが、出席する気になれず、休んでしまった。
緊張のせいで深い眠りにつけなかったうえ、深夜に一度目を覚ましたせいで、体はまだ重かったが、自室のベッドに入ってもなかなか寝つけなかった。朝食も昼食も取らず、昼までベッドから動かなかった。
純真からLINEと着信が入っていたが、開封はせず、メッセージが未読の状態で放置していた。
昨日からずっと純真で頭がいっぱいだった。純真の表情、裸の体、中心で凶器のように勃ち上がったもの……純真には誤解させたかもしれないが、硬直した屹立そのものには畏怖を感じなかった。ただ、おれを欲する力が具現化したものを目に、想像せざるを得なかったのだ。いつか、純真がおれに興味を失い、おれが純真を失う日がくることを。
純真の真っ直ぐな気持ちを疑うわけではない。しかし、これまでの人生でだれとも密接な関わりを持たなかったおれに、別離の恐怖を無視することはできなかった。友人でさえいられれば、破滅的な断絶は生まれにくい。すくなくとも、恋愛関係よりは長く持続させられる可能性は高いだろう。
無理だということはわかっていた。純真の気持ちだけでなく、自分の気持ちにも気づいてしまったからには、体を繋げなかったとしても、もう後戻りはできない。
頭から毛布を被って、おれは声を出さないように唇を噛んで泣いた。純真と離れることを考えただけで、瞼が熱くなり、涙がにじむのを抑えることができなかった。悲観的で、妄想じみた考えだということはよくわかっている。純真に話せば笑うだろう。そんな未来は存在しないと約束してくれるはずだった。それでも、おれはもうずっとこうして生きてきたのだ。思考や概念を根本から変えることは急にはできない。
本当に、本当に嫌になる。自分の意思の弱さ、自己評価の低さ、自分自身すべてが嫌でたまらない。純真もいずれは気づき、期待や想像と乖離したおれの本来の姿に幻滅するはずだ。そうなったら、おれはきっとばらばらに千切れ、二度と元にはもどれない。確信があった。
またスマホが震えた。約束の時間が迫っていた。純真はもうあの喫茶店に到着しておれを待っているかもしれない。1時間過ぎ、2時間過ぎても、おれは動けなかった。スマホが震える音だけを、ベッドのなかでじっと聞いていた。
おれはなにもしなかった。文字どおり、なにもせずにいた。
昼になり、夜になっても、ただ微動だにせず、貝のように身を縮めて、時間を消費した。家族の声にも反応しなかった。はじめは訝しげに声をかけていた母も諦めたらしく、ドアを叩く音もしなくなった。
夜になって、ようやくスマホを開いた。布団のなかで画面をスクロールした。闇のなかで、ディスプレイが鈍い光を拡げている。
純真から複数の着信とLINEが確認できた。おそるおそるLINEを開封した。
7時25分『おはよう。昨日はごめんな。平気?』
7時32分『起きたらいないからちょっと寂しかったぞ。声かけろよなー』
8時14分『服忘れただろ。あとで持ってくわ』
10時6分『ちゃんと学校行けた? おれもとりあえず学校きたけど眠すぎてやばい』
11時18分『おーい』
15時28分『既読つかないからちょっと心配してる。なんかあった?』
16時56分『しつこくてごめん。今日だいじょうぶだよな?』
18時15分『モモ今どこ? もう店いるよ』
18時35分『もしかしてスマホどっかに忘れた?』
18時38分『モモ電話出て』
18時40分『モモの声聞きたい』
18時57分『事故とかじゃないよな。マジで心配だからとりあえず連絡して』
19時50分『閉店時間みたいだから移動する』
20時22分『もしかしておれ振られた?』
20時23分『もしそうでも直接モモから聞きたい』
21時02分『これで終わりじゃないよな?』
21時24分『会いたい』
メッセージはまだ続いていたが、スクロールする指がそれ以上動かず、続きは読めなかった。それぞれのメッセージの左に表示された「既読」の文字を見ながら、おれは画面を一度閉じ、トップ画面から純真のアカウントを選択して、ブロックを押した。次にインスタグラムを立ち上げ、純真のアカウントをミュートした。フォローしていたわけではなかったが、これでタイムラインに表示されることはなくなる。電話番号は登録していなかった。自宅の住所も教えていない。作業は数分で完了し、あまりにあっけなく、おれと純真を繋ぐ線は消滅した。
