昼休みに入り、いつも通りひとりで教室を出たところでポケットに入れていたスマートフォンが震えた。
画面を確かめれば家族以外の名前が初めて表示される。
『相澤遥』
今朝の寄り道を思い出し、じわりと頬が熱くなる。自分でもどうしてあんなことをしたのか。いやいや、全部プリコンのためだろうが。つまり俺は自ら実践できるようになったのだ。成長著しいとはまさにこのこと。喜ぶべきことであって、恥ずかしがる必要なんてない。そう、そういうことだ。自ら自分を納得させ、メッセージを開く。
『お昼迎えに行く』
「ん?」
文面を確認すると同時「吉田くん」と間近で名前が響く。隣のクラスなのだから当然と言えば当然なのだけど、現れるのが早い。メッセージ送る意味あっただろうか。
相澤が俺の手元へ一度視線を向けてから、にっと口角を上げる。
「……なんだよ」
「お昼一緒に食べようと思って」
いま絶対俺のスマートフォン見たよな。相澤のメッセージに俺が喜んでいるとでも思ったのだろうか。登録件数が増えたとわざわざ言ってしまったから。まあ、ちょっとだけ、そわっと胸が浮いた気はしたけど。でもそれだけだ。
「クラス違うからさ、なるべく一緒にいたいなって」
迷いも躊躇いもなく伝えられた言葉に、きゅっと鼻の奥が痛くなる。
「ね」と相澤が小さく首を傾ける。さらさらの髪が光とともに揺れ、目が離せなくなる。
――俺にとって、相澤は本物のプリンスだ。
協力者がほしいと思ったとき真っ先に顔が浮かんだ。話したことはなかったけど、相澤なら助けてくれるのではないかと思った。去年のステージでただ一人、俺のことを笑わなかったから。
その相澤に「一緒にいたい」と言ってもらえるなんて。たとえ期限付きでも、「一緒にいたほうがプリコンに効果的」という意味でも俺は嬉しい。嬉しいはずなんだ。
「吉田くん?」
「そうだな。一緒にいたほうがいいよな」
今日これまでの出来事を思い返しながら頷く。寄り道のあと学校に着いてからも、相澤は俺のことを恋人だと紹介し続けた。そのたび俺は笑顔の実戦練習を重ねることができ、初めてクラスメイトから挨拶までされた。
「おつかれ」という一言が体育の疲労を一気に吹き飛ばしてくれた。準備運動は星名のおかげでひとりにならずにすんだし、バスケの試合ではパスまで回ってきた。
相澤が働きかけてくれた朝の時間だけで、俺の周りは大きく変わった。このままクラスメイトと仲良くなれれば、プリコンも無事乗り越えられるのではないだろうか。俺が相澤に教えてもらったことをちゃんと実践できれば。
ぎゅっと握りしめた右手を開く。緊張が指先に回る前に前へと伸ばす。
相澤の手はほんのり熱かった。
「吉田くん?」
「繋いだほうがいいだろ」
どうだ、今日の俺は昨日より成長しているだろう。手を繋ぐ形がひとつじゃないことももう知っている。握る力を軽く緩め、指の間に指を通してからもう一度握る。ほら、俺はちゃんとできているだろう。
ふっと真上で空気が揺れる。見上げれば、相澤が柔らかな眼差しを湛え、愛しい相手でも見るかのように笑っていた。
これこそプリンスがプリンセスに向ける表情だ。
相澤はいつだってわかりやすく俺に教えてくれる。俺自身が相澤のプリンセスなのではないかと勘違いしそうになるくらいのレベルで。きっとたくさんのひとに向けてきただろうに。
「吉田くん」
相澤が繋いでいないほうの手を俺に伸ばす。大きな手のひらが頭の上に重なる。
「吉田くんはすごいね」
すごいのは相澤のほうだろう。手を繋いで、もう一方で頭を撫でるなんて。どんどんレベルを上げてくるのだから。
「――綺麗な色だね」
降り始めの雨のような声だった。自然のまま落ちてくる優しいだけの一滴《ひとしずく》。
「染めなくてもいいのに」
指先が地肌を掠め、振り払うように顔を上げていた。相澤は驚くでもなく、変わらない表情と声を俺に向ける。
「地肌痛めちゃうよ」
髪ではなく地肌。相澤は気づいているのか。俺が根元ばかり黒く染めていることに。俺の本来の髪色が金色だということに。ドク、と心臓が変な揺れ方をする。繋いでいる手がじわりと汗ばむ。
「吉田くん」
きゅっとわずかに引いた足が廊下を擦る。
「吉田くんはいつもどこでお昼食べてるの?」
「えっ……と、屋上の」
「屋上? 入れたっけ?」
「入れないから、扉の前のスペースで」
「ああ、北校舎の階段の先? あっち人いなくて静かだよね」
唐突に切り替わった話題に安堵しつつも、一度揺れた心臓はすぐには戻らない。うん、と首だけで返事をすれば、繋いだままだった手がくいっと引かれる。
「じゃあ今日はそこにして、生徒会室は明日ね」
「生徒会室?」
正直どこにあるのかが浮かばないほど、俺とは縁のない場所だ。
「同じ北校舎だよ。知らなかった?」
小さく頷けば、相澤が歩き出す。
「まあ、用事ない限り行くことないか。大丈夫、明日も僕が迎えに行くから」
「……ああ」
繋いだままの手の表面を風が過ぎていく。廊下の窓から流れ込む空気が外の匂いを連れてくる。いつもは煩わしく感じる生温さをいまだけは捕まえていたくて、深く息を吸った。
