プリンセスになりたくない俺は、準プリンスと付き合うことにした

 目が覚めると同時、枕元のスマートフォンを確認する。表示された時刻は午前五時二十分。
「あと十分か……」
 いつもなら少しでも寝ようとするところだけど、今日はもう動けそうだ。こんなすっきりとした目覚めはいつぶりだろう。
 最低限の身支度だけ整え、家を出れば夜の涼しさがまだ残っている。緑の匂い、鳥の声、朝の澄んだ光に自分の影が落ちる。準備運動で硬くなっていた体をほぐし、その場で軽くジャンプする。
「よし、行くか」
 強くなるために必要なことはなんでもやると決めた。体力づくりのランニングも七年目となれば、頭で考えるよりも先に体が動く。
 靴裏から伝わる地面の感触を前へ進む力に変えていく。弾む心臓がきっかけとなった昔の記憶を引っ張り出す。
 ――ほら、吉田さんのところの夏希《なつき》くん。あの子が狙いだったみたい。
 ――ああ、あの『天使ちゃん』の。一緒にいた子たちも無事だったんでしょう。
 ――でも、またいつこんなことが起こるか。
 小学校五年生の夏休みだった。いつものショッピングモールにクラスの友達と出かけた。当時の俺は男女ともに仲がよく、その日も女子二人に男子は俺ともう一人という組み合わせだった。映画を観て、クレーンゲームをして、ただ楽しいだけの夏休みの一日だった――帰り道で知らない大人に話しかけられるまでは。
 ――駅までの道を教えてくれないかな。
 最初はそれくらいなら、という気持ちだったが「車だから一緒に乗ってほしい」と言われてさすがにこわくなった。
 みんなも同じだったのだろう、不安が漂い始める。ここは男の俺が言うべきだろうと「それはできない」と一歩前に出た。
 すると「きみ『天使ちゃん』でしょう? きみが可愛いからいけないんだよ」と俺だけ車に連れ込まれかけた。必死に抵抗していたら、ちょうどべつの大人が通りかかり、事なきを得た。確か、車には先にもうひとり子どもが連れ込まれていて、その子も無事助けられたはずだ。
 結果的に被害はなにもなかった、けど。
 一番仲のよかったクラスメイトの女の子に言われたのだ。
 ――もう夏希くんと一緒に遊んじゃいけないってお母さんが。『天使ちゃん』にまた巻き込まれたら困るからって。
 俺は赤ん坊のころ、おむつのCMに出ていたらしい。日本人ではない母方の祖母の特徴が出ていた俺は愛くるしい見た目をしていて、『天使ちゃん』と呼ばれていた。すべては物心つく前の出来事で、俺の同級生だって赤ん坊の頃の記憶なんてない。
 だからこそ、投げられた言葉は呪いになった。
 ――きみが可愛いからいけないんだよ。
 俺のせい。俺の見た目のせい。自分自身の恐怖よりも、自分のせいで大事な友達が巻き込まれたのが許せなかった。もう誰も巻き込みたくない。俺は可愛くなんてなりたくない。だけど、どうすればいいのか。
 困ったことは本で解決できるとばあちゃんに教えられていた俺は、本屋に駆け込んだ。そこで一冊の漫画と出会う。表紙には俺と同じ髪色の少年。着崩した制服とこちらを睨む顔がとても強そうだった。
 ――ヤンキーになればいいんだ!
 可愛いのがいけないなら、強くてこわいやつになればいい。
 だから「可愛い」と言われるのは、俺のいままでの努力を否定されるも同然で、どうしても許せなかった。
 ――この『天使ちゃん』って、吉田らしいよ。
 ――えー、すっごい可愛いんだけど。
 ――ノミネートされるだけあるな。
 今年は絶対にプリンセスになんてならない。そのためにも家に戻ったら、昨日相澤から教わった「可愛いと思われない笑顔」を練習しよう。