プリンセスになりたくない俺は、準プリンスと付き合うことにした

「いってきます」
 制服で家を出て数秒、門扉の前で「おはよう」と相澤が手を上げた。
「なんで?」
「なんでって、昨日家まで送ったんだから知っていて当たり前だろう」
 ファストフード店を出た頃に雨が降り出し、傘を持っていなかった俺を相澤が家まで送ってくれた。わざわざ途中下車してまで。俺は断ったのだが「付き合っているのだから当然だろう」と押し切られてしまった。
「そうじゃなくて、なんでいるんだよ」
「恋人なんだから登下校を共にするのは当然だろう」
「それなら、学校の最寄り駅で待ち合わせるとか……連絡先聞いてなかったな」
「うっかりしていたね」
 待ち合わせができないから家まで迎えに来た、という理解でいいのか? そこまでする必要があるのだろうか。いや、相澤が無意味な行動をするはずがない。きっとこれもプリンスに必要なことなのだろう。……プリンスというよりストーカーっぽい気もするけど。
「じゃあ、改めて」
 はい、と手を差し出され、視線を行き来させてしまう。この手って、もしかして……。
「ああ、そっか、そうだね」
 戸惑う俺の顔を見て、相澤がひとり納得の頷きを繰り返す。
「吉田くん」
 涼やかな風とともに名前を呼ばれ、するりと手を掬われる。
「僕と一緒に学校に行ってくれますか」
「学校には行くだろう」
 思わず突っ込めば、にこりと相澤が笑顔を見せる。直後、掴まれていた指先を持ち上げられた。
 ふわりと軽く、確かな柔らかさが手の甲に触れる。
 目の前には俯けられた相澤の顔があって、綺麗に並んだ睫毛が見える。いや、重要なのはそこじゃない。ふっと相澤の唇からこぼれた息が肌に触れ、びくっと心臓が跳ねる。いや、心臓だけじゃなくて上半身全部が揺れた。
「なにしてんだよっ」
 咄嗟に手を引き抜き、もう一方の手で押さえる。だって、いま、ここに。
「あれ、嫌だった?」
「嫌っていうか、びっくりするだろ」
「嫌ではないんだね、よかった」
「だから、なんで」
「大丈夫、吉田くんにしかやらないから」
 会話が噛み合っているようでいないような気がするのは、相澤の頭が良すぎるから? 理解できない俺のほうがおかしいのか?
「これがプリコンに必要なことなのかよ」
「手の甲のキスといえば、王子様がお姫様にするものでしょう?」
 確かに童話にはそういう場面がある。でも、それとプリコンの投票とどう関係があるのだろうか。いや、でも、相澤が言うのだから関係あるってことだよな。
「えっと、俺はプリンスに選ばれたくて、そのために相澤と一緒にいるわけで。俺が学びたいのは相澤のプリンスらしさで、相澤の格好いいところを真似したいわけで……」
「うん、だから吉田くんも実践してみようか」
 ぐるぐると回る思考を相澤の明るい声が遮る。そして「はい」と改めて手を差し出された。
「やってみるって、いまのを?」
「僕の真似したいんでしょ? だったら実践は大事でしょ」
「そうだけど。これは違うだろ」
「違うの? いまの僕は格好良くないってこと?」
「いや、相澤はいつでも格好いいけど。これを俺がやる必要はないだろ。練習したところでいつ誰にやればいいのかわかんないし」
「吉田くん」
 相澤は手を引っ込めることはせず、じっと俺を見つめる。身長差があるので俺のほうが見上げる形になってしまう。
「プリンスにはどういうひとが選ばれると思う?」
「それはプリンスらしい、格好いいやつだろ」
「プリンスって、プリンセスがいてこそ格好良く見えると思わない?」
「プリンセスがいてこそ?」
「そう。強さはお姫様を助けるときに証明されるし、お姫様を愛するから一途さが見える。王子様の魅力を引き出すのはお姫様がいてこそ」
「まあ、確かに」
 守るものがなければ剣を振るう必要はないし、愛する者がいなければ愛を告げることもない。
「だからね、特別な相手を作るのが一番の近道なんだよ。そうすれば自然とプリンスらしくなるってこと」
「なるほど……?」
「特別な相手といえば恋人でしょう」
「ああ」
「そしていまの吉田くんの恋人は僕だよね」
「……ああ」
「じゃあ、はい」
 にっこりと笑った相澤が差し出していた手をひらひらと振る。長い指も滑らかな肌も美しいけれど、女性らしくはない。大きくて骨ばった、俺と同じ男の手だ。
「えっと、いま?」
「僕はやったよね?」
 そうだ、相澤は俺のためにもお手本としてやってくれたのだ。ここで俺が怯んでどうする。周囲を確認するが、歩いているひとはいない。家には母親がいるが、今日は一日休みのはず。
「や、やるぞ」
「どうぞ」
 相澤の笑みは余裕を保っていて、少しも揺らがない。俺が指先に触れても、引き寄せても、表情ひとつ変わらない。俺は自分の脈で耳が塞がれているというのに。本当に相澤はすごい。それだけ慣れているのだろう。
「す、するからな」
 そっと自分の唇が触れるだけのキスを落とし、手を離す。
「これでいいか?」
 相澤の顔が見られず、顔を背けてしまう。心臓は変わらずバクバクしているし、顔も熱い。手の甲に唇で触れただけだろうが。しかも相手は相澤だ。俺に協力してくれているだけの相手にすぎない。そうだ、すべては俺をプリコンで勝たせるためにやっているのだ。恥ずかしがるところじゃない。いまこそプリンスらしさを学ばなくては。でなければ、ここまでした意味がない。俺はプリンスで、俺のプリンセスは相澤で。イメージが大事で……。
「相澤、このあとはどうすればいいんだ」
 顔を戻した瞬間、バチっと音がしそうな勢いで視線がぶつかった。ずっと俺を見ていたのだろうか。プリンスレベルが上がったかどうか確かめられていたのかも。
「相澤?」
 すっと静かに相澤が視線を逸らす。つまり言葉にできないほどひどかったということだろうか。
「し、仕方ないだろ、初めてなんだから」
「……じゃあ、繰り返せば慣れて緊張しなくなるだろうね」
「練習あるのみか」
「そうだよ。だからこれからも続けていこうね」
「あ、ああ」
 笑顔の特訓に、キス(手の甲だけど)の練習――まだ一日も経っていないのにやるべきことがふたつも見つかるなんて。やっぱり相澤を頼ってよかった。俺一人ではなにをすればいいのかすらわからなかったから。
「相澤はすごいな」
「吉田くんもすごいよ。だって――」
「なに?」
 ううん、と軽く首を振った相澤が、きゅっと口角を上げる。
 相澤の笑顔が、俺にとっては夏の日差しよりも眩しく感じた。