いつの間にか、窓の外は雨模様になっていた。はじめはぽつりぽつりと、次第に雨粒が大きく、雨足がつよくなり、すぐに豪雨に変わった。天気予報は正しかったらしく、強風も吹き荒んでいた。
あの喫茶店の周辺に雨風を凌げるような場所はあっただろうか。荒れた天気のなか、雨に濡れて立ち尽くす純真の姿を想像すると、胸が軋んで音を立てた。
毛布を撥ねのけ、床に突っ伏した。床の上に烈しく嘔吐した。なにも食べていなかったために固形物はなく、黄土色の胃液が飛び散った。胃酸で喉が焼ける感触。喉が詰まり、何度も噎せた。苦痛で涙が滲んだ。
スマホの電源を切り、床に投げ棄てた。現実から目を背けるかのように吐瀉物の上に額を擦りつけ、泣いた。もう声を抑えなかった。おれは大泣きした。こんなに泣いたのは幼少期以来はじめてだった。
自分がどんなに残酷で不誠実で身勝手なことをしたのかはじゅうぶんわかっていた。心のなかで何度も純真に謝った。
おれは純真と出会うべきではなかった。彼を知るべきではなかった。他人のままでいれば、傷つくことも傷つけることもなかった。
嗚咽を漏らしながら、一日でも一秒でも早く純真がおれのことを忘れてくれるよう祈った。おれには無理だった。たとえ二度と会わなかったとしても、純真の存在が消えることはないだろうと思った。おれは純真を傷つけた責任を負いながら生きる。それで贖罪になるとは思えないが、それしかなかった。
どんないいわけもできない。この日、おれは一生かけたとしても償いきれない罪を背負ったのだ。
深夜、純真がそっとベッドを抜け出したことに気づいていた。トイレに籠もってなにをしていたのかも、想像がついていたが、気づいていないふりをして毛布にくるまっていた。
純真を起こさないよう注意しながらベッドを滑り降りた。純真は腕を投げ出し、唇をすこし開いて寝息を立てている。ふだんはおれよりも年上に見えるのに、寝顔は子どものようだった。昨夜のことを思い出すと、胸が詰まった。
照明のせいで部屋は明るかったが、カーテンの隙間から朝日が差し込んできていることがわかった。床に落ちた眼鏡を拾い上げ、コートを羽織る。昨夜飲んだビールや酎ハイの缶、総菜のパックがそのままだったが、片付けもせずに慌ただしく部屋を出た。冷蔵庫の上に置いてあった鍵を持って外に出て施錠し、郵便受けに鍵を落とす。室内に鍵が落下する金属音を確かめてから、忘れものをしたことに気づいた。コートとシャツの間に着ていたニットを置き忘れた。
電話かLINEで純真を起こせば中から鍵を開けてくれるだろうが、起こしたくはなかった。昨日あんなことがあったうえに、自分の気持ちを自覚した今、どんな顔で話せばいいのかわからなかった。
けっきょく、おれは足早に部屋を離れ、帰宅した。大学生とはいえ、連絡も寄越さずに朝帰りの長男に、早起きの母は不機嫌な顔を見せたが、構う余裕はなかった。
その日は平日で、バイトのシフトは入っていなかったが、大学の講義は通常どおりあった。単位に直接関わる重要な講義のひとつだったが、出席する気になれず、休んでしまった。
緊張のせいで深い眠りにつけなかったうえ、深夜に一度目を覚ましたせいで、体はまだ重かったが、自室のベッドに入ってもなかなか寝つけなかった。朝食も昼食も取らず、昼までベッドから動かなかった。
純真からLINEと着信が入っていたが、開封はせず、メッセージが未読の状態で放置していた。
昨日からずっと純真で頭がいっぱいだった。純真の表情、裸の体、中心で凶器のように勃ち上がったもの……純真には誤解させたかもしれないが、硬直した屹立そのものには畏怖を感じなかった。ただ、おれを欲する力が具現化したものを目に、想像せざるを得なかったのだ。いつか、純真がおれに興味を失い、おれが純真を失う日がくることを。
純真の真っ直ぐな気持ちを疑うわけではない。しかし、これまでの人生でだれとも密接な関わりを持たなかったおれに、別離の恐怖を無視することはできなかった。友人でさえいられれば、破滅的な断絶は生まれにくい。すくなくとも、恋愛関係よりは長く持続させられる可能性は高いだろう。
無理だということはわかっていた。純真の気持ちだけでなく、自分の気持ちにも気づいてしまったからには、体を繋げなかったとしても、もう後戻りはできない。
頭から毛布を被って、おれは声を出さないように唇を噛んで泣いた。純真と離れることを考えただけで、瞼が熱くなり、涙がにじむのを抑えることができなかった。悲観的で、妄想じみた考えだということはよくわかっている。純真に話せば笑うだろう。そんな未来は存在しないと約束してくれるはずだった。それでも、おれはもうずっとこうして生きてきたのだ。思考や概念を根本から変えることは急にはできない。
