プリンセスになりたくない俺は、準プリンスと付き合うことにした

 相澤効果はすごかった。
 一週間という期限を付けたのだから、わざわざ付き合っていることを周囲に知らせる必要はないと俺は思っていたのだけど。
「それじゃあ意味ないから」と相澤は学校の最寄り駅に着くなり手を握ってきた。当然周りには同じ学校の生徒がたくさんいる。
「い、いいのかよ」
「もちろん」
「――相澤?」
 ふたり同時に振り返れば、いかにも体育会系という体つきをした大柄な生徒が、戸惑うような表情を浮かべている。
「ああ、おはよう星名(ほしな)
 星名は相澤と同じ生徒会メンバーで、クラスは俺と同じ。たくさんの部活に勧誘されたらしいが「生徒会に入るのが目標だから」と言ってすべて断った――というのは、俺でも知っている有名な話だ。
 ひとつの目標のために進む、ブレない姿勢。俺のすきなヤンキー漫画に出てくるキャラクターによく似ていて、俺は密かに憧れている。これでアイドルのような顔だったら、プリコンにノミネートされていただろう。ちなみに俺は去年のアンケートで星名の名前を書いた。
 星名なら俺とダチになってくれるのではないか、と密かに期待している。強いヤンキーには強いダチがいるものだし、星名は巻き込まれるようなタイプじゃないだろうし、何よりいまの俺のままで付き合えそうだし。
 でも、星名がどう思うかはわからない。俺自身ひととの接触を避けることばかり考えてきたから、いまさらどう話しかけていいかわからない(昨日、相澤を呼び出せたのは追い込まれた故の火事場の馬鹿力みたいなものだろう)。
 以前は目が合っただけで、誰とでもすぐ友達になれたのに。いまは毎朝ひとり北校舎のトイレでイメージトレーニングを繰り返すばかりだ。
「付き合ってる? 付き合ってるって、え、相澤と吉田が?」
 あ、星名は俺の名前を知っているのか。ほわりと胸の内側があたたかくなる。
「そう。吉田くんは僕の恋人になったんだ」
「恋人って――……」
 相澤に向けられていた視線が俺に移り、ぐっと力強く睨まれる。「売られたかケンカは買うもの」とヤンキー漫画の教えが反射的に出てきたが、ちょんちょんと手の甲から優しい感触が伝わってきて思いとどまる。
「吉田くん」
 相澤の声がそっと鼓膜を撫でていく。清涼感のある風が胸を過ぎていく。そうだ、これはケンカじゃない。星名はただ俺が本当に相澤の恋人かどうか見極めようとしているだけだし、俺はできれば星名とダチになりたいのだ。
 そのためにはまず相手に誠実でいなければ。
「本当に付き合ってるのか?」
 視線は鋭いけれど恐怖は感じない。真剣さだけが伝わってくる。
「ああ」
 たとえ一週間の期限付きであっても、プリコンのためであっても、いまこの時点で俺が相澤の恋人であることに変わりはない。
 ぎゅっと相澤の手を握りしめる。きっといまが練習の成果を出すときだ。話しかけるだけのイメージトレーニングではなにもできなかったけど、いまの俺には相澤がいる。相澤が教えてくれたことがある。実践が大事――それはつまり踏み出さないとなにも始まらないということ。
 息を吸い込む。朝の光が内側に届くように。相澤の眩しさに少しでも近づけるように。
「そうなんだ」
 口にした瞬間、とても自然に力が抜けていた。強張りが解け、口元が緩む。ずっと気を張っていたことを改めて実感する。
「俺、相澤と付き合ってるんだ」
「……そう、か」
 星名の寄っていた眉が戻る。警戒も疑いもなくなったことが空気で伝わってくる。それどころかぱくぱくと口が動き、なにか言葉を作ろうとしてくれている。
 これはこのままダチになれるよう誘えばいいのでは? そうだ、俺から――。
「星名、あの、もしよか」
「吉田、お前、かわ」
「じゃあ、そういうことで!」
 重なった俺と星名の言葉を相澤が遮った。声だけでなく、間に体を入れて物理的に。
「星名、俺たち先行くから」
「あ、ああ」
 答える星名のほうは一切振り返らず、相澤が走り出す。俺も手を引かれるままに足を動かす。
