プリンセスになりたくない俺は、準プリンスと付き合うことにした

 生徒会室の電気は点いていた。
 そっと息を吸い込み、右手を握る。
「相澤? いるんだろ?」
 ノックを響かせるが、中からの応答はない。「相澤?」と繰り返してみるが結果は同じ。顔も合わせたくないということだろうか。ぎゅっと強く握った右手を開き、取手へと伸ばす。相澤が会いたくないからといって俺が合わせる必要はない。
「開けるぞ」
 指先に力を込めて引くが、ガタッと揺れるだけでドアは滑らなかった。鍵がかかっている。はっきりとした拒絶にぎゅっと胸が縮む。そんなに俺に会いたくないのかよ。
 ――もう夏希くんと一緒に遊んじゃいけないってお母さんが。
 向けられた拒絶を跳ねのけてまで進もうと思ったことはない。拒絶の理由が自分にあるなら仕方ないから。そうやってずっと自分が悪いのだと諦めてきた。でも。
「相澤、そこにいるんだろ」
 返事はない。静かな廊下に自分の声だけが響く。
「開けたくないならそれでいいから。そのまま聞いて」
 すっと一度息を吸う。俺は相澤を諦めたくない。
「去年のプリコン、嫌でたまらなかった。ずっと可愛いって言われないようにしてきたのに、なんでって。なんでまたって思った」
 じわりと口の中で苦味が広がる。ステージの上まで引っ張られ、見渡した先でみんな笑っているのに、俺はどうしても笑えなかった。
「司会のやつもまわりもみんな『笑顔、笑顔』とか『天使ちゃん』とか言ってきて、でも俺にはどうしても無理で……。まわりがみんな敵みたいだった」
 自分が目指してきたものとまわりから求められるもののあまりの違いに逃げたくなった。俺は可愛くなんてない。天使なんかじゃない。そういう俺はもうやめたのに。
「でも、相澤だけが違った」
 ――笑顔なんて振りまかなくても十分じゃない?
 雲の間から差し込む光みたいだった。ステージに並んだ椅子に座っていた相澤が「ね?」とさらに言葉を重ねれば、一瞬にして空気が変わる。俺の笑顔を引き出そうとしていたやつらが「確かに」と納得の表情を浮かべていた。そこで俺の出番は終わり、無事ステージから降りることができた。
「あのときから俺のプリンスは相澤だった。プリンスを目指そうと思ったときも、相澤のことしか浮かばなかった」
 すっと息を吸い込む。言葉を重なるたび強くなる鼓動が、一段と大きくなる。
「俺は、助けてくれるのも、呪いを解いてくれるのも相澤がいい。相澤だけが俺の特別なんだ。だから」
「――吉田くん」
 間近で響いた名前に驚く間もなく、あたたかな体温に後ろから抱きしめられた。
「えっ、あ、なんで、中にいたんじゃ」
 どうして相澤が外にいるのかもわからなければ、突然抱き締められて心臓が跳ねまわる。
「僕のこと許してくれるの」
「……仕方ないからな」
「ありがとう。僕の特別も吉田くんだけだよ」
 せり上がる熱を「ん」と小さな頷きで押しとどめる。鼻の奥の痛みをやり過ごそうと息を吸えば、たった三日の間に覚えてしまった匂いがふわりと広がる。ドクドクと内側で跳ねていた心音が、背中からも伝わってくる。馴染むように揃っていく心音に目を閉じた、瞬間。
「――すきだよ」
 耳に直接声が落ちてきた。
 え、と驚きのまま振り返れば「ずっと吉田くんのことがすきだったんだ」と相澤がこれ以上ないくらいの柔らかさで目を細めた。
「すき、っていうのは、その」
「吉田くん」
 緩められた腕のなか、自然と正面から向き合う形になる。相澤の深く黒い瞳がまっすぐ俺を映す。
「吉田くんは、俺にとってのヒーローで、プリンスで、プリンセスで、唯一のひとなんだ」
 視界が一気にぼやけ、唇を噛んでいないと震えを抑えられない。相澤にとってのただひとり、特別であることがどうしようもなく胸を震わせる。これが「すき」という感情なら、俺も同じだ。
 だって、あんなにもプリンセスになんてなりたくないと思っていたのに。相澤にとっての特別なら悪くないと思っている。それどころか嬉しいとさえ感じている。
「今度は期限付きじゃなくて、僕とずっと付き合ってほしい」
「――うん」
 頷くと同時、ふっと視界がわずかに暗くなる。相澤の手が頬に触れ、導かれるように顔を上げれば、焦点が定まらないほど相澤の顔が近くにあった。そのままゆっくり距離を消されそうになり
「待て!」
 咄嗟に手を差し入れる。
「吉田くん?」
 相澤の声に手のひらをくすぐられるが、どうにか耐える。だって付き合うことには頷いたけど、俺はまだ相澤にすきだと言えていない。こういうのは、ちゃんとお互い伝えないとフェアじゃないだろう。
「いや、あの、俺も」
 すき、とたった二文字口にするだけなのに、急に恥ずかしさが込み上げ、言葉が続かなくなる。
 相澤が「ん?」と小さく首を傾げ、また手のひらがくすぐられる。止めないほうがよかっただろうか、と一瞬弱気になるが、それは格好悪すぎるだろうと自ら突っ込む。
「俺も、だから、その」
 たったひとつの言いたいことは言葉にならず、意味のない言葉ばかりがこぼれていく。すきだと言うのがこんなに難しいなんて。伝えたい。伝えたいのに。どうしても言葉が出てこない。
 ほかに伝える方法はないだろうか、と緩んだ心の隙間で、ふと「宿題」を思い出した。
 ――意味を知らずにするより、わかったうえでするほうがいいでしょ。
 そうだ、これなら。意味を伝えられる。
「相澤」
 間に置いていた手を外し、そのまま相澤の頬に触れる。相澤の手も俺の頬に残っているから、ふたりで相手の頬に触れている状態だ。
「……吉田くん?」
「宿題、だっただろ」
 え、とこぼれた相澤の声を押し戻すように、ぐっと顔を近づけ距離を掻き消す。
 手首の意味はわからないけど、ここなら俺にもわかる。俺がわかるのだから、相澤がわからないはずないだろう。
 無防備なほどの柔らかさが重なり
「俺も相澤がすきだ」
 いままで言えなかったのが嘘のように滑らかに言葉が滑り落ちる。
「……吉田くん」
 そっと明かりを灯すような優しさで名前を呼ばれる。相澤の輪郭が光に縁取られ、雨があがったのだとわかった。
 これでよし、と頬から離した手を「待って」と今度はなぜか相澤に止められる。え、と戸惑う間もなく、もう一方の手で顔を引き寄せられた。
 反射的に瞼を閉じれば「やっぱりかわいい」とつぶやかれた気がしたが、再び触れた唇の柔らかさに思考を奪われ、確かめることはできなかった。


 その年のプリコンで俺は無事プリンセス部門のノミネートを免れる。プリンス部門でもノミネートされなかったものの、二年連続で相澤とステージに並ぶことになる。
 カップル部門にノミネートされたからだ。
 ……相澤効果はやっぱりすごかった。