本当に、本当に嫌になる。自分の意思の弱さ、自己評価の低さ、自分自身すべてが嫌でたまらない。純真もいずれは気づき、期待や想像と乖離したおれの本来の姿に幻滅するはずだ。そうなったら、おれはきっとばらばらに千切れ、二度と元にはもどれない。確信があった。
またスマホが震えた。約束の時間が迫っていた。純真はもうあの喫茶店に到着しておれを待っているかもしれない。1時間過ぎ、2時間過ぎても、おれは動けなかった。スマホが震える音だけを、ベッドのなかでじっと聞いていた。
おれはなにもしなかった。文字どおり、なにもせずにいた。
昼になり、夜になっても、ただ微動だにせず、貝のように身を縮めて、時間を消費した。家族の声にも反応しなかった。はじめは訝しげに声をかけていた母も諦めたらしく、ドアを叩く音もしなくなった。
夜になって、ようやくスマホを開いた。布団のなかで画面をスクロールした。闇のなかで、ディスプレイが鈍い光を拡げている。
純真から複数の着信とLINEが確認できた。おそるおそるLINEを開封した。
7時25分『おはよう。昨日はごめんな。平気?』
7時32分『起きたらいないからちょっと寂しかったぞ。声かけろよなー』
8時14分『服忘れただろ。あとで持ってくわ』
10時6分『ちゃんと学校行けた? おれもとりあえず学校きたけど眠すぎてやばい』
11時18分『おーい』
15時28分『既読つかないからちょっと心配してる。なんかあった?』
16時56分『しつこくてごめん。今日だいじょうぶだよな?』
18時15分『モモ今どこ? もう店いるよ』
18時35分『もしかしてスマホどっかに忘れた?』
18時38分『モモ電話出て』
18時40分『モモの声聞きたい』
18時57分『事故とかじゃないよな。マジで心配だからとりあえず連絡して』
19時50分『閉店時間みたいだから移動する』
20時22分『もしかしておれ振られた?』
20時23分『もしそうでも直接モモから聞きたい』
21時02分『これで終わりじゃないよな?』
21時24分『会いたい』
メッセージはまだ続いていたが、スクロールする指がそれ以上動かず、続きは読めなかった。それぞれのメッセージの左に表示された「既読」の文字を見ながら、おれは画面を一度閉じ、トップ画面から純真のアカウントを選択して、ブロックを押した。次にインスタグラムを立ち上げ、純真のアカウントをミュートした。フォローしていたわけではなかったが、これでタイムラインに表示されることはなくなる。電話番号は登録していなかった。自宅の住所も教えていない。作業は数分で完了し、あまりにあっけなく、おれと純真を繋ぐ線は消滅した。
いつの間にか、窓の外は雨模様になっていた。はじめはぽつりぽつりと、次第に雨粒が大きく、雨足がつよくなり、すぐに豪雨に変わった。天気予報は正しかったらしく、強風も吹き荒んでいた。
あの喫茶店の周辺に雨風を凌げるような場所はあっただろうか。荒れた天気のなか、雨に濡れて立ち尽くす純真の姿を想像すると、胸が軋んで音を立てた。
毛布を撥ねのけ、床に突っ伏した。床の上に烈しく嘔吐した。なにも食べていなかったために固形物はなく、黄土色の胃液が飛び散った。胃酸で喉が焼ける感触。喉が詰まり、何度も噎せた。苦痛で涙が滲んだ。
スマホの電源を切り、床に投げ棄てた。現実から目を背けるかのように吐瀉物の上に額を擦りつけ、泣いた。もう声を抑えなかった。おれは大泣きした。こんなに泣いたのは幼少期以来はじめてだった。
自分がどんなに残酷で不誠実で身勝手なことをしたのかはじゅうぶんわかっていた。心のなかで何度も純真に謝った。
おれは純真と出会うべきではなかった。彼を知るべきではなかった。他人のままでいれば、傷つくことも傷つけることもなかった。
嗚咽を漏らしながら、一日でも一秒でも早く純真がおれのことを忘れてくれるよう祈った。おれには無理だった。たとえ二度と会わなかったとしても、純真の存在が消えることはないだろうと思った。おれは純真を傷つけた責任を負いながら生きる。それで贖罪になるとは思えないが、それしかなかった。
どんないいわけもできない。この日、おれは一生かけたとしても償いきれない罪を背負ったのだ。



