プリンセスになりたくない俺は、準プリンスと付き合うことにした

 帰りのホームルームが終わり、生徒会室に向かおうと席を立ったときだった。
「あれ、まだ残ってる?」
 クラスメイトの声に、教卓へと視線を向ける。最後の授業で集められたノートが積まれていた。
「日直って白川(しらかわ)さんと、あー、ひとり帰っちゃったのか」
「じゃあ、二回に分けて運んでるってことか」
 そういうことか、とみんなそのまま教室を出ていく。
 今日の日直は、と号令をかけていた姿を思い出せば、自然ともうひとつの記憶も引っ張り出された。
 ――もう夏希くんと一緒に遊んじゃいけないってお母さんが。
 小学校の事件がきっかけで絶交したはずの相手は、いま同じクラスにいる。お互い公立の学校を選んで進学したのだから不思議なことではない。いまもちゃんと関わらないように気を配っている。去年、一度だけ関わってしまったけど。でも、直接顔を合わせたわけじゃない。
 廊下の奥から吹奏楽部の練習音が聞こえ始める。窓の向こう、グラウンドからは野球部の掛け声が。日中は騒がしい教室内も放課後になれば静かだ。
 俺が出たら、ひとりでこの静かな空間に戻ってくるのか。あいつ結構こわがりだったよな。夕方前の明るい時間帯ではあるけれど、ひとりは嫌だろうな。
 いままでの俺なら関わらないことを選んだだろう。関わらなければ巻き込むこともないから。でも、と足が止まる。この二日間の出来事が思い出され、気づけばポケットからスマートフォンを取り出していた。
『用事すませてから行く』
 送信ボタンをタップし、ポケットに戻す。少し遅れるだけだ。返事を待つ必要はないだろう。
 ノートの山を抱え、出口へと向かう。迷ったものの電気は消さず、ドアも片側に寄せたままにする。戻るつもりなら荷物はここに置いてあるだろうから。
 向かうのは職員室ではなく、北校舎に続く渡り廊下の手前、数学準備室だ。階段の上り下りはないから、きっとどこかですれ違える。必要以上に言葉を交わす必要はない。ただ「残り持っていくから」とだけ言えばいい。それだけ。それで終わり。
 そっと息を吐き出し、足を進める。ノートの束はなかなか重い。
「失礼しました」
 目的地のドアが視界に入ると同時、控えめな声が耳に届いた。トッと小さく心臓が緊張に跳ねる。大丈夫。ちょっとすれ違うだけだ。
 こちらへと向いた体が止まる。眼鏡越しに俺を見つめる瞳が丸くなり、口が小さく動いた。
「……それ」
「持ってきた」
「なんで」
 おせっかい、自己満足、拭いきれない罪悪感。すべては俺が勝手にやったことで、説明できる理由なんてない。
「べつにいいだろ――失礼します」
 閉められたばかりのドアを引き「えっ」と驚く数学教師の机にノートの束を置く。集められたときと同じ山がふたつちゃんと並んだ。
「失礼しました」
「あ、ああ」
 驚きの抜けない教師をそのままに、部屋から出る。ドアをきっちり閉めて任務完了、と固まっていた腕を振り上げたところで、目が合った。
「白川」
 小学生ぶりに口にした名前は懐かしさよりも苦味が強い。
「なつ――吉田くん、ありがとう」
 がばっと勢いよく頭を下げられ、驚きつつも「ん」とだけ返す。過去が消えないのと同じで、この絶交に終わりはない。
 これ以上話してはいけないだろう、と先に歩き出す。そのまま渡り廊下へと踏み出したとき。
「待って」
 背中から声が響いた。腕を掴まれたわけではない。振り返るべきなのかもわからない。だけど、無視することはどうしてもできず、上履きの底がきゅっと音を立てる。
「一年前、わたしの靴箱に折り畳み傘入れてくれたの、吉田くんだよね」
「……なんの話」
「ありがとう。急な雨だったから、本当にすごく助かった。ずっとお礼言わなきゃって思ってたのに言えなくて。傘も返せてなくて。ごめんなさい」
 俺は肯定も否定もしなかったのに、白川は一方的に言って完結させてしまった。
 いつのまにか落ちていた視線を戻せば、掲示板が視界に入る。新生徒会発足のお知らせには、まさに王子様スマイルとばかりの相澤の顔があった。
 なんか俺の周りってこんなやつばかりだな。こぼれた息とともに力が抜け、頑なだった心の奥が緩む。俺ももう少しやりたいようにやっていいのかもしれない。
「いいよ。俺あのあと風邪ひいて休んでたから学校で会えなくて当然だし」
「えっ、わたしのせい?」
「貸したの俺なんだから俺のせいだろ」
「でも……そんな風に言われたら気にしちゃうじゃん」
 気にしてほしいわけじゃないけど、忘れてほしいわけでもない。いま同じ場所にお互いいるのだから。
「ざまーみろ」
 一瞬だけ振り返り、にっと笑ってやる。
「ええ、ちょっと」
 もう立ち止まらない。足を進めるたび自分を縛ってきたものが剝がれていく。
 ずっと理由を探していた。
 理由がないと動けないから。
 理由がないと自分を守れないから。
 巻き込みたくない。傷つけたくない。だから強くなろうと思った。
 俺が自分から遠ざけているのだから誰も寄ってこなくて当たり前。自分が望んだことなのだから傷つく必要なんてない。自分で自分を縛ることで納得したつもりになっていた。
 本当はずっと寂しかったのに。
 渡り廊下の終わり、掲示板に貼られたお知らせが目に入る。あのとき俺は相澤しか浮かばなかった。理由じゃない。きっかけがほしかっただけ。初めからずっと俺は相澤と話してみたかった。相澤のことを知りたかった。
 ――プリンスになんてならなくていいのに。
 嬉しかったんだ。理由なんていらないと言われた気がして。
 プリンスになるための協力者でも仲間でもなく、俺はただ相澤といられることが嬉しかったから。だから相澤も同じように思ってくれていてほしいと勝手に望んでしまった。自分からずっと線を引き続けたくせに。
 ――プリンスにどうやったらなれるか教えてほしい。
 先に理由をつけたのは俺だけど、いまはただ相澤に会いたかった。