「相澤? 急にどうした?」
 走らないといけないような時間ではまだないはずだ。星名とあのまま登校しても問題なかったと思うのだが。
「吉田くん」
 相澤は視線だけで俺を振り返ると「ちょっと寄り道しよう」と通学路から外れた路地へと足を向ける。
「いや、寄り道はさすがに」
「大丈夫、ちょっとだから」
 すぐに自分のペースに持っていくところは変わらないのに、なぜかいまはいつもの余裕があまり見えない。焦ってる? 怒ってる? なんだろう。相澤がいま何を思っているのかわからない。わからないからこそ知りたいと思う。俺は手を振り払うことはせず、相澤についていくことにした。
 俺を引っ張っていく相澤の背中、その両端を景色が流れていく。石垣を越える木々、民家の間にぽつりと現れるお店、窓に飾られた名前のわからない花々。
 駅と学校を繋ぐ通学路しか知らなかった俺にとって、すべてが鮮やかに映る。
「……すげえ」
 ずっと眉間に皺を寄せ、視界を狭めて歩いていたからだろう。なんでもない日常の風景がいまはとても広く輝いて見えた。
「吉田くん」
 路地の奥、ベンチと砂場しかない小さな公園のなかでようやく相澤が足を止める。
「寄り道ってここ? 公園に来たかったのか?」
 大通りのざわめきは聞こえない。風が木々を揺らし、木漏れ日が地面を撫でる。朝の涼しさを保った空気に緑の匂いが混じり、静けさが心地いいとは思うけど。登校前に走ってまで来なくてはいけないようなところなのだろうか。
「そうだよ」
 さらりと手を解かれた直後、体があたたかな温度に包まれる。柔軟剤っぽい柔らかな香りと薄い汗の匂いが同時に浮かび、視界が白いシャツで埋まった。
「えっと……相澤?」
 これもプリコンに必要なことなのか。俺も抱き締め返せばいいのか。正解がわからず固まることしかできない。ドクドク、と相澤の心臓の位置がシャツ越しに伝わってくる。走ってきたから鼓動が速い。
「吉田くん」
 いつもよりずっと近くで響く声に、肩が跳ねる。
「な、なに?」
「吉田くんの特別は、僕だけだからね」
 ふわりと包むだけだったのが、ぎゅっと強く迫り――すぐに解かれた。スイッチを切り替えるみたいにあっさりと。
「よし、じゃあ学校行こうか」
「えっ、あ、うん」
 無意識のうちに傾けていた体を急いで戻す。
 どうしてだろう、季節が変わったと気づいたときの、寂しさに似た感覚が胸を占める。当たり前にあったときは何も思わないのに、手が届かなくなると急に惜しくなるような。
「吉田くん?」
 わからないことはもうひとつある。
 相澤の心臓と同じ響きが――大きく速い鼓動が、自分のなかからも聞こえるのだ。心音は移るのだろうか。それとも抱きしめられた一瞬で入れ替わってしまったのだろうか。
「どうしたの?」
 相澤から手を差し出される。向けられた表情には余裕が戻っている。もしもいま、もう一度心音を確かめられたなら、相澤の鼓動は速くない気がする。
 相澤は俺を巻き込むだけ巻き込んで、あっさりと自分の場所に帰っていく。
 参考にさせてほしいと言ったのは俺だから、変わるのは俺だけいいはずで、なにも間違っていないはずなのに。覚えてしまった匂いが、移ってしまった鼓動が、俺だけが変えられていくことを実感させ、胸を苦しくさせる。理由なんてわからないままに。
 どうせ相澤にとってはすべて慣れたことなのだ。
 気づけば指先を掴み、引き寄せていた。
 手の甲に顔を近づける。プリコンのための行為でしかない、練習の一環にすぎないそれを、どうしてだか、いまこの瞬間にしたくなった。いまここに触れたなら、過ぎようとするなにかを留められる気がして。
 朝よりも少しだけ強く唇を押し付ける。
 吉田くん、と小さなつぶやきが風に乗る。
「きみは――プリンスになんてならなくていいのに」
 木々のざわめきとともに相澤の声が落ちてくる。でも、きっと、俺の聞き間違いだろう。
 だって相澤は俺がプリンスになるために協力しているだけなのだから。