画面を確かめれば家族以外の名前が初めて表示される。
『相澤遥』
今朝の寄り道を思い出し、じわりと頬が熱くなる。自分でもどうしてあんなことをしたのか。いやいや、全部プリコンのためだろうが。つまり俺は自ら実践できるようになったのだ。成長著しいとはまさにこのこと。喜ぶべきことであって、恥ずかしがる必要なんてない。そう、そういうことだ。自ら自分を納得させ、メッセージを開く。
『お昼迎えに行く』
「ん?」
文面を確認すると同時「吉田くん」と間近で名前が響く。隣のクラスなのだから当然と言えば当然なのだけど、現れるのが早い。メッセージ送る意味あっただろうか。
相澤が俺の手元へ一度視線を向けてから、にっと口角を上げる。
「……なんだよ」
「お昼一緒に食べようと思って」
いま絶対俺のスマートフォン見たよな。相澤のメッセージに俺が喜んでいるとでも思ったのだろうか。登録件数が増えたとわざわざ言ってしまったから。まあ、ちょっとだけ、そわっと胸が浮いた気はしたけど。でもそれだけだ。
「クラス違うからさ、なるべく一緒にいたいなって」
迷いも躊躇いもなく伝えられた言葉に、きゅっと鼻の奥が痛くなる。
「ね」と相澤が小さく首を傾ける。さらさらの髪が光とともに揺れ、目が離せなくなる。
――俺にとって、相澤は本物のプリンスだ。
協力者がほしいと思ったとき真っ先に顔が浮かんだ。話したことはなかったけど、相澤なら助けてくれるのではないかと思った。去年のステージでただ一人、俺のことを笑わなかったから。
その相澤に「一緒にいたい」と言ってもらえるなんて。たとえ期限付きでも、「一緒にいたほうがプリコンに効果的」という意味でも俺は嬉しい。嬉しいはずなんだ。
「吉田くん?」
「そうだな。一緒にいたほうがいいよな」
今日これまでの出来事を思い返しながら頷く。寄り道のあと学校に着いてからも、相澤は俺のことを恋人だと紹介し続けた。そのたび俺は笑顔の実戦練習を重ねることができ、初めてクラスメイトから挨拶までされた。
「おつかれ」という一言が体育の疲労を一気に吹き飛ばしてくれた。準備運動は星名のおかげでひとりにならずにすんだし、バスケの試合ではパスまで回ってきた。
相澤が働きかけてくれた朝の時間だけで、俺の周りは大きく変わった。このままクラスメイトと仲良くなれれば、プリコンも無事乗り越えられるのではないだろうか。俺が相澤に教えてもらったことをちゃんと実践できれば。
ぎゅっと握りしめた右手を開く。緊張が指先に回る前に前へと伸ばす。
相澤の手はほんのり熱かった。
「吉田くん?」
「繋いだほうがいいだろ」
どうだ、今日の俺は昨日より成長しているだろう。手を繋ぐ形がひとつじゃないことももう知っている。握る力を軽く緩め、指の間に指を通してからもう一度握る。ほら、俺はちゃんとできているだろう。
ふっと真上で空気が揺れる。見上げれば、相澤が柔らかな眼差しを湛え、愛しい相手でも見るかのように笑っていた。
これこそプリンスがプリンセスに向ける表情だ。
相澤はいつだってわかりやすく俺に教えてくれる。俺自身が相澤のプリンセスなのではないかと勘違いしそうになるくらいのレベルで。きっとたくさんのひとに向けてきただろうに。
「吉田くん」
相澤が繋いでいないほうの手を俺に伸ばす。大きな手のひらが頭の上に重なる。
「吉田くんはすごいね」
すごいのは相澤のほうだろう。手を繋いで、もう一方で頭を撫でるなんて。どんどんレベルを上げてくるのだから。
「――綺麗な色だね」
降り始めの雨のような声だった。自然のまま落ちてくる優しいだけの一滴《ひとしずく》。
「染めなくてもいいのに」
指先が地肌を掠め、振り払うように顔を上げていた。相澤は驚くでもなく、変わらない表情と声を俺に向ける。
「地肌痛めちゃうよ」
髪ではなく地肌。相澤は気づいているのか。俺が根元ばかり黒く染めていることに。俺の本来の髪色が金色だということに。ドク、と心臓が変な揺れ方をする。繋いでいる手がじわりと汗ばむ。
「吉田くん」
きゅっとわずかに引いた足が廊下を擦る。
「吉田くんはいつもどこでお昼食べてるの?」
「えっ……と、屋上の」
「屋上? 入れたっけ?」
「入れないから、扉の前のスペースで」
「ああ、北校舎の階段の先? あっち人いなくて静かだよね」
唐突に切り替わった話題に安堵しつつも、一度揺れた心臓はすぐには戻らない。うん、と首だけで返事をすれば、繋いだままだった手がくいっと引かれる。
「じゃあ今日はそこにして、生徒会室は明日ね」
「生徒会室?」
正直どこにあるのかが浮かばないほど、俺とは縁のない場所だ。
「同じ北校舎だよ。知らなかった?」
小さく頷けば、相澤が歩き出す。
「まあ、用事ない限り行くことないか。大丈夫、明日も僕が迎えに行くから」
「……ああ」
繋いだままの手の表面を風が過ぎていく。廊下の窓から流れ込む空気が外の匂いを連れてくる。いつもは煩わしく感じる生温さをいまだけは捕まえていたくて、深く息を吸った。



